第2話『前世』
窓からは朝日が差し込み、暖かな風と花の香りが入ってきた。庭では庭師が花壇の手入れをしていて、遠くから小さな噴水の水音が聞こえた。
私は窓辺に置かれた椅子に座り、膝の上で小さな手を握ったり開いたりしていた
「…へんなの。」
さっきから頭のなかがぐるぐるする。
不思議な感覚のままぼんやりと庭を眺めていた。
「ローゼ?」
「あ、おかあさま」
声をかけられて振り向いた。
お母様は、いつもの穏やかな笑顔でこちらを見ていた。
「今日は王宮に行きますからね。」
「おうきゅう」
「ええ、エルネリア様からお茶に誘っていただいたのよ」
お母様は楽しそうに話しながら、侍女に私を着替えさせるように指示をした。
「それに、今日は殿下にもお会いできると思うわ」
「でんか…?」
「ええ。第二王子の——リオヴァルト殿下よ」
その名前を聞いた瞬間だった。
「え……?」
頭の中に、何かが流れ込んできた。
「……『恋と魔法のエトワール』」
気づけば呟いていた。
「ローゼ?」
お母様が不思議そうな表情でこちらを見る。
けれど、私の頭の中には次々と記憶が流れてきた。
そうだ。全て思い出した。
前世の私は、乙女ゲーム『恋と魔法のエトワール』をプレイしていた。
魔法と貴族が存在する世界を舞台にした乙女ゲーム。
主人公は平民の少女で、ある出来事をきっかけに魔法の才能を見出され、貴族たちが通う学園へ入学する。
そこで出会うのが、四人の攻略対象。
王族、貴族、平民――それぞれ立場も性格も違う男の子たちと学園生活を送りながら、恋を育んでいく、そんな物語だった。
その中でも、私が一番好きだったのが――第二王子、リオヴァルト・セレディオン殿下。
穏やかで優しいけれど、どこか掴みどころがなくて。攻略していくうちに見えてくる、彼の不器用な一面も好きだった。
私は何度も彼のルートを遊んだ。
けれどゲーム自体を知り尽くしているわけではない。
攻略対象は四人いたけれど、私がプレイしたのはリオヴァルト様のルートだけ。だから、他の三人については、曖昧だった。
ゲームの中での私は、リオヴァルト殿下の婚約者。
——公爵令嬢、ロゼリシア・エルフィーナ。
けれど、それだけではない。ロゼリシアは、ヒロインを嫌っていた。平民である彼女を見下し、何度も嫌がらせをした。人前で恥をかかせたり、周囲に悪い噂を流すこともあった。
それでも、ゲームの中の私は止まらなかった。
嫉妬に駆られて、次第にやっていいことと悪いことの区別さえつかなくなっていく。最終的には、学園で禁じられている危険な魔法まで使ってしまう。
その事件をきっかけに、私は学園を退学。
そして——リオヴァルト殿下との婚約も破棄される。
「…私がローゼ?」
赤い目。黒い髪。まだあどけない、小さな身体。
間違いない。私はロゼリシア・エルフィーナだ。
思い出しただけで、胸が苦しくなった。
あのゲームのロゼリシアは、どうしようもない悪役令嬢だった。このままだと、同じ結末を迎えてしまうかもしれない。
私にとって、リオヴァルト様はとても大きな存在だった。だからこそ、まさか自分が彼と同じ世界に生きているのだと分かった時、胸の奥には少なからず喜びがあった。
前世の私は、彼のエンディングを全て見届けた。だからこそ、知っている。——リオヴァルト様とロゼリシアの間には、物語の中で埋まることのない深い溝がある事を。
「……会いたくない」
誰にも聞こえないような声で呟いた。
最初から関わらなければ、ヒロインにも近づかなければ、ゲームのようなことをしなければ、きっと、運命を変えられる。そう思った。
「もうすぐ出発するわよ」
気づけば、私は馬車に揺られていた。
もっと早く記憶が戻っていたら。出会う当日なんて、一体どう回避すればいいんだ。そんな考えても仕方の無いことばかりが頭に浮かんでは、モヤになって残る。きっと私は今ひどく変な顔をしているに違いない。
ふと視線をあげると、お母様が私のことをじっと見つめていた。心配そうに眉を下げている
「…ローゼ?大丈夫?」
「…はい、大丈夫です。」
そう答えたものの、自分でもあまり説得力がない気がした。
しばらく窓の外を眺めながらぼんやりとしていると、 いつの間にか馬車は王宮へ続く大通りへと差しかかっていたらしい。視線の先には大きな城がそびえ立っている。白い石造りの城壁。その向こうに見える、いくつもの尖塔。
ロゼリシアの家も貴族の屋敷としてはかなり大きい方だと思う。けれどそんなもの王宮とは比べ物にもならない。
やがて馬車は王宮の正門をくぐった。
背後で、大きな鉄の門がゆっくりと閉じていく。私は、まだ整理しきれていない頭を必死に働かせていた。
ここからどう逃げ出そう。
せっかく前世の記憶を思い出したのだ。
このまま物語通りになんてなってあげない。
そう意気込んでみたものの、三歳の私にできることなんてたかが知れてる。
前世の記憶が戻ったことで、以前のロゼリシアと比べると沢山の知識や考え方を得たの。それは紛れもない事実だ。
でも、怖いものは怖いし、分からないことがあれば困ってしまう。うまく言葉にできないことだって、まだまだたくさんある。頭の中に大人だった頃の記憶があっても、今の私はまだ三歳なのだ。
どうすることも出来ないまま、お母様や従者に連れられ、私は正面玄関へ向かった。




