第二百十七話 疑惑
「さて、目的地に着いたが大丈夫か?ティオ」
「うぅ……大丈夫じゃな~い……足痛いよ~……」
涙目になったティオの足元を見ながら、レイは呆れ顔で問いかけた。
踵が高くて可愛らしい機能性度外視のサマーシューズを履いていれば、足も痛くなるだろう。
口調が若干幼児退行しているのが、その証拠だ。
宿のチェックインを済ませたレイ達が最初に向かったのは、ワイマール領の領主館。
宿屋との距離はそれなりにあり、少し早い昼食の後に出発したが、到着したのは十三時過ぎ。
現在、レイ達の身分は農業部門の役人だ。
流石に今の身分で馬車を使って、領主館に向かうのは不自然という事で歩いてきたのだが、結果は案の定。
自分の体力を把握していないお姫様が泣き言を漏らしている次第だ。
「だから歩きやすい靴を選べと言ったのに」
「うるさい……だいたいあなたが悪いのよ。あんな可愛くないブーツ寄越すから」
「はぁ~……嫌なら自分で探すなり、セリカさんに頼るなりすれば良かっただろう?」
「アッ!?ため息ついた?今ため息ついたでしょう!こんなカワイイ子が隣にいるのに何がご不満!」
「…………さて、元気そうだし行こうか」
「ちょっと!レイ!まだ話は終わってないわよ!」
「ティオ。ここではクオンだ」
レイは不満をタラタラと並べるお姫様に背を向け、テクテクと歩き出した。
愚痴を零しながらも、ちゃんとこちらに着いてくるティアラの根性に少しだけ感心しているのは内緒だ。
レイ達が門番に偽造身分証を提示すると、丁寧な態度で門の中に案内された。
綺麗に手入れされた広大な庭園を抜けた先には立派なレンガ造りの屋敷。
二階建てで広さは一般家庭の家が十個入るくらいだろうか。
自業自得で足を痛めたティアラが、げんなりした表情を浮かべている。
今の彼女はアースヒールなどの回復魔法は使えない。
レイがティアラに治療用のナノマシンを投与しようか真剣に悩んでいると、屋敷の扉が開き、燕尾服姿の老紳士が姿を現す。
「こんにちは。クオン様、ティオ様。わたくしは当家の執事パトリックと申します。これより代官様のところにご案内いたしますが……」
老紳士……パトリックはティアラの方に視線をやり、渋面を浮かべる。
「クオン様。あなたは少々レディへの配慮が足りないようでございますね。代官様にはすぐそこにある応接室に来て頂くとして、ティオ様にはそちらでお休み頂きましょう」
「……お気遣い感謝致します」
苦言を呈されたレイは渋々頭を下げた。
肝心のティアラは歩く距離が短くなった事に、パッと明るい表情を浮かべている。
彼女にとって、パトリックの気遣いはまさに福音だったろう。
そして歩く事僅か……
パトリックに案内された一室でティアラはすぐさま椅子に腰掛け、足を投げ出して机に突っ伏した。
「ティオ……行儀が悪いぞ。今、我々は一役人として代官様にお願いをしに来たんだ。失礼の無いようにしなくては」
「分かってるわよ……ホント優しくないんだから」
ティアラが机に突っ伏したまま、顔だけ動かして恨めしそうにこちらを睨む。
本人は凄んでいるつもりなのだろうが、力の無い言葉とプクっと膨れたほっぺのせいで、逆に可愛らしく見えてしまう。
そんな下らない雑談をしながら、待つ事しばし。
(マスターレイ。ティアラ様。こちらに接近する人物あり。数二。片方は先ほどの執事。もう片方はおそらく代官かと)
レイとティアラの脳内にアスの平坦な声が響く。
ティアラは疲れた顔を引っ込め、涼しい顔で居住まいを正す。
流石は王族。
私から公への切り替えが見事だ
レイが感心しているところにスッと扉が開く音。
アスの予告通り、パトリックと上等なスーツを纏った中肉中背の中年男が、落ち着いた足取りで入室する。
「お待たせしました。代官様をお連れ致しました」
「いえ、お気遣い感謝致します」
レイが立ち上がり、感謝を込めてパトリックと代官に頭を下げる。
おそらくティアラの体調を考慮して、可能な限り遅く来てくれたのだろう。
その証拠に、ティアラが立ち上がれないのを咎めない。
パトリックもまた慇懃に頭を下げると同時に、代官が前に一歩進み出てこちらに右手を差し出す。
「初めまして。代官のヒョードルです。王都からご足労頂き、ありがとうございます。本日は王都で行われている新しい農法をご教授頂けるとか?」
代官……ヒョードルがにこやかな表情で、ゴツゴツした手を差し出す。
年の頃は三十代後半くらいだろうか。
武人らしい厳つい顔も笑うと人懐っこく見える。
事前資料によると、ヒョードルは元々領都を守る為に王都から派遣された武官だった。
その後領主のワイマールが自身の手勢と共に行方不明になった事で、急遽代官になった苦労人だ。
代官とは領主が不在の地方領に国が派遣する行政の代理人。
パトリックがヒョードルの事を代官様と呼ぶのは、パトリックが元々領主付きの執事で、ヒョードルはあくまでもお客様という意識があるからだろう。
「初めまして、農林省から参りましたクオン=アスターとティオ=グラーフです。お忙しい中、お時間を頂きましてありがとうございます」
レイができるだけにこやかな表情(他人から見れば無表情)でヒョードルの手を握り返す。
ティアラも立ち上がり握手をしようとしたが、ヒョードルが慌ててそれを制止した。
彼もティアラの不調を知っているのだろう。
レイのヒョードルとパトリックに対する好感度が急上昇した。
「では早速で恐縮ですが、本題に入っても宜しいでしょうか?」
「勿論です。パトリックさん、客人にお茶を」
「畏まりました」
レイの申し出にヒョードルが武官らしい堅苦しい口調で頷く。
パトリックにお茶を要求したのも、ティアラの体調を配慮しての事だろう……とこの時レイは思っていた。
「ふぅ~、ようやく出て行ったか。忌々しいワイマールの犬め!」
パトリックが退室した途端、ヒョードルが苦々しい表情で言葉を吐き捨てた。
「ワイマールの犬?」
レイは訝し気な口調でヒョードルに問いかけた。
「すみません。お見苦しい所をお見せしました。余り時間も無いですし、こちらの本題に入りたいのですが」
ヒョードルが緊迫した表情で、扉の方に目配せしながら小声で懇願した。
おそらく抜き差しならない状況なのだろう。
レイはティアラに目配せし、ティアラが小さく頷く。
「逃げた前領主ワイマールは空の悪魔と通じている可能性がございます。どうかこの事を王都にいる女王陛下に……」
ヒョードルの言葉にレイとティアラは大きく目を見開いた。
あり得ない話ではない。
空の悪魔に脅されれば、よほど高潔な人間でない限り、従わざるを得ないだろう。
(アス?)
(ヒョードル代官に嘘の気配無し)
レイの脳内にアスが返答。
隣のティアラが喉を鳴らして唾を飲み込む。
状況を確認すべく、ヒョードルの言葉の続きを待っていると……
「お待たせしました。お茶をお持ちしました」
柔らかな口調のパトリックが、ノックして間を置かずに扉を開いた。
お茶を淹れたにしては早すぎる。
この時代は科学も魔法も発達していない為、火を起こすのも、湯を沸かすのも時間が掛かる。
お茶を要求すれば、最低でも三十分は稼げるはずなのに十分もせずに戻って来た。
「ありがとうございます」
レイは自分の無表情が有難いと心から思った。
もし自分の表情筋が正常に働いていたなら、動揺でパトリックに自分の心境が悟られていただろう。
……案の定、持って来られたお茶は温くて、香りも弱かった。




