第15話『途切れた道標』
「ローゼ!」
城門を飛び出し、馬を走らせながら叫んだ。
すでに騎士団による捜索は始まっている。報告を受けた直後、俺はすぐ騎士団に合流した。
「殿下!こちらです!」
「何か見つかった!?」
「まだです…」
その返事を聞くたびに、胸が締めつけられる。
大丈夫。大丈夫だから落ち着け。そう何度も自分に言い聞かせるのに、震えそうになる腕を握りしめても、不安は少しも消えてくれなかった。もし、間に合わなかったら。そんな考えが頭をよぎるたび、胸の奥が冷たくなっていく。
「街道の先は!?」
「すでに別隊が向かっています!」
「森は!?」
「捜索中です!」
「なら、もっと奥まで探せ!」
風が頬を打つ。息が苦しい。それでも止まれなかった。ローゼが一人で泣いているかもしれない。そう考えるだけで、胸の奥が押し潰されそうになった。
こんなとき、俺は何をすればいい。
王子?ローゼの婚約者?そんなものはどうでもいい。ただ、ローゼを見つけたい。あの顔で笑いかけて欲しい。
「……ローゼ」
名前を呼ぶ。当然、返事はない。
それでも、もう一度呼びたくなる。声が届くかもしれない。どこかで聞いているかもしれない。そんなありえない期待に縋るように、リオは手綱を握り直した。
やがて、騎士の一人が声を上げた。
「殿下!こちらに馬車の轍があります!」
リオはすぐに馬を止めた。
「どこだ!」
「こちらです!」
地面に残った跡へ駆け寄る。湿った土に刻まれた轍を見つめ、リオは息を詰めた。
けれど、それは不自然に途中で途切れていた。まるで、そこから先だけ何かに隠されたように、道の上から痕跡が消えている
「……これが、ローゼの?」
「おそらく」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが大きく脈打った。
ローゼがここを通ったかもしれない。それだけでも、今まで何も分からなかったことに比べれば大きな手がかりだ。それなのに、なぜか素直には喜べなかった。ここで不自然に痕跡が途切れているということは、この跡は誰かが意図的に残した可能性が高い。ローゼがここにいた証拠なのか、それとも俺たちを別の場所へ誘導するためのものなのか。
「追えるか?」
「途中までは。ただ、その先で分かれ道になっているので……」
「……そうか」
拳を握る。
ここで迷っている時間すら惜しい。もし選び間違えたら、その分だけローゼから遠ざかってしまう。そんな焦りが、頭の中を埋め尽くしていく。
「殿下、一度お戻りください。陛下への報告も——」
「戻らない」
即答した。
「手がかりがあるうちに探さないと手遅れになる」
「ですが……」
見つかるまで探してやる。俺だけでも——
「殿下」
別の騎士が駆けてくる。
「周辺の捜索はほぼ全ての隊が動いています。このままでは、これ以上の範囲を調べる人員が足りません」
「……」
すぐ動かせるだけの騎士団はもう既に動いている。自分がここに残ったところで、何ができる?分かっている。分かっているからこそ、悔しかった。
「……分かった」
馬に跨ったまま、城の方を振り返った。
「陛下に会う」
ローゼを見つけるためなら、俺にできることは全部する。自分一人でどうにもならないなら、王家の力を使えばいい。今は意地を張っている場合じゃない。
そう自分に言い聞かせながら、俺は城へ馬を走らせた。
———ローゼ、待っていてね
必ず迎えに行くから。
————————————
「……陛下」
謁見の間に戻った俺は、息を整える間もなく国王の前へ進んだ。さっきまで騎士たちの声や馬の蹄の音が飛び交っていた場所とは比べ物にならないほど静まり返っていて、その静けさが今はひどく息苦しく感じられる。
「どうした、リオ」
父上の声はいつもと変わらず落ち着いていた。俺が捜索に出ていたことも、ローゼの行方がまだ分かっていないことも、すでに報告を受けているのだろう。
「お願いがございます」
俺は深く頭を下げた。
「現在、騎士団が捜索にあたっておりますが……さらに人員を増やしていただけないでしょうか」
「今の人数では足りないと?」
「はい」
ローゼがどこにいるのか分からない以上、探せる範囲を増やさなければならない。今の人数では足りない。
「どの程度必要だ」
「分かりません」
その答えに、父上が僅かに眉を寄せる。
「分からない、か」
「申し訳ありません」
拳を握る。爪が掌に食い込む感覚があっても、気にならなかった。
「ですが、今は一人でも多く必要です」
「理由を聞こう」
父上の声には責めるような響きはなかった。そのことに少しだけ救われながら、俺は息を吸った。焦っている。頭では分かっているのに、どうしても落ち着いて話すことができない。早くしてくれ。早くローゼを探させてくれ。そんな思いが喉元までせり上がってくる。
「現在の捜索隊は、主に王都周辺と、ローゼの馬車が通った可能性のある道を中心に動いています」
「報告は受けている」
「ですが、途中で痕跡が途切れています」
「……そうか」
地図へ視線を落とした。
「森や山へ入った可能性が高く、今の人数ですと限度があります。そのために、捜索範囲を広げたいのです」
俺は顔を上げた。
「王都周辺の警備隊だけではなく、近隣領地の騎士団にも応援を要請してください。街道だけでなく、森、山道、村落まで含めて探してもらいたい」
「……かなり大規模になるな」
「承知しております」
「王都の警備が手薄になる」
「それも承知しています」
ローゼを見つけるためなら、今はできる限りのことをしたかった。もし俺がここで何も言わなければ、ローゼが見つからないまま時間だけが過ぎてしまうかもしれない。その時間が、ローゼにとってどれほど長く感じられるのかと思うと、じっとしていられなかった。
「ですが……ローゼを一刻も早く見つけたいんです。ローゼがいなければ、俺は——」
そこまで言って、言葉が詰まった。
何を言えばいいのか分からなかった。ローゼがいないから苦しい。怖い。今すぐ見つけたい。ただ、それだけだった。けれど、それを父上の前で口にするのは、あまりにも子供じみている気がした。
俺は唇を結んだ。
ローゼは今、どこにいるんだろう。怖がっているだろうか。泣いているだろうか。それとも、俺たちが助けに来ることを信じて待ってくれているだろうか。考えれば考えるほど、胸の奥が苦しくなる。もし俺がもっと早く気づいていれば。もしあのとき一緒にいられたら。そんな「もし」が何度も頭に浮かんでは消えていった。
「お前自身も捜索に加わっているそうだな」
「はい」
「危険だとは思わないのか」
「思います」
迷いなく答えた。
「ですが、私が城で待っている間にも、ローゼはどこかで助けを待っているかもしれない」
その言葉に、父上の表情が僅かに変わった。
「……ローゼが、お前を頼るとは限らないぞ」
「それでも」
リオは答えた。
「私は、ローゼが助けを求めているかもしれないのに、何もしないで待っていることなんてできません」
言葉にしてしまえば、それはひどく単純な理由だった。
ローゼが俺を頼るかどうかなんて関係ない。俺がローゼを失いたくない。たとえローゼが俺を必要としていなかったとしても、俺はローゼを見つけに行く。そうしなければ、きっと後悔する。いや、後悔なんて言葉では足りない。ローゼがいない場所で、何事もなかったように生きていくなんて、俺には想像すらできなかった。
しばらく、父上の声が聞こえなかった。静かな謁見の間で、時計の針が進む音さえ聞こえそうなほどだった。俺は返事を待ちながら、握った拳に力を込める。
断られたら、どうする。
そう考えた瞬間、胸の奥がざわついた。近隣領の騎士団を動かせなければ、どうすればいい。別の方法を探すしかない。俺自身が走り回ってでも探す。朝になっても、夜になっても、見つかるまで探し続ける。それ以外のことなんて、今は考えられなかった。
「そうか」
そして、少しだけ目を伏せる。
「今回の件は、ロゼリシア嬢個人を狙ったものではない可能性が高い」
「……私の婚約者だから、ですか」
「ああ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が重く沈んだ。
「王族の婚約者を攫えば、王家を動かせる。要求を通すための人質としては、十分すぎる」
俺が王子だから。ローゼが俺の婚約者だから。だから狙われた。
分かっていたはずなのに、改めて言葉にされると苦しかった。ローゼは何も悪くない。ただ俺と婚約している、それだけなのに。そのせいで、今どこかで怖い思いをしている。
——もし、俺と婚約していなかったら。
そんな考えが一瞬だけ浮かんだ。けれど、すぐに打ち消す。今さらそんなことを考えて何になる。ローゼが俺の婚約者であることを後悔したくはない。だったら、そのせいで巻き込まれたローゼを、俺が必ず守ればいい。
「なら……なおさらです」
「リオ」
「ローゼを使って、何かを要求してくるつもりなら……相手は、私たちが動くことを想定しています」
拳を強く握る。
「それなら、こちらが一刻でも早く動かなければいけない」
「……焦っているな」
「…はい。とても、焦っています」
自分でも分かっている。
冷静にならなければならない。でも、ローゼを失うかもしれないという恐怖が、頭の中から離れてくれない。今まで当たり前にあったものが、突然なくなることがある。その現実を、今は嫌というほど思い知らされていた。
「……分かった」
静かな声が響く。
「各地の騎士団へ通達を出す。近隣領の警備隊にも協力を要請しよう」
「ありがとうございます」
これで、探せる場所が増える。それでも、安心なんてできない。早く戻らなければ。もう一度、捜索に加わらなければ。
「ただし、一つ約束しろ」
俺は顔をあげた。
「お前自身が無茶をしないことだ」
「……」
「ロゼリシア嬢を助けるために、お前まで失うわけにはいかない」
その言葉に、俺は僅かに目を見開いた。
「私は……」
「分かっている。お前がローゼを心配していることも、今すぐ探しに戻りたいと思っていることもな」
やっぱり、バレていた。
「だからこそ、冷静でいろ。お前が倒れれば、ローゼが悲しむと思わないか?」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。そうだ。ローゼなら、きっと俺のことまで心配する。俺が無茶をして倒れたなんて知ったら、自分のせいだと思ってしまうかもしれない。だったら、俺まで無茶をするわけにはいかない。
「ありがとうございます、陛下」
「礼はローゼを見つけてからでいい。必ず連れて帰れ」
「……はい」
胸の奥に、強く言葉を刻み込む。
「必ず、ローゼを見つけます」
俺は踵を返した。
早く戻ろう。まだ探せる。まだ間に合う。そう自分に言い聞かせながら、謁見の間を出ようとした、そのときだった。
「リオ」
「はい」
呼び止められて、足を止める。
「——焦るな。だが、諦めるな」
焦らない。今の俺には、それが一番難しい。ローゼがどこにいるのか分からない。無事なのかも分からない。それでも、恐怖に呑まれてしまえば、見落とすものが増える。
「……はい」
それだけ答えて、俺は今度こそ謁見の間を後にした。
扉が閉まる音を背に、俺は廊下を歩きながら、胸の奥に残る恐怖を押し込めるように拳を握った。
ローゼがいなくなるなんて、考えたくない。だから、失う未来を想像するのはもうやめる。俺が迎えに行く。そして必ず、俺のところへ連れて帰る。
それだけを胸に刻み、俺は再び捜索へ戻るため、足を速めた。
今日から毎日23時投稿から毎日21時投稿に変更します!
間に合わない日はいつも通り描き終わり次第投稿します。
いつも読んでくださってる方ありがとうございます…!




