第5章 最初からメディアミックスを見据える時代
Webで人気が出る。
書籍になる。
漫画になる。
アニメになる。
ここまでずっと、
人気作品が外へ出ていく流れ
を見てきた。
でも、メディアミックスが当たり前になってくると、
私は少し違うことを考えるようになった。
もしかして今は、
外へ出やすい作品の方が、最初から強いのではないか。
今回は、
メディアミックスが結果ではなく、
作品の形そのものへ影響し始めたのではないか、
という話である。
最初の頃。
少なくとも私には、
かなり単純な流れに見えていた。
面白いWeb小説がある。
読者が増える。
ランキング上位へ行く。
出版社の目に留まる。
書籍化する。
売れる。
コミカライズする。
もっと売れる。
アニメになる。
つまり、
まず作品がある。
その作品が人気になった結果として、
次のメディアへ進んでいく。
そういう順番だった。
ところが、
書籍化作品が増え、
コミカライズ作品が増え、
アニメ化作品まで毎クール大量に出るようになると、
少し状況が変わって見えてくる。
出版社からすれば、
小説だけを売って終わるより、
漫画も売れた方がいい。
さらにアニメになれば、
もっと大きな市場へ届く。
これは別に不思議な話ではない。
商売なのだから、
一つの作品をいろいろな形で展開できた方が強い。
そうなると当然、
作品を見る時にも、
「この作品は次のメディアへ持っていけるか」
という視点が生まれるのではないか。
……と、一読者である私は勝手に想像する。
もちろん、
私は出版社の編集会議を覗いたことなどない。
実際にどういう基準で作品を選んでいるのかは知らない。
だからここからは、
長年外から眺めていて、
「なんとなく、こう見える」
という話である。
例えば、
漫画にしやすい作品とは何だろう。
主人公の姿が分かりやすい。
能力が分かりやすい。
敵がいる。
ヒロインがいる。
見せ場がある。
大きな魔法を使う。
巨大なモンスターを倒す。
街を作る。
料理を作る。
店を開く。
追放される。
見返す。
つまり、
絵にした時に何をやっているのかが分かりやすい。
これは強い。
文章だけなら、
主人公が延々と考えている作品でも成立する。
だが漫画にした時、
ずっと考えているだけでは画面が動きにくい。
逆に、
一話目で主人公が巨大な魔物を倒せば、
漫画なら見開き一枚で、
「こいつ強い!」
と伝えられる。
アニメなら、さらに分かりやすい。
動かせる。
喋らせられる。
音楽を付けられる。
派手な魔法。
大きな戦闘。
個性的なキャラクター。
分かりやすい必殺技。
印象に残る台詞。
こういうものは、
映像にした時に強い。
もちろん、
静かな作品でも素晴らしいアニメは作れる。
会話中心の作品でも大ヒットする。
だから、
「派手な作品しかアニメにならない」
という話ではない。
ただ、
別の媒体へ移した時に魅力を説明しやすい作品
というものは確実にあるように思う。
そして、
ここで第一部の話とつながってくる。
第一部では、
なろうのタイトルがどんどん長くなり、
タイトルだけで、
「どんな主人公が」
「どんな状況になって」
「何をする話なのか」
まで分かる作品が増えていった話を書いた。
あれも、
Web小説のランキングで目立つための工夫として説明できる。
大量の作品が並ぶ。
その中でクリックしてもらう。
だから、
タイトルだけで内容を伝える。
理にかなっている。
だが考えてみると、
この特徴は、
メディアミックスでも非常に強い。
漫画広告に出す。
タイトルを見る。
内容が分かる。
電子書籍サイトに並ぶ。
表紙を見る。
タイトルを見る。
何の話か分かる。
アニメの新番組一覧に並ぶ。
タイトルを見る。
大体分かる。
つまり、
Web小説で強かった方法が、
そのまま商業展開でも使えるのである。
主人公の能力についても似ている。
昔のファンタジーなら、
主人公が少しずつ成長して、
何巻もかけて強くなっていく。
もちろん今でも、そういう作品はある。
でもWeb小説では、
第一話。
第二話。
場合によってはタイトルの時点で、
主人公の強みが分かる作品が多い。
最強。
チート。
鑑定。
収納。
テイマー。
回復。
錬金術。
配信。
ダンジョン。
何が売りなのかが最初から明確である。
これも、
漫画やアニメにした時、
非常に説明しやすい。
「この作品は何が面白いの?」
と聞かれて、
一言で答えられる。
これはかなり強い。
ヒロインや仲間についてもそうだ。
エルフ。
獣人。
魔族。
聖女。
悪役令嬢。
受付嬢。
冒険者。
幼女。
ドラゴン。
スライム。
キャラクターの属性がはっきりしている。
漫画になれば、
一目で分かる。
アニメになれば、
声が付く。
グッズにもできる。
……などと書くと、
ものすごく商売っぽい話になるのだが、
実際、
私たち読者だって似たような見方をしている。
新しい作品の表紙を見て、
「あ、このキャラ好きかも」
と思う。
アニメのPVを見て、
「この子かわいいな」
と思う。
その時点では、
まだ物語を知らない。
でも作品に入る理由にはなる。
ここまで考えると、
Web小説とメディアミックスの関係は、
単純な一方通行ではなくなってくる。
昔は、
Webで人気が出た作品
↓
商業化
だった。
しかし、
商業化された作品の成功例が大量に見えるようになると、
書く側も当然それを見る。
「ああいう作品が書籍化された」
「ああいう作品が漫画になった」
「あれがアニメでヒットした」
そして読者も見る。
その結果、
似た構造を持つ作品が増える。
するとランキングでも目立つ。
さらに商業化される。
つまり、
Webで流行る
↓
商業で成功する
↓
その成功例がWebへ戻る
↓
また似た作品が生まれる
という循環が出来る。
これは第一部で書いた、
「一つのテンプレートが流行ると似た作品が増える」
という流れを、
商業側まで含めて大きくした形なのかもしれない。
ここで誤解しないようにしたいのだが、
私は、
「最近の作者はみんなアニメ化を狙って計算して書いている」
と言いたいわけではない。
そんなことは分からない。
単純に、
「自分が好きだから書いている」
人も当然大量にいるだろう。
むしろWeb小説という場所は、
好きなものを好きなだけ書けることが大きな魅力だと思う。
ただ、
売れた作品の形が、次の作品へ影響する
ということはあると思う。
これはWeb小説に限らない。
ヒットした漫画があれば、
似た漫画が増える。
ヒットしたドラマがあれば、
似た企画が増える。
流行したゲームがあれば、
似たシステムが増える。
娯楽というのは昔からそういうものだ。
なろう系も、
市場が大きくなったことで、
同じ循環の中へ入った。
という方が近い。
そして、
この循環が強くなるほど、
書籍化までの速度も速く見えるようになった。
昔なら、
Webで長く連載され、
人気が十分に出て、
「書籍化決定!」
という印象だった。
今では、
「え、もう書籍化するの?」
と思うこともある。
さらに、
書籍が出たと思ったら、
すでにコミカライズが始まっている。
あるいは、
書籍化とコミカライズがほとんど同時に発表される。
そこから、
「アニメ化企画進行中」
まで行く。
昔の私からすると、
展開が速い。
非常に速い。
すると、
「書籍化」
という言葉の意味も変わってくる。
昔は、
Web小説が本になること自体がゴールに見えた。
でも今では、
書籍は、
メディアミックスの最初の一段
に見えることすらある。
書籍が出る。
漫画が出る。
アニメになる。
ゲームやグッズへ行く。
一つのIPとして展開されていく。
こうなると、
最初のWeb小説は、
巨大なコンテンツの、
原型
のような位置にまでなる。
これは、
すごいことだと思う。
個人がWebに投稿した小説から始まって、
本が出る。
漫画になる。
アニメになる。
海外でも配信される。
何万人、
何十万人、
場合によってはそれ以上の人が知る。
私が昔、
ランキングを眺めて、
「これ面白そう」
とクリックしていた場所から、
そこまで行く作品が出る。
改めて考えると、
とんでもない話である。
一方で、
少し怖い部分もある。
メディアミックスに向いている作品が強くなれば、
逆に、
メディアミックスに向いていない作品が目立ちにくくなる
可能性もある。
文章だから面白い。
大量の内面描写が面白い。
設定を延々読むのが面白い。
百話かけて少しずつ関係性が変わるのが面白い。
そういう作品は、
漫画やアニメへ移すのが難しい。
だが、
Web小説としては何も問題ない。
むしろ、
文章だからこそ出来る面白さである。
ここは忘れてはいけないと思う。
メディアミックスされやすいことと、
小説として面白いことは、
同じではない。
アニメにならなくても面白い作品はある。
コミカライズされなくても面白い作品はある。
書籍化されなくても、
Webで読む分には最高に面白い作品もある。
それでも、
商業展開された作品が圧倒的に目に入りやすくなると、
私たち読者の側まで、
いつの間にか、
「アニメ化した作品=代表的ななろう作品」
のように感じてしまうことがある。
でも実際には、
その下には、
商業化されていない膨大な作品がある。
ここは、
長くなろうを読んできた人間として、
少し意識しておきたいところである。
そして、
ここまで来ると、
最初にあった疑問へ戻ってくる。
「なろう系」とは何なのか。
昔なら、
かなり簡単だった。
小説家になろうに投稿されている作品。
少なくとも私は、
そのくらいの意味で使っていた。
ところが、
なろう作品が大量に書籍化され、
漫画化され、
アニメ化される。
そこで使われていたテンプレートが広がる。
今度は、
別の投稿サイトでも似た作品が書かれる。
商業作品でも使われる。
アニメオリジナルや漫画原作作品まで、
似た文法を持つようになる。
すると、
小説家になろうとは何の関係もない作品まで、
「なろう系」
と呼ばれ始める。
ここまで来たら、
もう「なろう系」は、
投稿サイトの名前だけでは説明できない。
一つの、
物語の型。
もっと言えば、
ジャンルのようなもの
になってしまったのではないか。
第一部では、
私が十数年なろうを読んで、
最後には、
「はいはい異世界転生ね」
と言えるくらいテンプレートに慣れてしまった話を書いた。
でも、
本当に大きな変化は、
そのテンプレートを知っているのが、
なろう読者だけではなくなったことなのかもしれない。
なろうを読んだことがない人まで、
異世界転生を知っている。
追放を知っている。
悪役令嬢を知っている。
俺TUEEEを知っている。
そして、
それらしい作品を見ると、
「ああ、なろう系ね」
と言う。
小説投稿サイトの中で生まれた文化が、
とうとう、
サイト名から独立して歩き始めた。
そんなふうに見えるのである。
最初は、
人気が出たWeb小説が本になるだけだった。
その本が漫画になった。
アニメになった。
そして成功例が増えるほど、
今度は、
漫画やアニメに向いた特徴が、
Web小説側にも戻ってくる。
少なくとも私には、
そんな循環が出来たように見える。
Webから商業へ。
商業からWebへ。
その往復を繰り返した結果、
「なろう系」は、
いつの間にか「小説家になろう」だけのものではなくなった。
次はいよいよ第二部の最後。
なろうを読んでいなくても、「なろう系」が通じる時代。
この不思議な言葉が、
どこまで元のサイトから離れていったのか。
最後に、そこを考えてみたい。




