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イグニション前の速度より  作者: 紀
【序章】
11/82

おなかが減らなくても帰ろう

 少年は石畳で作られた村の路地の上を走っている。黒い瞳は進路の先を見つめ、男子らしい目に掛らない程度の黒髪は、風と共に流れている。駆け足はリズミカルで、一歩一歩に答えるように腕も振られる。呼吸も歩幅に合わせて繰り返され躍動は全身で一致している。


 少年が走っている場所はM公国モートポレストのはずれにあるクォーサイドタウンという村だ。


 170センチに届こうかという身長は公国において特別屈強だとは言えないが平均地を下回ってはいない。飛びぬけている走りとは言えないが不足は無い。ただ、その黒い瞳にはどこか粘り強さが閉じ込められている。少年はM公国モートポレストの戸籍上でセイ・クヴァンツスという名で登録されている。


 M公国は新年度を迎えたばかりで、今年度をもってセイは15歳となる。公国には誕生日とは別に個人個人を年度に基づく年齢でグループ分けしている。新年度を迎えて、M公国の分類上、15歳となったのが今の彼だ。

 

 彼はクォーサイドで只一人の15歳の少年である。そして、セイが走っている村には一日の終わりの日差しが降り注いでいる。


 上空の雲はまばらで薄い。透過したオレンジ色に染められている。山際にたたずむ太陽はひっそりと静かに沈んで行く。虫や鳥が小まめに鳴き出すには、季節的にまだ少し早い。冬の終わり。静寂に割り込むように少年の呼吸と足音が響く。


 セイの左右には木や石やレンガでできた平屋が並ぶ。質素だが古ぼけた感じは少ない。意味の無いレンガ塀や、井戸の周りには井桁いげたが組まれている家もある。のきなどが落とした影は、路地の石畳の色味を灰色から黒へと変えている。夕日が吹き抜けている所ではオレンジ色だ。黒とオレンジのコントラストの中をセイは突き進んでいた。


 家屋の間や中央広場や階段。セイは村の石畳の路地を駆け抜けて孤児院の門を視界に入れる。門といってもアーチを描くような木の扉は無く、ひさしを支える木の支柱などもない。約3メートル幅の石畳と、その脇に立つ高さが1メートル程度の角ばった石柱が、いくぶん境界の雰囲気を醸し出している。


 石畳みの路地を超えた先がセイの目的地だ。帰宅先と言っても良い。だがそこはセイだけが暮す家ではない。セイを含む13人の少年少女達が暮す孤児院だ。今はそれに加えてキユキの代理を務める保護役が滞在している。少年少女達の年齢は異なっている者がほとんどだ。下は3歳から上は15歳までとばらついている。15歳の者はもちろんセイで、つまりセイは村で唯一の15歳にして、孤児院の最年長者だ。

 

 門を通りぬけた先にある孤児院の敷地は、まず、100メートル四方程度の平地が広がる。平地の土はトンボでならしたように均質で、そして十分に締めら固められている。凹凸のない整備された土地だ。その平地は、公国の孤児院機関において〝庭〟と呼ばれる土地だ。


 庭には剣の修練に使うカカシのような木、弓の修練の的、砂場や石造りのすべり台、ベンチ。そういったものが点々としている。障害物のない広々とした空間で配置された物は少ない。


 敷地を取り囲むような塀はない。かわりに敷地を囲むのは樹木でそれも点々としている。力を蓄えている蕾もあるが、今は茶色い枝が目立つ。


 セイは庭も駆け足で庭を突っ切り孤児院の玄関へと辿り着く。両開きの玄関の扉は開け放たれている。セイは玄関をくぐり13足の靴の所在を確認して、扉のストッパーとなっている三角形の木片を外して扉に手をかけた。


『今日は天気が良かったからか?』


 既に冷気が降り始めている濃い茜色の空を見てセイは少し微笑んだ。それからセイは扉を閉めて、ブーツを脱で室内履きに代えた。革製でサンダルのような室内履きだが足首には固定するための金属の金具がついている。



 セイは、屋内の木の廊下を20メートルほど進む。真っすぐに向かった先は食堂だ。看板が垂れている。セイは扉を開いて、顔だけ食堂の中に突っ込んだ。キョロキョロと左右を確認する。


 セイの姿を目にした5人の幼子達は、セイのに向けて、あー、とか、わー、とか叫びながら走り出す。


 セイは一度そっと扉を閉めた。扉からけたたましいノックの嵐を聞いてセイは扉を開ける。

 

 両手を上に。幼子達はセイを迎える。

「「「「「おかえりー!」」」」」


 セイは一人ずつ抱き上げて、

「ただいま」

と穏やかに伝えて自分の横に下ろして、食堂に入った。

 幼子達もセイに続いて、トコトコと歩き再び食堂に入る。

 皆が通過してから、セイは扉を閉めた。



 中に入ると13歳の次女カリナが頭頂部あたりから光の線を延ばしている。光の線を辿ると、それは天井に貼り付けられた紙にぶつかって止まっている。50センチ平方程度の紙だ。それくらいの大きさの紙とカリナとは光の線で繋がっている。あるいは、紙に描かれた模様に繋がっていると見るべきかもしれない。


 紙には線画――(線だけで描かれた塗り絵の輪郭のような絵)――が描かれており、カリナの頭頂部から伸びる光の線は、正確に天井に貼り付けられた紙の線画へと繋がっている。


 この線画は公国では〝術印〟と呼ばれるものだ。


 そして、天井の紙に描かれた術印からは、白い色の光りが降り注いでいる。蛍光灯のように明るい。食堂には夕闇はない。皆の笑顔も良く見える。



 食堂にはいつもの顔ぶれが見える。 「おかえり」「ただいま」

 「お疲れ」「お疲れ」

 「おかえりです」「ただいま」

 「おふぅ」「つまみ食いはほどほどにな」

 「えへへ」とも聞こえそうな笑みでバスっとジャンプで抱きつく。

 「えい」と後からひざかっくん。「それはもうきかない」


 セイは6名の少年少女と触れ合いながら、食堂の奥にある厨房へ向かう。


 食堂は厨房と繋がっている。オープンキッチンだ。境目はカウンターで作られているが、壁などで塞がれていない。往来のために一部が通路となっている。


 セイはその通路を使い、食堂を通り過ぎて厨房に入った。


 曇り無き水鏡のような金色の瞳がセイに向く。

「おかえりなさい。お兄ちゃん」

「ただいま。ミフィ」


 美しく反射する瞳で、14歳の長女ミフィはセイを迎えた。エプロン姿だ。金色の髪は、首筋までは垂れるが肩より先には届かない。小さく丸みを帯びた彼女の輪郭がセイの方を向くと、戯れる様にその毛先が揺れる。


 次に声をかけたのは20代後半の女性で、名をミーアという。

「おかえりなさい。セイ君」

「今かえりました。すぐ手伝います」

 

 13人の少年少女と1人の女性。合計14人。それが今、クォーサイドタウンの孤児院の施設内にいる全員だ。1人の女性とはもちろんミーアで、彼女はメレディスの死後からキユキが赴任するまでの期間の代理を勤めている。

 

 前任の保護役が死亡しても13人がまったくもって放置されるような事はない。ミーアがそのまま次ぎの保護役に就任しないのはミーア自身の希望だ。つまり本職にはしたくはないのだ。だからと言ってミーアは嫌そうな顔はしていない。ミーアは人柄の良さそうな笑みでセイを迎えた。



 厨房の天井にも紙に描かれた線画が貼り付けられている。つまり天井に術印がある。こちらはミーアの胸の中心あたりから伸びる光の線と繋がっている。術印からは薄い黄色の光が降り注ぎ、やはり厨房の中を明るく照らしている。

 

 手伝うと口にしたとおり、セイはまず蛇口で手を洗うために厨房の水道へと向かった。


 ミーアは向きをミフィの方へ変える。 

「汗、ふいてあげたら?」

「そういうのは、ね? 恥ずかしくなるから」

「それを言うから恥ずかしくなるじゃない」

 ミーアは苦笑する。セイもははっ、と軽く笑い、そして手と顔を洗った。


 恥ずかしいなどと言っていたが、それは口だけでミフィの表情に恥じらいは無かった。そして、ミフィの手は既に厨房の棚の方へ伸びていた。またミフィは棚から綺麗に折りたたまれ布巾を一枚を取り出して、子供に楽しく語りかけるような口調と共にセイに布巾をわたした。


「はい、お兄ちゃん。いい感じに出てるよ。頑張ってる感じ」

「いや、なんだよ。その歪んだ見方は」

「ふふん♪」

 ミフィは鼻歌まじえたような高い声を響かせ、くっきりと微笑んだ。


 セイは水滴が目に入らないように薄く目を開けている。しかし口元は穏やかに微笑んっでいる。セイはミフィから布を受け取って顔と手と首周りを拭いた。それから、蛇口で布を洗って畳み作業台の隅に置く。


「もうすぐ麺が茹で上がるから、お兄ちゃんはお皿を並べて」

「フライパンなら振るけど?」

「そう? じゃあファイヤーは止めてね。子供達が入ってくるから」

「ああ、分かってる」


 セイはフライパンをもち、アルコールに着火しないように注意深くブドウ酒を少しだけ流し込んだ。そして麺の茹で汁やオリーブオイルなどをフライパンにたらして、麺を小分けにフライパンに入れる。


 ミフィは、ビーカーの形状の金属性の缶からクリーミーな牛乳をお玉ですくい、セイが調理をするフライパンにくるりと垂らした。そして頃合をみて生卵を二つ、フライパンに割って落とす。


 ミーアは作業台に空皿を並べて、出来上がったパスタを受ける準備をした。それが終わると時間差を作ってもう一つのコンロで、セイと同じようにフライパンを振る。


 ミフィはそちらでも調理補助にまわり、三人はカルボナーラを仕上げていく。


 三人が調理を終えるまでコンロの炭は赤々と火力を保っていた。


 三人が作ったカルボナーラは子供達によって食堂のテーブルに運ばれる。テーブルには他にもサラダやスープや漬物のようなものや、鶏の原形を感じるコンガリとした肉などが並ぶ。

 

 天井からの術印の光と暖炉で暖められた食堂で、孤児院の皆は夕食を済ませる。それから村の温泉に向かい一日の汗を流して、13人の子供達とミーアは孤児院の部屋の中で眠りに付いた。


 夜が更け朝日が昇り、平穏なクォーサイドタウンの孤児院の日々は進む。


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