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第二百二十話 混乱

(マスターレイ。ティアラ様がお目覚めになりました。マスターレイもお目覚め下さい)


 西日が差す廊下。

 夕日とアスの平坦な機械音声の目覚ましでレイは覚醒した。


(アス……今は何時だ?)

(十八時過ぎです)


 およそ一時間余りの仮眠。

 話したい人とも話せたし、タイムスリップして以来、一番すっきりした気分だ。

 レイはゆらりと立ち上がりながら、近距離レーダー魔法で周囲を確認する。


(アス、自分が寝ている間に異常は?)

(生命を脅かすような危険は特に無し。ただし……)


 レイはアスの報告を受け、思わず眉間にしわを寄せた。


(ティアラに知らせておいた方がいいな)

(肯定……ただしティアラ様はただ今お着替え中ですので、不用意に中の様子を探らない事を推奨)

(……分かっている)


 アスに指摘されるまでも無く、近距離レーダー魔法を使用中のレイには、ティアラがどんな状況かくらい手に取るように分かっていた。

 今のレイの能力なら、中の様子を探るなど呼吸をするのと同じくらい容易い。

 だが最後の良心で映像だけは探らないようにしている。


 衣擦れのカサカサという音や、バサッと服が落ちる音が妙に生々しい。

 レイの喉が無意識に鳴る……

 これではスケベ親父(ゲイリー)と同類だ。


「レイ?どうしたの?そんなところで?」

「っ!!」


 不意にレイの背中をティアラの声が叩く。

 振り返るとそこにはラフな白の半袖ワンピース姿のティアラ。

 いつもの可愛らしい声のはずなのに、やましい事を考えていたせいで、いたたまれない気持ちになる。


「ティオ……ここではクオンだ」

「……むぅ!何よ!お化けにでも会ったみたいな顔して!」


 驚きで顔と声を引きつらせるレイに、ティアラが頬を膨らませる。


「あぁ、すまない。先ほどアスのレーダーが妙な人物の接近を確認してな……」


 レイは表情を取り繕い、何とか誤魔化そうとする。

 尤もこちらの行動の不自然さにティアラも気づかないはずもなく、アメジストの紫瞳が訝しげにレイを睨み付ける。


「誰よ?その妙な人物って?」


 ティアラが胡乱な目をレイに向けながら問いかける。


「執事のパトリックだ」

「っ!」


 努めて淡々とした口調で答えたレイに、ティアラが目を見開く。

 空の悪魔と内通している可能性がある人物が、わざわざ一介の役人に会いに来るのだ。

 訪問理由が穏やかでは無い事くらい、察しが付く。


「どうするの?」


 不安そうにティアラが問いかける。


「とりあえず普段通りの行動だ。差し当っては……」

「差し当たっては?」


 レイはあくまでも淡々と、いつも通りの口調でティアラに語り掛けた。

 不安な相手の前で慌てても、余計に不安にさせるだけだし、むしろこれは情報収集の好機ですらある。


「夕食だな」

「……」


 今は十八時過ぎ……レイの胃袋は既に空っぽだ。

 呆れ顔のティアラを背に、レイは歩き出す。

 せっかく港町に来たのだから、王都では中々食べられない新鮮な海魚が食べたいものだ。



 ……時は少し進み、宿屋の食堂にて。

 この時間帯は宿屋の食堂としてだけではなく、酒場としても営業しているようだ。

 木造の温かみがあり、味わい深い造りの食堂は、一仕事終えた漁師や労働者でそれなりに賑わっていた。


「ねぇ?レ……クオン?こういうとこでは、どうしたらいいのかしら?」


 ティアラが伊達メガネの下のアメジストの紫瞳を泳がせて、店の隅から隅までキョロキョロと見回す。

 初めて動物園に連れてこられた子供みたいな不安と好奇心に満ちた瞳だ。


「そこにメニューがあるだろう。これで食べたいモノを選んで、それから店員さんを呼ぶんだ。店内が賑やかだから大きな声でな」

「うん、分かった。やってみる」


 メニューとにらめっこをしながら、うんうんと唸り声を上げるティアラが初めてのお使いみたいで微笑ましい。

 彼女も外食に行った事くらいあるだろうが、こういう騒がしい大衆食堂は初めてだろう。

 レイもまた、こちらの時代での外食は初めてだ。

 浮足立つティアラを横目に、レイもメニューに目を通す。


「すみません。相席しても宜しいかな?」


 メニューを決め終り、店員を呼ぼうとしたところに、降って来たのは老人の声。

 そちらを見上げれば、柔和な笑みを浮かべたパトリックの姿があった。


「お昼ぶりです、パトリックさん。どうぞ、お座りください」

「……感謝致します」


 パトリックは軽く会釈し、レイの正面に腰掛けた。


「お仕事はもう終わりですか?」


 レイは店員を呼びながら、努めて穏やかな口調でパトリックに探りを入れた。


「はい。本日は大したおもてなしもできず、申し訳ありませんでした」

「……」「……」


 おそらく、温くて香りの弱い紅茶の事を言っているのだろう。

 苦々しい表情を浮かべるパトリックに、レイとティアラは無言で曖昧な笑みを浮かべた。


「お茶を持ってくるのが余りに早かったので、少々驚きました?何か慌てていたのですか?」


 レイは店員に魚のフライと刺身と大盛りライスを注文しながら、敢えて突っ込んだ問いを投げた。


「はい。お恥ずかしながらその通りでございます」


 パトリックがハンカチで額の汗を拭く。

 その表情には焦りと不安がありありと浮かんでいる。

 何か必死に言葉を探しているという様子だ。


「ティオ、注文は決まったか?」

「えっと……エビフライ定食ライス小で……」

「……ダイエットは体に毒だぞ」

「うっさいわね!大きなお世話よ!」


 レイはパトリックが話し出すまでの間、ティアラと軽い雑談を交えた。

 最近、彼女は自身の体重が増えている事を気にしているようだが、今でも細身な彼女がこれ以上痩せてどうするのか?

 成長期なのだし、もう少し食べた方が良いと思うのだが……


「ティオさん、心中お察しします。どうやらクオン殿は乙女心というモノが分からないようで……」

「ありがとうございます。パトリックさん」


 首を傾げるレイを余所に、ティアラとパトリックが盛大にため息を漏らす。

 どうやら自分はアウェイらしい。

 雰囲気が程よく弛緩したところで、パトリックもゴマ鯖と枝豆とビールを注文し、店員が去ったのを確認してから改めて口を開く。


「先ほどの話の続きですが、わたくしは現在、少々のっぴきならない事情を抱えております」


 パトリックは周囲をキョロキョロと確認しながら、小声でレイとティアラに耳打ちした。


「実は空の悪魔から逃亡したとされる先の領主ワイマールは……もう既にこの世にはおりません」

「!!」「!!!」


 パトリックの苦々しい口調にレイとティアラは目を見開いた。

 可能性としては考えていたが、まさか裏切り者疑惑があるパトリックから聞くとは思わなかった。

 ティアラも驚きで声を上げそうになるのを何とか堪えるので必死の様子。


「ワイマールは代官ヒョードルの手によって抹殺されました。ヒョードルは空の悪魔に通じております。街の者も大半がヒョードルの手駒です。どうか、一刻も早くこの事実を王都にいる女王陛下に……」


 パトリックが苦しげに懇願する。


「ご注文のゴマ鯖と枝豆とビールになります」


 そこに場違いな店員の明るい声。

 いや、場違いなのは自分達の方なのだろう。

 パトリックは怯えた様子で店員の顔色を窺いながら、オドオドと料理を受け取る。

 レイは心底戸惑った。

 彼の恐怖する姿に嘘を見出す事ができなかったからだ。


(アス?)

(パトリックの言葉に嘘の兆候無し)


 アスに問いかけてみたが、判定は白。

 その事実がレイをますます混乱させた。


「それでは失礼致します。どうかくれぐれも……」


 パトリックは手早く料理をビールで流し込み、お金を置いて足早に去っていった。

 こちらに縋りつくような視線を残して……


「レ……クオン、どう思う?」


 パトリックを見送り、注文が来るのを待つ間、ティアラがレイに問いかけた。


「要調査だな」


 レイは盛大にため息を吐いた。

 もし今回の出来事が空の悪魔の仕業だとすれば、今度の敵はかなり狡猾だ。

 ガ=デレクやフーロンのように正面から襲ってくれればやりようもあるのだが……


 おそらく領都ユルゲンは敵が用意した巨大な罠。

 搦手を使う相手に、暗澹とした気持ちを隠せないレイだった。

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