89.日記
解放された扉を潜るとそこはこじんまりした部屋だった。
広さは大体5メートル四方。扉の奥側に書斎机が置かれており、その奥に腰掛が置かれている。
手前には小さな椅子と2人掛け用のソファが左右に1台ずつ、ローテーブルを挟んで置かれていた。
全体的に焦げ茶で統一された家具が配置されており、シックな印象だ。
左右は全面が本棚となっており壁一面、天井付近まで本でびっしりと埋め尽くされている。
勿論オリオールの図書館などと比べると規模も蔵書量も余程少ないが、現在の本の価値を考えても当時の本が如何に貴重なのか分かるというものだ。
そもそもの絶対数が少ないのだから、その時代にこれだけの蔵書があるというだけで魔王が本好きだったと推し量れる。
チラと背表紙を見るだけでも現在の書籍に近い形をしているが、中には製本されていないただの紙を重ねただけのようなものもある。この世界においても、そういう光景を見ると技術の差と言うものが表れていた。
俺は黙ってヘクスの頭を鷲掴みにする。
「……何だい、トール? どうしてボクの頭を掴むのかな?」
「だってお前が飛び出そうとしてるから」
「失敬な。ボクだってそんな無鉄砲じゃないさ。罠があるかもしれない場所に迂闊に飛び込むわけがないだろう。じゅるり」
「おい。涎垂れてんぞ」
「あ、失敬」
そしてもう片方の手でアミミの頭を鷲掴みにする。
「イタイでござるよ、トール殿」
「すまん。お前も何だか飛び出しそうな気配がしたもんで」
反射的につかんでしまったアミミの頭を慌てて話す。
アミミは頭をさすりながら頬を膨らませて抗議してきた。
「まったく。トール殿はそんなだからダメなんでござる。拙者はちょっと地図を探しに行こうとしていただけでござるよまったく。じゅるり」
「おい。涎垂れてんぞ」
「あ、失礼したでござる」
そうして結局アミミの頭も鷲掴みにすることになる。
こいつらときたら、自分の興味のあるものが目に入ると周りが見えなくなるのが悪い癖だ。
後で言い聞かせておこう。
「それにしても、ここが魔王の部屋なのかしら。すごい本の数ね」
ベルベッタの言葉にリエッタもうんうんと頷く。
「ここは魔王様の書斎ですぅ。魔王様は本を読むのがお好きでしたのでぇ、世界各国ぅ、数多の本を蒐集されておりましたぁ。ここにはあるのはその一部ですがぁ、特に魔王様が書き記されたものや編纂されたものを中心に収められておりますぅ」
「読むだけじゃなく確報も達者だったってことか」
「はいぃ。今の魔王様と違ってぇ、当時の魔王様は多芸にございましたからぁ」
エリカの言葉にアルティスが泣きそうな顔になっていたが、すんでのところで堪えたようだ。
と言うか既に魔王はアルティスからアミミに移ったのだろうか。
まあどちらが魔王と呼ばれても構わないが。
「さてトール。落ち着いたからそろそろ放してくれないかな」
「……分かった。一応お前の希望でここまで来たんだからな。だからって、その辺のもの手当たり次第に触るんじゃないぞ」
俺はそっとヘクスの頭を掴む手を放す。
「そこはぁ、大丈夫ですよぉ。仮にも魔王様の書斎ないですからぁ、罠の類は仕掛けられておりませんのでぇ。ただぁ、本を魔王様以外の方がこの部屋から持ち出すことはできないようになっていますのでぇ、その点は気を付けてくださいぃ」
「もし持ち出そうとしたら?」
「死にます」
「いや、真顔でそんなこと言われたら怖いわ! しかも何でいつものとぼけた語尾じゃないんだよ!
!」
「死にますぅ」
「もっかい言わんでもいいわ!」
「あらぁ、ご所望なのかとおもいましてぇ」
エリカはふふふと蠱惑的な笑みを浮かべる。
完全に俺をおちょくってるなこいつ。
「だけどトール。実際ダンジョンなんかだと中のものを持ち出すことで発動する罠なんかもあるからね。直接的に死ぬと言うほど強力な罠はボクも見たことないけれど、それでも魔王の書斎に仕掛けられた罠だ。しかも大切にしている本を護るためとなれば、命を奪いかねない強力な罠が仕掛けられていてもおかしくないよ」
「そうでござる。トール殿はどこか抜けてるでござるから、ちゃんと注意するでござイタタタタタタタタ」
何か無性に腹が立ったのでアミミの頭を掴む手に力を籠める。
「どちらかと言うと抜けてるのはお前の方だろ」
「あんたたち。ふざけてないで、早く話を進めてくれないかしら」
ベルベッタから諫められ話を元に戻す。
「取り合えずこの部屋に罠は仕掛けられてないと思っていいわけか?」
「はいぃ。ご心配なら確認してくださいぃ」
「……いや、エリカを信じるよ」
「……」
そうして俺たちは部屋の中を調べることにする。
「指揮はヘクスに任せるから、手分けして探そうか」
「ふふふ。ならみんなは左右の本棚を探してくれるかな。右側をトールとアミミ君とアルティス君で。左側をベルベッタ君とリエッタ君で。歴史に関して書いていそうな本を中心に探してもらえるとありがたい。それで、エリカ君はこの場合頼りにしていいのかな?」
「いえぇ。私はぁ、魔王様の私室の物に触れる許可は出されていませんのでぇ」
「私が許可してもダメなの?」
「はいぃ。この部屋は当時の魔王様の持ち物なのでぇ、魔王様本人に許可を貰わなければぁ、私は何も出来ないのですよぉ」
「ふむ。了解した。ボクは書斎の机について調べてみよう。ではみんな、取り掛かってくれ」
魔王の書斎を探索し始めて程なく。
「お前は……。完全に趣味に没頭してるよな」
「な、何のことでござるか?」
十数枚の紙の重なりを真剣に見つめながら目を輝かせるアミミ。
案の定、手に持っているのは地図である。
アミミのこの旅の目的でもある地図制作。既存の地図を観察することはその精度を高めたり知識を得ることに役立つから良いのだが、一度熱中してしまうと、アミミの場合ちょっとやそっとじゃ終わらない。
公国で周辺の簡易な地図を入手した際など、俺が町中でグルメガイド制作に出ている間、ワシに空を飛ばせて高精度な地図を作り上げるのに丸1日製図をし続けていたのだ。
俺が止めなければずっと書き続けていたかもしれないほどに、その時の集中力はすごかった。
おかげで周辺地域含めた高精細な地図が完成した時はひやひやしたものだ。一応複写したものをリーゼとアーリアに渡したら、その精度に非常に驚かれた。
まあ国の重要人物の2人に話を付けておいたし、あの2人なら黙っておいてくれるだろうと打算的な考えだったが、今のところは何もないのでうまくいったと思っている。
それくらいアミミは地図にはまりだすと時間を忘れて熱中してしまうのである。
宿に戻った時や旅をしている時ならまだいいのだが、こんなところで何時間もかけられていては、いくら時間があっても足りないというものだ。
「ほら。さっさと他の本を調べろ。いつまでたっても終わらないぞ」
「で、でも、この本はここから持ち出せないのでござろう? 今ここで見るしかないではござらんか」
「まあ、お前の気持ちも分からんでもない。だがいつまでも地図ばかり見ていると、一生ここから出られないぞ」
「私はぁ、それでも構いませんよぉ」
エリカが何か言っているが無視しておく。
「お前の目的は世界を旅して地図を作ることだろ。ならそんな古い地図にとらわれないで、新しい地図を自分の目で確かめながら作ればいいじゃないか」
「そうでござるが……」
「まあお前の気持ちも分からなくもない。今と昔の違いを比較したり、当時の地図がどれだけ貴重なのかは俺も分かっているつもりだ。だが過去にとらわれ過ぎて未来に目を向けられないのは本末転倒だぞ。過去は変えられないが、未来はいくらでも変えられるんだ。だからアミミがもっと素晴らしい地図を作ればいいんだよ。今はその地図を目に焼き付けて、それを超えるものを作り出せ」
「……そうでござるな。ありがとうでござる。トール殿」
そうしてアミミは目の前の地図を手に取りそれを書棚に戻した。
「いやぁ、まさか昔の地図にも各地の食べ物の情報がまとめられているとは思っておらず、トール殿の"ぐるめがいど"みたいなものがあったことに驚いていたでござるよ」
「ほうほう。オリオールは昔からピンクスカッドが食されていたのか」
「あ、いつの間に!」
俺の手に握られている先ほどまでアミミが見ていた地図を見つけて、アミミがぶーぶーと抗議の声を上げた。アミミの頭を押さえながらしげしげと地図を眺める。
そんな俺たちの様子を見ていたアルティスが、溜息を吐いて声を掛けてきた。
「2人ともふざけてないでちゃんと探してよ」
「すまんすまん。だが当時の地図だ。歴史的に見ても貴重だし、今の地形との違いを見れば何か分かることもあるかもしれないからな」
「トール殿……。拙者に言ったことと違うでござるよ」
ぶーっとアミミが頬を膨らませていた。
俺はいたたまれなくなり、ついと目を逸らす。
「ふうん。それで、当時の地形と今の地形、どんな風に違うの?」
「そうだな。公国の南側にあった地形が、この地図だとまだ描かれている。やはり魔王のいたころは確かにこの辺りには陸が存在していたようだな」
「え、ここら辺って海じゃなかったの?」
「ああ。伝説では勇者と魔王の戦いの余波でこの周辺の地形が大きくえぐられて巨大な湾が形作られたって言われている。勇者と魔王の戦いは人魔戦争と言われていて、今から千年以上昔に起こったとされているから、この周辺の地形もそのころに出来たってわけだな」
「人魔戦争はおとぎ話で聞いたことがあるけど、まさかその余波で地形まで変わってたなんて、そんな話初めて知ったわ」
「不思議なもんだな。アルティスの方が魔王について詳しそうなのに」
「実家にはきっと色々話が伝わってるんだろうけど、私はそんなに詳しくないわ。一般的によく知られているおとぎ話程度ね。そう言った話を聞く前に実家を飛び出してきたのひょ」
飛び出してきたって、つまり家出同然で逃げてきた感じなのだろうか。
そういえば最初に会った時、アルティスは世界征服が目的って言ってたな。魔王と聖女の関係を知らされた今その言葉を改めて考えると、予想以上にしっくりくる。
「世界征服。確か、聖女の逸話にあやかってお前が旅の目的にしてたんだっけか」
「ええ。聖女が荒廃した世界を統制するために旅に出る物語よ。その話の中で、世界征服って書かれていて、私も物語の中の聖女みたいに世界を回ってみたいと思ったのよ」
「俺の知ってる聖女の物語だと大体が魔王に支配された世界を救うために旅に出るもんだが、アルティスの知っている物語は少し違うのかもな。だが魔王と聖女が関係しているっていうなら、世界征服って言葉が現実味を帯びてくるな。まあだからどうだって話なんだが」
「うーん。確かに無関係じゃないのかもしれないわね」
そう言ってアルティスも腕を組んで思考を巡らす。
俺もひょっとしたらと思う仮説をイメージするが、結局それが真実だと証明する術を持たない以上、仮説の域を出ることはない。
「トール。ちょっとこっちに来てくれるかな」
俺たちがうんうん唸っていると、書斎の机を調べていたヘクスが俺を呼んだ。
「どうした? 何か見つかったか?」
「ああ。机の中にあった本なんだが、どうにも古代語が読めないんだ。トールならひょっとしたら読めないかと思ってね」
古代語は地域や文化などでかなり派生が分かれており、そのすべてを理解するのは一生かけても難しいと言われる程多岐に渡っている。
それでもヘクスは古代語一般に通じており、その筋の界隈では名を知られる人物だ。
そんな彼女でも解読ができないとなると、俺が分かるか甚だ疑問だが、それでもお互い足りない知識を埋めあう間柄でもあるため、それだけ信頼されているということだろう。
ヘクスに差し出された本を受取りその表紙に書かれた文字に目を落とし、俺は驚愕に目を見開いた。
そこに書かれていた文字は『DIARY』。それは間違いなく、元の世界の異国の文字。
アンドロイドであるエリカの存在からもその可能性は考えていたが、やはり魔王は俺と同じ世界から来た存在のようだ。
転生か転移か、どうして魔王になったのかは分からないが、元の世界の知識を活かして色々なものを作り上げたのだろう。
この施設や動物たちも、ひょっとしたらその成果なのかもしれない。
「なんて書かれているかわかるかい?」
ヘクスの問いに思考の海から引き戻されると、その問いの答えを口にする。
「……これはダイアリー。日記って意味だ」
「日記……。魔王の日記と言うことか。それは、非常に、興味深いね!」
ずいと至近距離に顔を近づけ目を輝かせながらヘクスは笑った。
日記と言うものは著者の気持ちを書き綴ったものだ。魔王が当時どのように考えて、どのような思いで、生きていたのか。
その一端に触れることができる日記と言う存在に、きっとヘクスは心を躍らせたのだろう。
史実を刻む書物も魅力的だが、ヘクスはこういった当時の生活や情景を想像できるような書物を好む。人々の生活風景や食べ物、どんな道具を使ってどんな生活を営んでいたのか。
歴史の流れよりもそう言った光景を想像し想いを馳せることを良しとする、そんな研究者なのである。
だからこそ日記なんて、しかも魔王が書いたものであれば尚更興味深いのだろう。
「では早速」
俺から日記を奪い取ったヘクスはパラりとページを捲る。
そしてその手がピタッと止まった。
「トール、読んでくれないか?」
そりゃそうだ。拍子からして元の世界の言語なのだ。
こちらの言葉しか知らないヘクスが読めるわけがない。かといって、俺も異国後までは修めていないため、もし英語で書かれていたら読めないのだが。
ヘクスから日記を受取最初のページに視線を落とした。
「……ふむふむ。なるほどなるほど」
「どうなんだい? トール、ここにはなんて書かれているんだい?」
ずいっと俺の脇の間から顔を出し日記を見つめるヘクス。何故か反対側からはアルティスも同じように顔を出した。
「ヘクス。残念ながら、これは魔王の日記じゃないようだ」
「な、ななな、なんだってぇ!?」
ひどく残念そうな声を上げると、泣きそうな表情を浮かべてぐりんと俺の顔を見る。
その反応がちょっと妖怪じみてて俺は引きつった笑みを浮かべた。
今度は反対側からアルティスの声が上がる。
「結局これは日記じゃなかったの?」
「いや、日記ってのは正しい。ただし、魔王の日記じゃないってことだ」
「じゃあ誰の日記なのよ」
「名前が書かれているわけでもないし、俺も確信が持てないが……。これは恐らく、勇者の日記だ」
「「……なぜ?」」




