横道① コミカライズガチャ――原作を超える漫画、なんか違う漫画
コミカライズが決まった。
原作ファンとしては、当然うれしい。
好きだったキャラクターが絵になる。
あの場面が漫画になる。
戦闘シーンはどうなる?
ヒロインは可愛くなる?
期待する。
期待するのだが――。
実際に第一話を読んでみるまでは分からない。
そう。
コミカライズにも、ガチャがある。
前の章でも少し触れたが、
コミカライズというのは、原作小説に絵を付けるだけではない。
小説と漫画は、そもそも表現方法が違う。
小説なら、
主人公が何を考えているのか。
なぜその行動を取ったのか。
世界にどういう歴史があるのか。
魔法がどういう仕組みなのか。
そういったことを、文章でいくらでも説明できる。
極端な話、
主人公が一歩も動かずに十ページ考え事をしていても、小説なら成立する。
漫画でそれをそのままやったら、
ずっと同じ顔の主人公の周囲に、大量の文字が並ぶことになる。
読みにくい。
だから漫画では、
削る。
まとめる。
順番を変える。
表情で見せる。
絵で説明する。
台詞に置き換える。
場合によっては、原作になかった場面まで追加する。
つまり漫画家には、
「原作を理解して、漫画としてもう一度組み立て直す」
ことが求められる。
ここが難しい。
そして、うまくハマった時のコミカライズは本当に強い。
私がコミカライズを読んで、
「これは当たりだな」
と思う作品には、いくつか共通するものがある。
一番分かりやすいのは、
原作の面白いところを漫画家がちゃんと理解していること。
これが大きい。
たとえば原作がコメディ寄りなら、
単に台詞をそのまま吹き出しに入れるだけでは足りない。
キャラクターの表情。
間。
次のコマへの移り方。
背景。
デフォルメ。
場合によっては、原作に一行しかなかった反応を一コマ追加するだけで、笑いが何倍にもなる。
逆にシリアスな作品なら、
文章では何ページも使っていた緊張感を、
見開き一枚で全部伝えることもできる。
漫画という媒体だからできる、
原作とは違う形の強化
があるのだ。
『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』などは、
もともと世界観や登場人物の描写が細かい作品だけに、
「この場面はこういう場所だったのか」
「このキャラクター、こういう表情をするのか」
と、漫画になることで世界が一気に見える。
原作を読んでいても、漫画版を読む意味がちゃんとある。
『陰の実力者になりたくて!』もそうだ。
あの作品は、
主人公本人は大真面目なのに、周囲ではとんでもないことが起きている。
そのズレが、面白さの大きな部分を占めている。
だから表情や画面構成で、その温度差が見える漫画とはかなり相性がいい。
文章で読んで笑った場面を、
漫画では別の角度からもう一度笑える。
こういうコミカライズは楽しい。
そして私が、
「コミカライズ大当たり側だな」
と思っているのがFUNA作品。
『私、能力は平均値でって言ったよね!』
『ポーション頼みで生き延びます!』
『老後に備えて異世界で8万枚の金貨を貯めます』
いわゆるFUNA三部作である。
この辺の作品は原作自体、
主人公の勢い。
会話。
突拍子もない行動。
周囲の反応。
そういった部分が面白さにつながっている。
漫画になると、それが非常に分かりやすい。
主人公が変なことをする。
周りが固まる。
本人だけ普通の顔をしている。
これを絵で見せられるだけで強い。
そして、
「なるほど、ここはこういう顔だったのか」
という楽しさもある。
少なくとも私の場合、
原作を知っているから漫画はいらない
とは全然ならなかった。
むしろ、
「漫画版も読みたい」
となるタイプのコミカライズだった。
これが当たりコミカライズだと思う。
ほかにも、
『凶乱令嬢ニア・リストン』
などは、
私にとってかなり分かりやすい「当たり」の例だった。
原作の面白さを残しながら、
主人公の表情や動きが加わることで、
「このキャラクター、こんなに面白かったのか」
と思わせてくれる。
文章で読んだ時に頭の中で想像していたものを、
ただ絵にするのではない。
漫画だからこその魅力を追加する。
これが出来ている作品は強い。
『蜘蛛ですが、なにか?』のように、
主人公の動きや表情そのものが面白さにつながる作品も、
漫画との相性がいい。
蜘蛛である。
当然、人間のような表情はできない。
……はずなのだが。
漫画では、
動きやデフォルメや演出を使って、
「今こいつ絶対こんなこと考えてるだろ」
というのが伝わってくる。
文章では主人公の大量の独り言として読んでいた部分が、
漫画では別の形のギャグになる。
同じ内容なのに、
媒体が変わることで違う笑い方ができる。
こういう時、
「コミカライズって面白いな」
と思う。
さらに当たりが大きいと、
少し面白い現象まで起きる。
漫画版の方が、原作より読みやすい。
これは別に原作が悪いという意味ではない。
媒体の違いである。
Web小説は、作者が思いついたことを大量に書ける。
設定説明もできる。
寄り道もできる。
内面描写もできる。
それが魅力でもある。
だが、その自由さが、
人によっては「長い」と感じることもある。
漫画版では、その部分が整理される。
重要なところを残して、
話がテンポよく進む。
そこで初めて、
「この作品、こんなに面白かったのか」
と気付くことすらある。
言ってしまえば、
漫画家が原作の編集者まで兼ねている
ような状態だ。
原作にある大量の材料から、
何を見せれば一番面白くなるのかを選ぶ。
ここまでできる漫画家が担当すると強い。
だが。
当然、逆もある。
原作を読んで、
「これ好きだな」
と思っていた。
コミカライズされた。
楽しみにして読む。
そして、
「……なんか違う」
となる。
これがつらい。
ただ、
ここで改めて考えてみると、
「なんか違う」の正体は、
必ずしも、
絵が下手
という単純な話ではない。
むしろ、
絵そのものは上手い。
キャラクターも綺麗。
背景もしっかりしている。
それでも、
「私が好きだったこの作品と、なんか違う」
となることがある。
なぜなのか。
たぶん、その一つが、
原作のどこを面白いと思っているかの違い
なのだと思う。
原作を読んだ私は、
主人公の淡々とした感じが好きだった。
でも漫画版では、
分かりやすくするためにリアクションが大きくなっている。
原作ではギャグだと思って読んでいた場面が、
漫画では真面目な場面になっている。
逆に、
原作では真面目だった場面が、
漫画ではコメディ寄りになっている。
一つ一つは小さな違いでも、
積み重なると、
「この作品、こんな雰囲気だったっけ?」
となる。
特に重要なのは、
キャラクターの解釈
だと思う。
小説では同じ台詞でも、
読者によって声のトーンまで違う。
「仕方ないな」
という一言でも、
笑いながら言っているのか。
呆れているのか。
怒っているのか。
照れているのか。
漫画になれば、
表情によって答えが決まる。
原作では、
私の頭の中にしか存在していなかった答えが、
漫画になることで一つに固定される。
そこで、
「そうそう! この顔!」
となれば最高である。
でも、
「いや、私の中ではそんな顔じゃないんだよなあ」
となることもある。
これは漫画家が悪いというより、
文字だった作品に初めて「顔」が与えられる時に起きる宿命
みたいなものなのかもしれない。
書籍化の時点でイラストは付く。
でも挿絵は、
そのキャラクターの一瞬しか描かない。
漫画では違う。
笑う。
怒る。
驚く。
泣く。
ふざける。
戦う。
何十巻も続けば、
キャラクターのあらゆる表情を見ることになる。
だからこそ、
自分の中にあったキャラクター像との差も、
どんどん大きく見えてくる。
そしてもう一つ難しいのが、
テンポ。
Web小説は一話が短くても成立する。
今日は会話だけ。
次の話で移動。
その次で戦闘。
さらに次で後日談。
毎日更新なら、それでも読める。
ところが漫画は、一話ごとのページ数がある程度決まっている。
単行本一冊に何話入るかも考えなければならない。
そこで原作通りに進めると、
ものすごく話が遅くなる作品も出てくる。
逆に削りすぎると、
原作を知っている読者から、
「あの場面なくなったの?」
となる。
遅すぎても駄目。
速すぎても駄目。
原作を変えすぎても駄目。
忠実すぎても漫画として読みにくい。
……無理ゲーでは?
と思えてくる。
コミカライズ担当という仕事、
思っていた以上に大変なんじゃないだろうか。
考えてみれば、
原作ファンというのも、
かなり面倒な存在である。
原作通りにしてほしい。
でも、そのままでは漫画として読みにくい。
絵は上手い方がいい。
でも、綺麗すぎて原作の雰囲気が消えるのは嫌。
テンポよく進んでほしい。
でも、好きな場面を削られるのは嫌。
キャラクターを魅力的に描いてほしい。
でも、自分のイメージから変えすぎないでほしい。
……要求が多い。
私も含めて。
そして、さらに厄介なのが、
漫画版から入った読者にとっては、
その漫画こそが、その作品なのである。
原作ファンが、
「いや、本当はもっと面白いんだよ」
と言っても意味がない。
漫画しか読んでいない人にとっては、
漫画版が面白くなければ、
「この作品は私には合わなかった」
で終わる。
原作まで読みに来てくれるとは限らない。
これは結構怖い。
当たりコミカライズなら、
原作へ大量の読者を連れてくる入口になる。
逆に相性が悪ければ、
本来なら原作を好きになったかもしれない読者が、
入口で帰ってしまうこともある。
つまりコミカライズというのは、
単なるおまけではなく、
作品の第一印象そのものを決めるほど大きな存在
になっていったのだと思う。
そして面白いことに、
コミカライズが大成功すると、
今度は、
漫画版を基準に作品を見る人
が増えてくる。
キャラクターのイメージも漫画版。
場面のイメージも漫画版。
場合によっては、
原作より漫画の方が広く知られることすらある。
原作小説を知らなくても、
漫画版なら知っている。
そんな作品も普通に出てくる。
ここまで行くと、
「原作とは何なのか」
という話まで少し怪しくなってくるのだが、
それについては後の章で改めて考えたい。
ともかく。
好きななろう作品に、
「コミカライズ決定!」
というお知らせが出る。
喜ぶ。
担当漫画家の名前を見る。
絵を見る。
期待する。
そして連載第一話を開く。
この瞬間、
原作ファンの頭の中では、
見えないガチャガチャが回っている。
ガラガラガラ……。
ポン。
SSR。
「うおおお、めちゃくちゃいいじゃん!」
もあれば、
ポン。
……。
「うーん、私は原作の方が好きかな」
もある。
どちらになるかは、
読んでみるまで分からない。
私も、そんなことを何度も繰り返してきた。
ただ、この時点ではまだ、
静止画である。
キャラクターは喋らない。
音楽も流れない。
魔法が動くこともない。
それがさらに、もう一段階進む。
声が付く。
動く。
音楽が付く。
そしてテレビで放送される。
原作ファンにとって、
コミカライズ以上に巨大なガチャ。
そう。
アニメ化である。
コミカライズが決まれば嬉しい。
でも、実際に読んでみるまでは分からない。
原作の魅力を何倍にもしてくれる漫画もあれば、
「私は原作の方が好きかな」
となる漫画もある。
そして、その違いは、
単純に「絵が上手い、下手」だけではない。
原作のどこを面白いと思っているのか。
キャラクターをどう解釈するのか。
何を残し、何を削るのか。
そういうもの全部が重なって、
一つのコミカライズになる。
そしてこのガチャ、
次の段階ではさらに要素が増える。
作画。
声優。
音楽。
演出。
脚本。
話数。
制作会社。
次はいよいよ、
「TVアニメ化決定!」が特別だった頃から、珍しくなくなっていくまで
を振り返ってみよう。




