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第3話『出会い』


 従者たちが正面玄関の大きな扉を開けた。

扉の向こうには、何人もの使用人や従者たちが並んでいた。


「エルフィーナ公爵夫人、ようこそお越しくださいました」


 先頭に立っていた従者が、頭を下げる。


「お出迎えありがとうございます」


 お母様が微笑みながら答える。


「王妃殿下がお待ちしております。どうぞこちらへ」

「ええ、よろしくお願いします」


 私もお母様に手を引かれ、その後ろを歩き始める。

 

 入ってまず見えるのは緩やかに伸びる美しい階段、思わず見上げてしまうほど高い天井、壁には歴代の王族と思われる肖像画が並び、窓から差し込む光が磨きあげられた床の上に長い影を落としている。


「すごい…」


 思わず小さく呟いた。

ゲームの中にも少し登場した王宮だったが、こんなに綺麗だったろうか。いや、あれはあくまでゲームの背景。実物は、画面の中の1枚絵では表現しきれないほど、洗練されて美しい。


  しばらく廊下を歩いていると、前方から別の従者がやってきた。


「公爵夫人、王妃殿下がお待ちの部屋へご案内いたします」

「まあ、ありがとうございます」


 お母様がそう答えてから、ふと私を見る。


「ローゼはここで少し待っていられる?」

「はい、お母様」


 どうやら大人同士で話すことがあるらしい。

近くには侍女もいるし、王宮の中なのだから危険なこともないだろう。そう思って頷いた。


 お母様は私の頭を優しく撫でると、従者とともに廊下の先へ歩いていった。私はその背中を見つめていた。


 ――今なら。


 今なら、逃げられるかもしれない。

リオヴァルト様に会う前に、ここから離れてしまえばいい。王宮から出ることは無理でも、少なくとも今日の顔合わせを避けるくらいなら――。


  けれど、すぐに現実に引き戻される。今の私は三歳だ。一人で王宮の外へ出ることなんてできないし、勝手にどこかへ行けば、すぐに見つかってしまうだろう。それに、そもそも私は王宮の中を知らない。下手に動けば、本当に迷子になってしまう。


 でも。ここで大人しく待っていたら、きっと変わらない。


「……どうしよう」


 小さく呟いた。逃げるべきか。それとも、このまま何も知らないふりをして会うべきか。


 しばらく考えているうちに、ふと廊下の先にある大きな窓が目に入った。その向こうに、色とりどりの花が咲く庭が広がっている。

 

 窓に近づくと、薄く開いた隙間から、外の空気が流れ込んできた。土と草の青い匂いに混じって、甘い花の香りが漂ってくる。遠くでは小鳥がさえずり、噴水の水が絶え間なく落ちる涼やかな音を響かせていた。


 陽の光を浴びた庭は、まるで絵本の中の世界だった。


 整然と刈り込まれた生垣の間に白い石の小道が伸び、その両脇には赤、青、黄色の花が咲き誇っている。噴水の水面はきらきらと輝き、風が吹くたびに葉がさらさらと揺れた。


「わっすごい」


 もっと近くで見てみたい。

あの花は何という名前なのだろう。噴水の奥には何があるのだろう。小道を進んだ先には、誰かがいるのだろうか。


 好奇心が、胸の奥で小さく膨らんでいく。

ここなら、少しだけ時間を潰せるかもしれない。王宮の外へ逃げるわけじゃない。庭を少し見るだけなら――。


「……少しだけなら」


 そう自分に言い聞かせるように呟いて、私は庭へ続く扉へ向かった。


 外へ出た瞬間、室内とは違う明るさに目を細める。


「……きれい」


近くで見ると、花はどれも色鮮やかで、風に揺れるたびに甘い香りが漂ってくる。


 私は白い石の小道を、ゆっくりと歩いていった。


「これ……なんていう花なのかな」


 しゃがみ込んで、一輪の花をじっと眺める。

そのときだった。


「それ、気になるの?」

「……!」


 突然、後ろから声がした。驚いて振り返る。

そこにいたのは、銀髪の男の子だった。


 心臓が大きく跳ねる。

——リオヴァルト様。すぐに分かった。前世で何度も見た顔。何度も声を聞いた大好きな人。


 けれど、目の前にいる彼はゲームの中で見ていたよりもずっと幼い。当然だ。私と同じようにまだ子供なのだから。


「その花、さっきから見てたよね」

「……はい」

「僕も好きだよ」


 リオヴァルト様はそう言って、私の隣にしゃがみ込んだ。


「綺麗だから」

「ほんとですね」


 私はどうすればいいのか分からず、花へ視線を戻した。まさか、こんなところで会うなんて。避けるためにここにいるのに。でも、思ったよりも普通の男の子みたいで少し気が緩んだ。


「この花、ここにしかないんだ」

「え、そうなの?」

「たぶん。こっちにも似た花があるけど、少し違うんだよ」

「ほんとだ」


 言われて見比べてみると、確かに花びらの形が少し違っていた。


「よく知ってるのね」

「この庭、よく来るんだ」

「じゃあ、お花に詳しいの?」

「そんなに詳しくないよ」


 そう言いながら、リオヴァルト様は少しだけ得意そうに笑った。

その表情がなんだか可愛くて、思わず私も笑ってしまう。


「ふふっ」

「……何?」

「ううん。なんでもない」


 ゲームの中で見ていた彼とは、少し違う。

もっと大人びていて、近寄りがたい人だと思っていたのに。


「こっちに噴水もあるよ」

「みたい!」

「じゃあ、いこう」


 彼が先に歩き出し、私はその後をついていく。

噴水の近くまで行くと、水面が陽の光を反射してきらきらと輝いていた。


「きれい……」

「でしょ?」

「うん!」


 さっきまで逃げることばかり考えていたのが嘘みたいに、気づけば私は彼と並んで庭を歩いていた。

 

「ねえ」

「なに?」

「君、王宮にはよく来るの?」


 そう聞かれて、私は少し考える。

けれど、その問いに答えるより先に、彼がふと首を傾げた。


「……そういえば」

「?」

「まだ君の名前、聞いてなかった」


 あ、と小さく声が漏れる。

私は小さな手でスカートを持ち、覚えている限りの礼儀を込めて、ぺこりと頭を下げる。


「初めまして、リオヴァルト殿下。ロゼリシア・エルフィーナと申します。本日はお目にかかれて、光栄でございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 顔を上げると、リオヴァルト殿下は少し驚いたように私を見つめていた。


「うん。よろしく、ロゼリシア」


 それから、少しだけ困ったように笑う。


「そんなにかしこまらなくてもいいよ」

「ですが……殿下ですから」

「そっか」


 リオヴァルトはそれ以上は何も言わず、噴水の傍にあるベンチへ腰かけた。


「ここ、好きなんだ」

「噴水が、ですか?」

「うん。水の音がするから」


 リオヴァルトがそう言って、噴水から落ちていく水を眺める。


「静かで落ち着くんだ」

「……分かります」


 私も隣で噴水を見る。

確かに、さっきまで胸の中で騒いでいたことが、少しだけ遠くなった気がした。


「ロゼリシアは、庭が好き?」

「はい。ここのお庭はさっき初めてみたのですが、とても綺麗で……」

「僕も好き。花もいっぱいあるし」


 そうしてまた近くの花へ視線を向けた。

 

「今日は、ちょっと疲れたから来たんだ」

「お疲れだったのですか?」

「うん。でも、ここに来たら少し元気になった」


 そう言って、リオヴァルトが笑う。


「ロゼリシアも?」

「え?」

「さっきより、顔が怖くなくなった」

「……!」


 思わず自分の頬に手を当てる。


「そんなに怖い顔をしていましたか?」

「うん。ちょっとだけ」

「……困りました」


 恥ずかしくなって俯くと、リオヴァルト殿下がくすっと笑った。


「でも、今は大丈夫」

「……なら、よかったです」


 私も小さく笑う。


 気づけば、さっきまで感じていた緊張はすっかり薄れていた。


 しばらく二人で噴水を眺めていると、遠くから声が聞こえてきた。


「ローゼ様ー!」

「……!」


 私はびくりと肩を揺らして、声のした方を振り返った。

お母様と侍女たちが、こちらへ駆けてくる。


「ローゼ!」

「お母様……」


 お母様は私のところまで来ると、ほっとしたように私の肩へ手を置いた。


「もう、どこへ行っていたの?心配したのよ」

「ご、ごめんなさい……」


 その様子を、隣にいたリオヴァルト殿下が不思議そうに見つめている。


「……ローゼ?」


 リオヴァルト殿下は私と、お母様を交互に見た。


「ローゼってロゼリシアのこと?」

「ええ、そうですよ」


 お母様が答える。

リオヴァルト殿下は少し目を丸くしてから、私を見る。


「……そっか」


 その声も、さっきまでより少し嬉しそうだった。


「じゃあ……ロゼリシアが、ローゼなんだ」


 まるで今になって、何かが繋がったみたいに、私を見る。

その目が、さっきまでとは少し違って見えた。嬉しそうで。どこか安心したようで。


 それが不思議で、私は思わず首を傾げる。


「……?」


 するとリオヴァルトは、少し照れたように笑った。

 

「じゃあ、ローゼって呼んでもいい?」

「はい、もちろんです。」

「分かった。じゃあ、ローゼ」


 初めてそう呼ばれて、私は少しだけくすぐったい気持ちになった。


「はい、リオヴァルト殿下」


 そう返すと、リオヴァルト殿下は嬉しそうに笑った。

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