第12話『温室②』
リオが扉を開けた途端、ふわりと甘い花の香りが流れてくる。
「……きれい」
温室の中には、見たことのない植物が並んでいた。
淡い青色の花。光を受けると透き通る葉。小さな実が星のように淡く光る木。
「すごい……」
思わず一歩入る。
「本物だ……」
思わず小さく呟いた。ゲームの中で見たことあるような、ないような。どれも神秘的で、見ているだけで胸がわくわくしてくる。
「何が?」
「……なんでもない」
私は首を振る。
「ローゼ、こっちの花光ってるよ!」
リオに呼ばれて、私は駆け寄った。
「本当だ!」
「触ってみる?」
「えっ」
「ローゼ、こういうの好きでしょ?」
「……うん」
少し迷いながらも、そっと花へ手を伸ばした。
すると、漂っていた淡い光が一気に強くなった。
「わっ!」
「光った!」
「私が触ったからかな?」
「もう一回やろ!」
「うん!」
今度はリオも隣から手を伸ばす。
すると、花はまた同じように淡く光った。
「面白い!」
「ふふっ」
思わず笑い声が漏れる。
そこからは、もう夢中だった。
「次はあれ!」
「待って、リオ!」
リオが温室の奥へ走っていく。私も慌てて追いかけた。何が起こるのか分からない現実離れしたこの場所。だからこそ、楽しかった。
綺麗な花を見つければ立ち止まり。知らない植物を見つければ二人で覗き込み。小さな実を見つければ、食べられるのかどうかを真剣に考える。
「これ、食べられるかな?」
「やめたほうがいいよ!」
私は思わず声を上げた。もし変なものだったら、体に悪いものだったらどうするのだろう。王子様に何かあったら私じゃ責任を取れない。
「でも、ちょっと気になる」
「だーめ!」
「ローゼ、最近ちょっと厳しくない?」
「リオが変なもの食べようとするから!」
「食べてないよ!」
「食べそうだった!」
「……そうだけど」
「ほら!」
二人で笑う。
「ふふっ」
「はははっ」
……楽しい。
こんなふうに、何も考えずに遊ぶのは久しぶりかもしれない。魔法のことも。未来も。前世のことも。今は全部、頭の隅に追いやって。ただ、目の前にあるものを見て、リオと話して、一緒に笑っている。それだけで、胸の奥がぽかぽかした。
「こっちにも何かある!」
リオの声に私は顔を上げた。
「え?」
見ると、リオが温室の奥へ走っていく。
「待って!」
私も慌てて追いかける。
「走らないでって言ったでしょ!」
「ローゼも走ってる!」
「だって、待ってくれないから!」
「じゃあ一緒に走ろう!」
「もう……!」
文句を言いながらも、頬は自然と緩んでいた。
小走りで追いかけていたら、リオが突然止まった。
さっきまでの静かな温室とは違って、私たちの足音が小さく響いていた。
やがて、リオが立ち止まる。
「ここ」
その先にあったのは、小さな扉だった。
温室の奥にひっそりと作られた、古い木の扉。蔦が絡みつき、ところどころ塗装が剥がれている。
「温室の中に扉?」
「開けてみよう」
「今度はちゃんと確認してからね」
「分かってるって!」
さっきの温室の入口のことを思い出して、私は少しだけ身構えた。けれど、今度は何も起こらなかった。
リオが普通に取っ手を握ると、カチャリと音がする。
「開いた!」
「……本当に?」
少しだけ拍子抜けしながら、私はリオの後ろから扉の向こうを覗き込む。
扉を押し開ける。その向こうには——
「……わぁ」
小さな中庭が広がっていた。
高い壁に囲まれた空間。けれど、頭上だけは大きく開けていて、青い空が見えた。風が吹くたびに、木々の葉がさらさらと揺れる。さっきまでいた温室の植物たちとは違って、ここにはほとんど花がない。
ただ、中央に
「大きい……」
一際大きな木が立っていた。二人で手を繋いでも届かないくらい太い幹。何年も、何十年も、この場所で静かに時を過ごしてきたような木だった。
葉の隙間から差し込む陽の光が、地面にまだらな影を落としている。
「こんな木、初めて見た」
リオも驚いたように見上げている。
「私も」
私は木の根元へゆっくり近づいた。
なぜだろう。さっきの温室の植物を見たときとは、少し違う。この木を見ていると、胸の奥が変に落ち着く。懐かしい。……でも、どこで見たことがあるんだろう。
前世?ゲーム?どちらも違う気がする。
なのに、古い友人と出会ったかのような安心感と、感動を感じた。
「ローゼ?」
「……なんでもない」
私は誤魔化すように首を振って、木の幹へ手を伸ばし、そっと触れる。
——さらっ
「……え?」
葉が揺れた。私は思わず手を引っこめる。風は吹いていないはずなのに、木の枝が静かに揺れていた。
「今、動いたよね?」
「うん」
リオも木を見上げる。
「風、吹いてないのに」
「……不思議」
私はもう一度、幹に触れてみたが、今度は何も起こらなかった。
「気のせいかな」
「そうかも」
リオはそう言ったけれど、私と同じように不思議そうな顔をしていた。
私は手を離してからも、しばらく木を見つめていた。
「ローゼ!」
「なに?」
「こっち!」
「待って、今行く!」
リオに呼ばれて、私は慌てて木から離れる。
一度だけ振り返った。大きな木は、何も言わずにそこに立っている。
「……また来たいな」
小さく呟いてから、私はリオのところへ駆けていった。
「……そろそろ戻ろうか」
しばらく遊んでから、リオが言った。
「うん」
私も頷く。
楽しい時間は、あっという間だった。もっと遊んでいたい気もするけれど、お母様たちも待っている。そろそろ戻らないといけない。そう思いながら立ち上がった。
けれど、リオはその場から動かず、周囲をきょろきょろと見回した。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「来た道、どっちだっけ?」
「……」
私も辺りを見渡す。
けれど、どこを見ても同じような木ばかりで、見覚えのある景色が見つからない。
「……分からない」
「僕も」
「えー……」
完全に迷子。かなり王宮から離れてしまっているし、見つけて貰えるのは望み薄だ。
「どうしよう……」
「大丈夫だよ」
リオが私を見る。
「僕がいるから」
「……」
その言葉を聞いて、少しだけ安心する。
「……お母様、心配するよ」
「うん」
「怒るかな」
「その時は僕が守るね」
「もう!」
私は思わず頬を膨らませた。
そんな私を見てリオが笑う。
「でも、ちゃんと帰れるよ」
「本当?」
「うん!」
そう言って、リオが私の手を取った。
「一緒に探そう」
「……うん」
私もその手を握り返した。来た道を思い出しながら、ゆっくりと進んでいく。
けれど、しばらく歩いても景色は変わらなかった。
「……ここ、さっき通った?」
「え?」
「この木……見た気がする」
「……僕も」
二人で顔を見合わせた
「やっぱり迷子だ……」
「……そうかも」
今度は二人とも笑えなかった。どうしよう、本当に帰れなかったら。そんな不安が少しずつ大きくなっていく。
握っているリオの手に、無意識に少しだけ力が入った。
そのとき。
「ローゼ様ー!」
遠くから声が聞こえた。
「……!」
「誰かいる!」
リオが声のした方を指差す。
「行こう!」
「うん!」
声のする方目掛け二人で走った。木々を抜けると、侍女や従者たちがこちらへ駆けてきた。
「ローゼ様!」
「殿下!」
「お二人とも、こんなところまで……!」
「ごめんなさい……」
私はしゅんと俯く。
「心配したのですよ」
「……はい」
怒られるかもしれない。そう思っていたけれど、みんなの顔には怒りよりも心配した様子が浮かんでいた。それを見て、私は少しだけ申し訳なくなる。
リオも素直に頷いていた。
戻る前に、私は一度だけ振り返った。
さっきまで見えていた温室が、どこにもない。
「……あれ?」
目を凝らす。
開けた場所もなく、そこには、ただ木々が並んでいるだけだった。温室なんて、最初から存在しなかったみたいに。
「ローゼ?」
「……なんでもない」
私は前を向いた。
どうしてなくなったのだろう。さっきまであんなにはしゃいでいたのに。考えても、答えは出ない。だから今は、考えないことにした。
「ローゼ、早く!」
「うん!」
リオに呼ばれて、私は小走りで追いかける。
そのとき、後ろの木々の奥で、大きな幹の葉が揺れた。
風は、吹いていなかった。
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応接室へ戻ると、お母様がすぐにこちらへ気づいた。
「まあ、ローゼ。どこまで行っていたの?」
「……お庭を見ていました」
「そんなに遠くまで?」
「えっと……」
私はちらりと隣を見る。リオも私を見ていた。あのことは話した方がいい、そう思っても話す気にはなれなかった。
「……ちょっとだけ、探検していました」
「探検?」
お母様が目を丸くする。
「はい」
私が頷くと、リオも続けた。
「僕も一緒だったよ」
「まあ……」
お母様は少し驚いた顔をしたあと、困ったように笑った。
「二人とも、あまり遠くへ行っては駄目でしょう?」
「……ごめんなさい」
「ごめんなさい」
二人で同時に謝る。
それを見て、お母様は小さくため息をついた。
「もう。二人とも仲良しなのはいいけれど、心配させないでね」
「はい」
私は素直に頷いた。
そのあと、エルネリア様がリオを見る。
「リオも、ローゼちゃんを連れていくならちゃんと見ていてあげてね?」
「うん」
「本当に分かってる?」
「分かってる!」
リオは胸を張った。
「ちゃんと一緒に帰ってきたよ」
「それならいいけれど」
エルネリア様は笑った。
温室のことを話したら、きっと大人たちは探しに行くだろう。そうしたら、あの場所は見つかるのだろうか。
「ローゼ?」
「……はい?」
「どうしたの? ぼーっとして」
「なんでもありません」
私は慌てて首を振った。
今はまだ、誰にも言わなくてもいい気がした。あの場所は、私とリオだけが見つけた場所だから。
だから———
「リオ」
「どうしたの?」
少し離れたところにいたリオへ、小さな声で呼びかける。
「……今日のこと、秘密にしない?」
「今日のこと?」
「温室のこと」
小さな声で言う。
リオは少しだけ目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「うん。秘密にしよう」
「約束?」
「約束」
リオが小指を差し出す。
私はその小指に、自分の指をそっと絡めた。
「絶対だよ」
「うん」
指を離す。胸の奥が少しくすぐったかった。




