44.糸術士ネロ
アーリアは目の前の男、アーグスタを睨みつけながら言葉を返す。
「私をその名前で呼ぶな!」
「まだ反抗期が治らないのか。それよりせっかくここまで来れるように兵士を配置しなかったんだ。礼くらい言ってほしいものだよ」
「だれがお前なんかに……」
「私はお前に礼を言いたいがね。ここまでよくリーゼ様を連れてきてくれたとね」
「…………」
アーリアは苦悶の表情を浮かべた。
この儀式に関して、アーリアは以前から知っていた。勇者の血筋を生贄に、魔王を復活させるのだと。その勇者の血筋がリーゼであった。
そしてその儀式を行うために、マス・メランはリーゼを奪うための暗躍をしていた。メンバーそれぞれの思惑は様々だったが、共通の目的は魔王を復活させること。それにより世界に混沌を齎すこと。アーリアもその計画の一部として、リーゼの側で逐一情報をアーグスタに流していたのだ。
今まではリーゼが他国の学園へ通っており、攫うには不都合が多かったため計画は実行に移されなかったが、今回リーゼが帰郷するタイミングで儀式の準備が整えられた。そして実行に移されたわけだ。
だがアーリアはこの計画に組み込まれてはいても、ずっと反目していた。そもそもアーリア自身は、幼い頃からの隷属にも近い教育のせいで、半ば強制的に従わされているようなものだった。本心では世界の混沌など望んではいない。
日増しにその思いが強くなり、そしてついにアーグスタのもとを飛び出した。しかしその後、リーゼに手を差し伸べられ護衛として雇われることになる。それも結局、アーグスタの掌の上で泳がされていたわけだが。
アーリア自身、故意にではないにせよアーグスタに情報が流れることを心苦しく思っている。しかし自分の意思とは無関係に、アーリアの行動がアーグスタへ筒抜けになるような魔法がかけられているため、アーリアにはどうすることもできなかった。村での襲撃も、宿屋での襲撃も、すべてその情報をもとに行われている。
アーリアもただ手をこまねいたわけではない。どうにかしてこの計画を阻止しようと、リーゼを救おうと抵抗した。そのためにマス・メランからリーゼを護りぬけるだけの力をつけた。強力な助っ人を探した。リーゼのことを諦めるよう、何度もアーグスタを説得をした。
しかしそれら抵抗は吹いては飛んでしまうような小さな抵抗でしかなく、事態を解決するには至らなかった。結局アーリアはリーゼを護りきれず、今はアーグスタの手に落ちてしまっている。
リーゼを護るため、相応の冒険者を雇いはしたが、村で全滅の憂き目にあってしまった。トール達という実力者を仲間に引き込むことはできたが、宿ではみすみすリーゼを奪われてしまった。
「結局、お前は私の掌から飛び立つことはできないのだ。籠の中の小鳥ですらない。羽もなく飛べもしない事も理解できず、それでも空に憧れ続ける愚かな存在なのだよ」
「違う! 私は、まだそれでも終わっていない!」
アーリアは剣を抜くと、それをアーグスタへと向ける。アーグスタはしかし余裕の笑みを崩さず、ただアーリアを見つめるだけだ。
それだけでアーリアの手が震える。支配という名の暴力は、アーリアの心をそれほどまで蝕んでいた。だがそんなことは理解している。それを乗り越え、リーゼを救い出す。
これはアーリアにとっての決別。父との、そして闇クランの手先としての自分との。そして手にするのは、リーゼの友という自分。従者でも護衛でもなく、ただ友として隣に立てるように。
「父に刃を向けるか。随分と成長したようだな。だが、お前が裏切ることは初めから分かっている。私がお前に、露ほどの希望すらも、与えるわけがないと分かっているだろう?」
アーグスタが手をかざすと、謁見の間の中央に魔法陣が展開される。魔法陣は徐々に光を強め、紫の燐光を周囲に振りまいた。
そして這い出てくるように現れる、黒い2つの影。
『我らを呼んだのは貴様か』『貴様か』
「魔物……」
魔法陣から姿を現したのは全身を黒に染めた人型の怪物。しかし背の高さは2メートルを優に超えている。そして最も人とかけ離れているのは、首から上の2つの顔。そして4本の腕。その巨人は、多頭と多腕の異形の化け物であった。
「悪魔風情が気安く口を開くな。魂はくれてやったんだ。貴様らはその分の働きをすればいい」
『目の前のコレを潰せばいいんだな』『いいんだな』
少し遅れて2つ目の頭から響く声が、その怪物の奇妙さをさらに加速させていた。しかしアーリアもうかつに飛び込めない。それはこの異形の怪物が身に纏う迫力が、アーリアに圧倒的なまでの力の差を感じさせたからだ。
ジワリと剣を握る手に汗が滲む。
目を瞑り、深く呼吸をする。
何のためにこれまで鍛えてきたのだ。今、この時のためだろう。ここで力を示せないで、大切な人を守れないで、何が騎士だ。
アーリアは肌が粟立つ感覚を抑え込みながら、剣を握る手に力を込めた。
「お嬢様、今お助けいたします」
アーリアは敬愛する自らの主人に視線を向けると、表情を引きしめ地面を強く蹴った。
一方そのころ、アミミ達3人は城の地下を走り回っていた。
「いたぞ! あそこだ!」
「なんでこんなに敵が多いんでやんすかー!」
「知らんでござるよ!」
「ガスガス!」
アーグスタがアーリアを迎えるため、警備をすべてアルティスのほうに回していたために3人は大勢の闇クラン構成員に追われていた。
「桜刀斬」
狭い通路にアミミの斬撃が飛来する。背後に迫っていた構成員たちはその一撃でバタバタと倒れていった。
幹部達とは違い、構成員の中にそれほど強い人間は存在しない。凡そはいつかの村の襲撃や、城へ乗り込んだ際の魔法部隊がそれに該当するため、力あるものの大半は既に仕留められていた。残る幹部はただひとり。
「こっちの方の反応が強いでやんす」
「地下牢でござるか?」
「そうみたいでやんすね」
反応が強く見られたのは通路の途中にあった鉄の扉。雰囲気からして、城の地下牢のようである。
鉄扉を開けると鉄の軋む音がする。長く手入れされていないのか、扉の各所に錆が見られた。
3人は中へと足を踏み入れると、追っ手に気づかれないようそっと扉を閉め中から閂をかける。
暫くすると、ドタドタと足音が扉の前を通り過ぎていった。
「……何で誰も怪しまないんでござるか?」
「きっとそういうもんなんでやんす。お話の怪盗が捕まらないのは、怪盗の凄さもあるでやんすが、結構敵も間抜けなもんなんでやんすよ」
「そういうものでござろうか?」
「カァ」
肩に乗ったワシが慰めるようにアミミの頭を啄んだ。いまいち納得できないながらも、アミミはそれ以上考えるのをやめる。
今はアルティス救出が優先だと思い直した。
あたりを見回すと、想像通り内部は地下牢になっていた。まっすぐ伸びる通路の左右には鉄格子が並んでおり、しかしその中に人の気配はない。どこもうっすらと埃が積もっており、どうやら今は使われていない施設のようだ。
地下室全体に漂う据えた匂いとカビ臭さが鼻をつく中、ゲロは不安を押し殺しながらアルティスの姿を探す。トールから借り受けた宝石は、目の前の通路が伸びる方向に強い反応を示しており、アルティスがこの先にいることを物語っていた。
こんな場所にアルティスを幽閉していることに怒りを覚えるが、責任の一端は自身にもある。何かしら危害を加えられていたら償っても償い切れない。
不安と焦りと怒りがない混ぜになったような感情で、ゲロは暗い地下牢の床を踏みしめた。
しばらく進むと1枚の鉄扉がある。そしてその奥から何やら騒がしい声が聞こえていた。男女が騒ぐような、言い争っているような感じだ。
ゲロはその女の声がすぐにアルティスのものだとわかった。素早く扉に近づき少しだけ鉄扉を開け中を確認する。
鉄扉のある入り口は通路のように窄んでおり、少し進むと中は開けた作りになっている。声は部屋の右の方から聞こえるようで、ゲロの位置からはアルティスの姿も敵の姿も確認できなかった。どうやら入り口からみて横に長い形になっているらしい。
その部屋の奥、入り口と反対側の壁際には騎士の甲冑が並べられ、その間からいくつか鎖が打ち付けられているのが見える。その鎖の先端には枷が繋がれていた。高い位置と低い位置に2つずつ、間隔を空けて並んでいる。
恐らく罪人の両手両足を繋ぐためであろう。牢屋から解き放ってそんなことをする理由。ゲロには拷問という以外の答えが浮かばなかった。
ゲロの考えが的を射ていたかのように、扉の隙間からジャラジャラと鎖の擦れる音と共に、主人の声が漏れ聞こえてくる。
「もう……いい加減に、して」
「嫌だね。こっちだってこんな任務押し付けられてるんだ。だったらあんたで憂さ晴らしするしか無いじゃないか」
「あぅ、うぐぅ。どうして、こんなこと……」
「は、言っただろ。これは、ただの、憂さ晴らしさ!」
「ああっ!」
びちゃびちゃと液体が地面を叩くような音が室内に響く。
「ほら。欲しいんだろ? これが。お前の欲してやまないものが目の前にあるんだ。何とか言ってみろよ」
「く、卑怯者」
「卑怯で結構。傭兵ってのは命あってのもの種、そして楽しんでこそなんぼなのさ」
今度はぐしゃりと何かを踏みつける音が聞こえる。それと共にアルティスの悲鳴が響いた。
我慢できなくなったゲロは、扉を蹴破り中へと突入する。
後先など考えていられない。すぐ側で主人が拷問を受けているのだ。その衝動を抑え切れるだけの理性を、ゲロは持ち合わせていなかった。
「アルティス様! 助けに来たでやんすよ」
「あ、ゲロ殿!」
「ガスガス!」
叫び声を上げながらゲロは部屋へと飛び込んだ。
突然の行動に面食らったアミミ達も、しかしすでに臨戦態勢は整えてある。得物を手に持ち、矢継ぎ早に2人も部屋の中へと飛び込んだ。
彼らの目に写ったもの。
壁際に鎖で繋がれたアルティス。見たところ着衣の乱れなどはなく、傷などもないことからひどい扱いは受けていないようだ。
その側に立っているローブに身を包んだ謎の人物。これがアルティスに何事かを言っていた輩だろう。
そして傍のワゴンに置かれた色とりどりの豪華な料理と、地面に打ち捨てられたステーキとスープ。ステーキはグチャグチャになっており、踏み潰されたようだ。
アミミはすぐに、その場で行われていた拷問の正体に思い至る。そして思わず口をついて出る言葉。
「ある意味拷問でござるが……」
「アルティス様!」
「ゲロ!」
アミミの呟きはスルーされ、ゲロは手に持った武器を振り上げてローブの人物に突っ込んだ。
「⁉︎」
ゲロはローブの人物に近づいたところで体の異変に気づく。地面を蹴って足を上げた奇妙な体勢のまま、ピタリと体が静止したのだ。動かそうと思っても、指一本動かすことができない。
「はは。やっと飛び込んできたね。いつ部屋に入ってくるのかずっと待ってたんだよ?」
ローブの人物は楽しげに笑う。表情は窺えないが、今の状況を心底楽しんでいることは理解できた。
「ボクは糸術士のネロ。天下無操って言った方が分かりやすいかな?」
「…………」
「…………」
「…………誰でござるか?」
アミミのその言葉にネロは驚愕の表情を浮かべた。ローブ越しなのに何故か3人にそれが伝わる。
ワシが慰めるかのように一声を上げた。
そもそもネロの異名、天下無操を知っている人間など冒険者か傭兵、闇の人間しかいない。勿論この場に突っ込んできた時点でそれに類する者だとネロは判断したわけだが。
トールとアーリアならまだしも、生憎とこの場にいる3人ともにネロのことを知らなかった。
その事実にネロは打ちひしがれ、地面に四つん這いになって頽れた。
「アミミ殿。今のうちにアルティス様を」
「承知!」
ゲロの言葉にアミミはすぐさまアルティスの元まで駆け寄ると、両手両足につながれた鎖を断ち切った。無事アルティスを救出し、軽々と担ぎ上げると元の位置まで退避する。
その間、ネロはずっと四つん這いで打ちひしがれたままだった。
「アミミ。ありがとう」
「気にすることないでござるよ。友を助けるのは普通のことでござる」
「友……」
アミミの言葉にほんのりと頬を赤らめるアルティス。友達のいないアルティスにとって、その言葉は非常に耳に心地いいものだった。
が、すぐに思い直して辺りを見回す。
「ち、ちなみに、トールはどこかしら?」
「トール殿はリーゼ殿を助けに行ったでござる」
「え……」
「アルティス殿?」
アミミの言葉にアルティスは放心する。白馬の王子様よろしく、トールも自分のことを助けに来てくれたのだと思っていたが、まさか別の女のところへ行ったとは。別に自分とトールがそういった関係でないのは百も承知だが、何となく釈然としない。そう考えると沸々と胸の中に理不尽な怒りが込み上げてくる気がした。
「取り合えずトール殿と合流するでござる」
「そ、そうね。行きましょうか」
「ガスガス」
「……いや~、誰かあちきを助けてくれないでやんすか?」
勝手に話がまとまる中で、ゲロだけが未だに変な格好のまま静止していた。
「勝手に逃げるとか話をまとめないでくれないかな? ボクのことを知らないのは……正直驚いたけど。まさかキミたち、ここから逃げられるとか思ってるんじゃないよね?」
そう言ってネロはぬらりと立ち上がる。
先ほどは毛ほども殺意を向けないでいたネロだったが、今は明確にアミミ達3人に殺意を放っていた。フードの奥の顔が不気味に嗤うのを感じる。
「いいよ。キミたちが知らないのはボクの所為だから。ボクの名前がそこまでだってことだ。だから今からたっぷり、ボクのことを覚えさせてあげるよ。覚えてるのが短い間ってのが残念だけどね」
ネロが両手を前にかざすと、ゲロの体がひとりでに動き出し、そしてアミミとアルティス、そしてカスに向けて剣を構える。
「な、体が勝手に……」
「それじゃあ楽しい楽しい、狩りの時間の始まりだよ!」




