92.不可視の人形
エリカが手を叩くと、ヘクスの視界が一瞬で切り替わり、周囲の景色が一変した。
辺りを見るが先ほどまでいたはずの仲間は誰もいなくなっている。
空間を満たす空気や匂いから、先ほどまでとは違う部屋であると直感した。
恐らく空間転移の魔法か何かで全員を分断したのだろう。
そう判断してからのヘクスの対応は早かった。
直ぐに周囲に索敵の魔法を展開し、自分を害する存在がいないか確かめる。
索敵から魔力反応は感じられなかったが、存在を偽る魔獣などざらにいる。五感を集中させどこから何が襲ってきてもいいように身構えた。
周囲に気を配りつつも、今の自分が置かれている状況を冷静に分析する。
犯人は間違いなくエリカだろう。本人が名乗ってからの現状だ。まず間違いない。
なら何故このような事をしたのか。
ここに至るまで特に手出しはされなかった事を考えると、初めから自分達を害することが目的だったわけではないだろう。
仮に戦力の分断が目的であれば、もっと早くに同じことができていたはずだ。
そもそも自分達より前にこの地を訪れたアルティス達の世話をしていたことからも、そんな単純な話ではないように思える。
とは言え情報が少ない現状、答えに行き着く事は難しいだろうと考えて、一先ず思考を放棄した。
まずはこの場をどう切り抜けるかが先決だ。
そう考えたヘクスは、改めて部屋を見回した。
(壁や天井、全てが白一色。そしておあつらえ向きに扉がひとつ。あそこを進めと言うことかな。けれど、そう簡単に通してくれるとはどうにも思えないね)
少しの間逡巡するが、やがて諦めたように扉へと向けて一歩を踏み出す。
ヘクスの歩みに合わせ周囲の索敵も移動するという優れものだ。
そして最初の位置から数歩進んだ時に、それは起こった。
バチィィィィ!
ヘクスの周囲で光が疾った。
即座に異変があった方向と逆へ飛び退る。
先ほど反応したのはヘクスが予め仕掛けておいた、敵性物体への防御魔法。
雷を周囲に展開し、範囲内に踏み込んだものに電撃を浴びせるカウンター型の魔法だ。
敵性物体といいつつ、敵味方関係なしに発動するため、よく仲間が引っかかるがご愛嬌だ。
大体はトールにしか仕掛けないのだから。
改めて雷光が発した場所を見るが、そこにはただ空間が広がるだけで何も目に映らない。
「ふむ。困ったね。姿が見えないのでは、倒したかどうかも確認ができない。まあ流石に今ので倒せたとは微塵も思わないが」
ヘクスは溜息を吐きつつ、鞄から一冊の本を取り出した。
本の表装は上等そうな魔獣の皮でできており、表紙に魔法陣が描かれている。
「全く。こう言うのは本来トールの得意分野なんだが。まあ、たまには悪くないかな」
ヘクスが片手で本を開くと、自動でパラパラとページが捲られていく。ある一点のページで動きが止まると、本が光を帯びた。
「レイン」
呟く。瞬間、大気をつん裂くような音が響き頭上から幾条もの雷が降り注ぐ。ヘクスを中心に、部屋を広がるようにして次々雷が落ち、全てを蹂躙していった。
「見つけた」
雷が通った道の一点、そこだけ何か物体があるかにように歪んで見えた。雷が帯電してジジジと音を鳴らしている。
その物体めがけ本を向けると本の先の空間に球状の水がぽかんと出現し、不意に形をぐにゃりと歪ませる。
ぐぐぐと水塊から無数の触手が飛び出したかと思うと、それらが勢いよく帯電したままの姿の見えないそれに殺到した。
水の触手はそこに何かがあるかのように、ぽっかりと空間を開けた形で絡まりついている。
それらが範囲を伸ばして物体を包み込むと、その形状を露わにした。
それは直立して左右に腕と足をひとつずつ、そして頭部を持っており、人に近い外観を持つことが見てとれた。
姿が見えないという絶対的なアドバンテージを有する相手に対して、これ以上時間をかけるのは愚策だ。捕らえている今のうちに勝負を決めるべきである。
ヘクスは追撃を加えるため本を構え直した。
「ガロア」
再び本が強烈な光を発し、ヘクスと人形の間に小さな風の塊が発生する。それは猛烈な勢いで成長すると、ヘクスを除く周囲に風の刃を飛ばした。
床や天井に刃物で切られたような跡が無数に走る。しかしこれは、あくまでこの魔法の余波に過ぎない。
成長した風はやがて形を成し、まるで巨大な狼のような姿になる。
強力な気流が巻き起こす音が、まるでオオカミの唸り声のように部屋中に響いた。
水の触手にとらえられた見えない何かは、体をモゾモゾと動かそうと力を込めているようだ。だが拘束を振り解くことはできない。
やがて完成した風のオオカミは咆哮を上げると、ヘクスが腕を振り下ろすのを合図に、その巨体を前方にいる不可視の人型へと叩きつけた。
ぶつかった瞬間、一瞬の静寂が辺りを支配する。
それが過ぎると収縮した空気が爆発するように周囲に暴威を撒き散らし、まるで空間ごと抉り取るように爆心地から外へと圧力をぶち撒ける。
人型を押さえつけていた触手も帯電していた雷も、全てが空の圧力の前に霧散し吹き飛ばされた。
数瞬後、硬質なもの同士がぶつかる大きな音が、部屋に響いた。
「す、すごい……」
モニターに映る光景を食い入るように見詰めるアルティス。サクッとポップコーンを噛み砕く軽やかな音が聞こえる。
「あらあらぁ。ヘクス様ってお強いんですねぇ」
エリカは特に慌てた様子もなく楽しそうにしている。いつの間にかアルティスの隣に移動してきて、ジュースを差し出したりポップコーンで汚れた口元を拭いたりと甲斐甲斐しく世話を焼いている。
と言うかアルティスも為すがままにされるんじゃない。子供かお前は。
「ヘクスも一応Aランク冒険者だからな。本人は戦闘は苦手だそうだが、単純な戦闘力じゃ確実にAランク上位だろう」
「もう少し苦戦するかと思いましたがぁ、今の世代の方々も中々にお強いんですねぇ」
今の世代という言葉に引っ掛かりを感じるが、特に何かあるわけでもないのでスルーする。
それよりも自分が出した賭けの条件で、不利になっているはずのエリカのこの余裕が不気味だ。
エリカはモニターを見ながらふふふと笑みをこぼす。
「確かにヘクス様はすごいですがぁ、私の自信作も負けていませんよぉ。勝負はここからですぅ」
すると画面の中で変化があった。
壁にぶつかった勢いで壁面がぼこりと歪んだ場所から、先程まで見えなかったそれが光沢のある銀の姿を露わにする。
壁を凹ますほどの衝撃、しかしその体にはあまり傷が見当たらない。かなり頑丈なようだ。
金属同士がぶつかる甲高い足音を発しながら、オートマタは直立して壁から抜け出した。
「ぶつかった衝撃でぇ、迷彩と消音の機能が壊れたようですねぇ」
今後消えることはできないということか。
それはオートマタにとってのアドバンテージが消え失せたことを意味する。
しかしだからといってヘクスが有利になったわけではない。あくまで不利がひとつなくなっただけだ。
画面の向こうから声が聞こえてくる。
『おお! これは中々に美しい姿をしているね。ボクのために姿を表してくれた……訳ではないのだろうね。恐らく先ほどの攻撃で、消える機能に異常が生じたのかな? しかしこれは困ったね。雷が効かないのはまだしも、風による傷も大して負っていないようだ。さらに衝撃にも強いときた。そして水や炎も……』
目の前の空間に水と炎が出現すると、水は刃の様に、炎は弾丸の如くオートマタに襲いかかった。
しかしそれらの攻撃はオートマタの体表にぶつかると水滴と小さな焦げ目を残して霧散してしまう。
『特定の属性攻撃に耐性がある、と言うよりは、魔法に対して耐性を備えた金属と言ったところかな』
「正解ですぅ。ヘクス様ぁ」
エリカがモニターに向けてパチパチと手を鳴らす。
『やってくれるね、エリカくん。ほぼ魔法のみを扱うボクにとって、ほとんど天敵みたいなものだ。流石のボクも参ってしまうね』
はぁと息を吐いて肩をすくめるヘクス。しかしその口元は歪められ獰猛な笑みを浮かべる。
眼鏡の奥の瞳が暗い光を灯していた。
そして不敵に両手を広げ、高らかに笑う。
『ふふふ、はははは。エリカくんには感謝しなくてはいけないね。見たこともない素材でできた、見たこともない機構を持つ自立機動型の人形。廃棄され動かなくなったものは見たことあるが、実際に動く古代遺物をこの目で見られるなんて、歓喜しかないよ。果たしてどこまでボクの魔法が通用するのか。どこまでボクの魔法に耐えてくれるのか。ふふふ。考えただけでもゾクゾクするね!』
「あらぁ。ヘクス様は中々おちゃめな方ですねぇ」
「あれをおちゃめと評するのか……」
ヘクスの変わりようにアルティスとエリカは驚いていたが、興味に対して感情が振り切れることは彼女にとってよくある事だ。
魔法耐性があるとはいえ、まああの調子であればヘクスが負けることはないだろう。こちらは放っておいても構わないな。
問題はもうひとりの方だ。
俺は、アミミとオートマタが写るモニターへと視線を移した。
アミミは深く息を吐いた。
突如、何かが自分を切り裂こうと鋭利なものを体に押し当ててくるのを感じた。
直感に従い体を捻ると、その攻撃を間一髪受け流すことに成功する。代わりに服が一部破り取られていった。
そんなことを数度続けていると、服によって守られる部分が大分と心もとなくなってくる。しかしこれでも、最初の頃に比べるとかなり上手く避けられるようになってきていた。
姿は全く見えず、攻撃の予兆も感じ取れない。しかし攻撃が当たる瞬間だけ、自分の触覚が相手の一撃を知覚できる。
そんな刹那の集中力を試される状況。
短時間の攻防であったが、アミミの額に汗を滲ませた。
「姿が見えないとは厄介でござるな。攻撃を避けることに集中すると、追撃の手がどうしても遅くなるでござる。今はワシも連れてきておらぬゆえ、拙者の目も役ただずでござるからな」
周囲の気配を鋭敏に感じ取りながら、しかし足音すら消されているのか、相手の位置が全く掴めない。
四天王と呼ばれた絡繰人形たちも同じような動きをしていたので、恐らくそれに近いものだと当たりをつける。
決定的に違うのが姿が見えるかどうかだけだが、その違いがあまりに致命的だった。
「しからば、位置を探るしかないようでござるな」
アミミは次の攻撃を何とか去なすと、機械人形がいるであろう位置と対極にある壁の隅へと駆ける。そして壁を背にして刀を構えた。
こうすれば、少なくとも背後からの奇襲を受けることはなくなる。
さらにもう一手を仕掛ける。
「残波、からの桜刀斬・乱」
水を纏わせた刀を振るい辺りに飛沫を飛ばす。
いくら姿が消えようと、現実にそこにいることに変わりないはず。実体がある以上、飛沫があたれば違いが分かるはずだ。
さらに追撃で桜刀斬の乱打を叩き込めば、残波から距離を取ったとしても舞い散る花弁を避け切ることは不可能に近い。
自身と同じ程度の体格であっても、かすり傷のひとつは避けられないはずだ。
刀を構えながら、舞い散る花弁と飛沫の変化に目を凝らす。
が、変化が訪れることなく、花弁と飛沫は光の残滓となって消え去った。
どういうことかと戸惑いを隠せないアミミだったが、不意に背筋に悪寒が走り、前方へと跳躍する。
と同時に、背中に鋭い痛みが走った。
体を回転させ何とか体勢を立て直す。
背中に意識を向けると、鋭利な刃物で切り裂かれたような痛みを感じた。
不覚。完全に廃していた可能性を摘み取られた。
否。自分の意図せぬ可能性を、自分自身で摘み取ってしまっていた。
前方から攻撃を仕掛けてくると、背後からの攻撃はないと、そう予測していた。しかし相手が打ってきた一手は、そのいずれにも当てはまらない頭上からの攻撃。
敵の姿が見えないせいで、想像してしまった。決めつけてしまったのだ。
アミミは自分の未熟さに歯噛みしながら、それでも直ぐに体勢を立て直す。
幸い傷つけられたのは左肩で傷も浅い。まだ刀は振れる。
今度は油断しない。見逃さない。
極限まで神経を研ぎ澄ませ、攻撃を去なして最速の一撃を叩き込む。
視界は無意味。少しでも邪魔な情報を削ぎ落とすため瞼を閉じる。
小さくても、僅かな予兆はあるはずだ。そのか細い糸を手繰り寄せて勝利を掴む。
その昔、アミミがまだ東方にいた頃、剣の師である祖父から言われた事がある。
『人生は取捨選択の連続で、その場その場で最適解を出す必要がある。戦いも同じで、周囲の状況や戦況に合わせて取れる手段は無数にあるのだ。その無数から、自分にできる手札を絞り込み、その中で最良を選び抜くことが重要なのだぞぃ』
余談だが、そのあと修行と称しておかずの取り合いとなったのだが、無論祖父に敵うはずもなく、多くのおかずが犠牲となった。
最後に祖父は、最良の選択をしたとしても勝てるとは限らないと吐き捨てたので、殴ったのも良い思い出だ。
いや、思い出したらムカついてきたアミミである。
その時はおかずに流されて重く受け止めていなかったが、いざ思い返すと今の状況はまさにそれ。
あらゆる事態に考えを巡らせその都度最良を選択する。
全てを想定できるに越したことはないが、自分には経験も考えも圧倒的に足りていない。
だからこそ出来る範囲の最良を選択するしかないのだ。
今できる自分に最良は、じっと身構え、相手の攻撃にいち早く反応すること。
そしてその攻撃に合わせた間髪入れぬカウンター。
それで仕留められなければ、その時考える。
視界を閉ざしたことで視るべき情報量は減った。だからこそ感覚が研ぎ澄まされる。
頬を流れて床へと落ちる汗の動きさえ、今のアミミには感じ取れた。
視えずとも、聴こえずとも、気配すら欺こうが、次の一撃は確実に防ぐ。
アミミの集中は最高潮に高まっていた。
不意に何かが、自身の背に触れるのを感じた。圧力が皮膚を押し、突き裂こうと押し込められる。
感じた瞬間に体は自然と動いていた。
勢いに合わせて体を前へと傾け、絶妙な加減で力に合わせて体を動かした。
その勢いを利用して上半身を急転、背後に向けて刃を伸ばす。
刀が何か硬いものにぶつかった感触。そのまま力を入れるとすっと何か硬質なものに刃が通り切り裂いた。
感触が手に残るまま、止めを刺すべく立て続けに数度刀を振り抜く。
刀が空を切った。
と同時に、脇腹を何か鋭利なものが貫いた。
嫌な感触に目を開くと、自身の脇腹に目には視えない何かが押しつけられている。
血は出ていないが、服が破れ体の断面がぽっかりと丸く黒で塗りつぶされたようになっている。
視えない何かが刺さった状態なのだろう。
遅れてやってきた痛みに顔を顰めながら体を後ろへと引いて相手から逃れる。
傷口から血液が溢れるが咄嗟に手で押さえた。気を集中させて止血を試みるも、思いのほか傷が大きくすぐには塞がりそうもない。
未だに相手の姿は見えないままで、今もどこかでこちらを狙っているに違いない。
深傷を負ったこの状況では、相手の攻撃を捌くのも難しいだろう。
腕はともかく、脚にあまり力が入らない。今も刀を支えに踏みとどまるのがやっとの状態だ。
今までのように後の先をとっての回避は最早叶わないだろう。
次の攻撃を受ければ、自分は死ぬ。
アミミの頬を汗が伝う。
緊張からか、刀を持つ手が強張った。胸中に冷たい感情が広がるのを感じながら、不可視の存在へと視線を向けた。




