第10話『婚約』
リオヴァルト殿下と出会ってから、二年が経った。
最初の頃は、殿下とできるだけ関わらないようにしていた。ゲームの中の未来が、怖かったから。だから、近づかないほうがいい。
そう思っていたはずなのに——
体調を崩したあの日から、私の事を心配したお母様と王宮にいる魔導士に定期的に通うようになった。
初めの頃は、診察の日が憂鬱だった。魔力を調べてもらっても、いつも結果は同じ。毎回魔法が使えない。毎回現実を突きつけられているような気がして落ち込む日もあった。でも、やっぱり私にとって魔法は魅力的で魔導士の話を聞くのは好きだった。
そして憂鬱な原因は他にも——
「ローゼ、今日も庭に行こうよ」
「……はい」
「やった!」
こうして毎回リオヴァルト殿下が尋ねてくる。
王子様って暇なのかしら?
それでも、憂鬱な気持ちは何度も会っているうちに少しずつなくなっていった。
庭で見つけた花の話をしたり。小さな虫を見つけて、一緒に追いかけたり。くだらないことで笑ったり。そんな時間が、少しずつ増えていった。
王宮へ来る日には、自然と殿下を探すようになった。今日は何するのかな。お庭かな?噴水のところかな?お部屋かな?そんなことを考えるのが、いつの間にか当たり前になっていた。
そして今日も、私は王宮へ向かう馬車の中にいた。
魔導士様に会って、そのあと少しだけ庭で遊べる。
……リオヴァルト殿下、いるかな。
そう考えると、胸が少しだけ弾んだ。
「ローゼ様、そろそろ着きますよ」
「はい」
窓の外を見る。
見慣れてきた王宮が、少しずつ近づいてくる。今日も、楽しい日になるといいな。そんなことを考えながら、私は王宮へ入った。
診察を終えると———
「ローゼ!」
廊下の向こうから聞き慣れた声がした。
「リオヴァルト殿下!」
「終わった?」
「はい!」
「じゃあ、遊ぼう!」
「うん!」
思わず敬語を忘れて返事をすると、殿下が嬉しそうに笑った。
「今日はどこ行く?」
「えっと……」
私は少し考える。
「お花が見たいです」
「この前の?」
「はい。まだ咲いているか見たいです」
「じゃあ、行こう!」
差し出された手を取り、二人で庭の奥へ向かった。
何度もきた庭なのに、不思議と飽きることなく何度でも楽しめた。初めて来た時は気づかなかったけど、この庭は広すぎる。お母様に聞いたところ王妃様が自然が好きだということで庭を増やしたらしい。……なんて財力。国王様ってすごい。
そんなことを考えながら歩いていると、少しずつ足が重くなってきた。すると、殿下が自然に足を止めた。
「疲れた?」
「……ちょっとだけ」
「じゃあ、ここで休もう」
「でも、まだ遊びたいです」
「うん。僕も」
殿下はそう言って、隣に座る。
「だから、ちょっと休んでからね」
「……はい」
こうしていると、なんだか安心する。
私が無理をしなくても、殿下は嫌な顔をしない。前世での私はどうだっただろうか。初めの頃は重い病気だと自分も思っていなかったが、家族に仮病だと言われ怒られたことがあった。具合が悪いのに信じてもらえなかったあのときのことを思い出すと、胸の奥が少し苦しくなる。
でも、今隣にいる殿下は違う。
私が「疲れた」と言えば、それをそのまま受け止めてくれる。それだけのことなのに、なんだかとても嬉しかった。
少し休憩したあと、また歩き始めると赤い花がたくさん咲いている場所が見えてきた。
「わあ……!」
「綺麗だね」
「この前よりいっぱい咲いてます」
「本当だ」
二人で花を眺める。風が吹くと、花びらがふわりと揺れた。
「やっぱりこの花ローゼみたい」
「え?」
突然の発言に思わず声が盛れる。
「ローゼの目の色と同じ色だし、綺麗なとこも同じ」
「…………」
思わず黙り込んでしまう。
ゲームの中のリオヴァルト殿下はこんなキャラだったっけ…いや、彼はこんな人たらしじゃなかった。でもきっと彼の素はこんな感じなのかもしれない。王子という立場がなければ、もしかすると今のように素直な彼だったのかも……
「……どうしたの?」
「なんでもないです」
「変なの」
「ふふっ」
私が笑うと、殿下も笑った。
お昼には一緒に食事をして、午後には花冠を作った。
「できた!」
殿下が作った花冠は、少しだけ形が崩れていた。
「……ふふ」
「なに?」
「ちょっと、おもしろいです」
「えー!がんばったのに!」
二人で笑う。
そんな時間が好きだった。ずっと続けばいいのにと思うほどに
夕方になった頃。
「ローゼちゃん」
王妃殿下が、庭へ迎えに来た。
「今日はお母様たちと一緒に、お部屋へ来てくれる?」
王妃殿下がわざわざ迎えにきてくれるのは初めて、何かあったのだろうか。不安でざわつく胸を抑えながら顔をあげた
「はい、王妃殿下」
「リオもお願いね」
「うん」
王妃殿下についていく。
案内された部屋には、お父様、お母様、国王陛下が揃っていた。
私はお母様の隣に座る。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます、陛下」
「ああ、楽にしてくれ」
「はい。ありがとうございます」
そう答えて、私は膝の上で手を重ねた。何のお話だろう。王妃殿下が、お父様とお母様へ視線を向けた。
私の考えとは裏腹に、三人ともどこか穏やかな顔をしている。
「今日は二人に、大切なお話があるの」
「大切なお話、ですか?」
「ええ」
王妃殿下がこちらに微笑みながら言った。
「これから二人には、婚約者として過ごしてもらうことになったの」
「…………」
婚約者。その言葉が聞こえた途端、胸がどくんと鳴った。ゲームの中でもロゼリシアとリオヴァルトは幼い頃に婚約していた。
——同じだ。
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと苦しくなる。
「……」
婚約しないほうがいいのかもしれない。そうすれば、ゲームとは違う未来に進めるかもしれない。でも、公爵家でも王族からの申し出を断ることは難しいだろう。
私は、そっと彼を見る。リオヴァルト殿下も、少し驚いたような顔をしていた。その顔を見た瞬間、別の気持ちが胸の奥から出てきた。
———嫌だ。
離れたくない。誰かに渡したくない。もっと一緒にいたい。会えたら嬉しい。名前を呼ばれるのが好き。帰る時間になると、少し寂しくなる。
……私は。リオヴァルト殿下と離れたくない。
その気持ちは、もう隠せなかった。
でも、どうして婚約することになったんだろう。
王子と公爵令嬢だから?ゲームの中の2人は少なくともそうに違いない。でもゲームの中の婚約より少し早い気もする。ただ、大人の考えは分からないけど、私自身の気持ちを自覚した今少しでも婚約者として過ごせるのならラッキーかも。そんなことも思いはじめてきた。
「ローゼちゃん」
王妃殿下の声で、我に返る。
「どうかしら?」
私は小さな手をぎゅっと握った。
「……はい」
少しだけ息を吸う。
「私は、嬉しいです」
王妃殿下が、ほっとしたように笑った。
「そう。よかったわ」
お母様もお父様も優しく微笑んでいる。
私はもう一度、リオヴァルト殿下を見る。
殿下も、嬉しそうに笑っていた。
その笑顔を見ていると、少し勘違いしそうになる。でも大丈夫、学園に入るまでにはきっと気持ちの整理をつけるから。
そのあと、大人たちは婚約についていくつか話をしていた。婚約とはいっても、まだ私たちは五歳と六歳。これからすぐに何かが変わるわけではないらしい。
ただ、これからは今まで以上に一緒に過ごすことになること。大きくなったら正式に結婚する約束になること。そんな話を実感がなくぼんやりと聞いていた。
————————————
話が終わり、部屋を出る。
お父様たちと王妃殿下たちは少し前を歩いている。
私とリオヴァルト殿下は、その後ろ。
少しだけ大人たちとの距離が開いたところで、殿下が小さな声で話しかけてきた。
「……ねえ、ローゼ」
「はい?」
「さっき、嬉しいって言ってたけど……本当に?」
「……うん」
私は頷く。
「嬉しいよ」
少しだけ恥ずかしくなりながら、続けた。
「リオヴァルト殿下と、もっと一緒にいられるから」
殿下は少し目を丸くしてから、嬉しそうに笑った。
「僕も嬉しい」
「……本当?」
「うん」
少しだけ沈黙する。
そして、殿下が前を歩く大人たちをちらりと確認した。
「ねえ」
「はい?」
「婚約者になったから……二人だけのときは、僕のことリオって呼んでよ」
「……リオ?」
言われた通りに、私はその名前を口にした。すると、リオの顔が、ぱっと明るくなった。
「……もう一回!」
「え?」
「もう一回、呼んで!」
さっきまでより、ずっと嬉しそうだった。
「えっと……」
「お願い」
リオが少し身を乗り出す。そんなに嬉しいのかな。私はなんだかおかしくなって、少し笑った。
「……リオ」
「……!」
一瞬、リオが固まる。それから、嬉しそうに頷く。
「やっぱり、いいね」
「……そんなに?」
「うん。すごくいい」
リオは嬉しそうに笑ったまま、私の顔を見る。
「もう一回聞きたい」
「またですか?」
「うん」
「ふふっ」
私は少しだけ恥ずかしくなりながら、もう一度呼んだ。
「リオ」
「うん!」
今度はすぐに返事が返ってきた。
まるで、それだけで嬉しくて仕方がないみたいに。その顔を見ていると、私まで嬉しくなってくる。
廊下の先では、お母様たちが私たちを待っている。
「ローゼ、そろそろ帰るわよ」
「はい、お母様!」
私は少しだけ歩く速度を速める。
でも、その前に——
「またね、リオ」
「うん。またね、ローゼ!」
お互いにしか聞こえないような声で囁き、手を振る。
いつもと同じ「またね」だけど、特別な気分だった。




