71.生の魚が食べたいだけ
ヘイスールの店を後にした俺たちは一先ず腹ごしらえをすることにした。
オリオールは今いる門に面した南区の他に4つの地区があり、住宅の多い西区、海側に面した港や学術研究所、学園といった公共施設のある北区、高級住宅街の立ち並ぶ東区、商店や食事所、宿などが軒を連ねる中央区の5つに分類されている。
水路は各区を縦断するように時計回りに設置されており、常に一方通行で循環していた。
この都市の象徴たる中央に座する尖塔、通称水霊の塔は、中央区のど真ん中に立っており、海水を濾過してこの都市に水を循環させる重要な役割を担っている。
意外にも尖塔から噴き出す水は空中で霧散し、地表に到達する頃には霞よりなお細かくなって、体を濡らすことはない。一方で都市の水路などに潤沢な量の水を供給し続けている。
それも魔法具の特性なのだろうが、どうなっているのか不思議な仕組みだ。
一応オリオールの名所となっており、中に入ることはできないが近くまで行くことはできるので、時間のある時にでも行ってみよう。
今回はゴンドラには乗らず、徒歩で町を散策しながら中央区を目指していた。
ベルベッタ達の店やヘイスールの店は都市の入り口がある南区に位置しており、俺たちが泊まった宿は格式高いのか東区に位置している。ゴンドラで通り掛けに中央区を抜けてはきたが、水路から内側に入った場所には未だ立ち入っていない。
そんなわけで、水路からとは異なる景色を眺めつつ、のんびり歩みを進めていた。
「アミミ君は何が食べたい?」
「拙者は肉がいいでござる」
「ダメだよ。ちゃんと野菜も食べなきゃ」
いつの間にそんなに仲良くなったのか、2人は手を繋ぎながら仲良さげに歩く。俺はそんな2人を眺めつつ、後ろについて歩いていた。
こうして見ると仲の良い親子、いや、兄弟か。
水路の透き通るようなせせらぎが耳に届き、少し湿った風が通り過ぎ体温を少しだけ奪い取っていく。
今日は随分と天気がいい。涼し気な陽気に自然と瞳を閉じる。
「トール殿は何がいいでござるか?」
ふいに掛けられた言葉に閉じていた目を少しだけ開いた。
レンガ造りの建物は湿度からか蔦やら苔やらの緑に外壁を覆われている。傍らを通り過ぎるゴンドラが、未だに元の世界を引きずる俺の目に否応にも異国を感じさせた。
そんな風景の中に佇む桜色の和服に身を包んだ少女の姿が、あまりに違和感を感じさせ、俺は返事を忘れて笑みだけ浮かべた。
それがお気に召さなかったのか、アミミが頬を膨らませて抗議の声を上げる。
「トール殿。そんなんだからダメなんでござるよ。女の子の質問にはすぐに答えないといけないでござる」
「ボクもそう思うよ。笑ってごまかそうったって、そうはいかないからね」
そんな2人の反応が面白くて、笑い声が漏れそうになるのを何とか堪えた。
俺の反応がどういうことか分からなかったのか、2人して小首を傾げる。その姿が妙に揃っていて、やっぱり堪えきれずに俺は声を漏らした。
「トール殿。真面目にするでござる!」
「ははは。すまんすまん。2人が同じ動きをしたもんだからついな。で、何の飯屋に行くかって話だったか?」
「そうでござる。拙者は肉がいいでござる」
「ボクは野菜の方がありがたいね」
そんな2人の答えを聞き終えて、俺は大仰に溜息を吐いた。
「おいおい、お前ら一体どこに来たと思ってるんだ? ここはオリオールだぞ。海洋都市、オリオール。なら悩むまでもない。答えは、魚しかないだろうが」
「それは昨日食べたでござる」
「如何にも。そんな毎日魚ばかり食べなくてもいいよ」
「分かっていないなぁ、君たちは」
俺は人差し指を立ててチッチと左右に揺らした。しかし2人は何のこと分からずぽかんとしている。どうやらこのジェスチャーは異世界共通ではないらしい。
気を取り直して話を続ける。
「魚料理と言っても昨日食べたのは煮魚と焼き魚だ。だが魚を最も美味しく食べる方法がまだ残っているだろ。アミミ、お前ならわかるはずだ」
「んー?」
俺の言葉にアミミが腕を組んで考え始めた。
俺がさしている答えは勿論刺身。つまり生食だ。
一応アミミの故郷、東方の国は日本が源流になっていると思われるため、アミミからすれば常識問題だろう。
……と思っていたのは1分ほど前までのこと。
結局アミミが出した答えは、
「分からんでござる!」
「いやいや。お前が普段実家で食べていた食べ方を言えば当たるはずだろ」
「んん? 拙者の実家では魚は焼きか煮でしか出てこなかったでござるよ?」
今度はこっちが頭に『?』を浮かべる番だった。
日本の流れを汲んでいるのなら刺身は当たり前ではないのか。と思っていたが、どうにもアミミの反応からそうではないようだった。
するとヘクスが俺の疑問に答えを寄越した。
「なるほど。トールが言いたいのは魚を生で食べるということだね」
「そうそう。刺身刺身」
「刺身? というのはよく分からないけど、確かに一部の漁村では魚を生で食べる習慣があると聞いたことがある。けどアミミ君の故郷、は東方の国かな。あちらの方では生食の習慣はなかったはずだよ。生食は海で獲れる魚は大丈夫だけど、川の魚は虫がいるから危険だそうだからね」
そこまで聞いて俺は考え至る。
東方の国は元の世界の日本を源流にしているのは間違いない。とはいえ、日本と環境まで同じかと言うとそうではない。最も大きな違いは、島国ではないということ。
つまり海産物に恵まれた土地ではないわけだ。
実際東方へ行ったことはないので地図や噂から得た知識程度だが、東方の国は大陸内地に位置しており、周囲を峻険な山々と広大な森に囲まれている。領土は非常に広大なのだが、前述したとおり多くの面積を山と森が占めているため、実質国として人が暮らしていける面積はさほど広くない。
一応領土の端は海に面しているそうだが、中心地から海までは魔獣が蔓延る森が立ちはだかっているため、海との間にアクセスルートが確立していないそうだ。
日本のような国ということで勘違いしていたが、改めて地形情報も含めて考えると、東方の国で海産物を手に入れることは難しい。逆に山から流れ出る水脈で水資源は豊富にあるため、魚と言えば川魚が主流だ。
だがヘクスも言った通り川魚は寄生虫が多く、生食には向かない生き物である。恐らく古人の知恵から、火を通した上で魚を食すというのが文化として根付いているのだろう。
要するに日本っぽいという理由だけで東方では魚を生食しているという、勝手な考えを持った俺の勘違いだったということだ。
「すまん、アミミ。てっきり東方の人間は生の魚を食べると勘違いしてたわ」
「ぷんぷん、でござる。けど別にいいでござるよ。ご先祖様は魚を生で食べていたそうでござるから」
「それは確かだろうね。大昔はまだ魔の森がそこまで広範にわたって広がっていなかったらしいよ」
なるほど。昔はしっかりと海産物を獲っていたようだ。長い時間をかけて、きっと生活を変えるほどの環境の変化が起きたのだろう。
魔の森がどんな場所かは知らないが、東方の侍はそれぞれが一騎当千の強者だ。彼らをもってして海へと繰り出さないのは、それだけ魔の森が危険な場所だからか、或いは生食の文化が歴史に埋もれてしまったためか。
「さて、気を取り直して魚を食いに行くぞー。さっしーみー、さっしーみー」
「さっしーみー、さっしーみー、でござる」
俺とアミミはウキウキした足取りで中央区へと向かう。
ヘクスとワシはどこか呆れ気味な表情で嘆息し、俺たちの後を追うのだった。
「いらっしゃいませー!」
中央区は噂に違わぬ賑わいを見せており、商店が軒を連ね宿屋があちこちに乱立している。呼び込みが喝采の如く頭の上を通り過ぎ、方々でぶつかって打ち消しあっていた。
少し離れた位置に聳える水霊の塔は、見上げんばかりに巨大で頂点に視線を向けると首が痛くなるほどだ。
間近に見る尖塔の高い位置からかなりの水が噴出しており、ゴゴゴと巨大な音を響かせている。天から滝のように降り注ぐ水量が、しかし途中で霧のように細かな水滴に変わっていく様は何とも幻想的だった。
水霊の塔から振りまかれる純水は決して体に降りかかることがないため、水が体温を奪っていくことはない。しかし周囲の環境には影響を及ぼすのか、他の区画に比べ全体的に気温が低く感じられた。
周囲の呼び込みが熱量を帯びているのも、その反動のせいかもしれない。あるいは滝のように降り注ぐ水音に負けじと声を張り上げているのか。
「生食できる店はどこだろうな」
「取り合えず適当なお店に聞いてみたらいいんじゃないかな? 闇雲に探すよりも知っている人間に聞いた方が早いからね」
「そうだな」
目の前一直線に伸びる街路はオリオールのメインストリート。言わば商店街の一等地である。
公国や王国に引けを取らないほどの賑わいに、雑踏をよけながら俺たちはちびちびと進む。
この通りには飯屋が固まっているようで、雑貨や武器防具の店などはどこにも見当たらない。そしてやはりというべきか、見る店すべてが魚介を扱っているようだ。
店舗を構える所もあれば、屋台のように表で魚や貝を焼いている店もある。そこかしこで魚介の焼ける香ばしい香りが漂っていた。
「お兄さんお姉さん、うちの串焼き美味しいよ」
ノロノロ歩きの俺たちに声をかけてきたのはアミミより少し大きいくらいの少女。
見ると屋台の軒先で呼び込みをしており、その奥で母親らしき女性が魚の身を刺した串を焼いていた。タレなどは付けず、塩のみを振りかけて調理しているようだ。
ちなみにほかの国では塩もそれなりに値の張る調味料だが、オリオールは海が近いので安価に塩が手に入る。
少女の誘いに乗ってアミミがトタタと屋台へ近づいていく。
「おばちゃん。ひと串おくれ」
駄菓子屋に駆け込む子供か、と思わずツッコミそうになったが、何とか言葉を飲み込んでアミミについて屋台へと向かった。
「はい。一本銅貨50枚よ」
「それじゃあ後3本お願いするでござる」
「あらあら。ありがとう。それじゃあ銀貨2枚かしら」
お金を渡したアミミはさっそく1本串を受け取る。串は炭火であぶられており、皮目がぱりぱりの魚の身片が3切れ刺さっていた。身からは脂がしたたり落ち見るだけでもジューシーさが伝わってくる。
串を受け取ったアミミはさっそく一口。
「ぅんまいっ、でござる!」
「うふふ。ありがとう」
「お兄さんたちもどうぞー」
呼び込みの少女が後から焼かれた串を受け取り俺たちに差し出した。
俺とヘクスも1本ずつ受け取り口にする。
身は肉厚でふっくらと中まで火が通っている。適度に脂が落ちているためかそれほどしつこくなく、塩のみの味付けだから後味は意外とあっさりしていた。噛むたびにギュッとした弾力が返ってきて、脂とともにうまみが溢れだ出す。
「確かにうまいな」
「うん。昨日のピンクスカッドもおいしかったけど、ボクはこっちの方が好みだね。程よい弾力に適度な脂身。脂も少し甘みを感じさせる上質な脂だ。これが銅貨50枚で売ってるのは中々値打ちものだよ」
ヘクスがここまで褒めるとは意外だ。普段ヘクスは思索に耽ることが多いため、食に対しては無頓着。昨日ピンクスカッドをうまいといったのも久々に聞いた言葉だった。
「えへへ」
俺たちに褒められたことが嬉しかったのか、少女は顔を綻ばせた。
「あらあら。よかったわね」
「うん」
何とも微笑ましい光景である。その横でアミミはうまうまと串を頬張っていた。目的を忘れるなよ目的を。
「つかぬことを聞くが、このあたりに生の魚を提供している店はあるか?」
「生の魚? それは魚を販売しているということかしら?」
「いや、魚を生食できる店を探していてな。この辺りは飲食街になっているから、そういった店の一つでもあるかと思っていたんだが」
「魚を生で提供しているお店ねー。あまり聞かないかしら」
意外だ。オリオールはすぐ近くに港があるから生の魚を提供している店は山ほどあると思っていたが、まさか現地の人間でも知らないとは。ひょっとしてこの世界全体で生食の習慣が失われてしまったのだろうか。
思い返してみると俺もこの世界に来てから店で生の魚を食べた覚えがない気がしてきた。
元の世界でも海外では魚の生食文化が珍しいと聞いていたが、海洋都市であるオリオールですらそうなのかもしれない。
すると女性はんーと人差し指を顎に当てて唸ると、閃いたようにポンと拳を作って手のひらを叩いた。
「魚のことなら専門家に聞いた方がいいかしら。前に聞いたんだけど、漁師の人たちは魚を生で食べることもあるらしいわ。だから港に行って直接聞いた方がいいと思うのよ」
「港か。けど今の時間帯、漁師は港に戻ってきてるのか?」
「日の出前に出て昼頃に戻ってくるから、今から向かえばちょうど着くころじゃないかしら」
「なら港に行ってみるか。情報ありがとな」
「うふふ。ちゃんと買い物してくれたからお安い御用かしら。港にもちゃんと食事を出すお店があるから、そこなら魚を生で提供しているかもしれないわね」
「それはいいことを聞いた。ぜひ行ってみるよ。俺たちは暫くこの都市に滞在するから、また寄らせてもらう」
「あらあら。人妻を口説くなんて、いけない子ね。でも楽しみに待ってようかしら」
「は、はは」
何言ってんだこの人、と思いながらも有益な情報をいくつも貰えたので、苦笑いしながら心の中で感謝する。
「アミミ、ヘクス。せっかく中央区に来たところだが、予定変更だ。港に向かうぞ」
「承知でござる。もぐもぐ」
「ボクも了解だよ。もぐもぐ」
まだ返答した後に食べるだけましか?と思いながら、女性と少女に改めて礼を述べてから、俺たちは港へと足を向けた。




