91.空間転移
音もなく壁際へと移動したエリカがそっと両手を合わせる。
「それではぁ、みなさんさようならぁ」
その言葉に嫌な予感を感じた俺は素早く刀を抜き放ち彼我一刀を放つ。が、その剣閃が届く前にエリカが両の手を打ち鳴らした。
パンと乾いた音が鳴ったかと思うと、俺の視界が急激な速さでぐるぐると回る。
時間にしてほんの一瞬に満たないと知覚できるほど刹那の出来事だったが、俺の瞳には確かにさまざまな景色の移り変わりが残っていた。
そして今現在この目に映っているのは、先ほどまでいた部屋とは全く別の光景だった。
部屋の広さは先ほどよりもずっと狭く、少し広めのアパートの一室程度だ。
あまり派手ではない色調で整えられたベッドやタンスなどの家具が設えられており、観葉植物が緑の葉を揺らしている。
部屋の中央にはローテーブルが置かれており、テーブルに合わせて2人掛けのソファが置かれていた。
一見して普通の部屋のように見えるが、しかし一つ一つの家具のデザインを見るとどれも元の世界で使われたものに似ている。
地球の家具を模して造られたのか、或いはそちらから持って来たものであるのか分からないが。
もっと異様な光景は、ソファの向かい側、ローテーブルを挟んだその先にあった。
壁一面に設置されているのは、複数のモニターだった。
アルティス達と出会った古代遺跡でも似た様なモニターがあったが、その規模を縮小した感じだ。
「うぅ……」
俺の隣にいたアルティスがうめき声を上げて蹲った。素早く駆け寄りその背を擦ってやる。
「どうやら魔王様は少し酔ってしまったようですねぇ」
「……酔ったって、どういうこと?」
俺が気を落ち着ける魔法を掛けながら、アルティスは何とか言葉を口にした。
エリカは柔らかく微笑みながら答える。
「それはぁ、空間転移ですよぉ。先ほどの部屋からここへ来るまでの間にぃ、気持ちが悪くなってしまったんでしょうぅ」
「空間転移!?」
アルティスは驚きを露にした。
驚くのも無理もないことだが、空間転移を行える術者は世界広しといえど極めて少ない。それは空間転移が非常に魔力を消費するからである。
実は空間収納も空間転移と同系統の時空魔法なのだが、空間収納の方が消費魔力がはるかに少ないため、商人などでも使い手は存在する。ただし収納の容量は使い手の魔力量に依存するが。
今俺たちがいるのは先ほどまでいた部屋とは全く別の部屋だ。
この部屋には今俺とアルティス、エリカしか姿がなく、他の面々の姿は見られない。きっと別の部屋に飛ばされたのだろう。
しかも見回した限り、この部屋には扉などの外の空間とつながる出入り口がどこにもない。つまり完全なる密室、閉鎖空間である。
入口が存在しない時点で、ここに入る方法は限られるということだ。
「俺たちを分断した理由はなんだ?」
「まあ立ち話もなんですからぁ、そちらにお掛けくださいぃ」
そう言って俺たちのそばにあるソファを指し示した。視線を向けるとローテーブルには2つ、湯気の立ち上るカップが置かれている。
エリカ自身いつの間に取り出したのか、背後に置かれた椅子にゆっくりと腰かけた。
どんな罠があるかも分からない。俺は側のアルティスを護るように背後へと回しエリカを睨みつけた。
「まあ構いませんけどぉ。理由ですかぁ? 単純明快ぃ、多対一では私が不利になってしまうからですよぉ」
それは間違いではないだろう。
エリカは確かに強大な力を秘めているが、俺の見立てでは全員で掛かれば倒すことができたはずだ。
だからそうなる前に分断したと言われれば、それは正しいのだろう。
だがなぜこの組み合わせなのか、そこが疑問であった。
「アルティスは分かるが、何故俺をこの場に連れてきた?」
「それはぁ、あなたが一番厄介だからですよぉ。だからぁ、あなた以外の人を人質とさせて頂きましたぁ」
「なるほどな。俺をこの場に引き留め手出しさせないつもりか」
「そうですぅ。流石聡いですねぇ」
「だがこの場でお前が倒されるとは考えなかったのか?」
俺は腰の鞘から刀を抜いた。いつどんな攻撃を受けても対処できるよう構える。
しかしエリカは俺のその様子を眺めながら静かに笑った。
「やはりトール様が一番厄介ですねぇ。あなた1人であればぁ、私に勝ち目はなかったでしょうぅ。だからぁ、あなたをここにつれてきたんですよぉ」
そう言ってエリカは両手を打ち鳴らした。すると壁一面に設置されたモニターが光を灯す。
壁に設置されたモニターは4つに分割されており、その内3つが映像を映し出している。
魔法なのか科学なのか分からないが、元の世界のモニターと比べても非常に綺麗だ。
モニターに映し出されているのはアミミ達他の面々だった。それぞれ別の場所へと飛ばされたのか、皆元いた部屋とは違う景色が広がっている。
映像からアミミとヘクスはひとりずつ、ベルベッタとリエッタはペアで飛ばされたようだ。
あの一瞬で俺たち全員を選別してばらばらに転移させるとは、敵ながらその手際の良さは感嘆に値する。
エリカがまた手を打ち鳴らすと、今度は別の角度からの映像に切り替わる。
画面は皆を部屋の上方から映しており、恐らく部屋の四隅にカメラのようなものが仕掛けられていて、エリカの合図で切り替わるようになっているのだろう。
俺たちが驚く様子に満足したのか、エリカは静かに語り出す。
「トール様1人を野放しにすればぁ、いずれ私のところまでたどり着くでしょうからぁ。ですがぁ、こうして他の方を人質にすればぁ、あなたも迂闊に動けませんよねぇ」
清々しいほど綺麗な笑顔を見せる。
俺は奥歯でギリリと音を立てた。
「あいつらを人質にとってどうするつもりだ?」
「私はぁ、ただ自分の意義を果たそうとしているだけですよぉ」
「その意義ってのはなんだ?」
「今も昔もぉ、私の意義は魔王様にお仕えすることですぅ」
「今は私が魔王なのよね。な、なら私たちを解放してよ」
「それはできませんよぉ。魔王様を解放すればぁ、私が仕える方もいなくなりますからぁ」
「そんな……」
アルティスが悲壮な表情を浮かべた。
自分が魔王の子孫であるがためにこの状況を招いたと、自責の念を感じているのかもしれない。
そんなアルティスを見て刀を握る手に力がこもる。
「ならさっさとお前を倒してみんなを救出に行くだけだ」
「それはぁ、無理じゃないでしょうかぁ」
エリカがポンと手を鳴らすとモニター越しに映ったアミミたちの画面。その画面端にノイズが走った。
いや、ノイズのように見えたがよく見ると何かうっすらと空間が歪んでいるように見える。
ジジジと画面の中の歪みが激しくなると、パッと歪みはさっぱりと消えた。
代わりに現れたのは4足歩行で天井に張り付く人の形をした機械人形。
全身艶めかしい銀の光沢を放っており、所々接合した後なのか線が走っている。だがその線も輪切りでは無く縦に走っているものが多い。
機械人形は滑らかな動きで天井を這いながら壁へと移動していく。
徐々にアミミやヘクスの元へと近づいていく様子が映し出されるが、画面に映る本人たちはまるで気づいた様子を見せない。
「あれは迷彩機能を備えたオートマタですぅ。今は画面を通して見えるようにしてますがぁ、その場にいても周囲に同化して一切姿が見えないのですよぉ。私が作ったんですぅ。すごいでしょぉ」
エリカが自慢げにえへんと胸を反らす。
その言葉を聞いてすぐに周囲の気配や違和感を探るが、どうやらこの部屋にはあの機械人形は存在しないようだ。
「安心してくださいぃ。この部屋にはいませんからぁ。それにしてもさすがですねぇ。すぐにオートマタがいないと気づいちゃうんですからぁ」
うふふと楽しそうに笑みをこぼす。
何かこの場に来てからエリカの態度が少し砕けた気がするが気のせいだろうか。
ひとまずエリカの言っていることが真実だとして話を整理すると、彼女の目的は魔王に使える事。
現在空位のその立ち位置に、偶然にもアルティスという適格者が現れてしまった。
しかしこのまま何もしなければアルティスはこの場からいなくなってしまう。
その為には俺たちの存在が邪魔で排除したいと考えたが、戦力不足から断念。代わりに人質とした。
と言ったところか。
「ひとつ聞いていいか? 人質、という事はアミミたちを殺すつもりはないってことか?」
「そんなの当たり前じゃないですかぁ。殺してしまっては意味がないですものぉ」
「意味がない? お前からすれば俺たちの存在はむしろ邪魔になるんじゃないのか?」
その言葉を聞いて一瞬エリカが顔を歪めるが、すぐに元の柔和な笑みへと戻った。
「邪魔だなんてとんでもないですよぉ。皆さんがいないと魔王様が悲しむではありませんかぁ。私はぁ、魔王様を拘束したいわけではありませんからぁ。あくまでお仕えしたいだけなのですぅ。それにぃ、ひとりは寂しいものですからぁ」
そう言ったエリカの表情は、どこか遠くを見ているようだった。
「皆さんは魔王様を縛る楔になってもらわないといけないですぅ。ですのでぇ、皆さんで仲良くぅ、この地で暮らしましょぉ」
ポンと両手を合わせてさも名案と言うように自分の意見を述べた。
随分と上からの発言だが、それでも現状俺たちがエリカの手のひらの上なのは確かだ。
「ね、ねぇ、トール。どうしよう。私のせいで……」
俺の服の裾が掴んでアルティスが涙目になりながら俺を見上げる。やはり責任を感じてしまっているようだ。
「泣くな泣くな。どう考えてもこれは不可抗力だ。それに、人質って言ってもあいつらだってそう簡単にやられる奴等じゃない。だから今は、俺たちでエリカを倒して早くアミミたちと合流するぞ」
「うぅぅ、ぐす。……うん」
涙を拭いながらアルティスは立ち上がる。
まだ心は切り替えられていないだろうが、それでも杖を取り出して構えた。杖の先端がわずかに揺れる。
アルティスは心の優しい娘だ。きっと短い間とはいえエリカのことを敵として見るのが辛いのだろう。
だからその分、俺が非情にならなければ、きっとこの局面から脱する事はできないだろう。
「あらぁ。魔王様もやる気になってしまいましたかぁ。しかしトール様ぁ。あまり魔王様に嘘を教えるのはぁ、感心しませんねぇ」
「え、何? どう言うことなの?」
アルティスが不安げに俺を見た。
俺は無言でエリカを睨みつける。だがエリカは微笑みを浮かべるだけだった。
エリカの言葉の意味は、俺がこの部屋に飛ばされてきた時点で理解していた。
すなわち、俺たちの力だけで合流はほぼ不可能だと言うことに。
「過度な期待を与える事はぁ、その後の絶望を助長するだけですよぅ。時には真実を伝える方が後々良かったと思う事もぉ、この世界には往々にしてあるのですからぁ。トール様も空間魔法の使い手ぇ。私の言葉の意味ぃ、もちろんお分かりですよねぇ」
「…………」
「ト、トール?」
部屋の中はアルティスの不安げな声とエリカの穏やかな息遣いだけが響いていた。
無意識に刀を握る手に力が入る。
「私から説明するよりぃ、トール様から説明した方が信じてもらえると思いますよぉ」
エリカはティーセットを両手に持ち、静かに一口啜った。先程の椅子やカップといい、俺ですら魔法の発動の兆候に気づけないほどの技量。
別に自分が時空間魔法の名手だとは思わないが、それでも多少は使える方だと考えていた。だがエリカの魔法を目にした今、それが自惚でしかないと感じている。
それがショックだとかではないが、それでも現状の解決策がない事実をアルティスに告げるのは気が重い。
しかしエリカの言う通り、言わないことで不安にさせるのならば、きっと伝えるべきなのだろう。
俺はポツリと言葉を紡ぐ。
「時空間魔法による空間転移は、魔力の糸、つまり転移魔法の残滓なんだが、その糸を辿ることで転移した場所を特定することができる。そうすれば俺たちがいた部屋へ戻る事ができるだろう」
「じゃ、じゃあ、エリカを倒したらみんなと合流できるの?」
「……いや、そう簡単にはいかない。魔力の糸は時間が経てば薄れて消える。だから早くしないと元の場所にも、皆が飛ばされた場所も分からなくなっちまう」
「つまり、エリカを早く倒してその糸を辿ればいいってことね!」
「……と言うことですがぁ、言うは易しぃ、行うは難しぃ、ですよぉ? そ・れ・に」
エリカが俺に指を突きつける。
「魔王様ぁ。私がおふたりを見逃したとしてもぉ、トール様には決して辿り着けませんよぉ」
「どう言う事?」
「確かに魔力の糸を辿れば転移前の座標に行けますぅ。ですがぁ、魔力の糸をひとつ辿るにもぉ、相応の時間がかかるんですよぉ。さてぇ、ここで問題ですぅ。私はぁ、一体幾つの部屋を転移したでしょうかぁ?」
「……え?」
そこでアルティスも理解したのか、さぁっと表情を曇らせた。
そう。エリカの言う通り、きっと俺では元いた部屋に辿り着くことすら叶わないだろう。
何故なら、エリカが跳躍して経由した部屋の数はーー
「50ですぅ」
「!」
それは絶望的と言わざるを得ない数字だった。
もし俺がエリカと同じことをやれと言われれば、できて10がいいところだ。
だがエリカはあの手を打ち合わせたほぼ一瞬で、俺が転移できるだろう5倍の数の部屋を転移したのだ。
転移魔法の実力だけでいえば、俺はエリカの足元にも及ばない。俺たちが自力で皆と合流する事は、ほぼ不可能と言っていいだろう。
かつこの部屋にまだ残っている糸が切れてしまえば、この施設の構造を知らない俺には移動手段がなくなる。
空間転移は便利な反面、移動先の座標指定やイメージを明確に持つ必要がある。
そのためこの施設の全体像を知らない俺が別の部屋に移動しようとしても、座標位置を特定するだけで困難を極める。
ましてやエリカのことだ。恐らく経由した部屋も全て入り口などはなく、進むことができなくなってしまうだろう。
最悪壁を壊して、と言いたいところだが、何が出てくるか分からない以上、それは最後の手段だ。
「あまり抵抗はお勧めしません、と言ってもぉ、そうは行きませんよねぇ。ならこうしましょぉ。オートマタにみなさんが勝てればぁ、ここから解放して差し上げますぅ」
「ほんと!?」
「はいぃ。アンドロイドは嘘をつきませんからぁ」
ニコニコと笑顔で話すエリカ。
あまり信用できないが、エリカに主導権を握られている以上従うほかなさそうだ。
俺たちはエリカの提案に頷きソファへと腰掛ける。
エリカもその様子にぱぁっと笑顔を見せた。
「ではではぁ、ここで仲良くみなさんの活躍を眺めましょうかぁ。あぁ、ポップコーンとかあった方が雰囲気出ますかねぇ」
ポンと手を鳴らすとテーブルの上にポップコーンが山盛りになった皿が姿を現した。
完全に映画鑑賞気分だな。その態度に僅かに苛立ちを感じるが、すぐ隣からぐぅとかわいい音が聞こえてくる。
見るとアルティスが耳まで真っ赤になりながら、しかしその視線は目の前のポップコーンに注がれていた。口の中に唾液が溜まったのかごくりと喉が音を鳴らす。
エリカからの食べ物を怪しみ一瞬何か別の食べ物を出そうかとも思ったが、エリカの態度から、流石に主人と見ているアルティスに変な事はしないだろうと思い直した。
何かあったとしても解毒魔法なら覚えがある。
「まあ、食べてもいいんじゃないか。一応お前に悪くなるような事はしないだろう」
「で、でも、みんなが戦おうとしてるのに私だけ物を食べるなんていけないことのような気がして……」
なるほど。気にしていたのはそっちの方か。
アルティスらしい、優しい考え方だ。ひょっとすると、エリカもアルティスの性格を見抜いてこのような罠を張ったのかもしれない。
「気にするな。この後どうなるか分からないからこそ、食える時に食っといた方がいい。まあポップコーンが腹に溜まるかは微妙だがな」
「……分かった。この、ポップ……? コーンっての、頂くわ」
そこでこの世界にポップコーンがないことに気づく。
まあ気にするほどのことでもないだろう。
アルティスはポップコーンを恐る恐るひとつまみすると、それを口に運んだ。
さくりとした音が響き、アルティスの目が見開かれる。
「ん、んんんーん!」
よほど美味しかったのか、足をバタバタさせながら満面の笑みをこちらに向けてきた。
こんな状況だと言うのに思わず頬が緩んでしまいそうになる。
「あらあらぁ。魔王様もそんなに喜んでぇ、感無量ですぅ」
エリカもアンドロイドらしからぬだらしない顔になっている。アルティスが喜んでいるのがよほど嬉しいらしい。
「そろそろぉ、戦いが始まるようですよぉ。それでは皆様ぁ、声は抑えて携帯の電源はオフにするかマナーモードにしておいてくださいねぇ」
「?」
「俺にしか分からんネタをぶっこむなよ……」
「撮影や録音は違法ですからぁ。罰金刑になりますよぉ」
「やめろと言うとろうに」
「もう! トール、うるさい。集中できないじゃないの!」
「え? あぁ、なんかすまん……」
「ほんとですぅ。上映前はもう少しお静かにしてくださいぃ」
「……」
なぜ俺が怒られてるのかよく分からないが、2人の圧の強さに気圧され黙ってしまう。
そうして、今まさに戦いが始まろうとしているモニターへと、俺は視線を移した。




