覚書/女神が救いを求めてきたという話
私が氏子をしている地域の神社の新嘗祭があり、参加した。この神社は、近年、パワースポットとしての知名度が上がり、参拝客が急増している。
神社には、神主がおらず、少し離れたところに住む神職が、神主を兼務していて、祭りの時だけやってくる。
神職の祢宜を囲んで、祭礼後の宴「直来」となる。このとき神職が、
「霊能者女性がやってきて気になることを言っていました。――こちらの神様は女神様ですね? 雨がお好きな方。お
御稲荷様ですか? 助けてと仰せでした」
主祭神は女神には違いないが、稲荷=ウカノミタマではない。
氏子一同は首をひねった。
氏子総代長が、
「御稲荷様と言えば、この神社の隣にある寺が、祠を祀っている」
古参の氏子が合いの手を入れた。
「そういえば、その祠って、最近、寺の別院に移したんだよ」
寺に神道系の神様の祠があるというのは変に聞こえるだろうが、廃仏毀釈運動があった明治以前は神仏混合で、仏閣を守護するために、鬼門に神社や祠を配していた。「鎮守」とは本来そういう神社や祠を指している。かの寺では稲荷を祀っている。
神職は、
「そういう話ならば、自分の領分外のことなので、できることとしてそちらに向かって拝礼するのみです」
救いを求めた女神についての私見。
その一、霊能者に救いを訴えたのは、神社に隣接する稲荷の祠の女神。従来は、仏閣を守護する鬼門にあったのが、現在地から二百m離れた高台の別院に移った。だが祭神の稲荷神はそちらに移らず、取り残されたということ。
その二、広義で言えば、当神社の祭神も稲荷神に分類される。パワースポットとして持ち上げられるのが好きではない。あるいは、神社の運営に不満がある。――神社は明治になるまで、隣接する寺の境内にあった鎮守である。廃仏毀釈運動のあおりで寺から分離させられ、現在の位置に移転した経緯がある。
その三、救いを求めているのは、霊能者女性自身。――心に「闇」があり、深淵を覗き見た。承認欲求から、神職にその旨を語った。
古参の氏子たちが言う仏閣の稲荷祠に関して、私は存在を知っていたが、拝見したことはなかった。
神職の祭礼前に、境内からそちらを見ると、黄金色の屋根のようなものが木立の向こうに見えた。移設したとなれば現物は見えないことになる。私は幻を観たのだろうか?
***
閑話余談――
祀られなくなった神は妖怪になる。
民俗学者は、『今昔物語集』にある京都六条にあった河原院・藤原融の屋敷「河原院」の件を引き合いに出す。
平安の初めに権勢をふるった左大臣藤原融だが、子孫は零落。かの豪邸・河原院は、融の息子・昇が、まだ少年だった宇多天皇に献上し、離宮になった。あるとき天皇が河原院に行幸。夕暮れ時に、天皇が庭を散策すると、貴紳の霊が出て来た。供の者達が、物の怪だと騒ぎ、幼い主君の前に出たが、それを制し、物の怪に問うた。
「汝は誰か?」
「屋敷の主だ」
豪胆な少年天皇は、相手が誰かを察した。――屋敷の初代当主は氏神として祀られる。十中八九、物の怪の正体は、屋敷を築いた藤原融の霊であろう。藤原融の屋敷への執着は強く、子孫が他に移り、そこで新たに氏神の祠堂を建てたものの、氏神自体は旧所に残留したに違いない。
「――それはおかしい。私は、河原院の所有者だった藤原昇から正式な手続きを経て譲渡されている。かつてはどうあろうと、現在の屋敷所有者はこの私だ」
そう主張すると、物の怪は消え、以後出没しなくなった。
しばらくして瑕疵物件の河原院は、皇室から藤原融の子孫に、「下賜」という形で返されることになる。だが、零落した子孫が維持するには、あまりにも広大で、分不相応の豪奢過ぎる屋敷であった。子孫は再び、他の場所に移り、身の丈にあった大きさの屋敷を構える。その際、融を祀る氏神の祠堂も移動した。
放置された河原院は荒廃して化け物屋敷と呼ばれ、子孫とともに点々と場所をかえてゆく祀堂は、その度に火災を起こしたと伝えられる。
***
追記:
昔日、未開地を切り開いて里とするときに、高僧・行者・陰陽師ら術者が、土地の荒神を調伏して守護神とすることがあった。さらに仏閣を奥に配置して、霊的な守りを強固にした……という記事を思い出した。――囚われの姫神が救いを求めているというのも自然な線であるような気がする。いずれにせよ、領分外の話。
ノート20221120




