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第11話『温室①』


 婚約が決まってから、少しだけ変わったことがある。


 王宮へ行くと、リオヴァルト殿下が以前より嬉しそうに馬車のところまで迎えに来てくれるようになったこと。そして、私が馬車から降りると、当たり前のように手を差し出して、エスコートしてくれるようになったこと。本人に聞いてみたところ、『兄上に教わった!』と、嬉しそうに教えてくれた。


 リオのお兄様といえば、アルディネス王太子殿下。リオより4つ歳上で、既に王太子として社交界にも顔を出している。きっと、弟が婚約したと聞いて、いろいろ教えてくれたのだろう。


 目の前にいるのは、私のことを見つけると嬉しそうに笑う男の子。思い描いた王子様よりも普通で、子供っぽくて、そして、ずっと近い。ゲームの中のロゼリシアと私が違うように、リオヴァルト殿下もまた、私が知っているゲームの中の彼とは違っていた。


 ……このまま、何も起こらなければいいのに。そんなことを考えるようになった自分に、少し驚く。 ここで過ごす時間が長くなるにつれて、少しずつ「ローゼ」として生きているような感覚が強くなっていた。


 記憶が戻ったばかりの頃は、どうしても自分をこの世界の外側に置いてしまっていた。ここにいる人たちを、どこか客観的に見ていたような。


 けれど、今は違う。この世界で笑ったり、嬉しくなったり、怖くなったりする。家族と過ごす時間も。リオと庭で遊ぶ時間も。全部が、私にとって大切なものになっていた。


 私はもう、この世界を「ゲームの中」だとは思えなくなっていた。これが永遠で無いことは分かっている。だからこそ、目の前にある時間を、大切にしたかった。


 

 ————————————

 


「ローゼ!」

「リオヴァルト殿下!」


 その日も、王宮に着いて間もなく、馬車の扉からひょこっと顔を出したリオヴァルト殿下が、こちらへ手を差し出してくれた。


「今日もきてくれて嬉しい!」

「はい!」


 差し出された小さな手を、私はそのまま握る。

すると、リオヴァルト殿下は嬉しそうに笑って、私の歩幅に合わせながら歩き始めた。


「今日はどこに行く?」


 私が聞くと、リオが目を丸くした。


「ローゼから聞くの、珍しいね」

「そうかな?」

「うん。いつも僕が誘ってるから」

「じゃあ、これからは私も誘うね」

「本当?」

「うん!」


 私が頷くと、リオの顔がぱっと明るくなる。


「じゃあ、秘密の場所に連れていってあげる!」

「秘密の場所?」

「うん!」


 ……秘密の場所。怪しい。リオはいつもこうやって護衛の人達を上手に撒いて、普段は行かないようなちょっと危ないような場所まで連れていってくれる。


「どこ?」

「秘密!」

「教えてよ」

「秘密だから教えない!」

「もう……」


 私は思わず笑った。こういうところは、やっぱり子供だ。こうして話していると、ただの年相応の男の子にしか見えない。ううん。私にとっては、それが嬉しかった。


 庭へ出る。柔らかな風が頬を撫でた。花壇には沢山の花が咲き、噴水からは涼しげな水音が聞こえてくる。


 何度も歩いた庭。

私とリオにとっては、もうすっかり馴染みの場所だ。


「今日はこっち!」


 リオが、いつもの道から外れていく。


「そっち?」

「うん!」

「……行ったことあるの?」

「前に一回だけ!」

「じゃあ、知らないところなんだ」

「まあ、そうかな!」


 リオが楽しそうに答える。

私は少しだけ周囲を見る。いつもの庭から外れると、景色が少しずつ変わっていった。綺麗に整えられた花壇が減って、代わりに背の高い木々が増えていく。足元には小さな草花が咲いていた。


「こんなところ、あったんだ……」


 思わず呟く。

王宮には何度も来ているのに、まだ知らない場所がある。 ゲームの中で見たことの無い、誰かに用意された背景じゃなくて、私自身が歩いて見つけていく場所。


 そんなことを考えると、私は少しだけ、この世界に生きているんだという実感が湧いてくる。

 

「ローゼ、こっち!」

「待って!」


 リオが先へ進む。

私は慌てて追いかけた。


「走ったら危ないよ!」

「ローゼも走ってるじゃん!」

「だって、待ってくれないから!」

「じゃあ、もっと速くする!」

「ちょっと!」


 思わず声を上げる。

リオは楽しそうに笑っている。……もう。婚約者になった途端、ちょっと調子に乗ってない?そう思うのに、不思議と嫌ではなかった。


 王子であるリオと、公爵家の娘である私。

お互いに子供だからといって、誰とでも気軽に話せるわけじゃない。きっとリオにとっても、それは同じなのだろう。だからこそ、こうして何も考えずに笑ったり、くだらないことで言い合ったり、気を遣わずに話せる相手がいる事が嬉しかった。

 

「ローゼ、早く!」

「待ってってば〜!」


 先を行くリオの声に、私はまた走り出した。

 

 しばらく進んだところで、リオが急に立ち止まった。


「ほら、あそこ」

「どうしたの?」

「あそこ、何か見えない?」

「え?」


 指差された先を見る。

木々の隙間。そこに、何か白いものがちらりと見えた。


「……建物かな?」

「たぶん」

 

 目を凝らしてみる。

白い壁のようにも見えるし、陽の光を反射しているだけのようにも見える。けれど、確かに何かがある。

 

「行ってみよう!」

「うん!」


 二人で近づいていく。

木の枝を避けながら、少しずつ奥へ進んでいく。けれど、少し進んだところで見えなくなった。


「あれ?」

「……なくなった」

「え?」


 思わず立ち止まって、周囲を見回す。

さっき、確かに見えた。私もリオも、二人とも見間違えるなんてことがあるのだろうか。

 

「見間違いかな?」

「でも、ローゼも見えたんでしょ?」

「うん。ちゃんと見えたよ」

「もう少し探してみよう」

「うん!」


 リオが先陣を切り、私もその後を追った。

木々の間を進む。さっきまでの道とは違って、ここには人が通ったような跡がほとんどない。葉が肩に触れるくらい、手入れのされてない細い道だった。


「こっちで合ってるのかな……」

「たぶん!」

「たぶんって……」

「ローゼ、大丈夫だよ」

「うん……」


 少し不安になりながらも、私はリオの手を握り直した。

離れてしまったら、今度こそ迷子になりそうだ。リオも私の手を握り返す。小さな手。だけど以前より少しだけ大きくなった気がする。


 婚約してから、こうして一緒にいることがますます増え、こうして手を繋いで歩いていることが、当たり前になりつつあった。不思議だな。前世の私にこの光景を見せても、絶対信じてもらえないだろうな…。


「ローゼ!」

「え?」

「見て!」


 リオの声に顔を上げる。

その瞬間。突然、視界が開けた。


「……わぁ」


 目の前に、古いガラス貼りの大きな建物が見えた。 屋根には蔦が絡まり、ところどころに小さな花が顔を覗かせている。まるで、長い間誰にも見つけてもらえなかったような、そんな雰囲気がした。

 

「温室?」

「たぶん…?」


 私は建物を見上げる。かなり古そうなのに、不思議なくらい状態が良かった。ガラスに少し汚れがあるものの、割れている部分は見当たらない。


「入ってみよう!」


 リオが扉へ向かう。


「待って!」


 私は慌てて追いかける。


「勝手に入っていいの?」

「分からない」

「怒られるかもよ?」

「でも、気になるじゃん」

「……それは、そうだけど」


 私も温室を見る。確かに気になる。

ここまで来たのに、何も見ずに帰るなんてできそうにない。今までもリオには、庭の色んな場所を教えてもらった。けれど、こんな場所を見つけたのは初めてだった。誰かに案内されたわけでもない。私たち二人で歩いて、偶然見つけた場所。


 そう思うと、なんだか特別な場所のように感じられた。

 

「……入ってみたい」

「じゃあ、入ろう!」

「うん!」


 私たちは顔を見合わせて、温室の扉へ手を伸ばした。

けれど———

 

「……あれ?」


 押してみても、扉はびくともしなかった。


「開かないね」

「うん……」

リオが首を傾げる。


「鍵がかかってるのかな?」

「どうしよう」

「ちょっと待って」


 リオが扉に手をかざしたその瞬間。

ふわりと、淡い光が指先から広がった。


「……わぁ」


 細い光が扉の表面を走り、蔦のような模様を描いていく。


「光ってる?」

「なにこれ……」


 私もそっと手を添えた。

すると、私の指先からも淡い光が広がった。


「えっ?」


 今度は私のほうにも光が集まり、二つの光が扉の中央で重なる。

 

「ローゼも光った!」

「リオもだよ!」


 二人で顔を見合わせる。

光はしばらく扉の表面を走っていき、やがてすっと消えていった。光がなくなると、扉からカチャっと音が鳴った。

 

「開いた?」

「開くかも」

 

 リオがもう一度、扉に手をかける。

今度は、さっきまでの固さが嘘みたいに、ゆっくりと扉が開いた。


「開いた!」

「やった!」


 リオが嬉しそうに笑い、それにつられて私も思わず笑ってしまった。

 

「リオ、魔法であけたの?」

「ううん、何もしてないよ?」

「やっぱり、変だね」

「うん」


 リオも扉を見つめる。


「もう一回やったら、また光るかな?」

「試してみる?」

「うん!」


 二人で一度、扉から手を離す。

そして、もう一度触れてみる。けれど、何も起こらなかった。


「……光らない」

「ほんとだね」


 二人で顔を見合わせる。


「妖精さんがいたのかな?」

「うーん…わかんない。でも——」


 リオが開いた扉の向こうを覗き込む。


「中、気になる!」

「……ふふっ」


 私もその隣から中を覗く。


「私も!」


 何が起きたのかは分からない。でも、今はそれより好奇心が勝っている。私たちは顔を見合わせて、ゆっくりと温室の中へ足を踏み入れた。

 

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