72.さっしーみ
中央区から歩くこと30分ほど。徐々に食事処から雑貨屋や商店、民家と周囲の景色が移り変わってくる。
その変化を眺めるのに退屈しなかったので、割と楽しく中央区を通り抜けた。
別に北区と中央区で町の作りが違うとかはなかったが、境に設置されていた看板が俺たちに別の区へ移動したことを知らせた。
周囲を見回すが話に聞いていた港や研究所のような公共施設は見えてこない。港に出るまではもう少し距離があるようだ。
北区に入ってからは暫く変化のない景色を眺め、じっくりと時間をかけて歩いた。先に焼き魚の串を食べたといってももう昼を過ぎて少し経っている。アミミは随分腹を空かせているようだ。
勿論俺とヘクスも同様、中途半端に腹に詰めたもんだから大した満足感も得ないままでの移動に空腹が強まってくる。
そうこうしていると僅かだが潮の香りが風に運ばれてきた。
それだけでテンションが上がったのか、アミミの足取りが少し軽くなる。ヘクスもおやといった様子でその香りを鼻腔いっぱいに吸い込んでいた。
その頃には少し都市の風景も変わってきており、民家が少なく商店や商業施設の姿が多くなってくる。漁に使う道具だったり、釣りの道具だったり。
あとは研究所や学園といった施設用か、紙や筆などを取り扱っている店も見受けられた。
その中にちらりと地図が見えた気がして、アミミが一目散に店へ向かおうとするが、襟首をつかんで進行を阻止する。
「トール殿ー。後生ですから、行かせてほしいでござるー!」
「はいはい。後で行けばいいから。お前食い物より地図の方が大事なんだな」
「当たり前でござる。拙者の旅の目的でござるからな」
えへんと偉そうにふんぞり返る。
そんなことを言っても口元に溜まった涎が少し漏れたのか、慌ててずるずると啜った。隠し切れない食への欲望に呆れて溜息が出る。
「そんなところで燥いでないで、どうやら港が見えてきたみたいだよ」
ヘクスの言葉に促されて俺とアミミも慌てて道を進んだ。現在地が少し高い所に位置していたのか、建物などの景色が一気に開けると眼下に港と様々な建物が並んでいる。
港には大型の帆船が数隻停泊しており、その近くでは漁師と思われる男たちがせっせと船内から荷を下ろしていた。その中に魚介満載の木箱なども見える。
今まさに帆を縛っている所を見るに、どうやら漁から戻ってきたところなのだろう。
それらの船のさらに先へ視線を移すと、広大な水平線が広がっている。見渡す限りの青い海。広大な海原。
沖合にも船が見え、帆に風受けながら港へと向かっている。陽の光に煌めく海を、波をかき分けながら突き進んでいた。
漁から帰還した他の帆船か、あるいは海上輸送を行っている貿易船だろうか。
景色が開けたからか一層潮の香りが強くなる。
潮少し肌がべたつく感じがするが、それも海に来たことを実感させた。
「わぁ。すごいでござる……」
アミミの呟いた言葉は年相応の子供を感じさせるものだった。素直に飛び出した感動の言葉。
普段は武士として、侍として、凛とした姿勢を崩さない(食の前では崩れるが)アミミだが、今は目の前の光景に感動を覚え、その迫力に飲まれたように呆然としている。
きっとこれほど近くで海を見るのは初めてなのだろう。
オリオールまでの道中に見えた湾は、海ではあったが自然の広大な景色が過ぎるだけのため、だだっ広い水たまりに近い。
しかし今目の前に広がる景色は目線に近い高さにある。それがより一層、海というものを身近に感じさせた。
少しだけアミミに世界の景色を見せてやれたことに嬉しさを感じつつ、その頭をポンと優しく撫でてやる。アミミはしっかりと今の光景を瞳に焼きつけるように、瞬き一つせずまっすぐ視線を海へと向けていた。
アミミの肩ではワシも雄大な光景に目を白黒させて驚いている。
空から幾らでもそんな景色を見れるだろうと思わなくもないが、きっと低い目線から見る雄大な様は空からの景色とは違う感銘を受けるのだろう。
「ここから降りるようだね」
ヘクスが近くにあった階段を指して階下への経路を知らせる。
俺はまだ呆然とするアミミを促して港へと続く階段へと向かった。
100段ほどはあるだろうか。階段は港の手前まで一直線に続いており、そこそこの高さだ。
階段を降りると周囲には様々な店舗が軒を連ねており、特に漁に使う道具類の店が多い。またはエサなどを販売しているのか、所々にアミエビのようなエサの入った樽が置かれており、魚介特有の生臭い臭いがあたりに立ち込めていた。
港に近すぎるためか、魚を売るような店は見られない。新鮮な状態で中央区の飲食店などに直接卸しているのかもしれない。後はゴンドラで各地区を回りながら販売しているのだろう。
俺たちがゴンドラで水路を移動しているときも時折そういった船を見かけた。
この世界に車などはないが、移動販売車に近い形態をとっているのだろう。確かに港に態々足を運んで魚を買うよりも余程効率的だ。
周囲の商店を眺めながらどこか食事のできそうな店を探す。
いくつか食事のできそうな店舗は見かけたが、問題は果たして生の魚を提供しているかどうか。
隣でアミミがすっかり口癖になったのか、『さっしみー』と楽しそうに口ずさんでいる。これで生魚の提供している店がなければ自分で捌くしかなさそうだ。
片っ端から聞きながら探してもいいが、できれば店を熟知している漁師に直接聞けるとありがたい。が、現在漁師たちは帰港したばかりなのか慌ただしく荷物の上げ下げをしている。
下ろすばかりでなく積み入れるのは、翌日の準備なども含まれているのだろう。
「おやおや。旅人さんかい?」
そう声をかけてきたのはひとりの老翁。白いひげを顎にたっぷり蓄え細めた目が実に優しげである。
老翁は側に置かれていた樽の上に腰を掛けていたが、ゆっくりと立ち上がると俺たちの方へと歩み寄ってきた。
「やあ。実はこのあたりで生の魚が食べられる店がないか探しているんだ」
「ほぉ。魚を生で食べたいとは珍しいことよ」
港の主かのような雰囲気を漂わす老翁が意外そうな態度を示す。まるでそれが答えだといわんばかりの回答に、アミミが少しだけ残念そうな表情を浮かべた。
その様子に気づいたのか、老翁は笑みを深くする。
「ほほ。お嬢ちゃん、大丈夫じゃよ。ちゃんと生魚を提供している店はあるぞぃ」
「ほんとでござるか!?」
「ほんとじゃとも。まあ漁師の間だけでしか出回っていないからの。それにあまり好まれておらんのもあって、広まっていないんじゃよ。それでも良ければ案内するが……」
「構わないでござる! さっしーみー!」
「さっしーみー? ふむ。まあ良い。ではついてきなさいな」
勝手に話がまとまって老翁についていくことになった。まあ俺たちも一緒にいるので、人さらいとかではないだろう。
それにこんな漁港の真っただ中でそのような犯罪を犯そうはずもない。
……と思っていたら、老翁は海側とは反対方向の少し奥まった建物へ向かって歩いていく。階段を上るわけではないようだが、港からは建物が死角になるような位置だ。
そのまま暫く階段側に面した高い壁と建物の間を道なりに進むと、急に視界が開けた。
今まで側にあった建物の屋根に隠れて視界に映らなかったが、すぐ先には茶色の巨大な建造物。ここから全貌は確認できないが、大きめの塔がいくつか設置されているようだ。恐らく研究施設か学園のどちらかだろう。
老翁はその建物には向かわず海側の方へ向きを変えると、巨大建造物に面した一軒の建屋に入っていった。
その様子を見守っていると、ひょっこり顔を出して手招きしてくる。
俺たちは顔を見合わせ、おとなしく老翁について建物に入った。
建物の中にはいくつかのテーブルと椅子が設置されており、整然とした配置ではなく乱雑におかれている。恐らくここが老翁の言っていた店なのだろう。
店内は暗く客のひとりもいない。元より店主がいなかったのだ。開店休業状態だったのだろう。
老翁は楽し気にそばにあった布を取ると、それを前掛けのように腰に巻き付けた。
「さて。まだ魚が届いてないんでな。適当な席に座って待っとってくれ」
誰も客がいないことに怪しさを感じ少し疑ってしまったが、どうやらまだ開店前だったようだ。
老翁はふんふん鼻歌を歌いながら厨房で仕度を整えているようだった。
取り合えず俺たちは老翁に促されるまま厨房にほど近いテーブルへ腰を下ろした。
暫くして、ヘクスが俺の耳元に顔を寄せて囁いてくる。
「トール。ここは食事処なんだろうか?」
「あの爺さんの言い草からしてたぶんそうだろうな。つまり生魚を提供してくれるのはあの人だったってわけだ」
「非常に興味深いのだが……。誰も客がいないぞ?」
「……言うな」
改めて言葉にされると余計意識してしまう。
席に着いてから暫く経つが、その間誰もこの店に入ってこない。未だに厨房からは老翁の鼻歌と何かをくつくつと煮込む音だけが聞こえてくる。
このままここにいていいものか。ひょっとして変な料理が出てくるのではないか。
だがアミミは両手にナイフとフォークをもってウキウキしっぱなしだ。老翁の言葉を100%信じているらしい。
あと少し経って何もなければ帰ろうかと思っていると、遠くからざわざわと声が聞こえ始めた。複数の人間がだんだんこの場所へと近づいてくる。
するとあれよあれよと店内に漁師と思われるガタイの良い日焼けした男たちが入店して、あっという間に席が埋まった。外には入りきらなかった漁師たちが待っているのか話し声が聞こえてくる。
俺たちがおっかなびっくりしていると、老翁が厨房から姿を表して俺たちに近づいてきた。
「待たせたの。食材が来おった。もう少し待っておれ」
そういうと老翁は方々の席へ回りながら漁師たちと一言二言会話をする。その都度漁師たちが持ってきた魚を受け取っていた。それぞれがかなりの大物である。
老翁は一通りのテーブルを練り歩いた後、たくさんの魚介を抱えて厨房へと戻っていった。
「なるほど。この店は現地調達した食材を調理してもらう仕組みなんだね」
「漁師たちの御用達って感じだな。なるほど、これなら新鮮な食材が集まるわけだ」
獲れたて新鮮な魚介が港に上がってすぐ持ち込まれるわけだ。新鮮でないわけがない。
先ほどまであった不安は吹き飛び、俺たちは老翁の出す新鮮な魚介を心待ちにした。
周囲の漁師たちも同じ気持ちなのか、自分たちの持ち込んだ食材を待ちわびているようだった。
暫くして老翁が姿を見せると、手元には生魚の薄い切り身が円状に並べられた大皿を持ってやって来た。
俺たちのテーブルまで来てそれをごとりと中央に置く。
「ほれ。これが生の魚料理じゃよ」
「ほほー! これがさっしーみでござるな!」
「そのさっしーみとはなんぞや。……まあ良いがの。ゆっくりしていってくれ」
老翁はそれだけ言い残してそそくさと厨房へと引っ込んでいった。
その様子を見た周囲の漁師たちが俺たちに気づいたのか、一様にこちらに視線を向けてくる。見知らぬ人間がこの場にいることが余程物珍しいのだろう。
近くの席に座った漁師が妙なテンションで俺たちに声をかけてくる。
「兄ちゃんら、こん店に来るとは中々目が肥えとるのぉ!」
「はは。たまたま生魚を食べられる店を探していたら、さっきの爺さんに案内されてね。ここはそんなに有名なのか?」
「まあある意味な。有名なんは漁師にだけだ。ここは昔からおいたちが持ち込んだ魚を調理してくれるんよ。だから漁師はここん足しげく通うわけよ」
「ははは。そうじゃそうじゃ」
男の言葉に周囲の漁師たちも同調して返事を返す。
余程この店のことが好きなのだろう。
「ほい。兄ちゃんら、さっさと食べんと、悪ぅなってまうぞ。何ならおいが代わりに食べちゃろうか?」
漁師はにんまりと口端を歪めていやらしい笑みを浮かべた。
俺たちは苦笑いしながら手を上げて挨拶を返す。
見るとアミミが待てをされて限界ギリギリな犬のように、大皿に盛られた刺身を目を見開きながら涎をぼたぼたと垂らしていた。
確かに目の前に並べられた刺身は透き通るような薄造りでぷりっとした白身が食欲をそそる。早く食べたいという気持ちも頷けるものだ。
待ちきれないアミミにゴーサインを出す。
「じゃあ食べるか。さしみは鮮度が命だからな」
「頂きますでござる!」
「ボクも頂くよ」
俺の言葉とほぼ同時に頂きますをするアミミ。こういうところは律儀だな。きっと両親の教育の賜物だろう。
テーブルにはフォークとナイフが置かれているが、ここはやはり和風に箸を使用しよう。収納から取り出した箸をアミミとヘクスへと手渡す。
流石手慣れたアミミは、さっそく一切れ掬い上げるとそれをぱくりと口に放り込んだ。
「ん……。んん? うまい……でござる」
と、リアクションはあまり芳しくない。
そりゃそうだ。何も調味料をつけていないのだから。
一応そのままの魚を食べてもうまいことはうまいだろうが、そんな食べ方をするのはかなりの上級者だろう。
ヘクスも一口刺身を食べ、アミミと同じような反応を示していた。
俺は収納から醤油に近しい調味料を取り出すと、一緒に取り出した小皿に盛り皆に回す。
「これで食ってみろ」
「これは調味料、かな? トールはいつも面白いものを用意してるね」
「おー。これはショーユでござるか。ショーユを魚につけるとは、トール殿は中々面白いことをするでござるな」
どうやら東方では醤油を魚につけるような使いかたはしないらしい。
刺身もないし、元の世界とは色々と違いがあるようだ。そのうち東方に行った際に食文化を確かめたいものだ。
「んまいでござる!」
「うん。これは中々に美味だ。調味料につけると淡泊だった味わいが引き締まるね。それにしても焼いた魚はふっくらと柔らかかったが、これはこりこりとした食感で違った楽しみ方ができるね。食を通して多様性というものを感じさせられるよ」
ヘクスも高評価だ。俺も刺身を一切れ取る。
淡泊な白身魚だが、光に透かすと透明に近い美しい薄造り。身の端に血合いが残っているが鮮やかな赤をしており新鮮なことを主張している。
たっぷりその姿を眺めた後、俺は軽く醤油にくぐらせ口に含んだ。
醤油のうまみが舌の上に広がり、歯で身をかみ砕く。まだ絞められて間もないのだろう魚の弾力を感じながら、数度咀嚼をして粉々になった身を嚥下した。醤油が適度に絡まり一体となった身片を飲み下す。
「うまい……」
ほっと息を吐きだす。
酢飯があれば寿司でも作りたいところだ。と言いつつ収納にはあるが、勿論実行には移さない。
アミミ達もうまうまと次々刺身を口に運ぶ。大皿に盛られた刺身はかなりの量あったが、あっという間にその数を減らしていった。
俺は久方ぶりの刺身に舌鼓を打ちながら、その身片がなくなるまで黙々と刺身を食べ続けるのだった。
さっしーみ、さっしーみ。
……寿司くいてぇ。




