95.行ってきます
トールの回復魔法もあって1日で全快したアミミは、体の違和感を確かめるため部屋をぴょんぴょん飛び跳ねていた。
数回手を握って開いてを繰り返し、居合いで刀の振りに違和感がないことを認識する。
「うむ。全快でござる!」
「良かったですねぇ」
「のわっ!? びっくりしたでござるな!」
背後に突然現れたエリカに思わず飛び退き、胸を押さえて呼吸を整える。
エリカの所為で怪我を負ったものの、もう既に許すと決めているので特に嫌悪の感情は浮かんでこない。
意外と落ち着いて相対せるものだとアミミ自身、感心する程だった。
「朝食がご用意できたのでお呼びしにきましたぁ」
「ご飯でござるか?」
アミミが目を開いてキラキラと瞳を輝かせる。
その様子にかわいさを感じ、エリカは小さく笑みをこぼした。
「はいぃ。あちらの扉を潜れば食堂になりますぅ」
アミミは食事の話を聞いて年相応の微笑ましい笑顔を浮かべながら、軽やかな足取りで扉へと向かう。
そんなアミミの背中を見ながら、感情など存在しないエリカはどこか虚しさを感じていた。
本当にこれで良かったのだろうか、と。
今回のことで、トールはエリカに対していい感情を抱いていないだろう。
どう考えてもエリカの一方的な激情で起こしたことであり、あまつさえトールの仲間を傷つけたのだ。
全快したとは言えとても許容できるものではないだろう。
なら対話をすれば良かったのかと言えば、しかしエリカが心を尽くして説得したとしても、本当の意味で彼女の願いを叶えることはできないと断言できる。
誰が好き好んでこんな閉鎖的な場所に留まるというのだろうか。
仮にトール達が来なければ、アルティスはずっとここにい続けたかも知れない。
ただそれは脱出する手段がないからで、この場所に居たい訳ではないだろう。
エリカは、主人の喜ぶ顔を見られればそれで良かったというのに。
(これではまるで、昔ご主人様に聞かせていただいた浦島太郎ですね)
この場所は竜宮城。
話の流れは違うが、主人公達をその場に引き留めて帰れなくしてしまう。まるで逃げ場のない牢獄のように。
(差し詰私は、竜宮城の主人である美しい乙姫様でしょうか)
さり気なく自分を美化、実際エリカの容貌は非常に整っていて美しいが、それをするあたり彼女の性格が滲み出ているといえる。
あの時。皆を転移させ、分断させた時。
自分には感情などないはずなのに、アルティスの悲しむ顔が脳裏を過ぎった。
もしも有無を言わさず一方的に行動していれば、事実そう言う未来が待っていただろう。
だからこそ余地を残して選択肢を与えた。
僅かでも自分達で選んだという意識があればまだその先の笑顔があるかもしれないと。
冷酷になり切れれば、きっとトールを持ってしてもそう簡単にこの場から逃げることは出来なかったはずなのに。
そんな感情をどこか不思議に思いつつも、かつての自分の主人の姿を浮かべ、きっとこれが正しかったのだと悟る。
「エリカー。早くしてよ。私お腹減ったんだけど」
「おお、アルティス殿。おはようでござる」
「アミミもおはよう」
「うむ。さぁエリカ殿。早く行くでござるよー」
「ふふふ。今行きますよぉ」
ガチャリと扉を開けて自分を呼ぶ現在の主人と幼き侍少女の姿に目を細める。
きっとこの選択は間違っていなかったんだと、改めてエリカは思った。
そうでなければきっと、この笑顔は見られなかったのだから。エリカのココロは、どこか晴れやかだった。
「さて、それでは日が高いうちに出発するとしようか」
朝食を食べ終えてからヘクスが皆を見回して宣言した。
今この場にいるのはトールやアミミを含め、戦いに参加していなかった面々も勢揃いだ。
既に昨夜のうちに船にいた乗組員達には今日出発することを伝えている。
出航がいつでも出来るよう、準備は整っていた。
トールは一度エリカを見る。
ニコリと柔和な笑みを浮かべているが、どこか寂しそうな表情にみえた。
「それではぁ、入り口までご案内しますねぇ」
そう言ってエリカが手を鳴らすと一瞬で景色が切り替わり、いつの間にか地上に移動していた。
側には施設に入る際エリカがどかした大きな黒い立方体が存在している。
『私も楽しかったぞ』
そう言ったのは、エリカの隣でふよふよ浮かんでいる手のひらサイズの獅子だ。
全身機械で翼があるが、羽ばたいてはいないので魔法を使って浮いているのだろう。
「……お主は誰でござるか?」
全員が思っていたことをアミミが口にする。
獅子はガーンという効果音が出そうなほど仰け反りショックを受けているようだった。
すぐに気を取り直したのか軽く咳払いをする。
『まさか私のことを忘れているとは……。私は四天王最強のグラコスだ』
「え? 体小さくない?」
『体は機械だからな。なんとでもなる』
皆「えー……」というツッコミしか出てこないが、それを口にするものはいなかった。
それは良いとしても、一番気になるのはもっと別のところである。
「何でそんなに言葉が流暢なのよ」
『ふはは。カタコトの方が雰囲気が出るであろう。普段はあんな喋り方はしていない』
「「えー……」」
今度こそみんなの心の声が漏れ出た。
出来れば貫き通してもらいたかったというように、皆がっかりした反応を見せる。
と言うより機械だからカタコトと言われても、隣にいるアンドロイドが流暢に喋ってるのだから、既に設定から台無しなのだが。
本人はそんな事にも気づかず、皆の反応が芳しくなかったことに落ち込んだ様子で項垂れた。
「皆様ぁ。今回はお騒がせして申し訳ありませんでしたぁ。短い間でしたがぁ、久方ぶりにこうして誰かとお話しすることができて満足出来ましたぁ」
「……まあ色々あったがもう気にしてねーよ。アミミも何も言わないしな」
「拙者は楽しかったでござる!」
「お前なぁ」
あっけらかんというアミミ。自分が一番傷付けられたというのにこの態度である。
アミミがこんなだから、トールもそれ以上何も言えるわけがない。
トールは苦笑いを浮かべながらアミミの頭をぽんぽんと撫でた。
今回のことは、アルティスたちをこの場に止めるために起こした行動だったが、流石にトール達もそれを許容出来るわけがない。
トールもエリカの心情はわかっており、施設の管理者として、魔王の従者として、ここを孤独に護り続けることに同情はするが、だからと言ってそれに他人を巻き込むのはまた別の話だ。
エリカ自身もそれが分かっていたからこそ、無意識なのか手心を加えてくれていたのは間違いない。
そうでなければトールたちは外に出ることができず、今もまだあの迷宮に囚われていたはずだ。
それだけエリカが何枚も上手だったとトール自身痛感させられた。
その点に関しては、素直に賞賛すると共に、自分の不甲斐なさを噛み締める結果となった。
「アミミさん、ありがとうございますぅ。トールさんもぉ。そう言っていただけるとぉ、私の罪悪感もマシになるというものですぅ」
「お前、ほんと太々しいよな」
「そう作られましたのでぇ」
呆れやら何やら、怒る気も失せたのか苦笑いしながら肩を竦める。
そのやり取りに、周囲も和やかな雰囲気で見守っていた。
そんな中、沈んだ表情のアルティスがおずおずと一歩踏み出す。
「あ、あの、エリカ!」
「はいぃ、なんでしょうかぁ?」
エリカは、今までで一番穏やかな表情を浮かべながら、アルティスに微笑みかける。
それはまるで愛しき子に向けるような、そんな慈愛に満ちた表情だった。
アルティスはその顔を見て一瞬口を噤んだが、拳に力を入れ覚悟を決めたように口を開いた。
「エリカも、私たちと一緒に行きましょう!」
(ああ、やっぱり……)
きっとそう言うのだろうと思っていた。
アルティスは、自分をこの檻から救い出そうとするだろうと。
けれど、竜宮城の乙姫は、浦島太郎と共に外の世界へ行くことはないのだ。
欲しいはずの言葉なのに、無いはずのココロが締め付けられ、胸の奥で温かさとチクリとした痛みがない混ぜになる。
差し出された手を取ることができればどれほど楽だろうか。
この永劫とも思える空虚な日々を終わりへ誘う言葉が、ひどく眩しくて、けれど余りにも高く見上げることしかできない。
自分には遥か遠く、手を伸ばしても届く場所には無いのだ。
そんな寂寥を孕んだ表情で、優しくアルティスを見つめる。
「……魔王様ぁ、ありがとうございますぅ。ですがぁ、私はここを離れることができないのですよぉ。だからぁ、一緒に行くことはできません」
そうキッパリと言い放つ。決別の言葉。
アルティスは何も言わずに、目に涙を浮かべながら俯いた。
思わずエリカも手を伸ばしそうになるが、わずかに動かしただけでその手を引っ込める。
ゲロとカスがアルティスを宥めるように肩に手を置いた。
短い間だとしても、トール達に比べればアルティスはエリカとの関わりが深い。
その中でエリカの孤独に触れる部分もあった。
だからこそ勇気を出して手を伸ばしたが、しかしその手が交わることはない。
アルティスにはアルティスの、エリカにはエリカの行く道があるのだ。
エリカは、終わりの近づくこの場を惜しみつつ、最後の言葉を告げようと口を開く。
とその時、グラコスがエリカの背後から襲い掛かった。
小さいながらも勢いをつけたグラコスの不意打ちに、エリカは前につんのめる。
エリカが何事かと振り向くと、グラコスがふよふよとその場に浮かび、口にペンダントを咥えていた。
それを見たエリカの表情が剣呑さを滲ませる。
「返しなさいぃ、グラコスぅ」
手を差し出すがグラコスは返すそぶりを見せない。
それどころかそのまま口を大きく開けて、ペンダントを胃袋の中へと落としてしまった。
その様子にエリカが怒気を孕んで詰め寄ると周囲の空気が張り詰める。
「グラコスっ! 何のつもりですか?」
『素が出ているぞエリカ。そんなに怒るものでもないだろう』
「っ……。何を言うのですか。それは魔王様から託されたこの施設の鍵です。怒って当然でしょう!」
突然のグラコスの行動に、トール達部外者は状況が飲み込めないでいた。
言葉からわかるのは、主人である魔王から託されたこの施設の鍵をグラコスが飲み込んだと言うことだけだ。
『エリカよ。私は常々思っていた。この施設に意味があるのかと』
「魔王様のご意志を否定するのですか?」
『勿論魔王様の意思を否定するつもりはない。魔王様が何を憂いてここを作ったのか、どう言う気持ちだったのかは理解しているつもりだ。感情などなくとも、人の心の機微を感じ取れる程度には私は理性的だからな』
「……あなたはそう言うふうに作られましたからね」
『……そうだな。だからこそ合理的に考えて、このままここを存続させる必要があるのかと問うている』
「必要あるに決まっているでしょう。何を世迷言を」
『ならお前は永劫この地を守る。それで良いのか?』
「…………」
エリカはその問いに答えることができなかった。
施設の意味は分かる。ここは世界の滅びに備えたノアの方舟。
絶滅を迎える動物達のため、そうならない様に保護するための施設だ。
当時世界を覆わんとしていた瘴気という未知なる危険に対し、生物の絶滅を避けるために備えたもの。
勿論エリカもグラコスも、この施設の重要性は理解しているが、ではいつまで必要なのかと言えばその答えは持たない。
既に瘴気という危険が治まった今の世界で果たしてこの施設が必要なのか。
自分達の存在意義は果たしてあるのか。
グラコスはエリカに、そう問いかけていた。
『言葉にすれば簡単だが、そうしたところで説得力も何もない。ここはあくまで世界の滅びに向けた対抗策のひとつ。だが外界から隔離されたこの地を、いつ訪れるともしれない滅びに備え、延々護り続けることに果たして意味はあるのか。お前もそう思っているのではないか?』
「それは……」
『既に1000年以上が経過し、もはや遺跡とよんでも差し支えないほどに時を刻んだ。その過程で我々が生態系を乱さぬよう管理し、維持し、今では独自の生態系が育まれている。だが魔王様がもしもとして備えた状況は、未だ訪れることはない。これからも訪れることはないかもしれない。だがそれこそが、この地が不要である証左ではないのか?』
「ですが、この先どうなるか分からないではないですか! 魔王様が予見した旧魔王の復活や、人類の壊滅がこの先ないとも限りません!」
『確かにないとは言い切れん。だがそれはいつだ? さらに何千年も先の話か? トールやヘクスよ。瘴気も治り直接的な滅びの危機が去った今の世は、お前達の目にどう映る。人の隆盛や衰退、これから世界が果たしてどこに向かっていくのか、お前達の、外の意見を聞かせてはくれないか』
最も世情に通じているだろう予想から2人を指名するグラコス。
2人はいきなり話を振られやや戸惑いを隠せないようだったが、そのうちヘクスが口を開いた。
「ボクの私見だが、今は表向きどこの国も平和だね。世界滅亡なんてシナリオは、とてもじゃないが予想もできないよ。まあ水面下で暗躍している国もないではないが、どちらかと言えば魔獣や魔物への警戒の方が強いと思う。ただ、最近何かを画策していた魔人が討伐されたという話もあったから、人類を脅かすような大きな力が裏で動いてるのは確かだろう」
「俺からもひとつ。先日ある国で魔王の復活を企んだ奴がいた。おたくらの指してる魔王と同一かは分からんが、右腕は復活してたな。まあすぐ倒したけど」
ヘクスに続けてトールも発言する。
その内容が衝撃的だったのか、事情を知らない者達は色めき立った。
エリカとグラコスもその事実に顔を顰める。
「グラコス。聞いた通り、旧魔王の復活は現実に起きています。それでもここが不要だと言うのですか?」
『それが真実なら、この先ここが必要になる時は来るのかも知れんな。だが果たしてそれが本当かどうか、我々に断ずることはできない』
「自分で聞いておいて何ですかその言い様。ならあなたはどうしろというのですか?」
『この目で世界を見る』
「は?」
グラコスの言葉に一瞬、エリカは何を言ってるんだこいつと言った戸惑いの表情を浮かべる。
しかし直ぐに怒りが沸き起こったのか、眦を釣り上げ声に険を込めて叱責する。
「あなたのそう言う所が昔から気に食わなかったんです。いい加減で職務怠慢。我儘で自堕落。末っ子気質。その癖魔王様に取り入って可愛がってもらう。長女の私がしっかりしなきゃといつも気を張ってるのにあなたは好き放題。本当は私も魔王様に可愛がってもらいたかったのに!」
おいおい、と皆がツッコミたくなる理由を論ってエリカが叫ぶ。
けれどそれただの僻みじゃないの?とは誰も言えない。
『それはただの僻みだろう』
((言っちゃった!))
2人を除くこの場にいる全員が頭を抱えたくなる状況。
エリカはその言葉が的を射ていたのか、ぷるぷると拳を握り締め震えている。
気のせいか、機械なのにちょっと涙目だ。
『まあそれが私だからな。そう言うふうに作られた。だから今回も勝手させて貰う。私はここを離れ外へといく』
「あなたは……。あなたも私を置いてここを出ていくと言うの? ズルいじゃないですか!」
『ならお前が行け』
「え?」
グラコスの言葉にエリカがぽかんとなる。
何を言われたのか、頭の回転が追いつかない。
自分が、何だと?
エリカ自身が出ていく?
今まで考えたこともなかった選択肢が提示され、エリカの頭は混乱していた。
そんなこと考えたこともなかった。
ただただこの地を、この施設を、魔王の愛したこの場所を、護ることだけがエリカにとっての使命。
魔王からここを託された日から、それが自分の存在意義だと思い込んでいた。
だからそれ以外の選択肢があるなど想像もできなかった。
『新たな主人なんだろ? 魔王様と共にお前がこの地を離れ、お前の目で世界を見ろ。そしてこの場所が本当に必要なのか、護り続ける意味があるのか、いつか帰ってきた時に私に教えろ』
「それは……。グラコス、あなたは?」
『ふん。私は職務怠慢で自堕落だからな。もう暫くこの地で引きこもらせて貰うさ』
「あなた……」
グラコスは初めからそれを言わせたかったのだと、エリカは漸く気づいた。
自分が口にしたズルいと言う、生まれて初めてのワガママ。
魔王からの頼みに縛られ続けたエリカの本当の気持ち。
グラコスは全て見抜いた上で、エリカに自分の口で語らせたのだと。
『私の気が変わらぬうちにさっさと行け。という訳で魔王様よ。エリカも連れて行ってくれるか?』
「勿論!」
アルティスが力強く頷く。
聞くまでもなく答えなど分かっていた。初めに提案したのはアルティスなのだから。
けれどその答えを聞いて、グラコスは安堵したように獣の体から力を抜く。
「グラコス……。ありがとうございます」
『さぁ。何のことだか』
あくまでグラコスは惚けた風だ。
これ以上聞いてもきっと知らぬ存ぜぬを貫き通すだろう。
この世に生み出されてから長い時を共に過ごした兄弟だ。
機械といえど、何も思わないわけがない。
それがココロかどうかは分からないが、エリカは胸の奥に暖かいものを感じた気がした。
一度目を瞑り、ゆっくりとグラコスを見る。
そして愛しげに、家族の名前を告げた。
「グラコスぅ。行ってきますぅ」
『……行ってこい』
そうしてエリカは、アルティス達と共にこの地を離れる。
去りゆくその背中に、小さな声で呟きを落とす。
『全く。世話の焼ける姉だな』
その呟きは誰に聞こえることもなく、風に溶けて消えた。




