70.それは正気ですか?
水面は朝日を浴びてキラキラと色を変化させ、その只中を波を立てて水路をゴンドラが進む。
船頭は長めの棒を水底にぶつけて器用に方向を調整し、俺たちを乗せてから何度目かの着岸を行なった。
「アミミー。早くしろよー」
「分かったでござる!」
ふんすと鼻息荒く、アミミがゴンドラから降りて商店へと駆け込んでいく。
俺はその後ろ姿に投げやりな態度で言葉をかけるだけだった。
船頭に聞くとヘイスールの商店まで30分ほどで到着するとのことだったので、俺たちは暫し観光気分を味わいながら都市を周遊しようという話になった。
しかし当然予定通りにことが進むわけもなく、今は絶賛アミミの目についたお店を片っ端から途中下車して見に行くという行程をとっていた。
最初の数店は俺も付き合う元気があったが、食べ物の店につくたび下船する物だから、今は降りずにただ戻ってくるのを見守るだけだ。
幸い店先はどこも水路から見える位置にあるので迷子になる心配はない。
そんなアミミの様子を眺めていると、後から来たゴンドラが俺たちの横をすっと追い抜いていった。
乗船している老夫婦がその様子に朗らかな笑みを浮かべる。俺は苦笑混じりの笑みを返した。
「トール殿、トール殿。イカ焼きなるものを買ってきたので収納に入れておいて欲しいでござる」
一本は自分で齧りつつ、袋に包まれた他のイカを俺に差し出してくる。タレの焼ける香ばしい匂いがあたりに立ち込めるが、何度目かともなると流石に食指も動かなかった。
俺たちは適当な返事を返して空間収納へイカ焼きを放り込む。
「うーん。うまいでござる」
「カァ」
イカ焼きをモチャモチャと頬張りながら、時折ワシにお裾分けする。こいつらの食欲は2人揃って無尽蔵か。
そんなアミミとは対照的に、俺の隣で突っ伏し青い顔をしているもうひとり。
まさにデロ〜ンと言う言葉がバッチリな体勢でヘクスがゴンドラの縁に体をもたれかけていた。
「うぅ。水先人君、もう少し揺れを抑えてくれないか?」
力ない言葉を船頭に向けるヘクス。すると一艘のゴンドラが傍を通り過ぎ、引き起こされた波に船体が左右に煽られた。
揺れに耐えきれず、ヘクスが頬を大きく膨らませ中身が出ることを何とか堪え……切れずに水面へとぶち撒けた。
その様子に船頭は苦笑を浮かべる。
行きの馬車と同様、ヘクスはゴンドラに酔ってダウンしている。
ちなみに昨日大丈夫だったのは酔い止めの魔法が効いていたからだ。
またかけてやってもいいが、平常運転は平常運転で面倒くさいから放置していた。が、この状況も大概面倒くさいと思い直し、俺はヘクスに魔法をかけてやる。
「ふ、ふぅ。楽になったよ。ありがとう、トール」
先ほどよりスッキリした表情を浮かべるヘクス。
厳密には平衡感覚を鈍らせる麻酔のような魔法なので、酔いを覚ましたり快復させると言うわけではない。
なので現在進行形で揺れ動く船の上では、気分の不良を軽減できても防止とまではいかないようだ。
「あぁ。まだ気分が優れない。少し凭れさせてくれないか?」
と言いつつ俺が答えを返す前にヘクスは俺の膝を枕にして横になった。
完全に気分が優れたわけではないので、渋々俺はヘクスのされるがまま膝をかすのだった。
「ヘクス殿。イカを食べれば治るでござるよ」
「う、うぐ。アミミ君、それはどこの民間療法だい?」
アミミにぐいぐいとイカを押し当てられ必死に抵抗するヘクス。その情報の出自を尋ねるが、多分理由はご飯を食べれば元気になるとかだろう。
「ご飯を食べれば元気になるでござるよ!」
ほら、やっぱり。
「ふ、ふふ。そんな根拠のない治療法は承服しかねるね。それよりアミミ君が美味しくいただいてくれた方が、ボクとしても嬉しいんだけど」
「そうでござるか? ……仕方ないでござるな。そんなに言うなら拙者が頂くでござるよ」
アミミはニコニコしながら手に持ったイカ焼きを美味しそうに頬張った。まさに花より団子。……とはちょっと違うか。
そうしてまた何度かの停泊の後、昼頃になってようやくヘイスール商会が見えてきた。
陽が高い時に見ると感じる荘厳さがまた違って見える。まっすぐ伸びた視線の先、商会の建物を通り越した背後に尖塔がまっすぐ伸びて複数の虹を作り出していた。
徐々に商会が近づいてくるとゴンドラはゆっくりとスピードを緩め、商会の前に設置された桟橋に停船した。
水路は少し低い位置にあるため、商会へはゴンドラを降りてから階段で上れるようになっている。
「ありがとな。長々付き合わせちまってすまない。これは礼だ」
「いえ、こちらも楽しめましたから。ご乗船有り難うございました。またご利用ください」
人のいい笑顔を浮かべて船頭も礼を言う。
俺たち3人は船から降りると、頭を下げながら水路の流れに乗って進む船頭を見送った。
「さて、それじゃあヘイスールのところに行くか」
「そうだね」
「了解でござる」
元気よく返事を返す2人を引き連れ、階段を上がって商会の入口まで向かう。
入口には左右に門衛が立っており、しかし昨日の今日ということもあって俺たちを快く通してくれる。
開いた門を通って建物まで伸びる整備された歩道を歩く。
昨日は陽も落ちてちゃんと見ていなかったが、左右は庭になっており花壇や芝生が広がっている。開けた場所には数台の馬車が止まっており、その向こうに厩舎のような建物が見えた。
恐らく交易のための自前の馬車なのだろう。
建物の扉は木製の大きな両開き扉。
ここに警備の人間はいないため、俺たちは遠慮なく扉を押し開けて中へと足を踏み入れた。
扉の開けると広い空間が広がっており、ふかふかの絨毯が敷き詰められている。向かいに見えるカウンターに座る女性が俺たちに気づき、すぐに立ち上がり近づいてきた。
「皆さま。ようこそおいでくださいました。本日はどのような御用でしょうか」
昨日商会主が直々に応対したため賓客とでも思われたのだろうか。その時の印象が強かったのか、受付嬢は少し緊張した面持ちで俺たちを出迎えた。
「ヘイスールさんに会いに来たんだが、今は会えるかな?」
「え、えと。少々お待ちください。確認してまいります」
そうして小走りに昨日俺たちが案内された部屋の方へとかけていった。
もうひとりいた受付嬢に視線を移すと、緊張からか彼女はびくりと肩を跳ねさせる。
「彼女たちはトールのことが怖いみたいだね」
「俺ってそんなに怖い顔してるか?」
「ふふふ。あまり目つき良くないからね」
「ぐっ、気にしていることを」
すると先ほど肩をびくつかせた受付嬢がおずおずと俺たちの方へと近づいてくる。
「えと、お客様。こちらのソファで少々お待ちください。会長の予定が確認できましたらご案内いたしますので」
「ん? ああ、すまない。気を使わせたな。じゃあお言葉に甘えて待たせてもらうよ」
俺はできるだけ怖くならないよう、努めて朗らかな笑みを浮かべながら答えた。
すると受付嬢はさっきよりも肩を大きく跳ねさせた。その頬には若干赤みが差したように見える。
そのままじりじりと俺から距離をとると、『お飲み物を取ってきます!』という言葉を残して足早に店の奥へと引っ込んでいった。
「俺の顔、やっぱり怖いのかな?」
「……トールはやっぱり性質が悪いよね」
「女たらしでござるな」
「カァ」
なぜか他の女性陣全員からダメ出しを食らう。
何とも腑に落ちないが、ここで言い返すと後で何倍にもなって返ってきそうなので、俺は反論を飲み込んだ。
そうして受付嬢が出してくれた紅茶を啜りながら待つこと5分ほど。アミミが都合10枚目のビスケットを胃袋の中に落したころ、奥の部屋から昨日俺たちを応対してくれたヘイスールの秘書らしき女性が姿を表した。
いかにも仕事のできる女性といった凛々しい姿。長い金髪を靡かせぴしっと伸びた背筋が一分の隙もない。
「皆さま。お待たせいたしました。会長がお会いになるとのことですので、ご案内いたします」
「あ、すまないな。急に押しかけて」
「いえ。皆さまが来た際は最優先で応対せよとのことですので」
「そうか。ありがとう。それと、受付嬢さんにも礼を言っといてくれ。紅茶とお菓子、おいしかったって」
「おいしかったでござる!」
アミミもともに感謝を伝えると、秘書の女性は恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます。皆様のお言葉、後で伝えさせていただきます。それではこちらへどうぞ」
そうして昨日と同じ部屋へと向かって歩きだす。
昨日はちゃんと見る時間もなかったが、改めて壁に目を移すと見事な絵画が並べられている。額装も凝った作りで、派手さはないが素朴な感じが気持ちを落ち着かせてくれる。
暫く進んで昨日案内された部屋が見えてきたとき、扉が乱暴に開かれ男が飛び出してきた。男は語気を強くして部屋の中へと暴言を飛ばした。
「俺は首長の息子だぞ。それを、こんな態度をとってただで済むと思うなよ!」
俺たちはその様子に唖然とした表情を浮かべる。
男は踵を返すと怒りを滲ませる足取りでこちらへと向かってきた。
「ん? 何だ貴様ら。邪魔だ。どけ」
男は不機嫌さを隠そうともせず高圧的な口調で俺たちにその場を退くよう迫る。
姿を見るに、何やら高貴な家柄の人間のようだ。金ぴかの刺繡で彩られた衣装を身にまとい、両手にはじゃらじゃらと宝石を嵌め込んだ指輪を付けている。
背後に2人の女が控えているが、気配から察するに男の護衛だろう。
先ほどの言葉通りであれば、オリオールの首長の息子ということだ。あまり関わり合いにならない方がよさそうだ。
秘書は壁際まで引くと恭しく頭を垂れる。俺たちもそれに倣って壁際まで身を引いて男に道を譲った。
俺たちの前を3人が通り過ぎていく。すると、その途中で男の足がぴたりと止まった。そして視線を俺たちの方、正確にはその中のヘクスへと向ける。
「んん? お前、中々綺麗な顔をしているじゃないか。どうだ? 俺とともに来ないか? 可愛がってやるぞ」
男はまるで品定めでもするかのようにヘクスの顔を見、視線を下へと移していく。途中で一瞬表情が曇るが、再び視線を顔へと戻すと薄く笑んだ。
すると秘書が男を止めるように口を挟む。
「アンドレクス様。この方々は会長のお客様でございます。お戯れはおよし下さいませ」
「ならいい加減俺のもとに来い。そうすれば何不自由ない生活を送らせてやるぞ」
「申し訳ございませんが、私は商会の人間でございます。あなた様の元へ赴くことは出来かねます」
「……ちっ、また来る。今度はいい返事を期待しているぞ」
男はそう吐き捨てると2人の従者を伴いその場を後にした。去り際に従者たちが俺たちへと視線を向けたが、取り合えず無視しておく。
「皆さま。ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」
「ボクなら構わないよ。それに、あれ以上言い寄られていたら思わず手が出ていたかもしれないしね」
ヘクスはぞっとするような冷たい笑みを浮かべた。その表情に秘書はびくりと肩を震わす。
普段整った容姿をしているヘクスがこのような笑みを浮かべると、より一層その冷たさが鋭く感じられた。
「さ、ヘイスール君を待たせるのもなんだ。案内をお願いするよ」
「か、畏まりました!」
秘書は先ほどよりも少しだけ早足に、ヘイスールの待つ部屋へと向かった。その後について俺たちも部屋へと入る。
俺たちが入り終えた時には既に、秘書はヘイスールの側に控えていた。中々の早業だ。
「おお。これはこれは。皆さま、お待たせして申し訳ありませんな」
「いや、こちらこそすまない。昨日の今日で押しかけてしまって」
「いえいえ。構いませんよ。皆様は命の恩人ですからな。それより、先ほど男が出ていったと思いますが、何もなかったですか?」
「ボクが言い寄られたが、そこの秘書君に助けられてね。特に問題はなかったよ」
「いやはや、それは申し訳ないことをしました。彼はこのオリオールの首長様の息子でして。困ったことに、中々に気性の荒い方なのですよ」
「大丈夫だよ。それに、あまりにしつこければそれ相応の対処はさせてもらうからね。ヘイスール君が気にすることはないさ」
「ほほ。それはありがたいですな」
先ほどもそうだったが、まさかヘイスール本人に向かって君づけで呼ぶとは流石ヘクス、恐れ入る。それを簡単に流してしまうヘイスールもまた流石だ。
「それで、本日はどういったご用件ですかな?」
「えっと、ちょっと必要なものがあるんだが、ヘイスールなら用意できるかなと思って聞きに来たんだ」
「何かご入用ですか。自慢ではありませんが、この都市の中にあるものであれば大体ご用意できると思いますよ」
「ほんとか? そりゃよかった」
「して、いったい何が必要なのですかな?」
「船だ」
「船でございますか。今流行りのマイゴンドラでございましょうか? それでしたら安定した速度に先進的なフォルムの最新型がちょうどありますぞ」
「違う違う。もっと大きいやつ」
「大きい船、でございますか? それですと、小型船あたり、でございましょうか。ですが水路を走るには聊か窮屈でございますが」
「いやいや、もっとでかいの。そうだな、帆船くらいがいいかな?」
「……えと、一体帆船で何をしようと?」
「もちろん海に出るんだよ」
「それは……漁で、ございますか?」
「うんにゃ。湾内に出ようかと」
ヘイスールは朗らかな笑みを浮かべたまま、俺の言葉に表情を固まらせた。背後で秘書も同様の反応をしている。
暫く待っても何も返事がこない。するとアミミがとたたとヘイスールに近寄って、顔の前で数度手を往復させた。しかしそれでも反応はない。まるで屍のようだ。
「秘書殿。ヘイスール殿が壊れたでござる」
「いやいや! 壊れてございませんとも!」
「あ、直ったでござる」
「アミミ。それ失礼な」
復活したヘイスールが慌てて言葉を返した。
捲し立てるように言葉を続ける。
「ト、トールさん。湾内、内海へ出られるとは、正気でございますか!?」
「正気も正気。そのためにオリオールまで来たんだから」
「いや、海へ出ること自体がすでに正気ではないのですが……」
ヘイスールは俺の言葉に目を白黒させながら呆れ気味に息を吐いた。
「トールさん。流石のヘイスール商会でもそれは少々難しいですな」
「やはり無理か」
「いえ、帆船の用意はできるのですが、そもそも外海ですら、海に船を出すにはオリオール首長の許可が必要なのです。まして内海はその危険性からも、ほとんど許可が下りることはありません。内海に船を出す許可が出された前例は数えるほどしかありませんし、今現在その許可を持っているものがオリオールにいるのかすら分かりません」
となると、目的地のある湾内に入ることすら叶わないということか。これは本格的に詰んだかもしれない。
「ちなみにその許可を貰わずに船を出すとどうなるんだい?」
ヘクスの質問にヘイスールは少し頭を悩ませ、そして口を開いた。
「そんなことをやった者がいないので何とも言えませんが、恐らく捕まるかと」
「だよね」
まあ当然の回答だろう。オリオールからすれば無断で自国の領海を侵犯されたに近いのだから。となるとますますどうしようもなくなってくる。
結局その場では何の解決策も得られないまま、俺たちはヘイスール商会を後にした。




