73.海へ出るのは難しいらしい
1日遅れでの投稿です。金曜に間に合わなかった><
「ふむ。お主ら何やら面白い食べ方をしているの」
俺たちが醤油で刺身を食べているのを目にして老翁が尋ねてくる。ちょうど別の席に食事を届けた帰りらしい。
聞いてみると普段は何もつけずに食べるらしいが、味が淡白すぎていまいち流行らないらしい。
店を尋ねた時老翁が少し困ったような態度を見せたのも、きっとこれが理由だろう。
この世界ではまだまだ調味料が一般に普及していない。香辛料は言わずもがなで、塩でさえオリオール以外では比較的高価な部類に入るほどだ。
繁盛している店はみんなそう言った調味料の入手経路を独自に持っているのだろう。
折角なので老翁にも醤油の小皿を差し出してみる。
この店で入手できるかどうかは分からないが、これを機に色々な食べ方が広まって人気になれば、刺身を食べられる機会が増えるのでは、と言う下心ありきだ。
老翁は小皿を受け取ると、その中の醤油を訝しげに眺めた。やはりオリオールでは醤油のような調味料がポピュラーではないらしい。
魚醤くらいあるかと思っていたが、この反応からそれもないようだ。
意を決して老翁は、魚の薄い切り身を摘んで醤油に潜らせると、滴る醤油に気をつけながらそれを口へと運んだ。数度咀嚼をしてごくりと音が聞こえるほどの勢いで嚥下する。
次の瞬間、カッと目を見開いて頭上を見上げると大口を開けて咆哮した。
「うーーーーーまーーーーーいーーーーーぞぉぉぉぉぉぉぉ!!」
目と口からビームを発しながら、背後にはまるで火山が噴火したようなエフェクトが掛かる。
どこの王だと突っ込みたくなる大袈裟なリアクションに俺たちは若干身を引いた。
すぐにハッとして気を取り直す老翁。
今の一部始終を目撃していた周囲の漁師たちも興味津々で様子を伺っていたが、老翁のひと睨みで皆が押し黙った。
老翁は俺の差し出した醤油の小皿をまじまじと見つめる。
「このような黒い調味料は初めて見たわい。しかしこの白身魚の淡白な味わいには、この塩気のあるタレがよく合うものだの。塩気だけじゃなく甘みもあるのか。それが味を引き立たせておるんだな。今まで生魚の切り身には塩を掛ける程度しか味付けがなかったから、これは中々画期的だの」
老翁は驚いたり喜んだりでコロコロと表情を変化させながら、醤油という調味料に興味を示していた。
「この調味料は一体何なんだ?」
「こいつは醤油っていうんだ。一応東方の調味料なんだが、貿易船があればひょっとしたらオリオールでも手に入るかもしれないな」
「醤油か。儂は長くこの店をやっているが、そういった調味料は見たことがないの。恐らくオリオールでは取り扱ってはおらんな」
それは残念だ。もし醤油が手に入るならこの食べ方が広まって、手軽に刺身が食べられるようになると思ったのだが。
こちらで醤油を提供するのもありだが、それでは定期的な供給がかなわない。いつまでもオリオールにとどまるわけにはいかないしな。
俺は折衷案として、魚醤を作ることを提案した。
「この醤油って調味料は豆から作るんだが、これと似た魚醤であれば魚と塩だけで作れるはずだ。ちょっと癖があるが、しっかりとしたうまみが感じられる」
「ほぉ。それはぜひ教えてほしいものだ」
「教えるのはいいが、ひとつ条件がある」
「条件だと?」
「なに、簡単なことさ。魚醤ができたらそれをオリオールに広めてほしいんだ」
俺の条件を聞いて老翁は訝し気な表情になる。
「何故お主しか知らぬ製法を、多くの人間に教えるのだ?」
老翁の言葉ももっともだ。醤油が広まっていないこのオリオールで刺身の食べ方と合わせて魚醤の製法を売れば大きな利益になるだろう。老翁の反応からも、それは間違い無いだろう。
だが俺の目的は自分で利益を得ることではない。
自慢ではないが、魚醤の製造で得られる利益くらいは冒険者として稼げると自負している。金に困っていない現状、利益に固執する理由はどこにもない。
それよりも魚醤が一般化してオリオールの料理事情が発展する方が俺としてはうれしい限りだ。
自分で作れる料理は限られるし、そもそも俺は料理人じゃない。なら料理の専門家に新たな可能性を追求してもらった方が、うまいものを食べるには効率的だ。
その専門家が多ければ多いほど、新たな可能性と未知なる味が得られるのだ。教えない道理はない。
「ひとえにこの都市の食文化発展のためだ」
「お主……」
適当な言葉を並べたててみたが、老翁は俺の言葉に感激したような表情を浮かべていた。
完全に打算しかないと知ったら何て言われるだろうか。
俺は収納から紙を取り出しさらさらと魚醤の作り方を記す。と言っても生魚を塩漬けするだけなので大した内容ではなかったが。
記述し終えた紙を老翁へと手渡した。
「完成まで半年くらいはかかると思うが、出てきた液体を濾せば魚醤を抽出できるはずだ。刺身以外の料理にも色々と使えるから、出来るだけ広めてアレンジしてみてくれ」
「おお。儂もこの歳で新たな感動に巡り合えるとは思っとらなんだ。感謝するぞ」
老翁は魚醤のレシピを眺めながら満足そうな笑みを浮かべていた。この人ならきっと私利私欲のために製法を独占したりはしないだろう。
と、俺はもう一つの目的を思い出す。
「そういえば爺さんに聞きたいことがあるんだが」
「なんだの? こんないいもん貰ったんだ、それ相応の礼はするぞぃ」
「実は俺たち内海の湾内に船を出したいんだが、許可が必要だって聞いてな。何か方法を知ってたりしないか?」
俺の言葉で店内が静寂に包まれる。
爺さんはぽかんと口を開けたまま固まっていた。
程なくして店内の緊張が解け、続いて飛び出したのは笑い声。ドッと店内にいた漁師たちが一斉に大きな笑い声をあげた。
アミミとヘクスは俺が笑われたと感じたのか、ムッと剣呑な気配を漂わせる。
その気配に数人の漁師が緊張していた。
爺さんはバツの悪そうな表情で、それでも決して他の漁師のように笑うことはなかった。
「お主ら。悪いことは言わん。内海を目指すのは止めておけ。あそこは魔窟じゃ。言ったが最後、生きて戻ることはできん」
「……それでも俺たちは行かなきゃならないんだ。せめて許可を貰うにはどうすればいいか教えてくれないか?」
周囲の漁師たちはなおも笑い続けたが、爺さんは腕を組んで真剣に考えていた。
しかしその答えは俺たちにとって芳しくないものだった。
「今の領主は、恐らく内海への航海の許可を出さんだろうな。というより現行のこの都市の法では、内海への航行許可の発行は停止されておる。つまり、新たに許可を取って海へ出るのは不可能だの」
「てことは、現在許可を持っている人間に船を出してもらうしかないわけか。あるいはそんな法を無視して海へ出るかだが……」
「それは止めておいた方がええぞぃ」
老翁は強い口調で俺の考えを諫める。
「以前お主のように一攫千金目当てで海へ出たやつらがおった。内海には何か宝が眠っていると言い張っての。大半は海獣どもに食い散らかされたが、それでも数人はなんとか陸へと流れついたのじゃよ。じゃがそやつらがその後どうなったか。……処刑されたんじゃよ」
「処刑……でござるか?」
「海に出ただけで処刑だなんて。ちょっと穏やかじゃないね」
「それも仕方ないことなんだの。内海に出て食われてしまう分にはオリオールの軍も手は出さない。じゃがオリオールに再び戻ってくる場合は話が別じゃ。あの海に潜む海獣どもは非常に執念深い。逃した獲物はどこまでも追い続けるんだの。じゃからオリオールに戻ろうとした者たちは、陸にたどり着いたとしても須らくそのまま海に沈められるのだ」
確かに勝手に海に出た挙句、厄災を持って帰ってこられたら、オリオールに住む人間からすればたまったものではない。それが無謀を働いた人間の命で救われるというのであれば、非常に合理的だろう。
そういった考えをするようになった当たり、俺もすっかりこの世界の人間になったということだろうか。
「まあオリオールの対応も分からなくはないな。それで都市の人間を守れるのなら、俺が代表者だとしてもそうするだろう」
「そういうことだの。じゃからそれでも海に出るというのであれば、二度と戻らぬ覚悟で行くことだの」
「ちなみに許可を持ってる人間は大丈夫なのか?」
そこで気になったこと。それはその昔、オリオールが内海へ出る許可を出していたという事実。
安全を取るのなら、許可を出してまで海へ出る人間を厳選する必要はない。初めから危険に触れなければいいのだから。
許可を出してでも得たいものがあったのか。だとしたら今現在の対応は、それを得たから必要なくなった。或いは海獣に対しての対抗策があり、許可を出せる人間はそれらを扱うことができたがそれが難しくなったのか。
ひょっとすると、何らかの方法でオリオールに危険が降りかからないようにする方法があったのではないか。
俺の質問に、しかし老翁は何も答えない。それがまるで答えを示しているかのようで、俺もそれ以上言葉を口にしなかった。
周囲の漁師たちの笑い声が、まるで霞んだように背後を流れていった。
「……ありがとな、爺さん」
俺は爺さんに礼を言うと、爺さんはきょとんと目を丸くした。
「なんじゃ、藪から棒に」
「いや、色々教えてくれたけど、行くなとは言わなかったからな」
「……そりゃお主らが儂の言葉を聞くようには見えんかったんでの」
「だからさ。まあ戯言だと思って聞き流してくれればいいよ」
「……ふん。それを食ったらさっさといね。お主らと話すのは疲れるでの」
それだけ言い残して老翁は再び厨房へと戻っていった。
店内は未だに俺たちを笑う声に満ちていたが、老翁の言葉でその声はあまり気にならなくなっていた。
「で、許可を得るのは無理だって意見を頂戴したわけだが、これからどうする?」
俺は刺身を一切れ取ってヘクスへと問いかける。
よく見ると刺身が既に残り数切れになっている。初めに出してもらったときは数十切れはあったはずだが、俺が老翁と会話している間に随分数が少なくなったようだ。
ふとアミミへと視線を向けると、その視線がついと逸らされた。
「ふむ。これは大変なことになったね。海からではなく空から行ければいいのだけれど。そんな画期的な方法があるわけでもないからね」
ヘクスはチラと俺に視線を向ける。きっと俺に飛んでいけないかと聞いているのだろうが、俺は無言で首を横に振った。
「となると、やはり黙って海に出てしまおうか。それなら戻ってこなければ言いわけだからね」
「だがその後どうする? まさかアールシェイドにでも行く気か?」
「それもいいかもしれないね。でも恐らく、アールシェイドでもオリオールと同じ対応をされるだろう。すなわち、仮にボクたちが船を失うことなく航行し続けたとしても、内海を通ってきたとしれれば港に入れてもらえない。沖へ出たとしても、海獣が追ってきては打つ手なしだろうからね。そのまま遠方の、誰も知らない島に行くというのもいいけれど」
そんなことをすれば戻ってくるのに一体どれだけの時間がかかるだろうか。もし戻ってきたら、俺はきっとクラマスに殺されるに違いない。
その考えを読み取ったヘクスが微笑を浮かべた。
「そんな無謀は犯さないよ。それにトールはまだしも、ボクの方が死亡率が高いだろう。レイラの紅蓮に晒された日には……。考えたただけで身震いするよ」
ヘクスは両肩を抱えて震える真似をする。乏しい表情の中には確かな恐怖心が覗いており、それが演技だけではないことを示していた。
「とはいえ根本的な解決は難しいね。一番は許可を持っている人間を探し出して、その人に船を出してもらうよう依頼することだろうけれど。果たしてその人物が生存しているかどうかすら分からない。はてさて、どうしたものか……」
「またヘイスール殿に聞きに行くでござる?」
アミミが案を出してくれるが、きっとその案は無意味だろう。それが分かっているなら既に俺たちに情報を与えてくれているはずだ。
だがヘイスールは許可が必要なことだけしか俺たちに伝えなかった。つまり、それ以上の情報を持っていなかったということだろう。
どうしても秘密にする必要があったとなればその限りではないかもしれないが、話した時の様子からはそのような雰囲気は感じられなかった。
「取り合えずこの都市の図書館にでも行ってみようか。仮に許可を持っている人物を探すにしても、その人物が生きているかどうか見当もつかないからね。この都市の法がいつ変わったのか、詳しい内容を探るだけでも色々と条件を絞り込むことができると思うよ」
「そうだな。少なくともそいつは法律が変わる以前から生きている人間じゃないとおかしいからな。それに法律の適応範囲とかも調べれば、このオリオールに住む人間だけなのか、或いは外から来たものも含まれるのかが絞り込める」
「なるほど。2人とも頭いいでござるな!」
「カァ」
頭悪い発言をするアミミにワシがコツコツと頭をつついた。アミミは全く気にしていないようだ。
「さて。そうと決まればさっさと食べてこの都市の図書館へ向かうか。て、刺身がないんだが?」
俺がアミミに視線を向けるとまたもやついと視線を逸らされた。そしてヘクスも。
ワシが翼を広げて俺の肩へと飛び移ってくる。そしてファサファサとその羽毛で優しく撫でてくれた。
ワシの慰めを嬉しく思いながら、同時に動物に慰められる自分が酷く惨めに思えた。




