35.お買い上げ〜
檻の前まで来た俺とアミミは、半眼でアルティスを見る。
「ゔぁぁぁぁんんん!! トールぅぅぅぅ!!!!」
檻の隙間から俺へと手を伸ばすアルティス。絶望からなのか安堵からなのか、未だに涙は止まらないようだ。
どうしてこうなったのかは分からんが、どうやらアルティスは奴隷として扱われているようだ。数日会わないうちによくもまあこんな状態になれるもんだ。
「クソ女! 黙りやがれ!」
「ひっ!」
「アルティス殿!」
丸々と太った髪の毛一本ない頭の男。
奴隷商人と思われるその男が鞭を振るう。威嚇のつもりだろう。鞭は地面に当たって砂埃を巻き上げた。
アルティスは恐怖で小さな悲鳴を漏らした。
男の行為を見たアミミが刀の柄に手をかける。アミミの殺気の籠った視線に、今度は男の方が小さく悲鳴を上げた。
このままではアミミが飛び出しそうなので頭をぽんぽんと叩いて落ち着かせる。
「トール君。その方達は知り合いかな?」
背後からアーリアが声をかけてくる。
俺たちはリーゼの護衛なので、リーゼから離れないよう一緒についてきてもらったのだ。だから勿論アーリアも一緒なのである。
「前の町でちょっとな。別れてから数日なんだが、一体何があればこんなことになるのやら……」
呆れを含んだため息を吐きながら、アルティスのもとまで近寄る。
俺が手の届くところまで近づくと、伸びてきた手がぎゅっと服を握りしめて目に涙を溜めた。ぐすりぐすりと鼻水を啜る。
「一体お前は何をやったんだ。それよりゲロとカスは?」
アルティスはぐすぐす言いながら目に溜めた涙を拭いつつ、檻の中の一方へ指を向ける。そこにはぐったりとうつ伏せになりながら折り重なっているひょろ長とずんぐりむっくりな男の姿。
頬は痩け、目に生気は感じられない。口は有名な絵画の叫びのように縦に長く開かれていた。
ざっと見るも、どうやらこの檻には3人だけしか囚われていないようだ。
「…………」
うん。見なかったことにしよう。
「さて」
「まってぇっ。置いてかないでぇ〜!!」
立ち上がろうとした俺の服の裾をアルティスががっちりと掴む。俺を見上げる形になりながら、涙で顔面をぐちゃぐちゃにして懇願してきた。
俺の無碍な態度に、後ろからはアミミが鞘で割と強く俺を小突いていた。
眼前にはアルティス、背後にはアミミ。板挟みになった俺は、溜息を吐きつつ奴隷商に声をかける。
「なあ、あんた。この娘は幾らだ? ついでにあっちの折り重なってる奴らも」
「……は? あ、あぁ」
アミミの視線に怖気付いて呆然としていた奴隷商が、俺の言葉に何とか意識を取り戻す。
奴隷商は俺の格好を上から下まで睨めつけるように見ると、にやりと口端を上げる。
「そうだなぁ。あっちの2人は合わせて銀貨50枚だ。だがこっちの嬢ちゃんは、金貨50枚だ」
「金貨50枚! フライブルクが50回も食べられる金額だぞ!」
奴隷商の言葉にアーリアが反応する。驚くのはいいが、そんな例えをすると途端に安っぽく聞こえてしまうからやめて欲しい。
金貨50枚といえば庶民が一軒家を買えるくらいの大金だ。奴隷にそれだけの金額がつくことなど、余程の事がなければ有り得ない。
基本奴隷は借金をしたり軽微な犯罪を行なったものが、金を払うためになる事が多い。
奴隷はあくまで一労働力として考えられており、通常より安い賃金で労働に従事することになる。そこで得た賃金を借金の返済や、罰金に当てると言うわけだ。
これは奴隷に対して暴力や粗末な扱いをしないよう制定された、世界共通のルールとなっている。
かつては奴隷を物のように扱っていた時代もあったらしく、その頃は奴隷といえば亜人が中心となっていた。今でも亜人に対する差別意識が残っているのは、その頃の慣習が根っこにあるかららしい。
当時の亜人排斥感情がどうだったかは知らないが、争いや諍いが繰り返され、それは亜人解放の英雄が現れるまで続いたそうだ。
今でも一部の国では奴隷の扱いが酷かったり、貴族の中にもそう言う輩が少なからずいる。そのような商売を行う奴隷商は、ルールを逸脱した売買を行うため、総じて高額な取引きを行う事が多い。そしてこの奴隷商も、どうやらそう言う類の人間のようだ。
それにしても2人合わせて銀貨50枚のゲロカスコンビって……。
「平均的な奴隷の相場は高くて金貨10枚ほどだと思うが」
「平均的? こいつの顔をよく見な。この器量、どこぞの貴族でも高値で買い取ってくれるぜ。それに肌も磨けば絹のように滑らかになるはずだ。まあ胸は貧相だがな」
「ゔー、誰が貧乳よ!」
ぐずぐずになりながら噛み付けるとはさすがだ。
これはある種アルティスのアイデンティティかもしれない。怒られそうなので言わないが。
しかし自ら違法な商いを行なっていることを暴露するとは、この奴隷商相当にアホだな。
奴隷商は下品な笑みを見せながら、手に持った鞭でアルティスの体をなぞる様に這わす。アルティスは鞭から逃れるように身を捩らせ俺の腕にギュッとしがみついてきた。
「ふん。これくらい気が強い方が特に貴族どもには需要が高い。年齢も若いから長く楽しめるしな。高くなるのも仕方がないと言うものだ」
正直アルティスが何をやったのかは知らないが、この様な辱めを受ける謂れはない。胸の奥底にドス黒い感情が湧き上がる。
どうにも俺は、この男にアルティスをどうにかさせたくないし、変態貴族などには渡したくないようだった。
それにこのまま放っておけば、まず確実にこの奴隷商は死ぬことになる。奴隷商は気づいていないが、アミミ以上にアーリアの殺気がとんでもないことになっていた。手に掛けた剣は既に刀身が半分以上露わになっている。
俺は力の入ったままのアルティスの手にそっと自分の手を重ねる。徐々にアルティスは落ち着いてきたのか、手の力が緩んで俺の服からゆっくりと手を離した。
アルティスの頭を一度撫でると、奴隷商の前まで歩を進める。
奴隷商は警戒からか、俺が近づくと若干後退りする。が、奴隷商としてのプライドか、はたまた意地汚さか、なんとか距離を取るのを押し止めていた。
「アルティスの値が高いのは理解した。確かにこの娘の容姿は女神のように綺麗で可愛く、瞳は宝石のように煌めいていて、陶器のように白い肌は艶めいて美しい。それにまだ幼さは残るが、将来傾国の美姫になる可能性をすら感じさせる。金貨50枚? 否、それでも安過ぎるぐらいの価値がこの娘にはある!」
俺はアルティスの魅力を声高々に説明しながら奴隷商へと近づき、そして奴隷商の肩を掴んでうんうんと頷く。
奴隷商も自分のつけた評価を肯定されてか、どこか得意げだ。
「ふ、はは。そうだろう、そうだろう。……え?」
そしてちょっとだけ、肩に置いた手に力を込めながら瞳を見開く。
「ちょっ、ぐっ、あぁっ……」
「そうそう。そうだよな。この娘はそれだけ素晴らしいんだよ。こんなところで奴隷なんかやってる場合じゃないんだ。あんたも、そう思うだろ?」
「ひっ!」
「安心しろ。金は払ってやる。だが、あの娘を怖がらせたことは許さねーからな」
俺は奴隷商の耳元で静かにそう告げると、怒気に気圧されて奴隷商は顔面蒼白になった。どうやら俺も、思っていた以上にこの奴隷商に対して怒りを抱いていたようだ。
互いの距離を離しすとぽんと肩を叩いて掌に金貨の入った袋を握らせる。
「ほぃ。代金はちゃんと渡したから、アルティス達は貰ってくな」
「へ?」
俺はその場に奴隷商を残してアミミ達の元へ戻る。と、皆の視線が俺に集中していり。
「ん? どうした?」
「んー。トール殿があまりに恥ずかしいことを捲し立てるので、アルティス殿が撃沈してしまったでござる」
檻の中のアルティスは両手で顔を覆いながら耳まで真っ赤になっていた。
……うむ。奴隷商を油断させようと思って色々口からついて出た言葉だったが、改めて考えるとかなり恥ずかしいことを言っていたと自覚する。
俺は何ともない風を装いながら、檻の鍵を開けてアルティス達を引っ張り出した。
「あれ? 鍵?」
奴隷商はいつの間にか俺が鍵を手にしていることに気づき、動揺する。しかし奴隷商はその事実を確認することすらできない。
何故なら、奴隷商は現在指の一本すら動かせなくなっているからだ。
勿論これも魔法、と言うより催眠術に近いものだが。
徐々に背後で騒ぐ奴隷商がうるさくなってきたので、俺はパチンと指を鳴らしてその口を塞いだ。まだモゴモゴ言っているが、どうせ2、3時間すれば治るので無視する。その間動けないのは、まあ罰だとでも思ってもらおう。
「さてアルティス。迎えにきてやったからさっさとこんなところからはおさらばするぞ」
まだ涙を浮かべるアルティスに、俺は手を差し伸べる。アルティスはぐしぐしと涙と鼻水を拭うと、俺の手を取った。
掴んだその手はとても小さく、そして冷たく感じた。
因みにゲロとカスは適当に振りかけた体力増強ポーションを浴びせて回復魔法をかけたらすっかり回復していた。
檻の中からは自分たちで出てもらおう。
アルティスは、腰が抜けたのかうまく立てなかったので、取り敢えず俺が背負うことにした。
まだアルティスは恐怖が残っているのか、ぐすぐすと涙を流しながら鼻を啜っていた。
とても怖かっただろう。見知らぬ土地で、自分がこれからどうなるのかも分からず、頼れる者もいない。そんな中で現れた俺たちが、きっと希望の光に見えたに違いない。
今のアルティスは色々な感情がない混ぜになってちょっと混乱しているのだろう。
「ゔゔぅ。ヂーーーーン!」
「アルティスさん。俺の服で鼻かまないでくれるかな?」
浄化の魔法があるからいいけども。
一先ず3人を引き連れてアミミ達の元へと戻る。
「さて、取り敢えずは一件落着したと言うことかな?」
「全く、トール殿は。あんな男にお金を渡す必要などなかったでござるよ」
すっかり殺気を押し込めたアーリアは、腕を組みながら苦笑気味に出迎えてくれた。
アミミは奴隷商に金を渡した事が気に食わないようだ。アルティスに対して酷い扱いをしたのがよほど許せなかったのだろう。
「心配するな。あの金は元からあの奴隷商の金だ」
「どう言う事でござるか?」
「あいつの懐からスった」
「トール殿……」
「トール君。君ってやつは……」
アミミは半眼で呆れながら、アーリアは先ほど以上に苦笑を浮かべていた。
この件について弁解の余地はないので、藪蛇にならないよう黙っておく。
「そ、その方達のことは、また後で紹介していただけますか?」
ひょっこりとリーゼがアーリアの後ろから顔を覗かせて聞いてきた。多分人見知りが発動しているのだろう。或いは自分の立場を考えた上での警戒か。
「時間取らせてすまなかったな。で、こいつらも一緒に宿まで連れて行きたいんだが……。やっぱダメだよな?」
「あちきはゲロでやんす!」
「カスでガス!」
「あ、アルティスでずぅ……」
ゲロとカスは些か元気になり過ぎたようだ。薬をかけ過ぎたのだろうか。
3人の簡単な自己紹介? を終えて、俺はアーリアの答えを待つ。
「うむ。正直今会ったばかりの人間を、例えそれがトール君の知り合いだとしても簡単に信じることはできないな。お嬢様の安全が掛かっている以上、これ以上余計な負担を増やすのは得策ではない」
「今更だな」
「ふふ。今更だよ」
本当に今更感が強いが、これは初めから分かっていたことだ。
護衛の旅である以上、そこにイレギュラーが加われば綻びが生じかねない。俺たちですら、完全に信用してもらえた訳ではないのだ。
そんな人間から紹介された初対面の人間を、信用しろと言われたところで到底信用できるものではない。
「ならせめて、道中何処かの宿で3人を置いてきても構わないか?」
「まあそれくらいなら構わない」
俺の首にまわされたアルティスの腕に、ギュッと力がこもる。ゲロとカスも不安げな表情で俺の服の裾をちょこんと摘んだ。
……それは女の子がやってこそ効果があると思うんだ。自分よりおっさんにやられても寧ろ突き放したくなってくる。
そんな俺の様子に気づいたのか、ゲロとカスはさっとその手を引っ込めた。
「アルティスもそれでいいか?」
「ゔ〜〜〜〜。うん……」
「でやんす」
「ガスガス」
渋々と言った感じで頷くアルティス。顔はまだ俺の背中に埋めたままだ。他2人はよく分からんので無視した。
するとそんな俺たちを見ていたリーゼが口を開く。
「アーリア。あの方達も同じ宿じゃダメですか?」
「お嬢様。それは……」
アーリアの服の裾をギュッと掴みながら、リーゼが上目遣いにお願いをする。潤んだ瞳で見上げてくるリーゼに、アーリアも言葉を詰まらせた。
しかしいくらリーゼの言葉でも、今回ばかりはアーリアも首を縦に振らない。顔を歪めながら必死に堪えている。
「ダメ……ですか?」
「うっ…………」
溢れ落ちそうな程目に涙を溜めながら、リーゼが小さな手にキュッと力を込める。
それでもアーリアは頷かない。色が変わるほど手に力を込め、じっと耐えに耐える。
「……アーリアなんて、キライです」
「早く皆で今晩の宿に行きましょう! うかうかしていては日が暮れてしまいます。さぁ、さぁ!」
一息で捲し立てると先程までの態度が嘘のように、率先して宿へと歩き出す。
リーゼは俺の方へ顔だけ向けると、ぺろりと可愛らしく舌を出した。リーゼ、恐ろしい子……。
「リーゼ殿……。策士でござるな」
「あれがお前より年下なんて信じられんな」
「拙者も信じられんでござる」
「カァ」
ワシの一声は果たして同意なのか否定なのか、俺には分からなかった。
「ゔゔぅ。一緒に行って、いいの゛?」
アルティスは遠慮がちに訊ねてくる。今の会話の流れから状況は察したのだろうが、自分たちがついて行くことで迷惑がかかることを恐れているのだろう。
アミミがアルティスの背にそっと自分の手を置く。
「構わないようでござるよ。アルティス殿も辛かったでござろうから、今日はいっぱい美味しいご飯を食べて、ぐっすり眠るといいでござる」
「……うん」
そうしてすぅとアルティスの腕から力が抜ける。アミミの一言でやっと安堵が得られたのだろう。
目を瞑るとすぐに小さな寝息を立て始めた。
ゲロとカスもそんな主人の様子を温かい目で見守っている。
「すまないでやんすな。この恩は一生忘れないでやんす」
「ガスガス」
「取り敢えず宿に着いたらことの顛末を話してもらうぞ。俺たちと別れて数日で、ここまで落ちぶれた理由をな」
「承知でやんす!」
先日もそこそこ恩を売った気でいたんだがな。まあ初めから返してもらおうとも思っていないけど。
取り敢えず、俺たちは先ゆくアーリアとリーゼを追って今夜の宿へと向かうのだった。
アルティスお持ち帰りされちゃいました。
さてさて、これはムフフな展開に……はならないので安心してください。




