異聞録 トーマ
俺はシャルと亡き母親以外を家族と思ったことは無い。
雇い主の父親と、あまりにも愛しく憎たらしい妹。
貴族は誰かに頼らなければ生きていけない。父もそうだ。ミュリーを探し出せと喚くだけで、こちらが誤った情報を提示すればいとも簡単にそれを信じる。俺と使用人たちの証言により、ミュリーは目撃情報も無く、俺の魔法の届かない場所にいるというのが事実上の真実になった。
しかしミュリーはそんな奴とは違う。ひとりでだって生きていける強さを持っている。今でも毎夜眠る妹を眺めているが、苦労はしているものの苦痛は感じていないように見える。
少し前は不安そうに毎日様子を見ていたナナも、貴族社会で生きるよりもずっと呼吸がしやすそうだと納得して、今は共にルアシータで馬鹿を騙す言葉を連ねている。
何も問題は無いはずだった。のだが。
ある夜、いつものようにミュリーの寝顔を見ようと魔法を使えば、いつもと違うことに気づく。ミュリーが体を丸めて震えていたのだ。顔を見られることを恐れた俺は自宅からまっさらなシーツを呼び寄せ被った。
ベッドに近寄ってもミュリーは俺を見ない。今にも壊れそうな彼女の頭を撫でると、何度か瞬きをして仰向けに転がった。
いつもよりも幼い眼差しに晒された俺はなぜか居心地の悪さを感じながら、声を作った。
「やあ」
数秒 間があり、ミュリーはゆっくり起き上がっておずおずと手を持ち上げた。
『…私を連れ出してくださる?』
儚げなミュリーの言動に、言いようのない高揚感に襲われた。
ゾクゾクするほど嬉しい。今彼女を救えるのは俺だけなのだ。そして同時に絶望に突き落とすこともできる。誰かに頼らねばならぬ貴族らしさが可愛かった。
マグネットの磁力のように引き寄せられ、美しい滑らかな手は俺の手に入った。
しっかりと手を握るとミュリーの綺麗な碧眼に涙が浮かぶ。
同じ青い目のはずなのにこうも俺と違うのはなぜなのか。うまく笑えた自信はないが、頭を撫でて抱きしめる。
「もう大丈夫」
背中に回された小さな手がシーツ越しにシャツを握った。
『私がいなければ、全て元通りになるかもしれない、から、消えたの、タマミも言っていたし、私、私は……』
泣きそうな声が次の言葉を探している。
可哀想な彼女はとても愛しい。いつも何も考えていない気丈なミュリーの、情けない姿。
「大丈夫。みんな空回り。ミュリーのせいじゃない。安心して。」
込み上げる笑いを抑えれたかどうかはわからない。仄暗い愉悦に浸っていると突然部屋が明るくなり、銃声が響いた。
冷たいと感じた次の瞬間に、信じ難いほどの熱が俺の脇腹を抉った。
「ミュリー!!」
「ミュリー様っ!!!」
部屋に飛び込んできたふたりを見て、第3王子がミュリーを監禁したことを知る。しかし文句を垂れようにも痛みで声にならないし、声を出せたとしても何も言わないだろう。俺だと知られると面倒どころの話ではないのだ。生死にかかわる。主人の言いつけを守れなかった使用人たちの 哀れな最期の記憶が次々と脳裏を過ぎる。
ミュリーは彼らに一瞥もせず、腹部あたりからじわじわと染みが広がって止まない 真っ白なシーツばかり見ている。
『逃げて…私はいいから、あなただけで…』
がたがたと震えるこの子はやはり憎たらしいほどに純粋で、無垢。
荒い呼吸を無理やり深呼吸で整えて、少し冷えた体を一際強く抱いた。上手くコントロールできない魔力を根性で総動員すると、とにかく自由を目指して魔法を使った。




