36.彼女達の理由
本格的に陽が沈み始めた頃、俺たちは一軒の建物の前にたどり着いていた。正確にはまだ建物ではなく、その敷地の外側。
目の前には真鍮製の柵が俺たちと敷地を隔てている。ちょうどひとりの守衛と思しき人物が立っているので、ここが入り口だとわかった。
「身分証をご提示いただけますか?」
守衛に尋ねられたアーリアが身分証を提示した後、何やら光る球に向けて手をかざしている。
恐らく冒険者ギルドの登録のように、身元を記録したり身分証と本人が同一人物か確認する魔道具なのだろう。
守衛の姿を見ると、服の上からでもよく鍛えられていることがわかるほど筋肉が隆起していた。立居振る舞いからもあまり隙が感じられない。冒険者であればBランクと言ったところか。
いち宿屋でこれだけの実力の守衛を置くとなると、相当な費用がかかるはずだ。それだけでこの宿が宿泊者の安全にどれだけ重きを置いているかということが見て取れる。
つまりこの宿は、賓客を招くようなレベルのVIPなお宿ということである。
リーゼの身分(明かされてはいないが)からすれば、このような宿が選ばれるのも当然と言えるだろう。
「確認いたしました。それでは中へお入りください」
「後ろの連れも構わないか?」
「勿論構いません。貴方様の身分が保証されておりますので」
「ふふ。感謝する」
アーリアは薄く笑むと、男の手に何かを握らせる。
男は顔色ひとつ変えることなく、紳士的な態度で俺たちに頭を下げた。
一瞬だけ俺の背中にいるアルティスに視線を向けるが、何も言う事はない。
アルティス達はまだボロ切れを纏った状態なので、いかにも奴隷といった格好をしている。しかしそんな人間に対しても態度を変えないところは好感が持てた。
俺たちはぞろぞろと、アーリアを先頭に敷地内へと足を踏み入れる。全員が入ったところで門が静かに閉じられた。
視線の先には巨大な洋館が聳えいた。道は洋館まで一直線に続いている。
道の左右には花壇が道標のように並んでおり、色とりどりの花々が咲き乱れている。花壇の外側は切り揃えられた芝生が広がっていた。
左手には芝生の中に噴水が、天へと水飛沫を散らしていた。空が暗くなった今の時間帯でもそれを認識できるのは、まるでいるミネネーションのように下から光が照らされているためである。
科学が発達していないこの世界では、未だ夜はランプの灯りという家も多く存在する。
そんな中でこの宿では魔石灯を利用して噴水を照らしているようだ。勿論魔石灯を個人で所有しようとなると莫大な費用がかかる。街路の魔石灯が整備されているのも、この町がそれだけ資金を有しているということの現れである。
赤、黄、緑と異なる色合いの光に照らされる水飛沫は、キラキラと光を反射し、幻想的な光景を瞳に映した。
「……綺麗」
「本当に、綺麗ですね」
「美しい光景でござるな」
アルティスのポツリと漏らした言葉に、リーゼとアミミが反応して言葉を継いだ。
この世界では色光は珍しい。実際この光景を見ても、どのようにこれを実現しているのかは俺でも分からない。色付きガラスでも通しているのか。しかし色のついたガラス自体、この世界で見た事はないので、知らないところでそう言った技術が日々作り出されているのかもしれない。
「さぁ。お嬢様方、まだ夜は冷えます。早く宿の中へ入りましょう」
アーリアの言葉で、少し名残惜しそうにしながらも3人娘達は歩みを進めた。
俺とゲロ、カスも皆に続く。
洋館の扉を潜って中に入ると、まず初めに目に入ったのが上階へ続く階段。赤絨毯の敷かれた階段が真正面に伸びており、途中の踊り場で左右に分かれていた。踊り場には人ひとり分の幅を持った絵画が飾られていた。描かれているのはどこかの風景だ。
流石に天井にシャンデリア、というわけにはいかないが、柱や壁にはこれまた魔石灯が明るい光を振りまいている。
「おおー! まるでお城みたいでござる!」
「そうですね。お城みたいな豪華さですね」
アミミはこの光景に驚きを全面に出しているが、リーゼはまっったく動じていない。まあ貴族なら別段珍しい光景でもないだろう。
アルティスもぼうっとその光景を眺めていたが、特に何も思うところがないようだ。ゲロとカスも慣れているのか燥いだりだりはしていない。
アミミだけ田舎者感丸出しなのが逆に新鮮だった。
「トール殿、トール殿! まるで御伽噺のお屋敷のようでござる!」
アミミの燥ぎ様に、そう言えばこいつが東方から来たことを思い出す。そう考えれば不思議でもない話だ。
日本人が洋館や西洋の城に想いを馳せるが如く、アミミもまた、見たことのない、或いは話にだけ聞いていた煌びやかな光景を目にしているのだ。
興奮するなと言う方が無茶な話だ。
それに今は、この感情を素直に受け止めてやるのが俺の仕事だろう。
「そうだな。お城のように豪華で煌びやかだな」
「いや、そこまでは言ってないでござる」
「…………」
「わ、私はお城みたいだって思うわよ!」
背中からアルティスのフォローが入るが、気を使われているのが透けて見えるので、余計にダメージが大きかった。
挫けそうになる心をグッと堪えながら、取り敢えずアーリアについて入り口近くのカウンターへと向かった。
「予約していたアーリアだが」
「アーリア様ですね。承っております。お部屋は2部屋で宜しいでしょうか?」
受付の女性がチラリと俺たちに視線を移して問うた。
人がどうこうではなく、単純に人数が足りるのかを気にしたのだろう。守衛と同じで客に対して深入りはしないらしい。
「ふむ。なら一部屋追加できるか? 出来れば簡単な着替えも用意して欲しいのだが」
「畏まりました。ただお店も閉まっておりますので、簡易なものになりますがよろしいでしょうか?」
「ふむ。そうだな。それで構わないか?」
「いや、服は必要ない。俺が幾らか予備の服を持っている。それに、アーリアに都合してもらうのは、違う気がするからな。一応今は俺の奴隷になってるわけだし」
「どうやら出過ぎた真似をしたようだ。トール君がそう言うなら、この件は君に任せよう。すまない。着替えの用意は不要だ」
「畏まりました。他にご要望などはありますか?」
「そうだな。ならば食事を部屋まで運んできてもらえるだろうか。揃って食事をしたいので、同じ部屋で頼む」
「皆様が入られると、少しお部屋が窮屈になられるかも知れませんが」
「構わない。よろしく頼む」
「畏まりました。では係の者がお部屋までご案内させて戴きます」
「ありがとう」
鍵をもらってきたアーリアが、俺に2つの鍵を渡す。
「どう言う部屋割りにするかは主人である君に任せるが……」
すっとアーリアが、俺の耳元に顔を近づける。ふわりと甘い香りが俺の鼻腔をくすぐった。突然のことに、柄にもなく緊張してしまう。
ただ甘い展開かと思いきや、その声は背筋が凍りつくように冷ややかで、耳ではなく俺の恐怖心をくすぐった。
「アミミ君とアルティス君を悲しませない部屋割りにしたまえ。でなければ、私が君に手を出してしまうかもしれないからね」
アーリアの言う手を出すの意味は、無論男として喜ばしい内容ではない。口調からそれが伝わってきた。
そして甘い香りだけ残し、アーリアは距離を取ると不敵な笑みを浮かべた。
とりあえず、アミミとアルティスの2人を同室にしようと決めた。
「で、どう言うわけであんなことになってたんだ?」
俺とゲロ、カスの3人部屋に集まった面々。
アルティス達はシャワーを浴びてすっかり身綺麗になっている。
アルティスは赤を基調とした動きやすそうな服装で、スカート丈は少し短いが黒のタイツを履いて防御量を高めている。俺がスカートとタイツを出した瞬間の女性陣の視線は非常に冷ややかだったが。俺が変態だったら美女達の蔑むような視線はご褒美と叫んでいたかもしれない。残念ながら俺は変態ではなかったが。
ゲロカスコンビはお揃いの緑の服で、冒険者ぽく革鎧もおまけしておいた。
今は夕食を食べ終え一心地ついた状態で、皆の前には湯気を立てた淹れたての紅茶が並べられていた。
アミミは相変わらずずずと緑茶でも飲むように紅茶を啜っている。その品のない仕草にアーリアが少しだけ眦を上げたが、言葉を飲み込んだようだ。
アルティスは紅茶を持ったまま、少しだけ唇を湿らせる。沈黙を破ったのはゲロ。何だかんだこの3人組の中で、こいつが一番まともじゃないかと思える。
「トール殿達と分かれて森に飛び込んだのは記憶に新しいかと思うでやんすが……」
まあ新しいといえば新しいが、大して興味もなかったので正直あまり覚えていない。
まあでも水を差す必要もないので頷いておく。
「実はあれから暫く森を彷徨いまして。初めは春の陽気も感じられる暖かさだったんでやんすが、徐々に木々の面積が増えてくると寒さが増してきたでやんす。それからはどんどんと気温が下がってきて、気づいたら雪も降り出す始末。終いには色々な魔獣に追っかけられた挙句、最終的に熊みたいな魔獣にどこかの洞窟へ連れ去られたでやんすよ」
「話の途中でなんだが、お前らが襲われた熊みたいな魔獣はどんなやつだ? ひょっとして白くて毛むくじゃらの巨大なやつか?」
「そうでやんす! よく分かったでやんすね!」
簡単に言ってくれるが、アルティス達が遭遇したのはホワイトバール。シロクマのようななりでそれを2倍にしたくらいの巨大さ。普通人間が遭遇したら八つ裂きにされ胃に収められることがほとんどの、凶暴な魔獣だ。Bランク冒険者数人での討伐が推奨されている。
「ホワイトバールに出会ってよく無事だったな。お前らって、運がいいのか悪いのか……。この場合、悪運が強いというべきか?」
「ホワイトバールっていうんでやんすね。まあ生きているからあちきらは運が良かったでやんすよ。それにこうしてトール殿に助けてもらえましたから」
そう考えると確かに運はいいのかもしれない。
一応ゲロカスコンビの実力ならなんとかホワイトバールを退ける事ができるだろう。きっとホワイトバールの巣穴から逃げ延びて、そのまま奴隷商人に捕まりでもしたというところだろうか。
だが命あっての物種。どんな境遇を経たとしても、今が良ければ結果オーライである。
「で、結局ホワイトバールに連れ去られてどうしたでござるか?」
「実はホワイトバールとはアルティス様のおかげですっかり仲良くなったでやんすよ。で、巣穴の洞窟は奥まで続いていて、そのまま案内してもらったら山を超えたでやんす。ホワイトバールとはそこでお別れしたでやんす。いやー、彼はほんとに親切な魔獣でやんした」
「おおー! そのホワイトバール殿は随分と紳士な魔獣でござるな」
「そうなんでやんすよ。あれはいい出会いだったでやんす」
「出会いは旅の醍醐味でござるからな」
何でこの2人は平気で会話を続けられるのだろうか。
まず魔獣がそう言った意思表示をする事はないし、まして知能もないため人に友好的ではない。普通に聞いたらそんなことある訳ないと一笑に付されるような与太話だ。
だがアルティスもカスも、ゲロの言葉にうんうん頷いていた。
この時点で色々と俺の中の常識が音を立てて崩れているのだが、ゲロは構わず続ける。
しかし紳士って何だ。獣相手に使う言葉ではないと思う。
「で、何とか人里に着いたはいいでやんすが、途中で食料が尽きてしまい……。拾ったキノコで食いつないでいたら、猛烈な腹痛に襲われたでやんす。きっとあのまだら模様のキノコが毒キノコとだったんでやんすね。知識がないというのは恐ろしい。毒キノコと知っていればあちきらも食べなかったでやんすが」
「ガスガス」
言ってることはその通りなのだが、普通そんなまだら模様の怪しげなキノコを食べないだろうと言いたい。
「何とか人里にたどり着いた頃には身体中の水分が干からびており、即入院。当然入院費を払える金などなく、そのまま奴隷商人に売られたというわけでやんす」
うん。入院費踏み倒したと考えると、犯罪奴隷スレスレな話じゃねーか。まあ最終的に踏み倒しはしなかったからこそ、借金奴隷扱いになったのだろうが。
借金奴隷と犯罪奴隷は大きく違って、犯罪奴隷は今後一生前科が付き纏うが、借金奴隷は経歴に傷がつく事はない。
すんでのところで踏みとどまった形だ。
だがそうなるとあの奴隷商人の3人への扱いは明らかに違法だ。犯罪奴隷に対する扱いが非人道的でいいと言うわけではないが、それでも借金奴隷であれば借金を返すための労働力を提供すると言うのが奴隷条約のルールだ。勿論人権を尊重した上で。
今回はギリギリのところで3人を助け出せたので、本当によかった。もう少し遅ければ一体どうなっていたことやら。
奴隷にされそうになったことを思い出したのか、アルティスはじわりと目に涙を浮かべる。だが頑張って堪えたようだ。偉いぞアルティス。
「まあ……君たちの事情は理解した。何というか……。うん。何というかだな」
雑だ! 雑に放り投げすぎだろう、アーリア!
まあ言葉を紡げないというアーリアの気持ちも分からないではないが。
「さて。君たちの今後の処遇を考えたい。今トール君にはお嬢様の護衛をして貰っているのだが、いくら奴隷とはいえ、君たちが一緒に来ては今後の行動に支障をきたしかねない。ここで別れるか、一時的にでも止まって帰りを待つか。どちらかを選んでくれ」
アーリアの提示した選択肢に、アルティスの肩が強張った。ゲロとカスも子犬のように瞳を潤ませて俺を見上げてくる。
やめろ。気持ち悪い。2人に視線で釘を刺す。
アルティス達は答えを出せないでいる。
否、寧ろこれは俺が選択すべき事だ。今3人は俺の奴隷なのだ。主人がどうするか、答えを出さなければならない。
俺は口を開こうとし、そして立ち上がる。
アーリアも傍に立てかけていた剣を手に取り、アミミもすっくとその場に立ち上がった。
「どうやら招かれざる客が来たようだな」
「一先ずアルティス達の処遇は後にしてくれないか。まずはお客さんをお出迎えしてくる。アーリアはリーゼの側に」
「頼もしい護衛だな。頼らせてもらおう」
「ゲロ、カス。お前らにもこれを渡しておく」
俺は空間収納から一振りの剣と、子供の身長くらいはある大槌を取り出し2人に投げた。
「もしもの時はそれでアルティスと、そこの女の子を守ってくれ」
「了解でやんす」
「小さい女の子は世界の宝でガス!」
いつになく張り切るカス。逆にその発言が心配だが大丈夫だろうか。まあ今は2人を信じよう。
「任せた。アミミ、行くぞ」
「承知でござる!」
溌剌とした返事に俺は一瞬だけ笑むと、アミミと共に、窓から闇夜に染め上げられた庭園へと飛び出した。




