死人の妄言
コンバスは立って、バスクラは座っています。
最近管楽器に熱を上げているため、朝早く登校して、お昼休みに、放課後にと時間を作って音楽室に通い詰めている。
朝日を尻目にバスクラリネットを吹き鳴らす私の隣には 今日はダミアンが居る。彼はコントラバスをチューニングする手をにわかに止めて、少し眠そうな目をこちらに向けた。
「昨日はレイアと居たらしいね。」
『はい。シロフォンが気に入ったと言ってずっと簡単な曲を演奏していました。』
「そうなんだ。」
王子はまたチューニングを始めた。私はマウスピースを咥える。音階を昇り、降り、ふむ、今日は調子が良くない。ロングトーンをする為に息を大きく吸うと、ダミアンはまたこちらに声をかけた。
「タマミのことなんだけど、いつかミュリーに攻撃を始めそうなんだよ。もしそうなったら、必ず僕に報告してね。」
息を吐き、私はストラップを外して楽器を自分の体に寄りかからせた。
ここ数日、私たちなぞ目もくれず アタックし続けるタマミの猛進を見てきた。婚約者である私にヘイトが溜まって、いつか危害が及ぶ未来は想像に易い。
『わかりました、…タマミ様はどんな方だと思いますか??』
「女王様気取りで、自分は神だと確信しているようなひと。話していないことまで知っていて怖くなるよ。だから、ミュリーも気をつけてね。」
違和感があるくらいにはいつも通りの顔をしているダミアンは、何を考えているのか全くわからない。私はひとまず頷いておいた。それを見たダミアンも満足気に頷いた。
「何かあってからじゃ遅いのに、ミュリーは許してくれないからね。」
『不安要素を都度取り除くと、犠牲になったたくさんの人から反感を買いかねませんから。』
ダミアンは苦笑した。
「その気持ちは分かるけど、ね。君が心配で堪らない僕の気持ちも察して欲しいな。」
『…すみません』
「謝らせたかった訳じゃないんだよ、僕こそごめんね。」
慈しむ眼差しからは愛しか感じない。私は上手く好意を表せないから、卑屈なようだが負い目に感じる。それを振り払うように目線を外し、またロングトーンを始めようと息を大きく吸うと、ダミアンは私に声をかける。
「…ねぇ、最近おかしなことがない?不思議なこと、運が無いこと、とか。」
『そうですね、1週間前くらいにバルブオイルのキャップが緩くて ケースの中にオイルが零れてしまった時には落ち込みましたね。』
「他には?」
食い気味で訊ねられ、更に記憶を辿る。
そういえば最近何かとついていない。
『気に入っていたリードがいつの間にか割れていたり、いつの間にか楽譜がなくなったり、課題の粘土細工が壊されていたり、ですね。まあ、楽譜は探したら出てきましたし、粘土細工は級友が素直に申し出てくれました。』
「…それは災難だったね。昨日もタマミと廊下でぶつかっていたし、注意力散漫なのかな?」
そうかもしれません、と頷くと、ダミアンはため息を吐いた。
憂う顔で短調のメヌエットのメロディラインを鷹揚になぞる姿はなぜかテオを連想させた。学園の中で働いていると聞くが、料理長以外の使用人は 困ったらすっと姿を現すものの、その他で見かけることは無い。もっと積極的に視界に入ってほしいものだ、少し寂しい。
私がバスパートを吹くと、ダミアンは急に頬を緩ませた。
「実はね、今度の創立記念パーティのドレスはもう用意してあるんだ。放課後にアクセサリーと靴を買いに行こう、もう外出許可は取ってあるから。」
弾く手を止めないところを見ると、どうやら私に拒否権はないようだ。それに私が従うとわかって外出申請したのだろう。つくづく王子らしい男だ。
「タマミにも今日は予定があると伝えてある。だから、今日は僕から離れないでね。」
暗に何をしでかすかわからないと言っている、本当に信用がないようだ。もちろん異論はない。
最後の1音を弾き終わると、私はハンカチで口元を拭いて改めてダミアンを見上げた。
『ダミアン様の選んだものならきっと素敵なドレスでしょうね。放課後も楽しみです』
「姉さま〜〜っ!」
言い終わらないくらいに突然音楽室の扉が勢いよく開け放たれ、シャルがダイナミック入室する。
そのままの勢いで私に抱きつくと、ダミアンが容赦なく引き剥がした。誰が見ても凍てつく目で責められても シャルはまったく気にしていない様子である。
「何の用?」
「姉さまに会いに来ただけですよ〜、そんなに怖い顔しないでください!」
棚からホルンを取り出したシャルはにんまり笑った。
「ねぇねぇ、俺も姉さまと合奏したいです〜、いいでしょ?」
『もちろんよ。』
私は頷いた。時間はまだあるし、音楽は大人数でやる方が断然好みだ。ダミアンはそうではないようで ため息を零したけれど、聞かなかったことにする。
「あぁそうだ、タマミって人がいますよね?ダミアン様のこと狙ってる令嬢。あの人と昨日話しましたよ。」
部屋の隅の丸椅子を私の横に並べながら、シャルは言う。これにはダミアンも驚いたようだった。
『何をお話ししたの?』
「何も無いところで急にわざとらしく躓いて、それを俺が受け止めたんです。そしてら、ありがとう、今度お礼しますね、甘いものはお好きですかってお誘いの流れ。腐るほど見てきたパターンだよね。」
それだけ言うと、マウスピースを口にあててウォームアップを始めた。ダミアンを見上げると、ダミアンは既に私を見ていた。
「…権力を持った男を漁っているのかな?」
『そうとしか思えませんね。まだ婚約者がいないシャルなら狙いやすいでしょう。トーマお兄様にもいないので、近々そちらにも魔の手が伸びるかもしれませんね。』
冗談めかして言ったが、実際そうなるかもしれない。恐ろしやと身震いをすると、ダミアンはなぜか愛想笑いした。
『まったく、シャルも隅におけないわね。最近、夜会で綺麗な女の子にばかり囲まれているもの。』
「それはトーマもですよ!あいつ姉さまがいないと 誰にでも優しくして、ずっと女に囲まれているんだから!」
「お兄ちゃんだって好きでにこやかに会話してるわけじゃないんだぞ〜?シャルこそもっと上手くやれよ、裏では氷の公爵子息ってあだ名されてるんだからな?」
いつの間にやらいたトーマに驚くことも無く、ファの音で中断されたスケールは不満そうな音で再開した。対して私は危うくバスクラリネットを取り落としかけた。ダミアンが助けてくれなければ、今頃ベルに傷がついていただろう。
『お兄様、いつからいたの?』
「ん?ついさっきだよ?」
私の訝しむような視線をさらりといなして、お兄様は何でもなさげな余裕の表情だ。ピアノの前に座り、鍵盤蓋を開けてキーカバーを屋根にのせた。朝の少し冷えた空気をものともせず、鍵盤を叩く指は確実にいい音を出す。
「ちなみに、俺もタマミと話したことあるよ。庭園でテオと話していたら急に現れて、迷子になったから案内してくれって頼まれてさ。会話を聞かれるのが嫌だったから女子寮近くまで送ったら、お礼をって。丁重にお断りしたけどね。」
『お兄様、テオと何のお話を…?』
「世間話だよ。カノンくらいだったらみんな弾ける?」
踏み込んで欲しくないのか、早く合奏したいのかわからないが、お兄様は先に演奏を開始した。私が乗ると、ダミアンとシャルも音を重ねた。
卒業式でよく聴く曲が何故この世界にもあるのだろうかと考えるが、無駄なのでやめた。誰が作曲したのかは知らないが、盛り上がりまで焦らすのが上手い。眠気も相まって 気を抜くとリードミスをする可能性が出てきたので気をつけて吹いていると、突然穏やかな空間におよそ似つかわしくない声が響いた。
「あの!!」
誰もが手を止めて声の主を見るタマミは明らかに怒っているが、私たちが何かしてしまっただろうか?朝だから音量には気を配っているし、部屋には防音もしてある。クレームに皆目見当がつかない。
「ミュリー・ルアシータと話をさせて!」
『…私と?』
入口近くでまた大声を出す彼女は令嬢らしさはないし、話すべきこともない。今まで疎ましげな視線を受けたことはあるが、関わったこともない。寧ろ関わりを持ちたがらなかったはずだが、何かあってそう風が吹き回したのだろう。
「ごめん、もうそろそろ片付けの時間なんだよ。その後でもいい?」
「なら片付けながらでもいいの!」
お兄様が物腰穏やかに言うも、タマミは焦りと怒りが収まらない様子で 私に駆け寄ろうとした。
しかしそれはシャルとトーマによって阻まれた。私の前に立ちはだかる2人は、守られている私も不安になるほどの殺気を放っている。目の前に立つタマミはさぞ怖いだろう。
『…片付ける間だけでよければ聞くわ。』
「充分。」
私が兄弟の背に手を当てて微笑みかけると、それを見た2人とコントラバスを持っていた為動けなかったダミアンは 納得こそしていない様子だが楽器の片付けを始めた。話しやすいように部屋の隅に楽器とケースを持って移動すると、タマミはついてきた。楽器を分解し始めると、彼女は小声で訊ねる。
「そのブレスレットの中身、人魚の鱗でしょ?ツィツィとクルルの。」
私は言葉を失った。このブレスレットのことはダミアンにさえ言っていない。タマミが知る手段はない。
タマミは沈黙を肯定としたのか、構わず続ける。
「それは私が貰うはずだったの。返してもらったところで今更何も変わらないだろうから要らないけど。ねえ、ダミアン様に膝枕した?トーマ先輩に魔法のこと話してもらった?シャルくんに睡眠薬を飲まされた?」
『ちょっと待って!どうしてそんなことを…!』
私は半歩下がるが、タマミは詰めては来なかった。この部屋の視線が私たちに集中しているのがわかる。カタカタと震える指先を同じく震える手で押さえた彼女は、苦しそうに笑んだ。
「はー…。その様子だとここまでのイベント全部やってるのかぁ。なら私に勝ち目とかないじゃん…。」
ほたり、頬に大粒の涙が伝う。タマミはそれを拭うこともせずに立ち上がった。
「私、貴女になりたかった。どうしてこのこの体にうまれてしまったんだろう、もしくは来世に期待かな?今からでも遅くない、その体を手に入れられたら…。」
呟きながら名残惜しそうに目を細めて、タマミは音楽室から出て行った。
素直なところ、気持ちが悪い。本当に不気味だ。
彼女にも前世の記憶があることも可能性はあるが、だとしても、それでは私たちのことを異様に知っている説明はできない。死人だからという訳でもないだろう。なぜダミアンや兄弟にこだわっているのかもまだ憶測しかない。
やはり死人は我々の常識理解を超えた存在だと思うしかないのだろう。私は不安に打ち震えながら、対策のしようがない現実に怯えた。




