戦略的撤退
カエルの視界はグニャリと歪んだまま。だが、目前にアッシュの振るう鉄塊が振り下ろされているのは理解出来た。だが、どうしようもない。
アッシュは確信を持って振り抜く。
しかし、カエルの口からベロが飛び出し、舌が壁へと張り付くと、そのままカエルの体を宙で引っ張り、大剣の軌道から僅かにズラす。
「しっかりせんか!まず距離を取れ!刀の扱いに慣れぬ今、近接戦は下策じゃ!屋根の上から上級魔法を放つだけで勝てる!」
意識を持ち直したカエルが、屋根の上へと降り立つ。たしかに眼下に見えるアッシュへ向け上級魔法を連発すれば、問題ないだろう。
「だけど、私は勝つ事が目的ではないんだ。誤解を解きたい!上級魔法を使えば、周りにも被害が出る!」
「甘過ぎる!相手が殺意を持って向かってくる以上、こちらもそれに応じるべきじゃ!死ぬぞ!」
2匹が言い合いをしていると、眼下のアッシュが、飛んだ。壁に向けて。
「おいおい嘘じゃろ」
隣り合った壁を蹴りながら、2メートル以上の巨漢が上へと登ってくるのだ。見た目もさることながら、嘘のような光景だった。
「撃ち落とせカエル!」
「【アイスエッジ】!」
氷の刃がアッシュへ向かう。アッシュは飛びながらも、鉄塊を器用に振るい、氷を斬り払った。そして2匹の居る場所まで辿り着いたのだ。
「さて、やろうか」
再びアッシュは正眼の構えをとる。
「此奴...筆頭の名は伊達ではないということじゃな。カエルよ、全力を出すべきじゃ。加減して勝てるほど甘い相手ではないぞ」
カエルは黙り込む。
考えていた。最善の方法を。
そして導き出す。
自慢の脚力を活かし、隣の民家へと飛び移る。そしてまた隣へ、ビュンビュンと風を切る音を立てながら、アッシュから遠ざかって行く。
「オイオイ!どこ行くんじゃヌシ!」
「逃げる」
「はぁっ!?」
「一度退く。情報を集めて回って、その上で対策を立てる。誤解を解く方法や、解決法があるかもしれない」
真面目な顔をして呟くカエルに、ベロも呆れるような仕草をみせる。
「甘ちゃんも度が過ぎると、命を落とすぞ。いずれワシの身体になるんじゃ。大事にせぇ..」
◆
遠く離れて行くカエルを見て、アッシュは大剣を背に納めた。
「速いな...。そして、強い」
(恐らくオレよりも。あのやり取りを聞くと、加減をされていたようだ)
カエルの亜人自身も強いが、経験不足が見てとれる。厄介なのは、あの舌だ。的確なアドバイスと、カエルの欠点を補う動き。
「...死ぬかもしれんな。まさか冒険者と殺りあう事になるとは」
空を見上げる。青く澄んだ空だった。
他者から見れば、気持ちの良い空なのかも知れない。だが、今のアッシュには、自分の心が透かされるような不快感を覚えた。
フゥッと大きく息を吐く。
「だが、止まれない。オレは止まってはいられない。やらなければ大事なものを奪われる。それだけは認められない」
ギリッと歯が軋む音がする。
気付くと、知らぬ間に力が入っていたのだろう。唇の間から血が垂れた。その血を拭い、目の下へと塗りたくる。
「...見つけ出す!」
アッシュは、捕食者の目でカエルの去った先を睨みつけた。
◆
アッシュとの戦いを脱したカエルが、真っ先に向かったのは、酒場だった。
敵地のど真ん中に向かうような行為だ!とベロは止めたが、まだアッシュが戻って来ていない、『今』だからこそ、ココで情報を集めるべきだと思った為だ。
カエルが酒場に入ると、再びパーティメンバーを探すチームの者達が集まって来る。
その者達を捕まえて、アッシュとはどんな人物なのか、と聞いてみた。
結果
・人格者である
・強い
・病弱な妻を支える理想の夫
・後輩にも優しい
・困っている者を助ける
・頼りになる
など、おおよそ聖人のようなエピソードが、ズラズラと並ぶだけで、全く付け入る隙がなかった。
アッシュが悪人だから、と私の味方に冒険者達を動かす事は、出来そうにない。
さて、どうしたものか。
「カエル。最近奴に変わった所は無かったか聴き取れ。いつ魂食いに乗っ取られたか分かるやもしれん」
ベロが口の中からアドバイスをくれる
「最近アッシュが、おかしいなと思った事は無い?言動、行動、なんでもいいんだ」
すると、詳しく聞きすぎたのか、流石に少し訝しんだ顔を皆がする。
「あんたアッシュさんと何かあったのか?」
「いや、何。良い人だったから、少しでも知りたいだけだよ。憧れさ」
苦しい説明ではあったが、なんとか答えてくれる。
「うーん。最近は穏やかになったかな?でも、それは奥さんの病気がようやく治ったからで、アッシュさん自身に何か変化があったわけじゃないわよ」
女性の冒険者がそう言う。
女性らしく、根掘り葉掘り聞いていただろう事が分かる。
「もう10年くらい奥さんの事診てたんだって。貴重な薬代稼ぐために、キツイ依頼こなして。奥さん診る為に、どうしても都合が合わないから、チームにも入らず、独りで」
「ほー。苦労人なんだね」
「スッゴイんだよ。毎日毎日寝てる暇もないんじゃ無いか、ってくらい鍛えて。だから、奥さんが治ったって聞いた時、ようやく報われたんだなぁって。アタシ泣いたもん」
なるほど、苦労人で奥さん想いで、実力が有り、人望がある。最近の変化は穏やかになった事くらい。
それも妻の快癒の影響らしい。
これだけの情報では、まだ分からない。次に移るべきだろう。
「ありがとう皆!参考になったよ」
さて、次はアッシュの家の近所を...
次の瞬間ガッシリと肩を掴まれた。
「待て。聞くだけ聞いて『じゃあ』は無いよな...」
という男の言葉から始まり
「俺のチームに入れ!」
「いいや!重要な情報を与えたのは俺だけだ!入るならウチだ」
「一番長く喋ったのはアタシだもん!アタシトカゲもカエルも好き!」
(また戦争が勃発した!)
喧騒に包まれる酒場を騒動に紛れて、なんとか抜け出す。異様な気配を感じて、そちらを見ると、アッシュが遠くから此方へ歩いてくるのが見えた。
「なんちゅー嗅覚しとるんじゃアヤツ。街の中からピンポイントで、ココを選んで来おったのか」
ベロが驚愕する。これが筆頭冒険者か。
再びカエルは走り出す。
先ほどの女性冒険者から、おおよその家の位置は聞いた。
先へ先へ進まねば、このままでは追いつかれる気しかしない。
街の外れ。あばら家と呼べるような古い家が並ぶ一画に、アッシュの家はあった。筆頭冒険者の稼ぎは決して少なく無い。
貴族よりも良い暮らしをしている事さえある。にも関わらず、このあばら家だ。
妻の薬代というのは余程かかるらしい。
(さて、どうしたものか。民間人の家に、いきなり亜人が来て、あの家の者の情報を教えてくれ。なんて言っても教えてくれないだろう)
考え込んでいると、何処からか『カッ、カッ』と妙な音が聞こえてくる。
そちらを見ると、杖をついた女性が歩いてくる。まだ若い。足の運びも悪くない。
(目が見えないのか)
そう察するのに時間は掛からなかった。
絶好の相手かもしれない。
「お姉さん、すいません」
ビクッと杖の女性は体を強張らせ反応する。
「だ、だれっ!?ワタシお金なんて持ってない!帰ったら主人も居るんだからね!」
キョロキョロと眼球を彷徨わせ、身構えている。
「突然ごめんなさい。この近所の方ですか?アッシュさんについて、ちょっとお話を聞きたいだけなんです。ご存知ですか?見返りは約束します」
「み、見返り...?何なの」
どうやら話は聞いてくれるようだ。
「手を出して...コレ、宝石です。凄く価値のある物ですけど、お話を聞かせてくれたら、差し上げます」
女性に宝石を手渡す。
この宝石は、蠱毒の城の宝物庫から持ち出したものの一つだ。長い年月をかけて、魔力を貯め込んだ宝石らしい。城一つ買える、とベロは言っていた。
女性は、おずおずとした様子で宝石を一生懸命触っていた。
「...本物なんでしょうね?嘘だったら承知しないわよ!!」
「承知しないって?」
何気なく聞いた事だったが、ちょっと悪手だったらしい。
「ヒィッ!?ご、ごめんなさい!ちょっと言ってみただけなの!許して!」
「あぁ、ごめんごめん。どうするのかな?って思っただけなんだ。取り敢えず話を聞かせてくれるかな?」
「わ、分かったわ。うちの家でも良い?狭くて汚いけど、そこで良いなら」
「ああ。構わないよ。僕はカエル。君の名前は?」
少し女性は首を傾げた。
「カエルさん?変わった名前ね。私はリシュカ。家はすぐ近くにあるわ。着いてきて」
彼女は杖を突きながら進んでいく。
私もその後に続いた。




