覚書/実は滅びていない豊臣家と、シン・プリンセス・トヨトミ
Ⅰ 総説
ウィキペディア各記事及び諸氏ブログ記事を検索すると、慶長二〇年(一六一五年)七月・大坂夏の陣において、大坂城の羽柴宗家・豊臣秀頼一門が滅んだと思われがちだが、秀吉の養子家系が、木下姓を名乗り存続しているのが判った。天下人・豊臣秀吉と一門は、朝廷から賜った豊臣姓はハレ(儀礼)の場で用い、ケ(日常)は羽柴姓を使っていた。ゆえに豊臣氏の末裔たちが、豊臣姓や羽柴姓を名乗らなかったのは、豊臣家に代わって天下人となった徳川将軍家をはばかったためだ。
まとめてみよう。
豊臣秀吉の実子である豊臣秀頼の側室の子であった天秀尼は、大阪冬の陣の後、叔母の崇源院に保護され、崇源院の娘である千姫の養子となり、鎌倉・東慶寺住職となった。
秀頼が家康に討たれると、豊臣家宗家は、高台院(寧々)の兄・木下家定の子で高台院の養子となった木下利次が継ぎ、旗本近江木下氏の創始者になった。
木下家定の子には、他に、備前岡山藩主の小早川秀秋、備中足守藩主の木下利房、豊後国日出藩主木下延俊らがおり、足守木下氏と日出木下氏は、江戸時代を通じて大名となり、明治時代になると華族になった。豊臣氏宗家である近江木下氏からは、女系で第十二代将軍徳川家慶を輩出することになる。
また三好一路に嫁いだ秀吉の姉・瑞竜院日秀の子には、豊臣秀次、豊臣秀勝、藤堂秀保の三兄弟がおり、朝鮮の役で急死した豊臣秀勝と浅井長政の二女・お江との間にできた娘・完子は、摂関家九条幸家(忠栄)に嫁ぎ子孫を残し、今上天皇まで血が続く。――つまり皇室内親王をふくむ豊臣完子女系子孫こそDNA的にもっとも嫡流に近いとされる「シン・プリンセス・トヨトミ」だ。
もう少し詳しく見てみよう。
Ⅱ 豊臣家諸系譜
――豊臣秀吉の嫡流(実子系譜)――
豊臣秀頼(秀吉・実子):豊臣氏宗家第二代当主・右大臣。大阪冬の陣で母の淀殿とともに自害。側室に男子と女子を産ませているが、男子・国松は大阪冬の陣後、潜伏していたところを捕らえられ処刑された。女子は徳川秀忠室となったお江に保護され、天秀尼となった。
天秀尼(秀頼・娘) → 千姫の養女。鎌倉・東慶寺住職。
――豊臣秀吉の弟・豊臣秀長の系譜――
豊臣秀保(秀吉の姉の子、秀長の婿養子):大和国主 → 無嗣断絶。
藤堂高吉(丹羽長秀の子・秀長の養子→藤堂高虎の養子)→ 子孫:伊予今治藩・藤堂家家臣。
――豊臣秀吉の姉・瑞竜院日秀:(夫・三好一路)の系譜――
豊臣秀次、秀勝、秀保の三兄弟がいる。いずれも男系は途絶えているが、女系は名だたる名家に嫁いでいる。
豊臣秀次(秀吉の養子・秀頼義兄):関白→ 隆清院(娘・真田信繁《幸村》室)→顕性院(御田姫なほ:出羽亀田藩二万石第二代藩主岩城宣隆の側室→継室)、三好幸信(秋田真田氏・岩城宣隆猶子・同藩藩士三百八十石:徳川家康に敵対した真田信繁の真田姓を名乗るのははばかられたため、外祖父・豊臣秀次の旧姓・三好姓を称し、三好左次郎と名乗る。元服後、三好左馬之介幸信と称す。
豊臣秀勝(小吉秀勝):後の徳川秀忠室・お江の前夫。朝鮮の役で急死する。小吉秀勝と江の間に生まれた完子は、伯母である淀殿の養女となり、摂関家の九条幸家(忠栄)に嫁ぐ。
――豊臣秀吉の母(大政所)の系譜・準一門――
福島正則(下賜・豊臣姓)→子孫:旗本。
青木 一矩 → 子孫:加賀藩士、醸造業者。
――秀吉の正妻・高台院寧々の兄・木下(杉原)家定の系譜――
織田家臣・杉原氏は、高台院(寧々)が木下秀吉(後の太閤豊臣秀吉)に嫁いだことで、木下姓を名乗るようになる。寧々の兄・木下家定には、 備前岡山藩主小早川秀秋、備中足守藩主木下利房、豊後国日出藩主木下延俊、高台院の養子となる木下利次がいる。この系譜には、明治になって、羽柴姓に復した人もいるらしい。
木下利次:高台院養子・豊臣家宗家として祭祀を継ぐ。江戸時代に入っても羽柴姓を名乗っていたが、しばらくして幕府の圧力から木下姓に改める。:(大名→)旗本近江木下氏 → 女系子孫には第十二代将軍徳川家慶がいる。近江木下氏は八代続く。明治:旗本→士族木下秀舜、以降は不明。ただ名古屋市には「秀吉清正記念館」があり、二〇一二年五月に「近江木下家資料展」が催され、秀吉が高台院に当てた書簡・甲冑が展示されていることから、宗家ご子孫は健在なのだろう。
備中足守藩主木下利房:足守木下氏 → 明治:(大名→)子爵。
豊後国日出藩主木下延俊:日出木下氏 → 明治:(大名→)子爵。
小早川秀秋(木下家定の子・秀吉の養子・秀頼の義兄→毛利家両川の一つ・小早川家養子):備前岡山藩主→無嗣改易。
浅野長政(高台院の妹婿):大名(常陸国真壁藩→笠間藩)。子の浅野幸長は関ヶ原の合戦で東軍に属し、以後、家康に近侍して縁戚を結び、大封を得た:備中足守藩主→紀州和歌山藩主→安芸広島藩四十二万石藩主。子孫の分家筋には、赤穂浪士事件の発端となる赤穂藩主浅野長矩(内匠頭)がいる。
――その他――
木下秀峯:朝廷の地下人・滝口の武者。
結城秀康:徳川家康の二男 → 秀吉養子・豊臣秀康 → 結城家養子・結城秀康 → 越前松平家:幕末に、「幕末四賢侯」の一人・松平春嶽を輩出する。
宇喜田秀家:秀吉の猶子で、羽柴・豊臣の姓を賜り、前田利家の娘で秀吉の養女である豪姫を娶っている。つまり秀吉の養子に準じ、義理の娘婿に相当するから、バリバリの豊臣一門だ。五大老の一人でもあったこの人は、関ヶ原の戦いで西軍側についたため八丈島流罪となる。戦後、実家前田家に戻った豪姫の縁故から、帰農した子孫は加賀藩から幕末まで援助を受け、島の名家となり、代官の娘を妻に娶った人もいる。
Ⅲ 備考
――羽柴・豊臣姓の現在――
羽柴姓は、織田家中にいた当時、秀吉の上司だった丹羽長秀と柴田勝家の姓を一字ずつ拝領したもの。明治に木下姓から羽柴姓に復姓した人と、戦国時代に橋場、橋間姓だったのを羽柴に改めた人とがいる。羽柴姓の人は全国で四千名を数える。これに対し豊臣姓の人は四十名で、日本に帰化した朝鮮・韓国系で占められている(――朝鮮の役の被害者末裔では? 憎んでいないのか?)。
語源、分布 日本姓氏語源辞典
羽柴の由来、語源、分布
https://name-power.net/fn/%E7%BE%BD%E6%9F%B4.html
豊臣の由来、語源、分布
https://name-power.net/fn/%E8%B1%8A%E8%87%A3.html#%E3%83%88%E3%83%A8%E3%83%88%E3%83%9F
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