第13話『揺らぐ日常』
あれから、いくつもの季節が過ぎていった。
あの日、リオと二人で見つけた温室のことは、未だに私たちの心の中にしまってある。
「……ないね」
「うん」
あの後二人で何度探しても見つからなかった。
でも、自然と私はいつかまた見つけられる気がしていた。
そうして、時間はゆっくりと流れていった。
五歳だった私は、六歳になり、七歳になった。
「ローゼ、また背伸びた?」
「リオのほうが伸びたんじゃない?」
出会った頃は、見上げないと合わなかった目も、いつの間にか同じくらいの高さになっていた。
「僕?」
「うん。前よりずっと大きいよ」
「じゃあ、ローゼを守れるね」
「守ってもらわなくても大丈夫だよ?」
「ほんと?」
「ほんと」
「嘘だ〜」
そう言いながら、リオは私の頭を撫でた。
リオは昔から、私を子供扱いすることがあった。手を繋いで歩いてくれたり、階段では先に行って待っていてくれたり。私が「もう一人で大丈夫」と言っても、リオはいつも少し笑うだけだった。
それは私たちが大きくなっても、あまり変わらなかった。
この数年で変わったことといえば、リオの魔法がどんどん強くなったことくらいだ。
まだ幼いのに、同年代の子とは比べものにならないほどの魔力を持っているらしい。ゲームの中でも、リオが魔力暴走を起こしてしまうイベントがある。だから、そうならないために。お母様やお父様にも相談して、リオの先生にも予定より早めに一通りの魔法を教えてもらえるようお願いしていた。
「また怪我したの?」
「ローゼのお母様に治してもらったから平気」
「無理しないで」
「あれくらい大丈夫だよ」
「……もう」
私はリオの手を両手で包む。
昔、一度だけ。リオの手を治したことがある。お母様に話したとき、驚いたような悲しいような顔をされた。どうしてそんな顔をしたのかは今でもわかっていない。それでも、幼い私にはそれ以上は話さない方がいいということだけ分かった。そこからはなんとなくこの話題は避けるようになった。
リオの手を握るたびに、あの日見た淡い光のことを思い出す。やっぱりあの光は私の———
「僕はローゼの魔法だったと思うけどな」
リオは、今でも時々そう言う。
「違うよ」
「でも治ったよ?」
「たまたまだよ」
「そっかぁ」
それ以上踏み込まないリオに、私は少しだけ安心する。そして、なんてことない会話をしながら、私たちが出会った庭のベンチに座る。そんな時間が、私は好きだった。
けれど、成長するにつれて、二人でいられる時間は少しずつ減っていった。リオは王子としての勉強に加えて、魔法の訓練。私は私で公爵令嬢としての最低限の教養、そして王子妃として必要な礼儀作法など、覚えなければならないことが増えていった。
昔なら、一日中遊んでいられた時間が、少しずつ予定で埋まっていく。
それでも、第二王子としてのリオや私に変わり公爵家を継いでくれるフィルを見ていたら、弱音なんて吐いている場合じゃないと無我夢中でしがみついた。
自由に遊んだりする時間はないけれど、リオは会えば昔と変わらず笑いかけてくれる。それだけで、また頑張ろうと思えた。
「ローゼ!」
「リオ!」
王宮でたまたますれ違って手を振る。最近の私たちはこれくらいでしか会えなかった。会える時間が短くなっても、話せることが少なくなっても、リオといるときだけは、ただのローゼでいられる気がした。
———九歳の春。
その日も、特別な一日になるはずではなかった。
いつも通り朝起きて、着替えて、ご飯を食べた。
「今日は午後から少し外へ出ますからね」
「うん」
ミレアに返事をして、私はいつものように支度をする。
何の変哲もない一日。
だからこそ、その異変に気づくのが遅れた。
帰りの馬車の中。私はミレアと向かい合って座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「今日は少しお疲れですね。」
「ううん。大丈夫」
「本当ですか??」
「うん。……でも、ちょっと眠いかも」
最近気づいたけど、前世の私と比べたらそうでも無いけどロゼリシアも体が弱い。でも睡眠さえとれれば元気になるから私は仮眠を取ることが増えた。
「では、少しお休みになってください」
「うん」
私はミレアの膝を借りて、横になる。
馬車が揺れるたびに、身体が小さく上下する。窓から差し込む日差しが心地よくて、だんだん瞼が重くなっていった。
次に王宮へ行くのはいつだっただろう。今日買った髪飾り、褒めてくれるだろうか。今度会ったら、最近覚えた魔法のことを聞いてみよう。そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちた。
「……あれ?」
どれくらい眠っていたのだろう。ミレアの声で、私はゆっくりと目を開けた。
「……どうしたの?」
まだ眠気の残る目をこすりながら、身体を起こす。ミレアは窓の外を見ていた。家まであとどれくらいだろう、家に着いたらリオに手紙を書こう。
「ローゼ様、少しお待ちください」
「……うん?」
ミレアが、もう一度窓の外を確認する。
その表情が、ほんの少しだけ強張っていた。
「この道……」
「いつもの道じゃない?」
「……はい」
私も窓から外を覗き込んだ。
見慣れた街並みがない。代わりに見えるのは、木々ばかりだった。
「……どうして?」
馬車は、今も止まることなく走っている。
カタ、カタ、と車輪が揺れる音。小枝を踏み揺れる馬車。
ミレアが御者へ声をかける。
「すみません。少し道を確認したいのですが」
お願い、返事をして。大丈夫だと言って。納得のいく理由を聞ければ、それだけで安心出来る。そんな私の心とは裏腹に返事はなく、馬車は一定の速度で走っていた。
ミレアがもう一度、少し声を張る。
「御者さん?」
やはり返事がない。ミレアの眉が寄った。
「おかしいですね……」
「……ねえ、ミレア」
「ローゼ様、こちらへ」
ミレアがすぐに私の肩を抱き、自分の後ろへ隠すようにした。
「え……?」
「そこにいてください」
いつもの優しい声ではなかった。
私は言われた通り、その場から動かなかった。
「……何があったの?」
「ローゼ様は私がお守りします」
「でも……」
「大丈夫です」
そう言ったミレアの手が、私の手を強く握った。
少し痛い。それなのに、その手が離れてしまうほうが怖かった。
馬車はまだ進んでいる。
「……ねえ」
「はい、ローゼ様」
「このまま、どこに行くの?」
「……」
ミレアは答えなかった。私はもう一度窓の外を見る。どこまでも続く森。木々の隙間から見える空は、いつの間にか赤く染まり始めている。いつもなら綺麗だと思う夕暮れが、今はひどく不気味に見えた。
すると突然前方から聞こえていた馬の蹄の音が止まった。馬車が大きく揺れる。
「きゃっ……!」
身体が前へ投げ出されそうになったところを、ミレアが抱き止めてくれた。
「ローゼ様!」
「だ、大丈夫……」
けれど、自分でも分かる。心臓が、さっきまでとは比べものにならないほど速く鳴っている。
何が起きたの?そんな疑問を口にするより先に、馬車の外から足音が聞こえた。一人、二人、いや……もっといる。
誰かが、馬車を囲んでいる。私は、ミレアに抱きしめられたまま動くことができなかった。
「ローゼ様」
「……うん」
「私から離れないでください」
「……うん」
ミレアも心臓は酷く脈打っていて、腕は震えていた。それでも私を庇うように抱きしめ、頭を撫でた。
扉の向こうから、知らない男の声が聞こえた。
「中にいるのは?」
「予定通り、令嬢と侍女が一人」
その言葉を聞いた瞬間、身体が冷たくなった。
———私のことを知っている。偶然ではない。誰かが、私たちを狙ってここへ連れてきた。
「ミレア……」
「大丈夫です」
顔をあげてミレアを見つめる。
「絶対に、私から離れないでください」
けれど、その声も震えていた。それでも私は何度も頷いた。きっと大丈夫。大丈夫だと思いたい。きっと誰かが気づいている。お父様たちが助けに来てくれる。
リオだって———。
そう思った、そのとき。
外から、扉の鍵に手をかける音がした。
かちゃり。
私は息を止めた。扉が少しずつ開き、夕日が差し込んでくる。眩しくて、一瞬目を細める。その向こうに知らない男の顔が見えた。
「気分はどうだ」
その声を聞いた瞬間、身体が強張った。
ミレアがすぐに私の前へ入り、男と向き合う。
「何をする気ですか!」
「ミレア……!」
私はミレアの服をぎゅっと掴む。
怖い。逃げたい。手足が震えて、動けない。怖いのは私だけじゃない。ミレアだって怖いはずなのに、それでも私を守ろうとしてくれている。何も出来ない自分にこれほど絶望したのは初めてだった。
男が馬車の中へ手を伸ばした。
ミレアが私を庇う。
「触らないでください!」
「邪魔だな」
男の手がミレアへ伸びる。
「いや……!」
「ミレア!」
手を伸ばそうとした。けれど、別の男に腕を掴まれる。
「離して……!」
必死に振りほどこうとする。
でも、幼い私の力ではどうすることもできない。
誰か助けて。そのとき、頭の中に浮かんだのはリオだった。最後に会ったのはいつだったっけ。もっと話したかった。買った髪飾りだって、まだ見せていない。行きたい場所も沢山ある。
———リオに、会いたい。
そう思ったところで、意識が暗く沈んでいった。
一方、その頃。
夕暮れの王宮では、慌ただしい足音が廊下を駆けていた。
魔法の訓練を終えた俺はいつものようにローゼのことを考えながら服を着替えていた。
明日は会えるかな。最近はなかなか会えないから、少しくらい話したい。そんなことばかり考えていた。
「殿下!」
「どうしたの?」
挨拶もなしに、と続けようと振り返る。けれど、侍従の青ざめた顔を見た瞬間、言葉が止まった。
嫌な予感がした。
「エルフィーナ公爵家から、緊急の知らせが……」
「ローゼに何かあったの?」
ほとんど反射的に口から出ていた。
侍従は一瞬、言葉に詰まる。そのわずかな間だけで、胸の奥が嫌な音を立てた。
「帰宅途中の馬車が、予定の場所へ戻ってきておりません」
「……え?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「御者とも、護衛とも連絡が取れず———」
「……ローゼは?」
気づけば、侍従の言葉を遮っていた。
「ローゼは、どこ?」
声が低くなる。いつもの自分らしくないなんて自分でもわかっていた。でも、そんなことはどうでもよかった。
「現在、騎士団が捜索に——」
「どこを探してるの?」
「それは……」
「教えて」
返事を待つ数秒さえ、ひどく長く感じた。
もし、今もどこかで一人だったら。もし、怖がっていたら。もし、誰かに———。
「……っ」
そこまで考えて、思考を止める。そんなこと、あるはずがない。ローゼは大丈夫だ。ローゼがいない未来なんて、想像するだけで、息ができない。
「僕も行く」
「殿下、お待ちください!」
「どうして?」
「危険です。殿下まで捜索に向かわれる必要は——」
「あるよ」
自分でも驚くほど、迷いなく言葉が出た。
「ローゼがいないんだから」
「ですが……」
「僕が行く」
誰かに任せて待っているなんて、できなかった。どこにいるのか、無事なのかも分からない。そんな状態で、ただ王宮で待っているなんて絶対に嫌だった。
もしローゼが泣いていたら。もし助けを呼んでいたら。もし俺を待っていたら。そのとき、俺がここにいるなんて嫌だ。
——ローゼのところへ行かないと。
それ以外のことは、何も考えられなかった。
「殿下!お待ちください!」
「待てるわけないでしょ」
気づけば、走り出していた。
廊下を駆ける。王子としての振る舞いなんて、今はどうでもいい。誰に止められても行く。何を言われても行く。
だって——。
「ローゼ……」
小さく名前を呼ぶ。怖い。初めてだった。
ローゼが自分の手の届かない場所にいることが、こんなにも怖いなんて。もし、もう会えなかったら。
その考えが浮かんだ瞬間、胸が締めつけられる。
「……嫌だ」
誰にも聞こえないほど小さな声が漏れた。
ローゼがいなくなるなんて、嫌だ。俺の知らないところへ行ってしまうなんて。俺が何もできないまま、ローゼを失うなんて。そんなの、絶対に嫌だ。
「待っててね、ローゼ」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
必ず見つける。何をしてでも。どれだけ時間がかかっても。ローゼがどこにいても、絶対に。
そして———
今度こそ、俺の目の届かないところへ行かないように。
そんな考えが浮かんだことに、自分でも気づかないまま。
リオは、ローゼを探すために走り続けた。
この日、私たちの穏やかな日々は、初めて大きく揺らぐことになった。




