暗雲と塔
タマミから提示された作戦は至ってシンプルなものだった。
ほとぼりが冷めるまで私はどこかへ身を潜め、タマミが推しだというダミアン様とシャルに猛烈にアタック。そしてどちらかと婚約したところで私はそれを祝福しに戻ってくる。
シンプルと言うよりも穴だらけだ。
少し心配になる。作戦もだが、タマミの頭が。
しかし興奮して話すタマミにそんなことは言い出せず、『婚約者のいない分、シャルの方がいいかもしれないわ。』なんてエールを送って、私は荷物を背負ってタマミのお家が所有する塔に引きこもっている。
お父様には事のあらましを説明して休学する意思を伝えたし、木の幹にも伝えた。学生の陳腐な計画を大事にする必要は無いのだ。ふたりとも驚きこそしたが、2つ返事で了承してくれた。
魔法による探知や視覚的認知を受けないために魔法で塔やその周辺を隠し歪ませ、ひとりぼっちで生活する。魔法の髪は持ち合わせていないが なんだかノってきた為、最近は髪を三つ編みにして塔周辺に咲いた花なんて摘んで挿している。
前からそうだったが、1人は自由で気楽だ。しかし好きなことを好きな時間にできる小さな幸せは、ある日急に終わることになる。
その日も私は最上階で風を感じながら本を読んでいた。
もうそろそろ明かりを灯そうかと考えていると、突然立て付けの悪いドアが音を立てて開いた。そこには見慣れた弟の姿。ただひとつ見慣れぬのは、真っ赤に染まった腕。滴りこそしないものの、袖は相当量のみずを吸っているのだろう。
西陽のさす薄気味悪い雰囲気に沿わぬ満面の笑みは、驚くほどに私の恐怖を煽った。
『…シャル?』
「姉さま、やっと見つけた。」
デスクから扉までは5メートルもない。1歩、また1歩とシャルが近づいてくる度にその不気味さは際立った。
体を扉側に向けて座り直し、私はいつもの様に微笑んで見せようとするが、全く上手くいかない。
『ま、って。こんな姿で恥ずかしいわ。着替えるから部屋の外で待っていて頂戴。』
「姉さまの部屋着は見慣れてます。その髪すっごくかわいいですね。」
近づかないで。そう素直に言えたら良いのだが、事態は悪い方向に展開すること間違いなしだ。こういう時は従順なフリをするのが良い。
私はなんとか真っ当な離れるための理由を探すが、シャルは無慈悲に私の前まで躊躇い無く来て跪いた。近くに来ると、足元も汚れているのがわかる。
見れば見る程に気分が悪くなる袖の染みに目を奪われていると、それに気づいたシャルは私に笑いかけた。
「大丈夫、こんな汚れた手じゃ姉さまに触らないからね。もっと綺麗にするはずだったんだけど、舐めてかかったら思ったより力が強くて手こずったんですよ。」
『誰を…』
殺したの?全てを言わずとも察したシャルは無邪気に笑った。
「タマミですよ」
予想していた答えではある。が、如何ともしがたい。私の頭はちかちかと点滅するように、または断線したように、思考を放棄している。実感がわかないためか、比較的冷静になっているような気がした。
『ど、して…。』
「どうだっていいでしょ、もうどうしようもないんだし。さ、帰りましょ?服捨てるし、血もすぐ洗ってくるから。」
立って立ってと急かされても、震える足では立てやしない。
微笑むのだって諦めた。爛々と輝いた目で見詰められると、ドッキリだったのではないかとさえ思える。
『あ、の、ほんとうに殺したの?貴方が?信じられない…、だって…』
言葉に詰まると、シャルは首を傾げた。
「姉さまを監禁した不届き者を罰しただけ。駄目ですか?」
『ダメに決まってるでしょ!?』
私は思わず声を荒らげた。シャルは不満そうに目をそらす。
ぐるぐると回る思考の中、いけないとわかっていても、脳はもしも、そもそもとありもしない未来や過去を思う。
馬鹿みたいに混乱した脳は 今度は涙を流せと命じたようで、ぼろぼろと目から水が零れた。
それを見た弟は驚きに目を見開いた。
「え、どこか痛い?あっ、ごめんなさい、俺が怖かった?やっぱり先に血を流してくるべきでしたよね…!気が利かなくてごめんなさい!」
慌ててシャルは着ていたシャツを脱いで手にこびりついた血を拭き取り始めた。私はふるふると力なく首を左右に振る。
『ちがう、シャルはそんな子じゃ なかった…、あの時 私を殺さなかったでしょう…?どうして、いつからそんな…。』
「え?姉さまだから殺さなかったに決まってるでしょ?」
あらかた拭き終えたシャルはシャツを投げ捨てた。何故かそれにタマミの姿が重なって、喉の奥で嫌な空気が滞留した。
「まあその話がいつの事なのかわからないけど。姉さま以外はどーだっていいし、何ならタイミングがあれば邪魔は殺してしまいたいですよね。ずっと内緒にしてきたけど。忌々しい婚約者も、トーマも姉さまには必要ないから。」
『もう内緒にしなくていいの…?冥土の土産みたいな…?』
私が言うと、シャルはふっと笑った。
『似てるけど違いますね。それに俺は何があっても殺せないよ、姉さまがいない世界に用はないから。何かの拍子に姉さまが死んだら、俺も死ぬだけです。』
平然とおかしな常識を語る弟にどうしたらいいものか迷ったが、笑っておいた。引き攣った醜い微笑みしかできなかったが。
しかしそれを見たシャルはまたぱっと表情を明るくした。
「ねえ、もう帰りましょうよ。学園が嫌なら家でもいいから。」
『…最後にタマミに会いたいわ。』
決めつけは良くない。実はドッキリかも、それか、もう二度とこんなことをしないように脅し。私はまだ一縷の希望に縋っていた。そんな私の願いを聞くと、弟は困った顔をした。
「首を切ったからあたりは血だらけですよ?姉さまの足が汚れるのは嫌だなぁ。」
『お願い、シャルがずっと欲しいと言っていた剣をプレゼントするから…!』
「それは必要ないけど…。仕方ないな、俺に抱かれて近づくならいいですよ。俺はもう汚れてるし。ほら。」
広げられた腕とシャルの顔をそれぞれ見ると、ずいと距離を詰められた。
近づいてからでいいじゃないか、殺人犯に抱かれていいのか、その他いろんな思考が頭を過ぎったが、私は震える体を奮起させてそっと体を寄せた。
心底嬉しそうに笑ったシャルは私を抱き上げる。
「わざわざ見たいだなんて、マゾヒスティックなところあるんですね。」
『……そうかも。』
被虐嗜好はないと思うがひとまず頷くと、シャルは眩いものでも見るかのように目を細めたあと、私にすりすりと頬擦りをした。私を抱く手にも力が入る。
縋るような様子を不思議に思っていると、
石の螺旋階段から慌ただしい足音が駆け上がってきて私たちの前に立った。
警備隊は、我々の姿を確認すると剣を抜いた。
「シャアル・ルアシータ!子爵令嬢殺害の容疑で逮捕する!!」
シャルは慌てることも無く警備隊を見据えている。
私は何も言えず、できず、ただシャルの横顔を見詰めていた。




