異聞録 ダミアン
放課後、僕達は約束通り パーティのための物品を買い揃えようと学園の外に出ていた。
馬車でも買い物中でも、それこそ授業中もミュリーが不安そうな顔をしているのを ずっとずっと眺め続けていた。理由は今朝のタマミだろう。いつでも余裕をかました彼女の珍しい顔を目に焼き付けて、仄暗い優越に浸る。
そんな僕のことはつゆも知らぬミュリーが今、ぎこちない笑みで僕のハンカチを選んでいた。
『ダミアン様、これはどうでしょう?』
真っ白な布の無難なハンカチを手にとるあたり、やはり今日は気が抜けている。僕は首を左右に振った。
「僕の好みじゃなくて、ミュリーが選んでいいんだよ。」
『…困りましたわ、どれを持っても絵になるダミアン様の美しさが仇となりましたね。』
社交辞令だとわかっていても愚かしいほどに浮き足立つ。その言葉が、その笑顔が、僕を救えない人間にするのだ。
いつも以上に笑わぬよう、この気持ちの悪い考えを悟られぬように気を配りながら僕はミュリーの手を握った。
「…この前プレゼントした指輪、つけてくれてないんだね。」
細い指をなぞると、こそばゆさからか身を固くしたミュリーは少しおどついて答えた。
『ごめんなさい、なくしたらいけないと思って 部屋に飾ってありますの。』
「そう。大切にしてくれているんだね。」
『ええ、他でもないダミアン様からのプレゼントですから。』
何を贈っても身につけてくれないのは随分前からわかっていた。ならば彼女の部屋を僕からの贈り物で満たしてしまえと、2人で出かける時には必ず何かを買うのがいつからか習慣になっていた。そして最近は、自分の持ち物をミュリーに選んでもらうのもまた恒例化している。
なんの文句も言わないのは諦めだろうか。それでもいい、ミュリーが隣にいるならそれで。
『…ダミアン様?』
相変わらず身長の低いミュリーはいつでも僕を見上げる形になる。約30センチの差はなかなか良いもので、力を込めれば砕けそうな小さな肩や、形の良い胸がよく見える。いつも眼福だ。自分が本命だと喚く面倒な女を前にしても、これを思い浮かべるとなんだって出来てしまうものだ。
「なあに?」
『なんと言えばいいのか、私、……いえ、あの、何でも、ありません。』
珍しく歯切れの悪いミュリーは、苦虫を噛み潰したような顔で再びハンカチを選び始めた。僕も黙る。したくても深追いは絶対にしない。話したいと思った時に話してくれればいい。
最近ずっと 僕が蛞蝓のように陰湿で 王家の名に縋ってしかミュリーの傍にいられない、どうしようもない男だと 彼女に知られてしまったらなんて 気が気ではない毎日を過ごしている。今だってもしかしたら婚約破棄を言い出したかったのかもしれない。ぐるぐると意味もなく最悪を考えていると、ミュリーはにわかに顔を上げた。
『ダミアン様。今日はもう帰りましょうか。』
ハンカチを棚に戻して僕に言う。
選んでと言ったのに選んでもらえなかったのはなぜか、考える前に僕の口から言葉は滑り出した。
「…え?あ、そうだね。」
いつもよりも随分早い時間なのも気がかりで、さっきまで考えていた最悪がすぐ現実のものとなる空想に憑かれる。
すぐ近くに待たせた馬車に乗るミュリーに手を貸すと、滑らかな手が遠慮がちに触れた。彼女の真正面に僕も座ると、ミュリーは馬車が走り出すよりも早く立ち上がってすぐ隣に座り直した。
「どうしたの?」
挙動がおかしな姿に不安が募るが、極めて平静に訊ねる。
ミュリーは膝に置いた僕の手に手を重ね、もう片手を僕の頬に触れさせた。
清らかな瞳か、品良く赤い頬か、小さく少しぷっくりした唇か、小さな肩か、焦がれる胸か、その体のどこに目を向けても心臓が早鐘を打つ。
『…やっぱり、お加減がよくなかったのですね。』
「……え?」
頬から手を離して自分の太ももをぽんぽんと叩くミュリーは、心配だと言うように小さくため息を吐いた。
時々してもらっていたからその動作が意味することはわかるが、体調は悪くない。しかし役得だと膝枕で横になる。
『ここ最近疲れていませんでしたか?少し元気がないように思っていましたの。お熱がある時くらい、私のことを気にかけるのはおやめください。』
頭を撫でる手は昔と変わらず恵愛に満ち満ちている。僕は素直に撫でられながら、珍しいアングルからの姿を目に焼き付ける。
「どんな風に見えてたの?」
『寂しそうと言うか、不安そう…ですわ。』
キョトン顔のミュリーの柔らかな頬をつんつんとつつきながら僕は途方に暮れる。少し勘違いこそあるものの、鈍感なミュリーにさえ変化を気づかれるのなら、僕はもうそろそろダメだろう。早く結婚して2人でどこか小さな城に閉じこもって安心したい。
「僕が安心するために、何が必要だと思う?」
僕の問いに、ミュリーは首を傾げた。
そしてしばらく悩んだ末に、至極真面目な顔で切り出した。
『……ダミアン様を受け止める腕?』
首を振ると、ミュリーはまた考え込んだ。僕も考える。このスカートの下に隠れた白い肌や純潔を。
『頭を撫でる手のひら?』
「だいたいあっているけど、もう少し。」
『…母親?』
思わず笑うとミュリーがむっと頬を膨らせた。
「そこはミュリーでしょ。」
『いいえ、今の流れだと母親ですわ。』
納得がいかぬと顰めた眉間を撫でると、刻まれていた皺はなくなった。胸の上に置かれていた華奢な手にキスをして僕は心からの笑みを向けた。
「ミュリーは僕の奥さんになるんだよ?安心する人としか結婚はしたくないよ。」
『私の未来の旦那様はとてもお可愛いのですね。』
さらりといなすミュリーは、また僕の頭を撫でる。
目指した方向性とはまったく異なる評価に不服だが、それでミュリーがいいのなら僕も構わない。
ふと天色の綺麗な目が翳り、弱々しい声でミュリーは言う。
『ダミアン様は、タマミ様が怖くはないですか?』
「…どうだろう、あまり考えたことがないな。」
情報なんて金を積めばいくらでも手に入る。特に王族はそうだ。タマミも取り入りたいがためにしたと、確信めいた何かを持っていた。
「死人と言えども所詮は人。出来ることは限られているからね。ミュリーが望むなら即刻退学させるけど、してほしい?」
『いいえ、まさかそんな。』
首を振った拍子に肩からさらりと髪が滑り落ちて、僕の顔にかかる。ふんわり甘い香りが鼻腔を擽った。あわてて耳にかけようとするのをとめて僕は笑う。
「こっちの方が暗くて眠りやすいから。」
『邪魔ではないですか?』
「ミュリーが邪魔なわけないよ。」
ミュリーの貴重な表情を引き出したタマミには本当に感謝だ。
少しでも長く弱い姿を記憶に残しておこうと目を閉じると、頭を撫でる手はまた 優しく穏やかに動き始める。
不安でたまらずとも、ミュリーは僕の婚約者。僕のものだ。ほかの誰のものでもない。学園につくまでの砂の城を大切にすべく、胸いっぱいにミュリーの匂いを吸い込んだ。




