異聞録 ダミアン
部屋に戻ると、ミュリーは使用人に世話を焼かれていた。
枕にもたれたミュリーの周りに可愛らしいぬいぐるみやクッションが敷き詰められ、服は寝難そうなフリルが多くあしらわれたドレス風のネグリジェ。いや、もうネグリジェ風のドレスと言っても良いだろう。
僕のベッドは黒を基調としたシンプルなデザインであるがゆえに、とんでもない違和感がある。授業中に漂う飴かガムの香りのような違和感。
そんな状況下、ミュリーは悟りを開いたのか、艶然としている。
『…皇后陛下からのプレゼントですわ。素敵ですね。』
「そうだね。」
仕事を終えた使用人は礼をして去っていく。僕はベッドに腰掛けた。
「僕たちの婚約、白紙になるよ。」
『……お父様が何か言ったのね。』
小さくため息を吐いた彼女の顔に、いつもの表情が灯る。開いた悟りは閉じてしまったようだ。
「君がつらい思いをしないでいいように僕がしてきたことは、良くないことでね。怒られてしまったよ。」
僕は笑った。乾いた笑い声しか出てこなかった。
僕の希望はなくなってしまったのだ。道標を失ってこれからどうすればいいのか、不安と恐怖がどっと溢れ出る。
『そうなんですの。意外とお父様は心が狭いのね。』
みょんみょんと伸縮性のある柔らかいぬいぐるみを四方八方に伸ばしながらミュリーは言う。おどけているのか、本気なのか、掴めない答え。
やるせなさから涙が滲む。それを隠すためにミュリーに背中を向けた。
『元々、渋るお父様を押し切っての婚約でしたの。お父様にも何か考えがあったでしょうに。』
「…………」
『人望の厚いダミアン様の婚約者のポストは、それは競争率が高いでしょう。おどろおどろしい争いがあると覚悟しておりました。
ですが、それはなかった。兄弟でさえ仲が良過ぎだと女生徒に囲まれるのに ダミアン様の件ではないなんて、おかしいでしょう?』
とん、と肩に重みが乗った。目を向けると隣に座り直したミュリーの小さな肩が預けられていた。うつむき加減に瞼を閉じた姿は、まるで寝ているようだ。
『守っていて くれたのでしょう?』
「……ミュリーに言えないような方法だったんだよ。」
『構いませんわ。』
目を開けたミュリーは、緩慢な動作で僕の肩を抱いた。
綺麗な手で肩を撫で下ろされると、触れられた箇所から汚れた僕の心身が浄化されるような気がした。
ぼろり、大粒の涙が頬を伝う。
『今度は私がダミアン様たちを助けなくてはいけませんね。』
僕の罪を赦した彼女の、母親のような抱擁。小さく揺れながら 優しく抱きしめられると、もう何もかもがどうでも良くなってきた。
どうしてこんなに安心するのだろう。誰よりも何よりも大切な彼女が手に入らないのならいっそ手篭めにしようと考えていた自分が恥ずかしい。
「なら…」
『ですが、こうなった以上、婚約継続は難しいでしょう。』
僕が期待の眼差しを向けると、ミュリーはそれを拒絶するように言い放った。
じくじくと嫌な感情が滲み広がる。嫌だ、聞きたくない。
『でも問題ありませんわ、全て元通りにして見せますから。』
にっこりと笑ってミュリーは言う。綺麗な手は僕の肩から離れた。
「元通り…?一体何をするつもりなの?」
『じきにわかりますわ。』
それだけ言って、ミュリーは立ち上がった。そして僕の目尻にキスをすると、部屋から出て行ってしまった。
その後ろ姿を何故引き留めなかったのかと、致死量の後悔を抱えるのはすぐあとのことである。




