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56.オリオールへの旅路

 悪魔の口。

 ヘクスがそう言ったように、公国の南側からオリオールまでに抉れた巨大な湾はそう呼ばれている。謂れは諸説あるらしいが、最も信憑性の高い話はその昔勇者と魔王の戦いで地形が変わってしまった説だ。

 アーリアの話からも、魔王が討伐されたのではなく封印されたという話だし、実際城で魔王の右腕が復活したことからも、この近くで戦いがあったというのはまず間違い無いだろう。

 湾の中には巨大な海棲の魔獣がウヨウヨしているらしく、ひょっとするとその時の戦いの影響が今にも残っていて、魔獣の生態に影響を与えているのかもしれない。魔王の体の一部が海底に沈んでいて、そこから力の残滓が漏出している。あり得なくは無い話だ。


 ちなみに湾の内海側は魔獣に襲われる危険がある為、航行する船は一台も存在しないらしい。また湾を出た外海は大型魔獣の心配が少ないが、そちらは大砂塵を超えアールシェイドの領内まで進まなければ港がないため、実質公国領内からオリオールまで船でたどり着くことは不可能。陸路による湾岸沿いの街道が唯一の移動経路となっている。

 余談だが湾全体が悪魔の口という名称に対して、湾岸部は悪魔の顎門と呼ばれ景勝地になっている。ちょうど公国の首都とオリオールの国境付近で頂点に達しており、そこから左右に広がる切り立った岩壁はまるで大口を開けた顎に見えることからこの名称がつけられたそうだ。相当昔から呼ばれているそうなので、恐らく勇者たちがこの景観を生み出してそう経たない頃に誰かが名付けたのだろう。



 ガラゴロと馬車の振動に身を任せながら、客車から外の景色を見てそんなことをぼんやりと考えていた。


 俺とアミミは現在、オリオールへ向かう馬車に乗っていた。ヘクスの指示した場所は完全にこの悪魔の口、すなわち巨大な湾の中央に位置している。そこに島のようなものがあるのか、あるいは目的地が海底に沈んでいるのか、そして何が待っているのか。まるで何も分からないが、ヘクスはすっかり未知というロマンに目を輝かせていた。

 ただしこれを実現するには問題がある。最も厳しいのはどうやってそこへたどり着くかだ。湾の中央はこの湾岸沿いのどこから見ても、同じくらいの距離がある。しかしどこから見ても、はっきりと視界に納めることはできない。霞んで見える程度には距離が離れているからだ。そうなるとどうしてもそこまでの足、つまり船が必要になってくる。

 だが先に言った通り、湾内には魔獣がうようよしているため、船は出ていない。命知らずで船を出す人間をまずいないだろう。となるとおのずと自分たちで船を出すほかなくなってくる。もうひとつの問題点がそれだ。勿論俺たちの中に船を操縦できる人間はいない。

 つまり船を用意することと、その船をどうにかして操縦すること。この2つの問題が解決できなければ、目的地へ到着することができないということである。ひとつ目の問題である船の入手。これについてはオリオールに行けば何とかなるのではないかということで、今現在馬車に揺られているわけである。


 俺はちらと車内に視線を向けた。

 アミミはヘクスと何やら話し込んでいて、時折笑い声を漏らしている。一瞬俺の名前が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにしよう。突っ込んだら何となく負けな気がする。


 もう一度車内から外の景色に視線を移す。湾岸沿いの街道を進む馬車からは真っ青な海が見下ろせた。距離が余程離れているのか、対岸はまるで視界に映らない。ここから馬車で数日掛けてオリオールまで向かうことを考えると、いかにこの湾が巨大かが分かるというものだ。本当に勇者と魔王の戦いの余波で出来たものだとしたら、一体どれほどの力のぶつかり合いがあったのだろうか。

 空を見上げれば雲がまばらに漂っており、天気予報でいう所の快晴だ。穏やかな陽気と馬車の揺れが眠気を誘う。


 暖かな空気に微睡んでいると、ちょいちょいと誰かが俺の袖を引っ張った。薄目を開けて見るとアミミより少し年上くらいだろうか、そこには猫科を思わせる亜人の少女がぴょこぴょこと耳を揺らしてこちらを見ていた。


「お兄さんお兄さん。良かったらこれ、買ってくれない?」


 そう言って少女が差し出したのは干し肉。手のひら大の干し肉が、少女の持つ籠の中に何枚も積み重ねられている。

 こういった乗り合い馬車では車内で商売をする者も珍しくない。御者にいくらか金銭を払い、長い旅の間に必要な商品を売買するのだ。欲しいものを言ってそれを商人が所有していれば購入することができる。商人によっては物々交換なども可能だ。

 今この馬車には俺たちのほかに、目の前の猫の少女と冒険者らしき男が2人乗っている。顔に傷を負ったのか眼帯をしている男と蛇のように視線の鋭い男。2人は仲間なのか隣り合って座っており、佇まいからCランク冒険者程度の実力は備えていそうだ。

 御者台には御者と、隣に護衛の冒険者も座っている。魔獣や盗賊が襲ってきた時に対処できるよう、外にいて周囲に気を配っているようだ。ひょっとすると中の2人も冒険者の仲間なのかもしれない。


「いくらだ?」

「1枚銅貨10枚です!」


 俺が値段を聞くと、少女はぱぁっと目を輝かせて値段を口にした。買ってくれることが分かって嬉しかったのだろう。その笑顔を見れただけでもおつりが来そうだ。

 俺は懐から銅貨を取り出すと、50枚を少女に手渡した。


「5枚くれるか」

「あ、ありがとうございます!」


 少女は金を受け取ると、俺に干し肉を5枚差し出してくる。頭に生えた耳がぴょこぴょこと小刻みに動いた。籠の中にはまだ数枚の干し肉があるが、オリオールまではまだ数日かかる。それだけあれば、途中から乗ってくる人間や町などでできっと捌けるだろう。オリオールまではいくつか村を経由するため、基本的に野宿という選択はない。ちゃんと宿場町で宿をとることができるようになっている。

 勿論宿が一杯であればその限りではないが、大体各村や町には宿以外にも大きめの集会所のような建物が存在している。そういった集会所は、旅人が体を休めるために使われることも多い。


 俺は受け取った干し肉をひとつとり、それを一口大に千切ると肩に乗ったワシに差し出す。

 ワシは小さく頭を下げて礼をすると、嘴で器用に干し肉の欠片をとり喉の奥へと流し込んだ。


「わぁ。そのトリさんはお兄さんのペット?」

「んー。俺のじゃなくてあっちのちっこいやつのな」

「ちっこい言うなでござる!」


 今の今までヘクスの話に耳を傾けていたくせに、俺の言葉にいち早く反応して文句を垂れた。随分都合のいい耳だこと。

 猫娘は俺とアミミを交互に見、そしてヘクスへと視線を移し、最後にまた俺へと視線を戻した。


「お兄さんの子供ですか?」


 少女の言葉にアミミはガーンという効果音が鳴りそうなほどショックを受けていた。その隣でヘクスがにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべている。

 直ぐに気を持ち直したアミミが勢いよく少女に詰め寄る。少女はアミミの勢いに気圧され若干体を引いた。


「せ、拙者はトール殿の子供ではござらん!」

「ふふ。アミミが娘ならボクが母親、かな?」

「ヘクス殿!」


 ヘクスは楽しそうにぱちんと俺にウインクを飛ばしてくる。反射的にさっと視線を逸らすと、視界の端で不満そうな雰囲気がひしひしと伝わってきた。


「ごほん。拙者はトール殿の弟子でござる」

「お弟子さん? わー。それじゃあ強いの?」

「ま、まあそれほどでもござるが」


 アミミは気恥ずかし気に、しかし自慢するような得意げな表情を浮かべている。少女はそれを見てパチパチと手をたたいた。

 そんな妹にワシは若干呆れ顔だ。


「時に、お主の名前は何と申すでござるか? 拙者はアミミというでござる」

「あ、え、名前? えーっと、あー。わ、私は……そ、そう、私はアーミっていうの!」

「ほぉ。アーミ殿でござるか。良い名前でござるな」

「え、えへへ。ありがとー」


 アミミに誉められてまんざらでもない表情を浮かべるアーミ。そのたびぴょこぴょこと耳が動く。どうでもいいが名前が似てるな。そしてその名前をほめる所がなんともアミミらしい。果たして本人は名前が似ていることに気づいているのだろうか。

 そんな2人を面白いものでも見るような目つきでヘクスは眺めていた。


「アーミ殿はどこまで行くでござるか?」

「え? そ、そうね。私はオリオールかな?」

「おー。それは奇遇でござるな。拙者たちもオリオールに向かっているでござる」

「そうなの? なら暫くは一緒に旅ができるね!」


 きゃいきゃいと女の子同士で手を取り合って喜んでいる。今までアミミのこういう姿は見たことがなかったのでちょっと新鮮だ。リーゼは少し大人びすぎていたので、このようなアミミの年相応の態度は初めて見たかもしれない。


「そうだ。アミミ、これやるよ。さっきアーミから買った干し肉だ」

「おおー。ちょうど小腹がすいたところでござる。トール殿、ありがとうでござる」


 俺から手の平大の干し肉を受け取ったアミミは豪快に肉にかぶりついた。しかし意外と肉が固いのか、何とか肉を嚙み千切ろうと必死に格闘している。暫くしてぶちっと肉の一部を引きちぎると、口の中に残った干し肉をじっくりと咀嚼し始めた。

 ヘクスにも干し肉を渡そうとするが、今は腹が減っていないのか丁寧に断られた。しかしどこか楽し気な表情を浮かべているのは気のせいだろうか。


 俺も一口肉を口に含んで咀嚼してみる。確かにアミミが苦戦するのも頷けるほど中々に硬い。しかし唾液を含んで丁寧に嚙みしめることで、徐々に肉が柔らかくなってくる。それにつれてうまみがじわりと口の中に広がっていった。


「噛む度に味がしみ出てくるでござるー」

「ふむ。中々うまいな。ちなみにこれは何の肉なんだ?」

「アーマークローチです」

「ぶふっ!」


 干し肉の原料の名前を聞いて思わず俺は肉を吐き出してしまう。

 アーマークローチ。それはこの世界において、数少ない俺の苦手な魔獣であった。見た目は黒く艶光りしており、甲殻は堅牢な防御力を誇っている。そして6本の脚を器用に動かしどのような地形でも自由自在に歩くことができ、果ては甲殻の下に隠した羽で空を飛翔することができる。元の世界で最も分かりやすいたとえで言うと……Gである。

 そして何より俺がこのアーマークローチを受け付けない理由は、そのサイズである。人ひとり分はあるその大きさ。超巨大なGが目の前をカサカサと這って高速で迫ってくるのだ。恐怖以外の何物でもない。


 俺は改めてヘクスを見る。するとヘクスはにんまりと、悪戯が成功した子供のような無邪気な笑顔を浮かべて俺を見ていた。勿論ヘクスは、俺がアーマークローチを苦手としていることを知っている。つまり、こいつはこの干し肉がアーマークローチの物だと知った上で黙っていたわけだ。まったく、やってくれたな!


「お、お兄さん大丈夫? 美味しくなかった?」

「い、いや。大丈夫だ。アーミのせいじゃない。これは俺の問題だ」

「そう? 大丈夫ならよかったけど」


 もう一度ヘクスを見るとヘクスは頬を大きく膨らませて今にも吹き出しそうな状態を何とか堪えていた。なんかムカついたので、俺はヘラヘラしているヘクスの元まで近寄ると手に持ったアーマークローチの干し肉を無理やり口の中へ突っ込んでやった。


「んむ!? ほがはふはふぁぁ」


 ヘクスは抵抗を試みるが、問答無用でそのままぐいぐい口の中に干し肉を押し込んでやる。俺は若干溜飲が下がる思いだったが、すぐにそれが間違いだと気づいた。ヘクスはたしかに苦しんでいるが、喜びを見出したのか嬉しそうに為されるがまま、俺に体を預けてくる。

 だがここまで来たら俺も後には引けない。時折咽そうになりながらそれでも干し肉を突っ込むと、ヘクスの口から淫靡な吐息が時折漏れ始めた。口の端からは涎があふれ、何だかいけないことをしている気分になってくる。最終的に力尽くで干し肉3枚を何とかヘクスの口の中へと詰め込んだ。

 落ち着いてからヘクスを見ると、口からは干し肉がが飛び出している、滑稽な図だ。だが若干乱れた衣服に紅潮させた頬、そして息を乱しながらどこかトロンとした表情を浮かべている。そんなヘクスの姿を見て急に気恥ずかしくなってくる。

 しかし結局俺が嫌がっても喜ぶし、嫌がらせをしても喜ぶという、どちらに転んでもヘクスにとってうれしい結果しか待っていない。その事実に気づいて、俺はヘクスの掌の上で操られていただけなのかと、改めてげんなりするのだった。


 そんなヘクスを放って周囲を見渡すと、アーミは口を押さえて恥ずかしげにこちらを見ており、冒険者の2人組は嫉妬と羨望が入り混じったような表情で俺を見ていた。恐らく目の前で繰り広げられたやり取りに何事かと興味をひかれたのだろう。

 逃げ場のない狭い車内だ、致し方ないのはわかる。俺がこいつらの立場でもきっと同じような反応を示しただろう。

 公衆の面前である意味痴態をさらしてしまったことに俺の中に羞恥と後悔が押し寄せてくる。その事実に、俺は再びげんなりするのだった。


 その後の車内は誰もが無言で、妙に居心地が悪く感じた。結局次の町に着くまでヘクスは俺の膝を枕替わりにぐったりと倒れたままだった。

 アミミだけが、アーミから買った干し肉をむしゃむしゃ食べており、俺はそんなアミミを穏やかな表情でただ見つめるだけだった。


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