第9話 落ちぶれた勇者が「一度だけ解体させてやる」と言ってきたので、断った
ジークが、俺の作業場に来たのは、金貨一万二千枚が、口座に入った翌日だった。
ノクスと、ボズを、後ろに連れている。三人とも、装備は以前のままだ。だが、よく見れば、ジークの剣の鞘には、修理に出せないままの、欠けがあった。倒す力は、本物。だが、その剣を、整える金が、もう、ない。
「久しぶりだな、ダグ」
ジークは、できるだけ余裕のある声を、作っていた。
「噂は聞いた。商会に囲われて、ずいぶん羽振りがいいそうじゃないか。——よかったな。お前みたいなのでも、拾ってくれる物好きがいて」
俺は、手元の作業を続けた。飛角鹿の薬腺。膜を破らないよう、裏から。
「それで、用件は」
「ああ」ジークは、咳払いをした。「実はな、慈悲の話だ」
慈悲。聞き間違いかと思った。
「お前を切ったのは、まあ、少し、早まったかもしれん。だから、チャンスをやる」ジークは、胸を張った。「うちのパーティの素材を、また、お前に解体させてやってもいい。昔のよしみだ。一度だけ、特別に、な」
俺が黙っていると、ジークは、付け足した。
「勘違いするなよ。戻してやる、とは言ってない。使ってやる、だけだ」
——ああ、なるほど。
迷宮に入れない。素材は金にならない。修理代も払えない。だから、俺に解体させて、その稼ぎで、自分たちの首を、つなごうという腹だ。
頭を下げに来たんじゃない。命令しに来たんだ。落ちぶれても、まだ。
横で、ノクスが、ばつの悪そうな顔をしていた。こいつは、もう、気づいている。八枚の大蜥蜴のときから——いや、もっと前から、黒字だったのは、ぜんぶ俺のおかげだったと。ボズも、最近の遠征で、嫌というほど、思い知っているはずだ。斬っても、斬っても、金にならない日々を。
その証拠に、ボズは、一言も話さなかった。ただ、剣の柄に手をやり、それから、所在なげに、その手を膝へ戻す。第4話の、あの酒場と、同じ仕草だ。斬る相手なら、いくらでもいる。だが、斬っても金にならない。この男は、それを、誰よりも、現場で味わっている。だから、ジークの「慈悲」を、後ろで、居心地悪そうに聞いている。
気づいていないのは、いや、認めたくないのは、ジークだけだ。
俺は、薬腺を、布に包んだ。それから、顔を上げた。
「断る」
「……なに?」
「雑に捨てる奴の素材は、預かれない」俺は、言った。「お前らは、倒した後を、見ない。牙と魔石だけ抜いて、残りを地面に置いて帰る。何度も言ったよな。魔石は嚢を潰すな、って。一度も、聞かなかった」
「そ、それは——条件が悪かっただけだ。今度は、ちゃんと——」
「条件?」俺は、少しだけ笑った。「条件は、いつも同じだったよ。お前が、見ようとしなかっただけだ。倒した後を」
「倒した後を見ないなら、俺の刃は、入らない。それだけだ」
ジークの顔が、赤くなり、それから、青くなった。第1話の、あの日と、同じ順番で。
「お前……解体しかできない、ただの——」
「その『解体しかできない』が」俺は、静かに遮った。「お前らの稼ぎを、四年、ぜんぶ支えてた。気づくのが、遅すぎたな」
奥の扉が開いて、モーガンが出てきた。後ろに、商会の用心棒が二人。
「お引き取りを」モーガンは、丁寧に、しかし冷たく言った。「うちの専属解体師は、いま、騎士団の国家案件で手が離せない。未整理の通常素材は、今の契約順位では、後回しです」
ジークは、何か言いかけて、言葉を失った。倒す力は、ある。だが、ここで剣を抜けば、ただの暴漢だ。勇者の名は、もう、何も守ってくれない。
三人は、出ていった。ノクスが、去り際に、一度だけ、俺を見た。何か言いたげな目だった。だが、ジークの背中を追って、結局、何も言わずに、出ていった。
——いつか、こいつだけは、本当に頭を下げに来るかもしれない。そのときは、考えてやってもいい。
「いいんですか」セルカが、心配そうに聞いた。「昔の、仲間なのに」
「俺は、仲間のつもりで、刃を入れてた」俺は、次の薬腺に刃を当てた。「向こうは、最後まで、そうじゃなかった。俺を、取り分の無駄だと思ってた。——それだけだ」
もう遅い。あいつらが、それを思い知るのは、これから、何度でも。
《所持金:金貨一万二千枚》
《解体予約:十二件+騎士団 継続要請》
《元勇者パーティ:解体依頼を拒否される/迷宮停止続く》




