第6話『ローゼの魔力』
あれから一年が経った。
実はリオヴァルト殿下とは、あれからほとんど会っていない。王宮で過ごしたあの日から、何度か出掛ける前のお母様に「王宮へ行くの?」と聞いたことはあるけれど、エルフィーナ公爵家の予定も忙しく、リオヴァルト殿下も王族としての予定があるらしい。
「また今度ね」
お母様にそう言われるたび、私は素直に頷いた。別に会いに行きたいわけではないけど、お母様は少し寂しそうな顔をしながらそう言う。そして、その今度はいつまで経ってもやってこなかった。
最初の頃は、少しだけ気になっていた。あの日、別れ際に言われた「また、遊びに来てね」という言葉も、何度か思い出した。
けれど、季節がひとつ、またひとつと過ぎていくうちに、私はいつの間にか納得していた。きっと、このままなのだ。私たちは、それぞれの場所で大きくなっていく。あの日のことも、いつか思い出さなくなるのだろう。そう思っていた。
そんなある日のこと。
「ロゼリシア様。本日は、少し特別な授業をいたしましょう」
最近、私はお母様に勧められて、魔法の勉強を始めた。
まだ四歳だから、本格的な魔法を使うわけではない。魔力とは何なのか。どうやって身体の中を巡っているのか。そんな基礎的なことを、少しずつ教えてもらっている。
今日もいつものように座っていると、先生が鞄から見慣れないものを取り出した。透明な石のようなものだった。
「これは何ですか?」
「魔力量を測るための魔道具です」
「魔力量……?」
「はい。これまでロゼリシア様の魔力量を正確に測ったことはありませんでしたから」
そう言われて、私は目を輝かせた。
「私も、お母様みたいにたくさん魔法が使えるんですか?」
お母様はエルフィーナ家の生まれで、魔法がとても得意だと聞いている。エルフィーナ家は昔から治癒魔法に秀でた家系なのだ。
お母様が魔法を使う姿を初めて見たとき、とてつもなく感動したのを覚えている。指先に浮かぶ光も。傷を癒やす魔法も。どれも私には、とても眩しく見えた。
だから、私もお母様の娘なのだから、たくさんの魔力がある。そう、どこかで当たり前のように思っていた。
「では、手をこちらに」
「はい!」
言われた通り、魔道具にそっと手を置く。
「そのまま、力を抜いていてくださいね」
「はい」
先生が魔力を流すと、透明な石の中に淡い光が浮かび上がった。私はわくわくしながら、その光を見つめていた。
けれど――
「……あら?」
先生の表情が、ほんの少しだけ変わった。
「どうしたんですか?」
「いえ……」
先生はもう一度確認するように魔道具を見つめる。その様子を見ているうちに、さっきまで胸いっぱいだった期待が、少しずつしぼんでいった。
やがて、困ったように眉を下げた。
「ロゼリシア様の魔力量は……少ないようです」
「……少ない?」
「はい。同年代の子どもと比べても、かなり少ない部類かと」
「…………」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。少ない。その言葉だけが、頭の中に残った。
「お母様は……?」
「お母様?」
「お母様は、魔法がすごいんですよね?」
「ええ。エルフィーナ家は代々、魔法に秀でた家系です」
先生は少し言いにくそうに続けた。
「ですから……ロゼリシア様も、もう少し多いのではないかと思っていたのですが」
「……そう、ですか」
私は自分の手のひらを見つめた。
「わたし、魔法は使えないんですか?」
「そんなことはありません」
先生はすぐに首を横に振った。
「魔力量が少ないことと、魔法の才能がないことは別です」
「でも……」
私は魔道具を見る。
透明な石の中には、まだ小さな光が残っていた。あんなに綺麗なのに。私の魔力は、これだけ。
「お母様みたいには、なれないんですか?」
聞いてしまってから、胸が痛くなった。
もし先生が「そうです」と言ったらどうしよう。私には才能がありません、と言われたら。お母様はがっかりするだろうか。今まで私が知らないところで、期待してくれていたかもしれないのに。
「ロゼリシア様」
先生が優しく私を呼ぶ。
「確かに、魔力量だけを見れば多いとは言えません」
「……はい」
「ですが、少し不思議なことがあります」
「不思議……?」
先生は魔道具から私の手へ視線を移した。
「ロゼリシア様の魔力は、とても安定しています」
「安定……?」
「ええ。量は少ないのに、身体の中でほとんど乱れずに巡っているように見受けられます…」
「それって……いいことですか?」
「もちろんです」
先生は頷いた。
私はよく分からず、首を傾げた。
「まだ魔法を学ぶ前からこれ程安定しているのはとても珍しいことなのですよ。」
「そうですか…」
褒められている。たぶん、きっと。
それなのに、胸の中はまだ晴れなかった。
安定していても、魔力が少なかったら意味ないじゃん。そう思ってしまった。
「今のところ、特に問題はないようですね」
「ほんとうですか?」
「はい」
先生は笑ってくれた。
「ですから、あまり落ち込まなくても大丈夫ですよ」
「……はい」
そう答えたものの、やっぱり少し寂しかった。
お母様のように魔法が使えたら、少しは誰かの役に立てたかもしれないのに。きっとお母様もそれを望んでいたはず。
でも私の魔力は、少ない。
私は小さく息を吐いて、自分の手を握った。
「もっと頑張ったら増えますか?」
「魔力量そのものは、努力だけで大きく増えるものではありません」
「……そうですか」
しょんぼりと俯き、自分の手をぎゅっと握った。
胸の奥に、別の記憶が蘇った。
――エルフィーナ家。
代々、治癒魔法に秀でた名門公爵家。ゲームの中でも、それは有名な設定だった。
だからこそ、ロゼリシア・エルフィーナは、周囲から馬鹿にされていた。
エルフィーナ家の娘なのに。治癒魔法の名門なのに。どうして魔法が使えないのか、と。
家名に見合わない娘。落ちこぼれ。そんな言葉を向けられるたび、ゲームの中のロゼリシアは傷ついていた。
そして、その傷ついた心を隠すために、周囲へきつく当たるようになった。
主人公への嫌がらせも、リオヴァルト殿下への執着も、全部が、少しずつ積み重なった結果だったのかもしれない。
もちろん、私は同じことをするつもりなんてない。主人公に嫌がらせをするつもりもない。誰かを傷つけたいとも思わない。それでも、ゲームの中のロゼリシアと同じように――。
「ロゼリシア様」
優しく名前を呼ばれて、私は顔を上げる。
「魔法の強さだけが、その人の価値ではありませんよ」
「……」
「それに、ロゼリシア様にはロゼリシア様の得意な魔法があるかもしれません。まだ、それが分かっていないだけです」
「……私にも、得意な魔法が?」
「ええ」
先生は微笑んだ。
私はしばらく先生の顔を見つめていた。
「……探したいです」
やがて、私は小さく頷いた。
「私にもできることがあるなら、見つけたいです」
「はい。一緒に探していきましょう」
先生は優しく笑った。
私はもう一度、自分の手のひらを見つめる。
ここにある魔力は、ほんの少し。
お母様のように、たくさんの魔法を使えるわけではない。
それでも――不思議と、身体の中を巡る魔力だけは、途切れることなく続いていた。
そのときの私は、それが何を意味するのかなんて知らなかった。ただ、自分では気づかないほど小さな力が、ずっと私の身体の中にあったことだけは確かだった。




