32.闇クラン
そこは古い石造の廊下。
壁に等間隔に掛けられた松明が心許無い明かりを灯している。
その廊下を全身を皮の外套で覆った人物が歩いていた。
狭い空間に靴音がカツカツと響き渡る。
他に音はない。その人物の靴音だけがこの世界を満たしているかの様だった。
やがて靴音がピタリと止むと、目の前にある木製の扉が軋みを上げて開かれた。また再び、仄暗い石造の廊下に謎の人物の靴音が響く。
暫くして再び、謎の人物が足を止める。そしてまた目の前の扉が開かれた。今度は思い石の扉である。地面と扉、それぞれの石が擦れる音が響く。
扉が完全に開かれたところで、謎の人物は室内に足を踏み入れた。
「さて。目的のブツはどうした?」
室内は何の調度品もなく、中央に長机がひとつ置かれているだけ。
その長机を囲む様に5人の男女が椅子に腰掛けていた。
謎の人物から見て左右に4人、正面にひとり。先ほど発せられた言葉はその正面にいる男からのものだった。
「それにグレアもいない様だが?」
謎の人物は何も語らない。ただ黙って、その場に立っていた。
やがて痺れを切らしたのか、左の席に座っていた女が声を荒げる。頭に生えた猫化を思わせる耳がピンと天に突き立っていた。
「さっさと質問に答えろよ! あんたは私達に雇われた傭兵なんだぞ!」
「そうさねぇ。あんたが意気込んで姫様を連れてくるなんて言うもんだから任せたらこのざまだ。そんな馬鹿な話に乗った狼くずれもバカだけどねぇ」
女の隣にいた老女が嗄れた声で後を続けた。色の濃い眼鏡を着けておりその瞳の奥はうかがえない。
その場にいた4人は、感情を隠すことなく外套の人物を睨みつけた。
ただひとり、へらへらと笑みを浮かべた男は、懐からナイフに刺して干し肉を取り出し齧り付いた。くちゃくちゃとした咀嚼音がだだっ広い空間にやけに大きく響いた。
「カミーユ! 汚い音を立ててんじゃないよ!」
「そりゃあどうもすまないなぁ。だがよう、今はもっと建設的な話をしようぜぇ」
「雇われ傭兵の分際で、口が過ぎるんだよ。あんたに実力がなけりゃ今頃その首ねじ切ってやるってのに」
「そんなに怒っちゃ眉間の皺が増えるぜぇ。ま、それが出来ねぇから苛立つんだよなぁ。だがそりゃぁいいことなんだぜぇ。自分の実力がちゃぁーんと分かってるってことだからなぁ。仔猫ちゃん」
「何だとっ!」
目の前の男、カミーユに掴み掛かろうと女は勢いよく立ち上がる。が、それは中途半端な形で止められた。
半ば机に身を乗り出してカミーユに手をかけようとした姿のまま、女は硬直して動けなくなっていた。重力を無視した様な滑稽な格好で止まった女は、しかし目だけを外套の人物の方へと向けて怒気を隠さず睨みつけた。
「あはは。ごめんね。誰かしら失態を理由に飛びかかってくるんじゃないかと思って、用心してたんだ。そしたらいきなり仲間割れ始めちゃうんだから困ったもんだよ」
外套の人物が手を振って申し訳なさを表す。
すると外套の人物の後ろから、もうひとり外套に身を包んだ人物がひょこりと現れた。その姿は寸分違わずそっくりで、一見しただけでどちらがどちらか見抜くことは難しいだろう程に瓜二つ。
尤も同じ外套を被っているので見目が似るのは自然なのだが、その2人は見目だけではなく雰囲気までも同じ様に見えた。
「悪戯が過ぎるんじゃないか? 『天下無操』ネロ」
正面に座る男が低く威厳のある声音で告げる。有無を言わせぬ迫力を感じさせる響きだった。
すると外套のひとり、初めに姿を表した方ががちゃりと音を立てて崩れ落ちる。膝から倒れただとかただ倒れたとかそういうわけではなく、ぺちゃんこに崩れていた。まるで骨が全部抜け落ちたかの様に、支えがなくなったかの様に。
「はいはい。猫のおばさんもごめんねー」
「だ、誰がおばさんだこらぁっ!」
猫化の亜人である女は、先程のカミーユに掴み掛かろうとした姿勢のまま叫ぶ。しかしその体は止まったまま動かない。
「さっさと解放しやがれ!」
「なら大人しく席に着こうか」
女はすると体を戻して自然に椅子へと座る。先ほど倒した椅子は女の着席に合わせて立ち上がっていた。
女は困惑の表情を崩せなかったが、しかし怒りだけは晴れず外套の人物、ネロを睨みつけた。
ネロの表情はフードに隠れて見えないが、その下で笑っているにはわかった。女は思わず激昂しそうになるが、しかし彼女のリーダが発した直前の言葉に何とか意識を戻す。
「さて、話を戻す。ネロ。今回の失態はどういうことか説明してもらおうか。Sランクに匹敵する実力を持つ天下無操ともあろう者が、どういう了見だ?」
「そうだね。向こうさんが予想外に強かったもんで、慌てて逃げ帰ってきたんだよ」
「そりゃ答えになってねえぞ!」
「イェーレ。貴様は少し黙っていろ」
「うっ……」
彼らのリーダーである男の有無を言わせぬ迫力に、先ほどまで声を荒げていた猫化の女イェーレは、それきり口を噤む。
「先ほども言ったが貴様ほどの腕を持って何の問題があった」
今度はネロに言い含める様、ゆっくりと、それでいて高圧的に言葉を放つ。
ネロは表情が見えないながら、渋々と言った様子で口を開く。
「敵が強かった。僕は逃げるだけで手一杯だったんだよ」
「グレアもいたはずだ」
「グレアは一撃で真っ二つにされた」
ネロの言葉にその場にいた全員が驚愕に顔を歪める。
グレア・ペイルという男はこのクランの中でも上位の戦闘能力を有する。冒険者で言えばAランク相当。近接戦闘では敵なしと言われており、裏の世界ではそこそこ名の知れた男だった。
そんなクランの特攻隊長的男がものの一撃でやられたなど誰が信じられよう。しかし目の前のネロが嘘を言っている様には見えない。もしそれが真実だとすれば、彼らの計画にとって大きな障害になりうる可能性が高い。
「それはあの姫の護衛の女か?」
「違うよ。男だった。多分護衛の冒険者だ」
「冒険者……」
姫と一緒にいる護衛も実力ではAランク冒険者に匹敵することはすでに調査でわかっている。
確かそれ以外で道中の護衛のために冒険者を雇ったという報告があった。であれば護衛依頼を受けた冒険者によほど腕の立つ者がいたのか。
グレアも戦闘能力だけ見れば非常に優秀な男だが、絡め手には極端に脆い。魔法で動きを封じられるなどすればなす術なくやられる可能性も高かった。
だがそれなりに修羅場を潜り抜けてきた男だ。様々な相手に対する対応策はもって然るべき。仲間といえどお互いの手の内全てを知る訳ではないが、そんな下策にかかる様な男でもないはずだ。
だとすればネロの言う通り、真正面からやり合って捩じ伏せたと考えるべきか。
「その男の特徴は?」
「分かんない。黒髪だったことだけはわかるけど、他の特徴があまりなくてね」
「グレアは冒険者崩れだけどAランク程度の実力はあったはずさね。それを一撃ってことは、相手はAランク上位、もしくはSランクってことになるね」
「けどSランクなんてそうそう出会さねーだろ。あいつら頭のネジが外れた連中ばかりだぜ」
「Sランク冒険者は国が絡むような依頼を受けることが多い。こんな所で護衛をやっているとは考えにくいが、相当する能力を持っていると考えて対応するべきだろうな。一応こちらでも黒髪でAランク上位の冒険者を調べてみよう。だが儀式まではもう日がない。出来るだけ速やかに姫を奪ってこい」
「えー。僕帰ってきたばかりだよ。次は別の誰かに行かせてよ」
「ふむ」
「てめぇ! 傭兵風情が好き勝手言ってんじゃねぇ!
「それは違うよ。傭兵だからこそさ。僕たちは決して金のための殉教者じゃない。僕たちのモットーは“命を大事に”だからね」
「こんの糞ガキがぁ!」
確かにネロは任務を終えて戻ってきたところだ。続け様に強敵に当たらせると言うのもパフォーマンスに影響するかもしれない。
「分かった。姫の奪取は他のものに行かせる。イェーレ、グスタフ、バルメイレ。貴様らに任せる」
「ヨッシャ! って、バルメイレも一緒なのか⁉︎」
イェーレは斜向かいに座る男に目を向けた。
顔中包帯でぐるぐる巻き。露出しているのは目と唇だけ。鼻と耳に至っては本来あるはずの凹凸がどこにも見当たらず、平坦になっている。そして露出している目、口は全てを糸で縫い付けられており、閉ざされた状態になっている。
「あたしバルメイレ苦手なんだけど。あいつ何言っても反応返ってこないし。と言うか喋れないじゃんか」
「それなら問題ない。貴様らが言った言葉はちゃんと理解している。もし何だったら文字にして意思疎通ができる」
「いや、戦闘中に文字書けっての? そんなの書いてる間にやられて終わるじゃん」
「心配ないさね。私がテレパシーの魔法でリンクさせてやるわ。それなら戦闘中は問題ないさね」
老女グスタフの一言でその話し合いに決着がついた。
初めからそのための差配であったが、面倒と説明を省いたのが悪かった様だ。とは言え初めから理解を期待できるほどの頭脳を彼女達には求めていない。
グスタフを除いて、戦闘能力は十分だが頭が悪いのが玉に瑕である。
「ではグスタフをリーダーに姫の奪取を進めろ。奴らは今セレスタリアにいるはずだ。転移陣に乗れば移動は問題あるまい。もし姫の奪取に成功したら速やかに撤退だ。余計に戦力を消費する必要はないからな」
「じゃあ帰りは転移結晶を利用すれば良いさね?」
グスタフの言葉に彼らの首領は静かに頷いた。その答えにヒヒッとグスタフが声を漏らす。
転移結晶とは結晶内に記録された地点に転移できる魔法具である。一度使えば砕けるため再利用はできないが、偵察などの任務には打って付けのアイテムである。
国に属する暗部などでも利用されているが、制作に非常に時間がかかる上、数を用意することが難しい。なにせひとつで庶民の年間の生活費と同等なのだ。
しかしさすが闇クランなだけあり、非合法な手管で稼いだ資金は潤沢。更に彼らがこれから行う儀式が成功すれば、金などは無用な長物と成り果てる。今ここで全ての財を投げ打ったところで惜しいことはない。
「高価な品を投げ打って良いほどの計画。儀式が成った後の景色を早く見たいもんさ」
「あたしは殺し合いができれば十分。混沌の時代がどんなものか、楽しみでならないよ!」
「ン゛ンー……」
三者三様の意気込み? を口にすると、グスタフは2人を引き連れネロが入ってきた扉とは別の扉を潜って姿を消した。
「じゃあ僕はしばらく休ませてもらおうかな」
「ではカミーユ、ネロ、貴様らに次の仕事だ」
「ちょっと待ってよ! 一仕事終えたんだからここは休みを挟むところでしょう?」
「何を言っている。イレギュラーがあったとは言え、貴様は任務に失敗しているのだ。ならそれを挽回するための働きを見せてもらわねばならんだろう?」
「えー。それはカミーユが代わりにやるから」
「ちょっ、何で俺がお前の分までやらなきゃぁいけないんだぃ⁉︎」
突然のネロからのフリに、カミーユは慌てて拒否する。
この場にいて、クランに正式に加入しているのは首領だけだ。あとはグスタフ、イェーレ、バルメイレの3人。ネロとカミーユはこのクランで初対面の間柄だが、共に金で雇われた傭兵ということで冗談を言い合えるくらいには気心が知れていた。
首領はそれを理解しつつも、だが容赦を挟む余地はない。
「貴様には高い金を払っているんだ。それ相応の成果を出してもらわねば困る。カミーユにももちろん働いてもらうが、ネロ、貴様には城の奴らの傀儡を進めてもらう」
「えー。城の中って堅苦しい雰囲気だからやなんだよね」
「私がいればそうでもないだろう」
「いや、あんたがいるから堅苦しいんだよ」
ネロの表情は窺えないが、やはり嫌そうな表情を浮かべていることは伝わった。
カミーユに視線を向けると、カミーユも肩をすくめて困った表情を見せる。どうやらこの場では自分の方が少数派の様だ。
首領は傷つきながらも何とか言葉を口にする。
「ま、まあいい。どのみちカミーユにも城へ来てもらう予定だ。姫を奪取した後に再び奴らが奪い返しに来ないとも限らない。私は儀式の準備をしなければならない。もし奴らが来た時には迎撃を任せるぞ」
「グスタフたちじゃなくていいんですかぃ?」
「グレアがやられたんだ。恐らく奴らでは勝てんだろう。だがバルメイレがいる以上、任務だけは果たすはずだ」
「あららぁ。随分はっきり言いますね」
「それだけ貴様らに期待していると言うことだ。こと戦闘に関してなら、貴様はSランク冒険者すら倒せるのだろう? 『大物喰』カミーユ・イレ」
その言葉にカミーユはニヤッと口角を歪ませた。
カミーユの表情をみた首領は、頼もしくも心底恐ろしさを感じた。
Sランク冒険者に匹敵する『天下無操』ネロと、Sランクすら倒せると豪語する『大物喰』カミーユ・イレ。傭兵稼業をしているものの間ではその名を知らないものはいないとさえ言われる実力者。
その心底の迫力に圧倒されながらも、首領は笑みを深めた。彼の宿願とも言うべき儀式の成功が、後少しのところまできた。長く時間をかけてついに手の届くところまで来た。
後少し。必要なのは生贄。王族に連なるその血統。
姫に恨みはないが、しかし慈悲はある。彼女を生贄に捧げれば直ぐに家族も同じところへ送ってやる予定だ。何せ儀式が成功すれば、公国は無くなるのだから。
闇クラン『マス・メラン』。その首領はマントを翻すと、儀式の成功を確信して高らかに声を上げて笑った。




