45.悪辣なる者
「ど、どうしたのよ、ゲロ」
アルティスがおずおずとゲロに問いかける。しかしゲロは構えを解こうとはしない。
「アルティス様。どうか逃げてくれでやんす」
「ネロとやら、お主がゲロ殿を操っているのでござるか」
「ご名答~」
ネロが指先を小さく動かすと、それに合わせてゲロが床を蹴ってアミミ達に迫った。そのまま手に持った剣を振り下ろす。
「アミミ殿! あちきを攻撃して止めてくれでやんす!」
ゲロの剣がアミミを捉える。しかし刀で受け流されてゲロの体勢が崩れた。
すかさずアミミはゲロの懐に飛び込むと、そのままスピードと体重を乗せた掌底をゲロの腹に叩き込む。
「散花」
「ぐへぇ。遠慮なし……」
ゲロはアミミの掌底を受けてもんどりうって吹き飛んだ。そのままぐしゃりと地面に沈む。
「成仏するでござる、ゲロ殿」
「まだ死んでないでやんす!」
ゲロはしかし、そんな悪態もすぐに継げなくなる。何故なら再び体が独りでに立ち上がり、剣を構えたからだ。今の攻撃の威力は大したものではないが、それでも動きを止めるくらいの効果はある。しかしゲロの体の状態とは関係なく、ネロの技は発動する。
「どうだい? いい術だと思わないか?」
「くっ、これではゲロ殿をボコボコにしてしまうでござる……」
「何だかその言い方、引っかかるものがあるでやんすが……」
ゲロは痛みに顔をしかめながらも、しかし変わらぬ足取りでアミミへ攻撃を加える。上段、下段、中断。攻撃を繰り出すたびにゲロの表情が歪み、辛そうな反応を浮かべた。
「ならば! 桜刀斬」
ゲロの攻撃を素早く躱し、背後にいるネロに向けて斬撃を飛ばす。
表情は見えないが一瞬、ネロが笑顔を浮かべたような気がした。
斬撃が桜色の花びらを散らしながらネロへと迫る。
「ほぃ」
「ぐぼぁ」
「ゲロ殿!」
ネロとの間に割って入ったのは、先ほどやり過ごしたゲロであった。ゲロはあり得ない軌道を描いてネロの正面まで引き寄せられると、そのまま剣で守ることすらせずまともにアミミの斬撃を食らう。
体から夥しい量の血が滴り、咳と一緒に口からも血を吐き出した。このまま放っておけば、確実に血を失いすぎて死んでしまうだろう傷だ。
「ア、アミミ殿……。あちきのことはいいから、早く、アルティス様を、ここから逃がすで、やんす……」
「ダメよ、ゲロ! あなた置いていくなんて出来るわけがない!」
「だから、アミミ殿。頼むでやんす。これはあちきの、最後の言葉……でやんすよ」
「!」
アミミはゲロのその言葉に、確かな決意を感じた。ここが自分の死に場所だと、腹を括った言葉。その上でアミミに頼みごとをした。それは余程の覚悟を持って紡がれた言葉だった。
アミミは顔を歪めながら、手に力をぎゅっと込める。そして静かに頷いた。
「何勝手にいい話風にまとめてるのかな?」
「ぐぅ」
ゲロが再びアミミに向けて走り出す。
明らかにそのような体力など残っていないはずなのに、動きは先ほどよりキレているようだ。ネロが無理やりゲロの体を動かしているためである。
しかしアミミに到達する前に、カスがその間に割り込んだ。
ゲロの剣とカスの斧が交差する。
「カス。よくやったでやんす……」
「……ガス」
それだけで伝わったのか、ゲロは何も言わずにふっと笑う。兄貴分でもあるゲロの気丈な振る舞いに、カスはくしゃくしゃに顔を歪めた。
「おいらが足止めするでガス。アミミ殿は早くアルティス様を!」
「くそっ! 逃すわけないでしょ!」
ゲロの攻撃が一層激しくなるが、カスは手に持った斧でそれを裁く。その剣筋も本来のゲロには到底及ばず、ただ操っているだけといった様子だ。それでも油断していいほどの甘さではない。
カスはじっくり剣筋を見極めながら、護衛役としての責務を果たす。
その様子に、これで安心してアルティスを逃がすことができると、ゲロは安堵の溜息をついた。剣を一度振るうたびに、ゲロは口から血を吐き血の気を無くしていく。
激しい剣戟を背後に、アミミとアルティスはこの部屋の入口へと駆けつける。アルティスは目に一杯の涙を浮かべながら、しかしゲロの決意を無にしないために振り返ることはしなかった。
「アルティス殿。先に逃げてほしいでござる。拙者は、ゲロ殿達を助けに戻るでござるよ」
「……分かった。私がいたら足手まといだから。ごめん。お願い」
「承知したでござる!」
「くそっ! 逃がすな!」
「ここは通さないガス!」
そしてアルティスは扉の取っ手に手をかける。
がっちりと固定された取っ手は、僅かばかりも動くことはなかった。
「うそ、開かない……」
「アルティス殿、退くでござる」
アミミが抜刀で扉を切りつける。が、扉は傷一つつかなかった。
よく見ると、うっすらと灰色をした糸が取っ手に巻き付き、扉をも覆っているようだ。
「……どうやら、初めから閉じ込められていたようでござるな」
いつの間にか剣戟の音は消えていた。
背後を振り返ったそこには、血まみれになったゲロと、体の自由を奪われたカスの姿があった。ゲロは既に意識を失っていながらも、倒れることを許されていない。カスも既にこちらに斧を向けている。その顔は眉間に皺を寄せて涙を流していた。
その背後でネロが肩を震わせながら佇んでいる。
「アルティス殿。拙者が時間を稼ぐでござる。きっとトール殿が来てくれるゆえ、それまで逃げてほしいでござる」
そう言うとアミミはゆっくりと目の前に進み出た。
「はははは。ボクの演技はどうだった? 初めから逃げられないと分かった時の絶望、どうだった? ボクはねぇ。可笑しくて可笑しくて、腸がねじ切れそうだよ!」
「お主は、なぜこんなことを?」
「その質問、頭くるよね。くだらなさ過ぎて吐き気がするよ。そんなの、楽しいからに決まってるだろ? 人の絶望が、苦悶の表情が、命乞いが、そして僅かばかりの期待を踏み躙るのが。誰しも楽しいことをするのに、理由なんていらない。だって、それが生きる意味なんだからさぁ!」
そして大きく笑い声を上げるネロ。そのたびにギリギリと糸に締め付けられるのか、カスが苦しげな表情を浮かべる。
その様子に、アミミは心底肝が冷えるのを感じた。それと共に怒りが沸々と湧いてくる。これは生かしておいていい人間ではない。アミミ自身、誰かに対して自分がこんなにも冷ややかな気持ちになれるのだと、初めて気づいた。
そして、アミミの中で何かが切れた気がした。
「彼我一閃」
アミミの刀の一振り。
しかしそれは複数の斬撃となって、ゲロとカスの周囲を切り裂いた。
その瞬間、糸の切れた操り人形のようにぐしゃりと2人が地面に倒れる。一瞬で距離を詰めると、2人に回復薬をふりかけ、入口の近くまで運んだ。
「アルティス殿。2人を頼んだでござる。拙者は、ここであの輩を倒すでござる。ワシもアルティス殿の元へ」
「……」
ワシはばさりと羽音を立ててアルティスの肩に止まる。
アルティスはアミミの冷徹な視線に、それ以上何も言えなかった。
いつも穏やかでどこか子供っぽさが抜けないアミミが、今は怒りを露わにし、明確な殺意を持って敵に対峙しようとしている。その姿に、アルティスは何処か悲しさと恐ろしさを感じた。
「へぇ。よくボクの糸に気づいたね」
「何故でござろうな。先ほどのお主の行いを見て、見えるようになったでござる。今は直ぐにでもお主を倒したくて仕方ないでござるよ」
「……いいね、キミ」
アミミの左右から魔力の糸が伸びてくる。それを刀で弾くと、一気に踏み込んだ。『春雷』で距離を詰めるとそのまま抜刀を繰り出す。
ネロも一瞬、アミミの速さに驚きはしたものの、直ぐに余裕を取り戻し壁につないだ糸を手繰りよせ、素早く攻撃を躱す。抜刀の直後の隙に、ネロはにんまりと笑顔を見せると糸を放った。今度はアミミを操るために。
しかし遅れて発動した彼我一刀が、ちょうどネロの伸ばした糸の軌道上に現れそれらすべてをはじき返した。流石にその布石にはネロも驚いたのか、一度距離をとって仕切り直し、とはならなかった。背後に退こうとしたネロを間髪入れずアミミが追撃する。
「斬波」
水しぶきを伴った切り上げがネロを襲った。しかしこれも間一髪、糸で自身の体をそらすことで避ける。今度はネロが、指先から伸ばした5本の魔力糸を、目の前の飛沫の背後にいるアミミに向けてふるった。糸はまるで鋭利な刃のように飛沫を切り裂き蹂躙する。アミミの体を5本の線が通り抜けた。
その瞬間、すうっと、アミミの姿がかすんで消える。
「残像でござるよ」
「!」
いつの間にか背後に現れたアミミが刀を振りぬくと、その攻撃がネロの腹部を直撃した。
体にぶつかったアミミの刀は、ネロを大きく吹き飛ばして壁際まで追いやる。ネロは糸を使って器用に体勢を立て直した。
「今の感触。お主、体に糸を巻いているでござるな」
「いつつ、まいったね。キミ、こんなに強いんだ。これがなかったら真っ二つだったよ」
そうしてローブをめくると体中をうっすらと覆う灰色が見えた。アミミの攻撃を弾いた、扉を覆っていたのと同じ糸。それを見てアミミは目を細める。
抜刀に耐えきった以上、直接攻撃を加えたところで、あの糸がある限りアミミの攻撃は通らない。
もっと威力を伴った技を繰り出さなければ、ネロ本体を傷つけることはできないだろう。あるいは糸で覆っていない部分を切るか。しかしそんなものは、揺れる船の上で針の穴に糸を通すほどの至難。戦闘中に行うには些か難い。
さらに厄介なのはネロの戦術の幅。見た限り、ネロが使う糸は4種類。壁や天井にくっつけた粘着、伸縮性のある糸。刃のように鋭利な糸。相手を操る糸。そしてあの強固な灰色の糸。面倒なのは、灰色の糸以外皆違いが判らないことである。見た目が同じで、性質が全く違う。
まだ攻撃には転用されていないが、粘着性のある糸を攻撃に使われた場合、動きを封じられる可能性がある。最悪相手の攻撃を刀で受けた場合も切れずに粘着するのだとしたら、攻撃を受けることすら危うい。つまりアミミはネロの攻撃すべてを避ける必要が出てくる。
「厄介でござるな」
アミミの呟きに、ネロは笑みを深める。
「不用意に飛び込んではこないか。やっぱりいいよ、キミ。ボクは人を甚振るのが好きなんだけど、中でも女の子を痛め付けるのが一番好きでね。何でかって言うと、女の子が一番反応を返してくれるからなんだ。特にキミみたいな、なまじ腕が立つ子が、自分の力が通用しないと悟った時の絶望の表情、堪らなくそそるよ」
ネロはローブに包まれた小柄な体を掻き抱いて、恍惚に体を震わせた。表情が見えなくとも、その下衆な考えが透けて見える。
「拙者はあまり人に対してイラッとしないのでござるが、お主はよくもそれだけ拙者をイラつかせられるものでござる」
「おっと。冷静さを欠いちゃすぐ終わっちゃうよ。戦いはいつでも平常心だよ」
「拙者はお爺様にそうは教わらなかったでござるよ。怒りは力になる、と。そして冷静に怒れ、と」
「イカレてるね、キミのおじいさん。……ほらほら、今のは笑う所だよ?」
「……」
アミミは静かに抜刀の構えをとる。その姿を見て、ネロも両手をアミミへと向けた。
ネロの両手から伸びた糸が音もなくアミミへと殺到する。右から5本、左から3本。いずれも同色。
右から伸びた糸が速度を異にして次々アミミへと伸びた。上方から襲い掛かる1本を躱すと糸は地面に突き刺さる。どうやらかなりの硬さを伴っているようだ。
次は2本、真正面からの襲撃。アミミは冷静にステップを踏んで右に左に糸を避ける。右手の残る2本は左右から同時に襲い掛かってきた。アミミは宙返りでその糸を避ける。糸同士がぶつかり硬質な音を響かせた。
「甘いよ!」
残る左手から伸びた3本の糸が、空中で逃げ場のないアミミへと襲い掛かった。アミミは体を傾け1本をやり過ごすと、残る2本は刀で弾き飛ばす。そのまま着地、ネロが糸を引き戻す間隙を縫って一息に距離を詰めた。
ネロに攻撃が届くほどに近づくが、しかし控えていた2本の糸がアミミの進路を塞ぎ、動きを鈍らせる。
「残波」
2本を同時に弾き飛ばし、飛沫で周囲の糸にも衝撃を伝える。身を守りつつ、次の攻撃に繋げる一手。
そして足に力を込め力強く床を蹴った。
眼前に迫ったアミミがネロの手前で一瞬停止し、腰を落とす。まだ糸は飛沫に防がれアミミへ到達できないでいた。
「紅燕」
アミミの刀の刀身が赤く染まった。
紅燕。アミミの流派の中で、攻撃力では最上級に位置する技。刀身に纏った闘気を研ぎ澄まし、高め、凝縮することで赤熱させる。帯びた熱で鋼鉄さえ切り裂く威力となす一撃必殺の奥義だった。
「これ、やばくない?」
その威力に気づいたのか、アミミの刀を見てネロは顔を引きつらせる。だがここは既にアミミの抜刀の領域。ネロにとっては死地であった。
思考は一瞬。次の一瞬にはアミミの刀が紅の尾を引きながら振るわれ、ネロに到達する、直前で止まった。
「残念でした~」
ネロは右手を払うと、アミミの胴体が真横に切り裂かれ、周囲に鮮血が飛び散った。ずたずたになった着物の隙間から白い肌が露わになり、細い切り傷が無数に覗く。
そのままネロは、腕をまるで指揮者の如くふわりと振るった。
アミミの体が急激な動きで真横に引かれると、そのまま壁へと叩きつけられる。
「がはっ」
アミミは衝撃に息が漏れた。
再び別方向へと体を引かれるとネロを飛び越え今度は床に叩きつけられる。アミミは辛うじて動く左手を器用に使い、何とか受け身をとった。しかしそれでも衝撃を殺しきることはできず、苦痛に顔を歪ませる。
勢いを伴ったアミミの体はそのまま床を大きく跳ねると、宙に浮いた状態で今度は真上に引かれ、まるで上下が反転したかのように天井に叩きつけられた。高さのある天井に叩きつけられる光景はまるで、高所から落下したかのような印象をアミミに与える。
「アミミ!」
「カァ!」
アルティスとワシがアミミの様子に悲痛な声をあげた。
アミミは暫く天井に張り付いたまま静止し、そしてそのまま重力に引かれて落下する。ずしゃりと嫌な音を立てて地面にぶつかった。
「少しは退屈しのぎになったかな。まあでも、鳴き声は聞けなかったからね。だから今度はそっちのキミに、ボクの高ぶりを沈めてもらおうかな」
アルティスに視線を向けながら、ローブの奥でネロは静かに笑った。
ネロは作中でも上位の外道なキャラです。
きっと幼い頃の生活環境が、ネロをここまで歪めてしまったのでしょう。
でもこんな感じのちょっと頭のネジがぶっ飛んでるキャラを書いてるほうが、個人的には結構楽しかったりします。
自分と性格がかけ離れてるからかもしれません。
……自分と性格がかけ離れてるからかもしれません。
大事なことなので2度言いました。
決して自分がこんな性格をしているとかではありません。




