勇者とカエル
「アタシの旦那さんさ!」
その言葉に、カエルは暫く混乱した。何故ジャニスの夫が、ザルティスの隣でオークを相手に戦っているのか。そもそもジャニスの夫とは、どういった人物なのかも一切聞いては居なかったのだ。
「えーっと、その。旦那さんはどうしてザルティスの隣で戦ってるの?」
「....さあ?」
的を射ない答えが返ってきた。
「旦那さんの名前は?職業は?何も聴いていないから、混乱して来たよ」
「そうじゃな。お前さん何も語らんからな」
「そうだっけ?隠してるつもりはないんだけどね」
彼女の表情からは、何も伺い知る事は出来ない。恋い焦がれた相手に会いに行く表情でもなければ、敵討ちに行くような、決死の表情でも、悲壮な表情でもない。
どこか達観したような、無表情の中に感情を隠しているような感じだった。
「旦那の名前はノア。職業は勇者。アタシと同じ冒険者で、世界最強の冒険者って言われてる。一時期いっしょに何人かで組んで旅してた。その時に惚れちまってね。アタシが押し倒して一緒になったのさ」
「押し倒し...?」
「ちっと情報量が多過ぎるぞ」
カエルとベロが呆気にとられてる間に、ザルティスとの距離は詰まってくる。オークの精兵だろうか?ノアは数人のオークらしき者達と、たった一人で打ち合っている。
ザルティスは何千という残敵と相対し、圧倒しているようだ。既に此方に気づいているようだが、麻痺の邪視は使用して来ない。
「ねえ、ジャニス。君の旦那さん背中から何か白い物が生えてるように見えるよ」
「あぁ。アタシもそう見える」
戦うノアの背には、遠目からでも純白の翼が翻っているのが見える。時折羽ばたき、飛んでいるのを見ると『生えている』という表現に間違いはないだろう。
「姿が見えなくなってから、随分たつからね。羽根くらい生えるだろうさ」
「いや、生えないよ」
「生えんな」
あっけらかんと言うジャニスに、カエルとベロがツッコむ。
「おそらく『眷属化』しておるのじゃな。忌々しい神の技じゃよ」
「ベロは何か知っているようだね。後で説明してもらうよ。まあ、羽根が生えようが何しようが、ノアはノアさ!」
そう言うと、彼女は背の大剣に手を掛ける。
「彼らといっしょに戦うつもり?」
「あぁ!勿論さ!」
ジャニスはハッキリと答える。
「じゃあ、僕はあの大軍を狙うよ」
そう言い、カエルはオーク軍に向かい大魔法の準備を始めた時、
「馬鹿者!!何処を狙っておるか!」
とベロから叱責が飛んできた。
「え?オーク軍の真ん中辺りに魔法を..」
「何を勘違いしておるか!戦うべきは」
一拍おいて、ベロとジャニスは視線を交わし合う。
「蛇と眷属じゃ!」
「ザルティスとノアさ!」
2人(?)同時に驚くべき言葉を告げる。
「えーっと?どうしてか聞いて良いかな?」
尋ねるカエルに、2人はまた同時に
「神は敵じゃ!」
「会話する為さ!」
と全く違った趣旨の言葉を言う。
カエルには理解が及ばなかった。
「えーっと...ノアはジャニスの夫で、ベロとは面識がなくて、ザルティスは、ベロの嫌いな相手で、ジャニスとは面識がなくて...??んん?」
「御託はいいわい!神は敵!それに付き従う眷属も敵!じゃ!」
「ノアはアタシの前から消える前に、一言も言わなかった。それどころかアタシの手を払い除けて出て行った!だから一発ぶん殴る!!それだけさ!」
(サッパリ分からない。サッパリ分からないけれど...)
「わかった!ザルティスは敵!ノアも敵!」
「そうじゃ!」
「よく言った!」
正直カエルにとって、天敵とも言えるザルティスを相手取るのは、気乗りがしない。気乗りはしないが、自分の身近な2人が言うのだ。カエルとしては、やるしかない。
ザルティスとノアの姿が鮮明に見えてくる。ザルティスはオーク兵と。ノアは、見ればオークカイザーらしき者、特殊な武器を持ち戦うオーク兵達、恐らく凶刃12振りと呼ばれる者達であろう。
それに加え、見知った顔として、オークスペリオル、オークシュバルツ、それに加えて1人の褐色の肌の人間を一人で相手取っている。
「カエル!」
ジャニスが声を掛けてくる。
「アタシがあの蛇をやる!アンタはノアをぶっ飛ばしな!」
「えっ!?ジャニスはノアをぶん殴るんじゃないの?」
「アンタ、ザルティス相手に出来るのかい?」
そう言われ、カエルは口をつぐむ。
とてもではないが『アレ』の相手はしたくない。
「アタシなら、あの邪視を見ずに戦える。任せときな!ノアは気絶させてくれたら、後でなぐりとばすよ!」
どうやら彼女は、気絶して尚殴るつもりらしい。人間の女性の執念はすごい。
◆
オーク達が繰り出す攻撃は、一撃一撃が凄まじい膂力から放たれる必殺の攻撃。それを紙一重でかわしながら、ノアは着実に傷を負わせている。
なかでもオークカイザーと、褐色の肌をもつ黒狼は、とてつもない実力を見せている。だが、それさえも軽くあしらうように、ノアは立ち振る舞う。
「このオス!強いゾ!」
「強いなんてモンじゃねぇベサ!化け物だんべコリャ!」
凶刃12振りの筆頭、カイザーの親衛隊を名乗るオークヴィニシウスと、オークバンプキンが舌を巻く。この場には上級中位以上の者しか存在しない。にも関わらず、相手にかすり傷の1つも負わせられない。
既に凶刃12振りが数匹、身体を真っ二つにされ、地面にその身体を横たえている。
何よりも驚嘆すべきなのは、上級上位に達するオークカイザーと、『黒狼』までもが、子供のようにあしらわれている事だ。
「ハカンクラル!我々がコイツを抑えます。どうかお逃げください!」
「出来ん!如何なお前の忠言であろうと、我が逃げる訳には行かん!ココで終わるなら、その程度の『覇道』だったというだけだ!」
渾身の力を込めた《武技》「大地活殺断」をオークカイザーが放つ。当たれば、大地に亀裂が走るほどの一撃であったが、ノアは受けた剣先をクルリと流すように受け止め、その絶大な威力は、空を切りさく事となった。
そして、カイザーの腕から鮮血が吹き上がる。受け流した際に、同時に切り裂かれたのであろう。目にも留まらぬ速さで行われたそれは、上位者のカイザーでさえ目で追う事が出来ない。
速度で比肩しうるのは、黒狼だけ。その黒狼も、細身であるノアの人外の力に、斬りかかっては大きく弾かれ、まともに相手をさせてはくれない。狙いはオークカイザーに絞られている。
このままでは。そう考えていたオーク達の耳に、突如見知らぬ声が耳に入った。
「離れて!」
突如ノアの脇で巻き起こる爆炎。
続けて、天変地異とも言える規模の魔法が吹き上がる。
「コレは?!あの『亜人』カ!?」
オークスペリオルには、覚えがあった。自分達の軍を壊滅状態へ追い込んだ、魔法を放つカエル種の亜人。
ノアの身体は瞬く間に圧倒的な魔力に飲み込まれ、天空から更に圧倒的熱量をもった光が降り注ぐ。
その間に土煙を上げて、カエルはオーク達のそばに移動した。瞬時に移動したようにも見えるその速さに、オーク達の警戒は、ノアからカエルへ移る。
「貴様!何者だ!」
「どういうつもりダ!あれほど同胞を討っておきながら、今度は我らにつく気なのカ!?」
傍から聞こえるオーク達の警戒の言葉を
「ちっと黙っておれ!」
と、ベロのしわがれた声が遮った。
「ワシらの敵は『今は』目の前の神の僕じゃ。敵の敵は味方。そうじゃろ!」
「何を訳の分からぬ事ヲ!敵は今貴様が討ったではナイカ!?」
叫ぶオークスペリオルには目もくれず、カエルはノアが居た場所を睨み続ける。その視線に、オーク達も再度ノアに眼を向ける。
「...バカな。あれほどの魔法を受けて...」
ゆらりとノアの居た場所は、陽炎を発生させている。その向こう側に、ゆっくりと歩みを進めてくる『羽根の生えた』人間が1人。
陽炎の手前で、その姿は鮮明になる。
無傷。その男は、そう言わざるを得ない、威風堂々とした佇まいを保っている。
美しい顔をした優男ではあるが、不思議と惹きつけるような魅力と、優しい顔に合わない迫力を併せ持っていた。
(コレが当代の『勇者』か)
ベロは怖気が走った。長く生きて来たベロにとって勇者との邂逅は初めてではない。自らが葬った者も居る。
だが、これほどまでに洗練された雰囲気を纏った者が、いたであろうか?或いは、眷属化によって、その力は昇華されているのかもしれない。
ゆっくりとした動作だが、自分の首元に常に刃を当てられているような、プレッシャーがある。
フッとノアの姿が掻き消えた。
そう見えるほどの速さ。
認識した時には、既にカエルの眼前に煌めく長剣の刃が迫っていた。
キンッ!と甲高い音を響かせ、刃と刃が交錯する。一方は長剣、一方は曲がりくねった曲刀『ショーテル』と呼ばれる剣。
3本の刀を抜き、斬撃に備えていたカエルだったが、その速度に反応出来る者が、もう1人いた事に驚いた。
「何をボサッとしている。先程の魔法を準備しろ!それ以上の物があるなら、全力を出せ!我らが抑える!」
黒狼が叫ぶ。彼の口の端からは血が垂れ、痰が絡んだような、血反吐混じりの声。内臓にダメージを負っているのが見て取れた。
「『砂漠の民』か!時間を稼げ!とっておきを出してやる!カエル、準備じゃ!」
カエルはその場からバッと跳び退く。
既に黒狼は大きく弾かれ、その体は地面に打ち付けられている。だが、次々と迫るオークの精兵に、ノアも対処せざるを得ない。
跳びのき距離をとったカエルではあったが、特に何をするわけでなく、立っている。
「あの...ベロさん?」
「なんじゃ?」
「とっておきって、何のこと?ペンタグラム以上の魔法を知らないんだけれども」
「馬鹿たれ!ワシの魔法をお主は見たじゃろ?真似して撃ってみぃ」
どうやらベロは蠱毒の城の鏡の玉座の間での事を言っているらしい。確かにカエルは、見た魔法を覚える力はあるのだが...。
「いや、あんな一瞬で魔法発動されたのは、初めてだし...」
「一瞬で発動しなかった魔法があったじゃろうが!『アレ』を撃て」
「あっ...!でもあれが効くの?」
「正にこういう時のために練り上げた魔法じゃ。使徒に、たんと味あわせてやれ!」
グッと姿勢を落とし、構えを取る。
玉座の間において、唯一宣言され、真正面から使用された魔法。それが
「「イレイザーキャノン!」」
ノアに向かい、煌めく光が放たれる。光は膨れ上がり、ノアとその周辺のオーク、背後で戦闘していたザルティス、ジャニスまでも巻き込み、光の中にその姿が消える。
「だ、大丈夫なのかなベロ?」
「心配要らん。この魔法に『威力は無い』」
やがて光は収束し、無傷の者達が現れた。突然光に包まれ、傷一つない我が身に、皆困惑していたが、やがて戦闘は再び始まる。
「......それで、どうなるの?」
「まあ、見とれ」
先程までと大して変わった様子は見られない。ノアは変わらずオーク達をまとめて相手取っているし、ジャニスも....
「いや、違う。徐々に押してる!」
互角の戦いを繰り広げていたジャニスは、徐々に攻勢を強め、ザルティスに傷を負わせている。
ノアも、傷1つ付けられなかった状況から、鎧や長剣が欠けたりし始めた。
「《権能》を消し飛ばしてやったんじゃ。奴ら眷属は神から齎された力に寄るところが大きい。アレが無くなれば、まあこんなもんじゃ」
ベロが踏ん反り返り言う。確かに効果は覿面なようだ。
「けど、ノアはまだ全然強いね」
「予想外じゃな。ありゃ自力じゃ」
しかし、流石の勇者ノアも、あの数の上位者を相手取る事は出来ないらしい。徐々に傷が増え、鎧は欠け、綻びが見え始めた。
「者共、もう少しでこの化け物を獲れるぞ!」
オークカイザーが檄を飛ばす。
希望が見え、オーク達に勢いが出てきた。
「貰った」
黒狼が、オーク達に気を取られていたノアの『影』から、ショーテルを振り抜く。ノアも辛うじて反応はしたが、コンマ数秒遅れた。
ノアの首筋から鮮血が迸る。
ノアは表情も変えず、首筋を抑える。すると傷が塞がってくる。しかし
「無駄だ。その傷は毒、呪い、壊死。ありとあらゆる災厄を詰め込んだような物。生半な魔法で治るものか」
その言葉の通り、傷は塞がり切らず、徐々に紫色にノアの肌を染めていく。
顔から血色が失われ、フラついた瞬間
「ぜぇああああ!」
と雄叫びをあげ、オークシュバルツが武器を振り下ろす。勝負はついたかに見えた。
ピシッ!
カエルの目の前で『全ての動き』が止まった。風の流れ、飛び散る砂埃、流れ落ちる汗まで。
灰色に包まれたような世界の中で、カエルとベロだけが唯一動けるようだ。
「どうなってるんだ?」
キョロキョロと見回すカエル。いつもは、こう言う時に真っ先に話すベロが、静かだ。
「緊張してるんじゃない?僕が来たから」
止まった時間の中、小さな白いトカゲがチョロチョロと駆けてくる。
「出おったな!この性悪トカゲが!ここであったが千年目!ここで引導を渡してくれるわ!」
口の中から飛び出さん勢いでベロが喋り出した。普段の彼の声色からは想像も出来ない荒い声だ。
「引導って、ベル=ゼブブ。君、今はタダの舌じゃないか!アハハハハ!」
小さなトカゲはコロコロと転げまわりながら笑う。
「どうだった?僕の『プレゼント』は?良いだろう?そのプレゼントの口の中の居心地は?」
「このカエルは、やはり貴様の差し金か!!汚い事をしおって!こんな者まで作り出して、そこまでワシが憎いか!?」
どうやらカエルの与り知らぬ事が、この2匹の間にはあったらしい。
「僕が作った訳じゃないさぁ。山のお城に行ったらどう?って後押ししてあげただけだよ。ホントだよ?」
ベロに歯が有れば、ギリギリと噛み締めているだろう。わなわなと震えている。
「カエル!コイツを消し飛ばせ!イレイザーキャノンじゃ!此奴を殺すための魔法じゃ!撃て!今すぐ撃て!」
「おぉ、こわいこわい。ハエのお爺様は堪え性がなくて困るねカエル君。言われなくても退散するよ」
『真のザルティス』と名乗っていた白いトカゲが、両の前足を小さくパチンと合わせたと思うと、時が止まった世界がユックリと動き出す。
「君達に邪魔されちゃったけれど『彼』殺しておかないと、大変な事になるよ。僕はもうしーらないっ!」
そう言うと、ザルティス、ノア、白いトカゲの姿がユックリと消えていく。なんらかの魔法だろうか?
時が動き出した世界では、オーク達やジャニスが振りかぶった剣が空を切っていた。
キョロキョロと慌てて周囲を見渡す彼らだが、もう既にノアもザルティスも居ない。
「もう居やせんぞ!」
呆然とする彼らに、 ベロが告げる。
神の使徒がいなくなったことで、安心して力を抜くもの。仕留め損なったと舌打ちするもの。皆それぞれであったが、カエルは背後に気配を感じた。
カエルの影から伸びた腕。その手には曲刀が握られていた。
甲高い音を残して、刃はカエルの胴体の寸前の所で止められる。
ジャニスが素早くフォローに入ったのだ。影から、黒狼が飛び出す。
「やれやれ随分喧嘩腰じゃないか。あたし達が助けなきゃ、あんたら全員御陀仏だったのにさ」
「その通り。故に危険と判断した。排除する」
黒狼は殺気を隠さずに、ジリジリと間合いを詰めてくる。周りの気を抜いていたオーク達も、事に気付いたのか、武器を手に取り、慌てて戦闘態勢を取った。
「もうよい。やめよ」
黒にも似た深い緑の男が声をかける。オークカイザーと呼ばれる上位者である彼は、その一言でもって黒狼達をすんなりと引かせる。
「亜人。女。礼を言う。お前達の言う通り、手助けなくば、この首飛んでいた。感謝する」
素直な感謝の言葉に、カエルとジャニスは面食らい、オーク達は唖然とした。絶対的な自分たちの王が、人間と亜人に礼を述べているのだから。
黒狼も、それに合わせ両の手を合わせ、頭を下げる。礼儀など知らないオーク達も慌ててそれに倣った。
「ここは引かせて貰えるとありがたいのだが、どうだろうか?此方は手負い。数も最早数えるほどしかおらん」
カイザーは周囲を見渡し、数十匹にまでなったオークを見る。最早『覇道』などとは口にも出来ないだろう。
「おいおい。散々人の街を食い散らかしておいて、それは無いんじゃないかい?」
「此方は降りかかる火の粉を払ったのみ。余計な殺生はしておらん。元より首都の陥落を目指しておったのだ。枝葉に興味はない。途中の街も、弱者は皆無事だ。なんなら確かめるまで、ココで待ってもよいが?」
ピクリとジャニスの眉が上がる。
よもやオークの軍団が街を滅ぼし、女子供をまともに生かしておくだろうか?
だが、目の前のオークと人間の間を取ったような男の言葉には芯が一本通っているようだった。嘘をついているようには見えない。
「...百歩譲ってそうだったとして、これからあんたがたが、人間達に害をなさないとは限らない。ここで討伐するべきだとアタシは考えるんだけど?」
「フッ」
オークカイザーは軽く鼻で笑った。
「アタシにはジョークのセンスは無いんだけど、何かおかしな事言ったかい?」
「いやなに。年がら年中戦争や争いを起こしている『人間様』が、自分達の事を棚に上げてる事がおかしくてな。我らの侵略と、戦争とどう違うと言うのか」
ジャニスは一瞬押し黙る。
「魔物は人を犯し、喰うじゃないか」
「人間もそうだと思うが?勝った者が犯し、嬲り殺す。どう違う。魔物だから、人間を襲うから罪だと言われては敵わんな」
「...どっちにしろ、仕掛けてきたのはそっちだ。殺し殺されの関係だろ?さっさと剣を抜きなよ」
双方に緊張が走る。
最早戦いは回避出来ない。
そう思った時、
「おーい!カエルっちー!ジャニス姐さん!」
遅れてやって来た、レディローズの面々が手を振りながら駆けてくる。
横目でそれを見た黒狼の姿がスッと掻き消えた。
カエルとジャニスが駆け寄ろうとした時には、既に遅い。
「寄るな。この娘の命が惜しければ」
影から現れた黒狼は、瞬く間にココットを拘束し、首元にショーテルを当てる。あまりの速さに、アヴァもマデリンも反応出来なかった。
「黒狼。丁重に扱え。女、亜人。どうだろう?改めて、もう一度提案させて貰いたい。ここは、引かせて、貰えないだろうか?」
2人は押し黙る。人質を取られては頷くしか無い。ココットが、自分には構うなと首を振っているが、2人には見捨てられない。
ジリジリと去っていくオーク達を見送る。遅れてやってきた、残りの冒険者の面々も、状況を把握したのか、苦々しい顔でオークを見送った。
特にキティちゃんなど、手に爪が食い込み、おびただしい血液が流れ、口の端からは血液がダラダラと出ていた。余程オークを目前に見送るのが悔しかったのであろう。
「グギギギギギギギ!もっと“早く”来ていればよ”か“っだですわ“」
という凡そ人間のものでは無いような声を上げ、苦しんでいる。
やがてオーク達の姿は地平線の彼方へ消えた。頃合いを見計らい、黒狼はスッとショーテルを引く。
「もういいだろう。感謝する。そして、いずれ後悔するだろう。娘1人の命を引き換えに、陛下の膝元に屈する日が来るのだから」
自らの影に黒狼は沈んでいく。
「ご、ごめんカエルっち。姐さん。足引っ張ちゃった」
ココットの言葉とほぼ同時、猛烈な勢いでキティちゃんは走り出した。
「ちょっ!キティちゃんどこ行くの!?」
静止するジャニスだが、キティちゃんはユックリと振り向き、
「追ってくるなとは言われてませんわ。でしょう?」
血塗れになった口元を上げ、和かに笑う。そして再び地面を蹴り走り出した。
誰も彼女を止めなかった。
恐らく止められないであろう事が分かっていたから。
ハァ、とジャニスは溜息を吐く。
「旦那には逃げられ、討伐対象は逃亡。散々さね」
ジャニスは、しばらく目を瞑っていたが、カッと目を見開き、
「それはそれ!これはこれ!オーク軍15万!アタシらが追い払った!皆依頼達成だよ!」
快活に笑いながら言うジャニスに、皆は互いの顔を見合わせ、苦笑いする。何せ自分達は何もやっていないのだから。
◆
国を揺るがしたオークの大軍勢騒ぎは、これで一度終息となった。王都の者達は、こぞってジャニス達を讃え、三日三晩騒いだという。もっとも、街に戻ったジャニス達の与り知らぬところではあったが。
だが、逃亡したオークという災厄の種は、まだ消えてはいない。




