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ピーチティーの油膜

冬の終わり、日差しには春の予感が混じっているのに、空気は刺すように冷たかった。


細い指をカーディガンの袖に潜ませる。

それでも、網目を潜り抜けた風は指先を容赦なく襲った。


スマホを取りだして、

画面のSNSを滑らせていく。

コスメ、ネイル、ヘアスタイル、コーディネート。

一個一個積み上げ、手にした垢抜けは私の鎧だった。

 

ハイトーンの髪色、指先の長い爪も、

この冬の風の前では鎧として機能しなかった。


残酷にも、この冷気は割れた指先に鋭い痛みを与える。


「痛っ――」


声が漏れた瞬間、隣を歩いていた優陽(ゆうひ)が、

屈託のない笑顔で緑色のチューブを差し出してきた。


どこにでも売っているような、ありふれたハンドクリーム。


「これ使いなよ、亜梨紗(ありさ)


受け取ったそれは、

すでに使い切っていて、ぺったんこに痩せ細っていた。


「……ん、ありがと」

震える手で蓋を開け、手の甲にクリームを落とす。

だけど、長い爪が邪魔をして、割れた傷口にうまく馴染んでくれない。

爪の間に入り込んで、一向に浸透しない白の塊は、

割れた傷口の縁を静かに嘲笑していた。


――何やってんだろ、私。


完全武装した私を演じているつもりで、

ありふれた日常のクリームすら満足に塗れない。


優陽の視線が痛かった。指先の割れよりも。


喉の奥が焼けたような感覚を誤魔化すように、

カーディガンのポケットに指先を滑らせる。


優陽は、下を向いて固まっている私に

無自覚なほど優しい笑顔を浮かべ、そっと声をかけてきた。


「ベタついてない? 大丈夫そ?

手ェ貸して、ちゃんと馴染ませないと意味ないじゃん」


――断る間もなかった。


優陽は迷いもなく、

私のカーディガンのポケットへと手を入れてくる。


「せま……てか普通やる?それ」


精一杯の照れ隠しの威嚇という鎧を纏っても、

ポケットの中は逃げ場のない密室だった。

 

「いーのいーの」

優陽の笑顔は、曇り空を染める夕陽の赤い色をしていた。


クリームを馴染ませる。


――もっともらしい理由を盾にして、

彼女の体温が、私の皮膚の奥まで静かに侵入してくる。


揺れる笑顔と柔らかな光は、拍動の裏側で、緑色の残光として瞳の奥に居座った。

 

 

優陽の指先が私の割れた指を一本ずつなぞるたび、油膜が静かに塗り重なっていく。


その指先の動きひとつひとつが、

私の心臓を弾ませて、

いつものリズムを忘れさせる。

 

拍動の違和感が私の奥を不気味に撫でる。


この子に、縋りついてしまっている。

この現実が私の指を震わせていた。


優陽の指が私の指に馴染むたび、

私が必死に守ってきた弱さが、

甘いピーチティーの香りと共に溶けていく。


「はーい、おわりー」

優陽は私のカーディガンから抜け出すと、

ぺったんこのチューブを手から攫っていく。


まるで、私の鎧ごと持ち去るかのように。


肌を撫でる冬の風は、

私の体温を拭い去ってゆく。


割れた指先の隙間には、

油膜が、静かに張り付いていた。


ピーチティーの香りを残して――

アトリッ〇ス ビューティ〇ャージです(⩌⩊⩌)

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