96.一件落着
空は晴天、さーっと潮風が通り抜ける。
帆は風を受け限界まで伸びきり、その勢いを推進力に変えて前進していた。
甲板ではマッチョな乗組員たちが忙しなく駆け回り、リエッタは全力で舵を切っている。
俺はデッキに広げたテーブルと椅子に座りながら、収納から取り出した紅茶で一服していた。
まだ女装したままなので長い髪が風に靡く。
「ふー。うまい……」
「何でトールはそんなに落ち着いてるのよ!」
俺の隣で地面に這いつくばりながらアルティスが文句を言った。
俺は首を傾げながらお茶請けに手を伸ばす。と、船が大きく揺れてお茶請けが何処かへ飛んでいった。
無駄になる前に収納へ放り込む。
「ヴォァァァァァァァ」
「ひぃぃぃぃ!!」
船の揺れに耐えきれず飛ばされたアルティスを、側にいたエリカがキャッチしようと手を広げる。
何処となく表情が興奮しているが気のせいだろうか。
「魔王様ぁ。私におつかまり下さいぃ」
「エリカぁぁっぁぁぁっぁぁ」
アルティスは涙目でエリカに捕まろうとして手を伸ばすが、距離が足りずそのまま背後へとすり抜けていった。
「ほわっぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!!」
船から投げ出されそうになったアルティスだが、エリカが両手を叩くといつのまにかすっぽりと彼女の腕の中に収まっていた。
アルティスが泣きながらがっしりとエリカにしがみつく。
エリカの表情がだらしなく崩れていたが、とりあえず見て見ぬ振りをしておく。
そんな2人の横で、ゲロとカスが甲板に打ち付けた波に飲まれ流されていた。
幸い船の欄干にぶつかって止まり、海に投げ出されることはなかったようだ。
この揺れの原因は、天候と言う訳ではない。
何故ならこの揺れを引き起こしている張本人が、今まさに目の前で暴れているからだ。
白く巨大な円筒形の体から伸びるのは10本の触手。その触手をうねらせながら、船体を器用に絡めて捕まえている。
レヴィアタンには及ばないものの、その大きさは俺たちが乗る大型船と遜色のないサイズだ。
「初めて見るが、これがクラーケンか」
「だから何であんたはそんなに落ち着いてるのよ!」
「何事も初めて見るものには心が躍るものだろう! 俺だって普通の男の子だからな」
「どこの世界に命の危機に瀕して心躍る普通の男の子がいるのよ! 早く何とかして―」
「やれやれ」
アルティスの物言いに肩を竦めて溜息を吐く。
俺はゆっくりと椅子から立ち上がるとびしっとクラーケンを指さした。
「やっておしまい、アミミさん」
「何でござるかそれは?」
疑問の言葉を上げながらもアミミは抜刀。
彼我の距離を無視する一閃でクラーケンの眉間に傷をつける。
しかし大したダメージはなかったのか、クラーケンの勢いは一向に衰えない。
触手に締め上げられた船体がギシギシと悲鳴を上げた。
「仕方がないな。ここはボクがやろう」
マストに捕まりペタリと座り込んだ情けない姿だが、ピンクの髪を潮風に靡かせながら、ヘクスが手にした本に光を灯す。
メガネの奥の双眸がきらりと光った。
するとクラーケンの頭上に小さな雷雲が生み出される。その数10以上。
合図と同時に幾条もの雷槍がクラーケン目掛けて降り注いだ。
「ヴォォォォ」
「あばばばばばばばば」
クラーケンが悲鳴を上げて船体を掴む触手の力が弱まる。
だがまだ離れるまでには至らない。
「あぁ、カスが感電したでやんす!」
タイミング悪くクラーケンに捕まっていたカスもヘクスの攻撃の余波を受けて感電していた。
しかし触手の拘束からは解放されたようなので結果オーライだ。
「ならわたしがやろうかしらん」
そう言って飛び出したのはベルベッタ。
甲板を蹴って跳躍すると、巨大なクラーケン目掛け大戦斧を振り上げ飛び掛かった。
横から飛んできた触手の一本がベルベッタをぺちんと叩き、そのまま弾き飛ばされて行く。
「あーれーーーーーー」
ぼしゃんと海に沈む音が聞こえた。
「この船にはお笑い要員しかおらんのか……」
「カァ」
マストに捕まりながら呆れたように息を吐く爺さんとワシ。
その一言に対して何か言えるものはこの場にいなかった。
「そもそもトール殿が結界を張っているのにどうしてクラーケンに襲われているでござるか?」
「それはアミミの修行のために素通りさせたからだな」
「犯人ここにいたでござる!」
「失礼な。俺は何もしていないぞ」
「何もしていないから怒られているのでござるよ!」
そんな緊張感のないやりとりを見てか、クラーケンもやや呆れた様に触手を竦める。
するとまた船体を大きな揺れが襲った。
皆が悲鳴をあげて慌てて手の届く場所に捕まる。
「ギュオォォォォォ!!」
現れたのは巨大な海獣。
蛇の様にうねる体は視線を伸ばした遥か先にまで続いている。
体表に小さな切り傷がついている事から、俺たちが島に来る時出会ったレヴィアタンだろう。
まあこのサイズの海獣がそういてもらっては困る。それだけで人類存亡が危ぶまれそうだ。
レヴィアタンは頭部を海に沈ませ速度をつけたままクラーケンの胴体へと噛み付いた。
クラーケンも触手を使って抗っているが、レヴィアタンの力はそれ以上だ。
攻撃の衝撃で俺たちの乗る船も左右に大きく揺れた。
レヴィアタンが噛み付いたまま力任せに頭を振り回すと、クラーケンの体の半分以上がもぎ取られる。傷口から黒い液体が溢れて飛散した。
雨のように降り注ぐ黒い液体。舐めてみると旨味が詰まっている。
「いいイカスミだ」
「トール殿は余裕でござるよな」
取り敢えず採れる分だけでも瓶詰めしておこう。
クラーケンの触手に固定されていた事で沈没を免れた船体は、やがて力を無くした触手から解放されまだ波の残る海に取り残された。
海底へと沈むクラーケンの巨体は、どこからかやってきた小型の海獣に食い荒らされ、あっという間に原形を失わせる。
俺たちはクラーケンの最後を見届けレヴィアタンに向き直る。
レヴィアタンは身体をうねらせながら、口の中に残る肉片を噛み砕いてこちらに視線を向けていた。
するとどこからか悲鳴が聞こえてくる。
悲鳴の主を見つけるため皆が天を仰いだ。
「あーーーーーーーーー。誰か助けてぇん!」
艶っぽい声をあげて空から降ってきたのはベルベッタ。
恐らくレヴィアタンが攻撃する際、奇跡的に空へと弾き飛ばされたのだろう。
先程のクラーケンの最後を思い出し、よく海獣に喰われなかったなと安堵する。
ヘクスが風の魔法を発動すると、ベルベッタの落下速度が徐々に緩やかになり、そのまま船の上に落着した。
命の危機を感じていただろうベルベッタは、自分が無事な事にほっとしている様子だ。
その光景をじっと眺めていたレヴィアタンだったが、そのまま何もする事なく海底へと姿を消した。去り際に一度、こちらに視線を向けた様な気がした。
それからの航海は穏やかそのもの。
クラーケンの様な大物ならまだしも、その他の海獣は結界を張っていれば手出しをしてくることもない。
数日かけて俺たちは、無事オリオールの港へと帰りついたのだった。
「ふむ。魔王の遺跡とはこれまた……。資源となるものが見つからなかったのは残念だが、色々と得るものはあった様だ。やはり君たちに依頼して良かったよ」
そう労ったのはオリオール市長。
俺たちからの報告を受けて、その結果に満足したらしい。
もちろん報告と言っても魔王の件についてはある程度ぼやかしている。
俺たちの知った事実を伝えてしまえば、少なからず世界に混乱が齎されるだろうからだ。
それはベルベッタやリエッタも認識しており、2人もこのことを一才口外しないと約束してくれた。
「しかし思ったよりがっかりしてないんだな」
「まあそうだね。期待していなかったといえば嘘になるけれど、そもそも君たちがいなければ、今回の遠征もやろうと思わなかったし成功しなかった。元々諦めていた存在だったんだ。我々にとっては、無為な希望を抱く必要が無くなったと分かっただけで価値があるのさ」
「そういうもんか」
俺は肩をすくめてみる。
まあ実際市長の気持ちもわからないではない。
憧れを追い求めるより現実を知ることが、前に進める時もあるのだ。
良い結果が得られなかったが、未来を見れば利益を追う無駄な労力を削る事に成功したと言える。
やらないと決めたとは言え、今回の調査結果がなければいつかまた誰かが遠征をと言い出しかねない。
その時にSランク冒険者が調査をして何もなかったと言えれば大きな説得材料になるだろう。
「まあ超絶弩級の冒険者がちゃんと確認したとでも吹聴しといてくれ」
「話が早くて助かるよ」
ニヤリと市長は人の悪い笑みを浮かべた。
きっと初めからそのつもりだったのだろう。
むしろ俺が必要な時点で、何も見つからないことを願っていたのかもしれない。
そういう意味では結果オーライだったのだろう。
「さて、後は今回の報酬についてだが」
「ふふふ。報酬はいらないよ。そもそもこれはボクたちの利害関係が一致した事による遠征だ。そちらは足を用意し、その見返りとして労力を提供する。だから既に報酬は頂いてるよ」
「それではこちらとしても申し訳が立たないんだがね」
「なら今回遠征に参加した皆に分け与えてくれないか。ボクはすっかり満足したからね」
「トール君はどうだね?」
「うちのリーダーがそう言ってるんだ。それで構わない」
「ははは。そうか。正直Sランク冒険者への依頼などしたことがないから、依頼料に恐々としていたんだが。そう言ってくれると助かる。代わりに皆には十分な報酬を渡すと約束するよ」
市長のはっきりとした物言いが逆に信用できる。
きっとリエッタたちの問題も含めて何とかしてくれるだろう。
「これにて一件落着、でござるな」
「カァ」
「いや、お前ら何様だよ」
市長の部屋に笑い声が響く。
こうしてオリオールでの目的を果たし、無事俺たちはヘクスのお使いと市長の依頼を達成したのであった。
オリオールにはそれから2日ほど滞在し、お世話になった人や店を3人で行脚した。
爺さんの店ではまた刺身を振舞ってもらい、アミミとワシが楽しそうに食べていた。
ヘクスも気に入ったのか生魚への抵抗がなくなった様だ。
その様子に釣られてか、初めは敬遠していた周囲の客たちも同じものを注文する様になり、その日は刺身を食べる客で溢れかえっていた。
爺さんは普段出ない料理が多く出たことで渋い顔をしていたが。
やがてオリオール全体で刺身がブームになったそうだが、それはまた別の話である。
そしてヘイスール商会だ。
オリオールにきて色々と便宜を図ってくれた礼も兼ねて挨拶する。
その際しっかりとここでしか入手できない品物を買い込ませてもらった。
水の都、海上都市、様々な呼び名があるオリオールだが、この近海でしか入手できないものも多い。
代表的なのがオリオールの塩で、ミネラルや旨味たっぷりで他国では高級調味料として知られている。
この都市で買えば大した金額ではないが、外に出ると途端に高価になってしまう。なぜならオリオールが輸出制限をしているからだ。
大量生産ができないそうで、どうしても外部へ持ち出す量が少なくなる。
けれど料理人には好まれるので、オリオールに中々これない人間からすると非常に魅力的なのだ。
という訳でまとめ買いさせてもらった。
生の魚も仕入れたので塩と合わせてカルパッチョなんかもいい。
そんな想像をして思わず舌なめずりをする。
「トール殿、何か美味しそうなことを考えているでござるな」
「お前は食に対しては目敏いよな」
「ふふふ。もちろんボクにも分けてくれるんだよね?」
「カァカァ」
「ちょっと君たち。まだ店の中なんだから後にしなさい」
「「はーい」」
2人と1羽が元気よく返事をする。
……ん? 1羽何だかあり得ない返事だった気がするが気のせいだろうか。
きっと気のせいだ。
そして最後にベルベッタへの挨拶。道中含め、オリオールでは一番世話になった人物だろう。
場所はもちろんリエッタの営む食堂。
俺たちが訪れるとリエッタはさっさと店の奥に引っ込んでしまう。
時折厨房から顔を覗かせるのは、最初の頃に比べ少しでも俺たちへの警戒心を緩めてくれたということだろうか。
俺たちは席につき料理を頬張りながら、目の前に座るベルベッタと会話する。
「明日には帰っちゃうのねぇん。寂しくなるわねぇ」
「短い付き合いだったが楽しかったでござるよ」
「あらぁ。私もよん、アミミちゃん!」
「…………」
バチンと音が鳴りそうなウインクをするベルベッタ。その妙な迫力にアミミは無表情になっていた。
「それにしても、3日後にはお祭りが開催されるってのに残念ねぇ。折角だしもうちょっとくらい滞在していったらどおかしらん?」
「まあそうしたいのは山々なんだが、ちと急用ができちまってな」
「急用?」
「ああ」
首を傾げるベルベッタに、俺は苦虫を噛み潰したような顔で懐から便箋を取り出す。
それはオリオールに帰ってきた翌日、俺宛に届けられた手紙だった。
私送鳥と呼ばれる、急ぎの連絡をする際に使われる鳥を使って届けられた手紙。
送り主は冒険者ギルド。
そこには俺への招喚命令が記されていた。
「ふふふ。つまりは『冒年会』の案内ということさ」
「あらぁ、もうそんな時期なのね。でもSランク冒険者を強制的に呼び出すなんてよっぽどじゃないかしら?」
「さあな。詳しい話は会ってからするらしい。分かってるのはいつまでに何処へ行けばいいかだけさ」
「へぇ。まあ冒険者ギルドだからどうせ碌でもない用事でしょうね。……エキシビジョンマッチとかじゃないの?」
「……ありそうで嫌だ」
冒年会。それは「冒険者ギルド主催、年に一度のドキドキワクワク大武道会」の略である。
普段中々見ることができない冒険者の戦いや、人気の冒険者に会えるということで、一般人に非常に人気の高いイベントである。
冒険者ギルドはこう言った興行を通して認知度の拡大や人気獲得、資金集めなどをおこなっているのだ。
Sランク冒険者になってからと言うもの露出を控えていたのだが、顔見せも兼ねて俺も毎年招待されていた。
ただ何かにつけてサボっていたためか、いつもの招待と違い今回は半強制の招喚命令だ。
ベルベッタの言葉が俄に現実味を帯びてきて、俺は顔を顰める。
そんな俺の反応を見てベルベッタが声を上げて笑った。
「まあそうだとしても、高位冒険者の責務ってやつよね」
「全く。さぼれたら楽なんだが」
「そんなことしたらレイラに殺されることをボクが保証するよ」
「保証されなくても分かってる。そう言えば市長からは何か言われたか?」
このままだと気分が沈み続けそうだったので無理矢理話題を切り替えた。
それに信用したとは言え、市長がベルベッタたちへの対応をちゃんと行ったのか気になったのは本心である。
するとベルベッタは満面の笑みを浮かべて答えた。
「それがねぇ。今度のお祭りで遠征の結果が発表されるそうなのよ。その際私たちを功労者として公表するそうなの。これでブロンスミスの汚名も少しは濯げると思うわ」
「なんと。それは良かったね。あの市長も中々やるじゃないか」
「あなたたちがお願いしてくれたんですってね。ほんとありがとう」
「お願いした訳じゃないけどな」
「そうさ。これは君たちの選択がもたらした結果だ。自らの行いを誇るといいよ」
「ふふ。いいこと言ってくれちゃって。でも感謝は勝手にさせてもらうわよ。あなたたちがいくら拒否しても、ね」
再びバチンと豪快なウインクが飛び出した。
俺たちは笑顔を貼り付けたままその場で固まった。
トールたちがオリオールにいたその頃。
鬱蒼と茂る森の中に佇む一軒家。ここにも一羽の私送鳥が訪れていた。
私送鳥は小さなサイズの肩掛け鞄を持ち、その中に目的の便箋を入れている。
冒険者ギルドが重要な連絡を行う際にのみ使われる、黒塗りの便箋。この便箋が利用されるのは貴族か高位の冒険者に対してのみ。
表面には金の装飾が施されており、貴賓に対しての連絡だと一目でわかるほど豪華な誂えだ。
私送鳥が便箋を嘴に咥え目の前の少女へと差し出す。
少女は白磁の様に滑らかな白い指を滑らせ便箋を受け取った。
代わりにと空いた口に千切ったパンを差し出しすと、私送鳥が嬉しそうにパクつく。
ひとしきりそのやり取りを楽しんだ後、満足した私送鳥がその場から飛び立った。
少女は小さく微笑みその姿を見送ると、そばにあった椅子に腰掛け便箋を開いた。
中身を確認して息を吐く。
「ほぅ。また冒年会の時期か。まったく一年というのはあっという間に過ぎてしまうものだのぅ。しかし面白い。今年はあやつが出るとはな。ふふ、ははは」
んーと声を上げながら両手を上げて背筋を伸ばす。
控えめな胸が逸らされわずかな膨らみが誇張される。さらりとプラチナを思わせる白い髪が胸の上で踊った。
折れそうに細い腰がわずかに浮き上がり、スリットから伸びる白い太腿が艶かしい。
少女は窓の外に見える緑に視線を向けながら、ボソリとつぶやいた。
「久々に愛しの弟子と対面といこうかの。待っておれ、トールよ」
これで第3章終了となります。
そしてやっと100投稿。(人物紹介とか挟んでるので100話はまだですが)
途中休憩したり寄り道したからだいぶ時間かかったけど、ひとつの目標は達成できました。
さて、3章の人物紹介は一旦飛ばして次回投稿は4章から始めたいと思います。当初構想していたのがこの4章のお話だったので、やっと最初に考えた内容に追いついてきたなという感じです。
設定などグダグダな部分も多い本作ですが、引き続き読んで貰えるとありがたいです。




