93.第三の目
それは不思議な感覚だった。
まるで自分を客観視しているような、それでいて非常に現実味を帯びている。
神の如き視点であれば、きっと天頂から見下ろす風景になるだろう。
しかしそれは、自分と同じ目線の高さで、今いる部屋の中を映し出していた。
その中央には、脇腹を押さえて蹲る自分の姿。その姿が徐々に大きくなっていく。
最初の変化は痛みで顔を顰めた時に気づいた。
瞑った瞼の裏側に、もう片方の目とは全く異なる景色が映し出されたのだ。
そもそも目を瞑った時点で景色が映るわけはない。光を遮られた瞳は暗闇を映し出すはずだ。
では一体この瞳に映るものはなんだ。
ぼんやりとだが、明るい景色が写っている。さらに集中すると先ほどより少し鮮明に、その光景が映し出された。
痛みで集中が乱されるがそんなのは後だ。
どの道このままでは活路などない。
ならこの瞳に映るものにかけるしかない。
アミミの直感がそう叫んでいた。
より神経を研ぎ澄ませ、はっきりと映るようになった世界にいたのは、自分自身。
気づいた時には、まるで側で自分を見下ろすかのような立ち位置。
世界が僅かに、傾いた。
アミミはその場から飛び退く。
同時に片側の瞳に映る異なる景色の中の自分もそれに合わせて動いた。
狙い違わず、先程まで自分の胴があった場所に鋭利な先端を持った棒状のものが突き出された。
アミミが動かなければ間違いなく体に突き刺さっていただろう位置だ。
もう一方の瞳に映る、虚空へと刀を振り上げる。
ガキィィンと、部屋に甲高い音が響き、何もないはずの空間で刀が弾かれた。
手にはまだ何かを切ろうとした感触が残っている。
瞑ったままの瞼の裏側の景色が動くと自分の姿が映し出される。
やはり、と得心する。
これは相手の視界を自分が覗き見ているのだ、と。
いつもワシの視界を共有してはいるが、その他の動物や人間でできた試しがなかった。
だからこの能力は霊鳥であるワシが持つ能力だと考えていたのだ。
ワシがいなくても使えるということは、自分にもその力が宿ったのか、或いは元々自分が持っていたものか。
しかし今はそんなことなどどうでもいい。
力の来歴など分からずとも、この力を使えば不可視の相手とも十分に戦える。
その事実だけで、アミミは胸が躍るような高揚感に満たされた。
傷の痛みなどとうに忘れた。
今はただ、目の前の相手に集中するのみ。
片側の視界では、再びアミミに向け鋭利な棒状のものが伸ばされた。
恐らく武器か、或いは手の形状だろうか。
突き出されたそれを刀で去なすと、すぐさま反撃に2度、3度と斬りかかる。
切断するには至らなかったが傷くらいはついた手応えがあった。
本来であれば、相手の視界が見えたとしても、視界に映る自分の動きは鏡合わせのように反転するため、すぐに対応するのは難しい。
だがアミミにはワシと視界共有をしてきた経験がある。しかも遊びの中でこっそりワシの視界を覗き見てかくれんぼをしたりしていた。
勿論ワシにはお見通しだったが。
自分に向けて攻撃する相手の視界を見るのは初めてだったが、他者の視界を見ることにかけては一日の長がある。
他者には難しいことでも、アミミは難なく対応出来るだけの素地がすでに出来上がっていた。
不意に祖父やトールなら初めてでも難なく対応しそうだとの考えが浮かび、途端にげんなりするが。
先程の連撃は効果がなかったのか、続けて攻撃が飛んでくる。
流石に紙一重とまでは行かないまでも、おおよその手の長さなどは把握した。加えて相手の技量は大したことがないようだ。
安全マージンを確保した上での回避なら容易い。
攻撃自体が見えずとも、攻撃の軌道さえバレて仕舞えば対処などどうとでもできる。
問題は別にあった。
「紅燕」
炎の尾を引きながら刃が空を斬った。
自信の持ちうる最大攻撃力の技。
これで斬れなければ、ダメージを与えることができない。
が、それが中空の、何もない空間で止まった。
鈍く重い音が響き、何か硬い物にぶつかった手応えを感じる。
威力の反動で両手が裂け、力を込めた代償に塞がりかけていた脇腹の傷が僅かに開いた。
やがて炎の揺らめきも霧散する。
追撃を免れるため相手の視界を見ながら安全位置まで下がった。
予感が的中した。
普通に刀で斬った際、体に当てたであろう攻撃は、ほとんど傷を付けられなかった。
ただ斬ったわけではない。切れ味を上げるため、刀身は常に気を巡らしている。
トールから教わった気の運用方法。
以前に比べて効率的に気を操作できるようになったことで、切れ味は一段と増している。
その状態で放った紅燕であれば、今までの比にならない威力を秘めているはずだった。
だが目の前にいるであろう存在を両断することができなかった。
答えは簡単。
相手の方が自分の攻撃力を上回る防御力だということだ。
簡単な理屈であると同時に、アミミにとっては絶望的な答えである。
もし姿が見えていたならアミミの手の打ち用もあっただろう。
人型の機械人形には、関節など部分的に脆い箇所が複数存在する。
しかし相手の視界からしか情報を得ることができないアミミには、武器か手か区別のつかない棒状のものと、その攻撃範囲しか分からない。
相手の全容がどんな姿で、どんな攻撃が飛び出すかまでは分かるべくも無かった。
現状でも敵の視界外からの攻撃が来ればアミミが対応する術はない。
幸いなことに、そういった攻撃手段を行わないからこそ均衡を保てているのである。
そんな相手に対して全力の一撃が通用しないことは、勝てないことを意味する。
まして自分の状態は満身創痍。
体力の面で見てもアミミが不利なのは明白だ。
ふーっと大きく深呼吸をすると、瞑ったまぶたから得られる情報と目の前の景色、左右別々の景色を見比べる。
見た目には何も存在しない。
触れれば分かるだろうが、そうで無ければ気づくことすら叶わないだろう。
気配も薄弱としており、どこに潜んでいるのかも特定できない。
一方で敵の視点に立つとどの程度の距離感で何処にいるか全てが筒抜けだ。
見えないはずの存在に向け、アミミは真っ直ぐ視線を向けた。
その様子に、機械人形は一瞬の躊躇いを見せた。
機械人形に感情はない。しかし思考能力がないわけではない。
自身のアドバンテージを理解し、相手に合わせて攻守を選択する程度の分別はできる。エリカにそう造られたからだ。
今機械人形は、明らかに自身の動きを理解した避け方をするアミミに戸惑っていた。
何も状況が変わる要因はなかったはずだ。なのに何かが変わった。
人工知能をフル回転させて解を導き出そうとするが、その思考に答えは出なかった。
回路がオーバーヒートする前に何とか思考の海から這い上がったが、状況は芳しくない。
答えが出ない。どう動いて良いか分からない。だからこそ、攻撃を仕掛けられないでいた。
「残波」
先に動いたのはアミミ。
威力を伴った飛沫が機械人形に襲い掛かるが、装甲を傷つけるほどの力はない。
まして魔法防御に特化した加工を施されている。アミミの剣技とて、元を辿れば力の素は魔法と同じ。
つまり魔法同様、機械人形は属性剣に対しても高い抵抗力を持っていた。
「桜刀斬」
桜色の花弁が宙で弾かれ散り散りになった。
「旋風」
刀に纏わせた風の力を使って体を横回転させ振り抜く。小さな竜巻が見えない何かにあたって掻き消えた。
「時雨咲き」
刀を突くと同時、周囲に無数の刃が生み出される。
闘気を練り固め質量を持たせた刃で無数の刺突を行う技。だがそれも、アミミの持つ刀以外は弾かれた様に消える。
連続で様々な属性の攻撃を繰り出したにもかかわらず、その悉くが弾かれる。
アミミは目の前にいる不可視の敵が、硬さだけでなく属性に対する高い抵抗力も有しているのだと理解させられた。
再び距離を取り刀を構える。
紅燕の炎が直ぐに消えなかったことからも、属性を完全に無効化できるわけではない。
ただ威力が足りないだけ。これに尽きる。
だがそれこそが最大の問題であり、超えられない壁であった。
自分の姿が瞑った瞼に映り、ゆらりと動いた。不可視の敵が動き出したのだ。
この危機的状況で、アミミは以前、トールに勝てない相手と出会した時にどうすればいいか、尋ねたことを思い出した。
トールの答えは『逃げ』であった。
生き延びることが第一。その為なら逃げるべきだと。
ただどうしても逃げられない場合もある。その時は真正面から戦いを挑まず、相手の攻撃をいなし、時には攻勢に出ながら、勝機が見つかるまで耐え抜く。
残念ながらアミミには長時間攻撃を耐え抜くだけの体力が残っていない。
戦いを長引かせても回復は見込めない以上、守りに入ればむしろ体力を消耗させ、やがて捉えられるだろう。
であれば、今出来るのは攻勢にでて相手に攻撃をさせないこと。
幸いにも、まだ試していないことはある。
出来ること全て試せるまで体力が持ってくれるよう心の中で念じた。
もう負けたくはない。
頭の中に、弑逆的な笑みを浮かべる白髪の少女が過ぎる。
この場にいないその少女に示すかのように、アミミは薄ら笑みを浮かべながら、震える膝に力を込めた。
相手の視界を通した自分の姿が徐々に大きくなっていく。
刀を伸ばせば届く距離まで来て、急激に視界が動いた。
体を捻らせ右側、アミミから見て左から突きが飛ぶ。
視界に映る槍状の武器を咄嗟に刀で受け流した。
刀から伝わる衝撃と火花が、見えないながらもそこに何かあることを物語っていた。
間を置かずに今度は反対側から攻撃が来る。
小柄な体を捻って何とか防御が間に合う。
危険だが、ここしかない。
アミミは刀から手を離すと前傾になった。瞼の奥から自分の姿が消える。
視界と攻撃の距離感から、敵の凡その体の位置は把握した。先程の剣戟でおおよそ人型であることも把握している。
前のめりになった体を懐へと沈み込ませ、勢いそのままに腰を回転させて上方に向け掌底を放った。
「断ち葉崩し」
それはアミミの流派の中で、数少ない無手で繰り出される技。
全身に込めた闘気を掌底を通して相手にぶつけ、内部より破壊する技だ。
外部からの斬撃や属性攻撃は無意味。なら内部はどうかと考え至った結論。
気を込めた掌底が機械人形の腹部に突き刺さり、体を空中へと持ち上げる。
アミミの足から伝わった衝撃は床に罅を刻み、逃げ場のない空中という牢獄で解放された力が全て、その内部に叩き込まれた。
それと同時、手から離した刀がカランと床で音を立てる。
数秒遅れて何か硬質なものが床にぶつかる音が部屋に響いた。
アミミは全身の力が抜け両膝を地面につけながら、傍にあった刀に手を伸ばす。
思い出したように脇腹の痛みがぶり返すが、これで勝負が決まったか分からない。
相手の視界を盗み見るが黒く染まっており、未だ動きはないようだ。
やがてジジジと音を立てて、今まで姿が見えなかった機械人形の姿が露わになった。
アミミは知るべくもないが、ヘクスが戦ったものと同型のつるんとした人型の金属体。武器かと思っていたものは手足で、槍のように鋭く尖っている。
よくこんな形状で歩けたものだと思わず感心してしまった。
暫くその場で様子を伺うが、機械人形は動く気配を見せない。
相変わらず視界も暗いままだ。
恐る恐る近づいて刀で小突いてみるが、やはり動く気配はなかった。
どうやら完全に機能停止したらしい。
姿もすっかり見えるようになったので、もう不要かと思い片目を開く。
他人の視界を通して景色を見ていたとはいえ、突然入り込んだ光に目がチカチカした。
暫く瞬きをしながらゆっくり瞳を光に慣らす。
ようやく目が慣れてきた頃、周囲を警戒しながらもこの部屋唯一の扉へと向かう。
部屋の中央部からひたひたと進むと、特に何事もなく扉の前に着いた。
少し拍子抜けするが、何もない方がアミミにとってもありがたい。
闘気で傷口を塞ぎはしたものの、失った血肉までは戻らないため、正直これ以上の戦いは厳しかった。
改めて扉を観察する。
材質は壁と同じで両開きの扉。しかしどこにも取っ手が付いていない。
試しに押してみるが開きそうも無かった。
こんこんと何度か叩いてみると、扉の先に空間があるのか、響くような音が返ってくる。
ちゃんと扉としてどこかに繋がっているようだが、それにしても開ける手立てがない。
腕を組んで頭を悩ませるが、暫く悩んだ末考えるのを諦めた。
「よし」
扉から数歩下がり、徐に刀へと手を伸ばしてそれを振るった。
剣閃が煌めき俊速の居合が放たれる。
キィィィィィィン。
甲高い音が部屋に木霊する。
遅れてビリビリと手に衝撃が伝わってきた。
「ぐぅぅ。まさか斬れぬとは。一体何でできてるでござるかこの扉は……」
それからひと通り技を試してみるが、一向に扉が開く気配はない。
堪らずアミミも扉をガンガン叩きながらどこかにいるであろうエリカに懇願する。
「エリカ殿ー、敵は倒したでござるからここを開けてほしいでござる〜。拙者腹が減って死にそうでござるよ〜。…………はっ、まさかこのままここで拙者を餓死させるつもりでござるか!? それはいくらなんでも殺生が過ぎるでござるよ!!」
慌てふためくアミミはより激しく、闘気を纏わせた刀で遮二無二扉を叩く。
するとその拍子に僅かばかり扉が欠け、破片が跳ね返りアミミの額に直撃した。
「あうぅぅぅ。痛いでござる」
涙目になりながら片目を瞑る。
すると瞼の裏には、自分を上から見下ろすような景色が。
背後を窺うとそこには透明になる機能を失った機械人形が、瞳に光を滲ませ片腕を上げた体勢のまま佇んでいた。
そして、その腕が振り下ろされた。




