閑話 湯けむり殺人事件③
テオは利用方法を一通り説明した後、僕たちに大きな爆弾を落としてから去って行った。その爆弾というのが。
「…この壁ひとつを隔てて、ミュリーが…!」
「おーっと、シャルにはまだ早いから、お兄ちゃんとこっちで仲良くしような!」
壁に張り付くシャルをトーマが引き剥がす。そう言うトーマ自身もそわそわ落ち着きがない。
そう、爆弾とは男湯と女湯の距離だ。
もくもくと湯気が上がってよく見えないが、壁の天井にほど近い場所には隙間もある。もしかしたら話し声も聞こえるかもしれない。
女と入るならまだしも、野郎4人で入る温泉なんてむさくるしくて堪らない。すぐに戻ろうとおもっていたが、こうなれば話は別だ。
「結構いいですね、温泉とやら。」
なんとかを覗けぬものかと思考を巡らせていると、へらりと笑ったレウスが話しかけてきた。こいつも緊張しているのだろうか、いつもはこんな笑い方はしない。
「そうだな。」
僕が頷くと、女湯に近づけぬようトーマに腕を掴まれ不満を顕にしたシャルが口を開いた。
「でも不用心だよな、これ。魔法使えなくする何かを施さないと、毒でも入れられたら大量虐殺待ったなしじゃん?」
「…ミュリー主催のこの場で殺すような奴は居ないと思うけどさ。」
ぽつりとレウスが呟いたが、それを聞いたシャルは口元を歪ませた。
「ミュリーを狙うライバルが減るんだったらやる価値あるんじゃね?どうせお前もミュリーのこと好きなんだろ?やってみたら?」
迫力に圧されて、レウスは押し黙る。
こんな下衆な顔をする男が、ミュリーの前だと小動物のような顔で振る舞うなんて。こんな危険因子を純粋に愛している婚約者を思うと背筋が凍る。
「シャル〜、怖がらせちゃ駄目だろ?一応先輩なんだからな?」
「はいはい、スミマセンデシタ、レウス先輩。」
トーマが諌めるとシャルは子供のように舌を突き出した。
遠くから聞き慣れた声が聞こえてきた。反響するおかげで聞き取りやすい。
「わぁあ〜!すごいですね!」
『本当ね、すごい再現度だわ…!』
途端に全員が神妙な顔つきになり口を噤む。ぱしゃんという音のひとつにさえも鼓動が高鳴る。恐らくこの場にいる全員が、ミュリーのタオル姿を想像していることだろう。
いつもの制服のミュリー、いつの間にか親がプレゼントしたというレースとフリルいっぱいのミュリー、ドレス姿のミュリー…思い出せる限りのミュリーを思い起こしていると、またくぐもった声が聞こえてきた。先ほどよりも近い。
『…今回の敗因は。』
「もっと好かれている自覚と令嬢としての自覚を持ちなさい」
『…分からないけれど…分かりました。』
話の内容は馬車の中でのことだろうと、なんとなくわかった。レイアに訊ねるなんてやはり僕の婚約者は抜けている、僕に尋ねるか、自分で気づくかしてほしい。
「もうっ、なんの話してるんですかぁ?あたしも混ぜてくださいよ!」
ロザリーの声に続いてざばざざと水の音。3人の声は最初よりも明瞭に聞こえるようになった。
ふと周りを見ると、全員がなりふり構わず聞き耳をたてている。まったく嘆かわしい、とんだ変態の集まりだ。
『レイアの、ダミアン様との初対面エピソードが聞きたいな?』
「はっ?」「えっあたしも気になります!」
「…ダミアン様の誕生パーティーで、少し話をしたの。その時はただただかっこいい!としか思えなかったんだけど、今思えば聡明さとか落ち着きに惹かれたのかもね。親もベタ褒めだったし、すごい人だって洗脳もばっちりよ。今はもう私にも婚約者いるし諦めたけどね。……どう?満足?」
過去、あの夜を思い出しただけでぞっとする。レイアに関しては本当に迷惑を被った。どちらの両親も あらあらまあまあうふふ と笑って見ているだけなのだから困り果てていた。それはまあいいが、誕生会の件は見逃せない。子供だったとはいえレイアはどう考えても暴走し過ぎだ。
ミュリーが危ない目に遭ったこともあって 入学からも距離をとっていたのに、ミュリーはそんなことお構い無しに仲良くなるものだから、いつの間にか僕とレイアも普通の友人になっていた。
『とっても!小さいレイアかぁ、懐かしいわ。…私、こうやって女の子だけで秘密のお話してみたかったのよ!』
「そりゃよかったわね。ミュリーはどうなのよ?」
女の子だけではないのだが、誰も教えないしこれは共犯だ。
話題がミュリーに移ると、全員がじんわり壁側に寄る。
『ダミアン様との?私は最初はよく憶えていないの。』
高鳴っていた鼓動がが一気に減速する。まぁ最初はお互いそんなものだろうが、僕は初対面からミュリーに興味があっただけ期待してしまっていた。
シャルがそんな僕を指差し笑っている。うざったいことこの上なしだ。
「それを本人が聞いたら悲しみそうね」
「レイア様、遮っちゃ駄目ですよ!」
『確かどこかの夜会でお会いしたわ。その後婚約のお話を頂いたけれど、病気のことが気がかりで辞退したの。兄弟も寂しそうだったし、それでいいと思ったのだけど…。強気に言い含められて婚約しちゃったの。ダミアン様は公爵家と縁が欲しかったのね。』
突如として温かな湯が冷水に変わった気がした。この気持ちが伝わっていないにも、そんな政略結婚のような言い方は酷い。
聞き耳をたてる彼らを見ると、俯いて肩を震わせていた。
「強気に言い含められて…」
「縁が欲しくて…」
「ふふっ…」
悔しくて堪らない。どうせお前らだって大したエピソードないくせに。
「堂々と笑うがいい、どんなに足掻いたところでミュリーは僕の婚約者なんだから。」
「婚約者という繋がりでしか俺たちに勝てないんだし、威張るなよ王子サマ!」
今日はやたら絡んでくるな と心の中で舌打ちする。悲しみと苛立ちの混在する思考でミュリーの次の言葉を待つ。
『今ではお優しい方だとわかっているけれど、あの時はダミアン様をよく知らなかったから怖くて泣いてしまったわ。』
「…ぶ、あっははははは!!!」
それを聞いたロザリーははしたなく吹き出した。
こちらでももう肩を震わせるだけに留まらず、笑い声が漏れている。他人事なら僕も大爆笑していただろう。しかし今笑われているのは紛れもなく自分。やりきれない。
『えぇえ…そんなに面白かったかしら…?』
「面白いどころじゃないわ、最高よ!ちなみにどんなところが怖かったの?」
『急に訪問が決まる、さらさらと私への小さな嫌味を並べ連ねる、強く強く婚約を奨められる、私手作りのクッキーを問答無用で全て持ち帰る…その日のダミアン様の言動全てが怖かったわ。』
僕は湯船に沈んだ。恥ずかしさと言うか、屈辱と言うか、何よりもここまで愛が伝わっていないとは思っていなかった。げらげら笑えばいいものを、何を遠慮してか皆必死になって笑いを堪えている。ロザリーのように腹を抱えて笑ってくれた方がまだマシだ。
潜って不貞腐れていると、レウスが僕の腕に触れた。何事だと顔を出すと、話題は兄弟に移っていた。
「トーマ先輩とシャアル君のことはどう思っているんですか?」
『え?少し甘えんぼな兄と弟よ。ふたりともすぐ暴走するけれどそこも可愛いわ。』
「暴走って?」
レイアが掘り下げると、トーマとシャルは急に目に見えて焦り始めた。止めたいだろうがその術はなく、ミュリーは訊ねられるがままに答える。
『私に魔法科に通って欲しいからと研究を始めたり、熱を出した時に寮に忍び込んだり、私が心配だからって睡眠薬を飲ませて寝かせ続けたり…?』
「………は?」
思ったよりも非道い話が飛び出してきた。兄弟は両手で顔を覆い隠している。
「えっえっえっ?熱を出したのは誰で?ミュリーの部屋に忍び込んだのは誰?」
「どちらもトーマ先輩ですよ!」
『その後シャルも来たわ。』
「普通に看病したの…?それだけよね…?」
『…?そうよ?』
「睡眠薬は…?」
「シャルよ。私が人のために命を張るのが嫌でたまらないって心配をかけちゃったの。眠姫症候群に見せかけるなんてまったく頭がいいわよね。」
自暴自棄になったシャルが立ち上がる。かなりの勢いだったが、彼のタオルがズレる程度で済んだのは不幸中の幸いだろう。落ちていたら空気が不味い。
「はははは!実はあの時、ミュリーから口移しで睡眠薬を貰ったんだ!ファーストキスは頂いたからな!」
「「は?」」
「……えっ、いや、…ぎゃっ!!!」
トーマと意見が一致したようだ。
この状況はよろしくないと判断したのだろう、逃げようとするシャルをふたりで水底に引き摺り込む。暴れる手足を押さえつけるトーマは何を思っているのか、にこやかで怖い。
『お兄様〜、シャル〜、そちらは湯加減どうかしら?』
こちらに気づいてか、ミュリーが声をかけてきた。
僕とトーマはアイコンタクトをとり、シャルを引き上げた。
「なかなか楽しんでいるよ!な、シャル!」
「……………………………っぁあ!!姉さま助けて!殺される!死ぬ!」
ばしゃんばしゃんと暴れるシャルを僕が押さえつける。
「嘘言うなよォ〜俺たち仲良し兄弟、だろ?」
「うわぁぁぁもう無理ギブアップギブアップギブギブギブ………」
死に直面した顔を見てせいせいしたが、まだ足りない。再び水底へご案内した。
レウスは何やら思案顔だが、とめない時点で同罪だ。
『お兄様!?何があったの!?』
こちらを心配してか、かわいいミュリーの焦った声が聞こえる。
安心させようとできるだけ穏やかな声を心がけるが、歓喜に打ち震える心はとめられない。ミュリーのすべてが僕のものになるはずだったのにそれを奪ったのだ。間違いなくヴィランはこいつだ。
「なんでもないよ〜!」
「本当だよミュリー、心配しなくていいからね!」
たとえ死んだとしても構いはしない、僕は王子だ。トーマとレウスを言いくるめなくとも 罪状はなんとでも出来る。
肺の中の空気を吐き出したシャルを見てもうすぐだとほくそ笑んでいると、再びミュリーの声が聞こえた。
『今から乗り込むわ!』
思わず手を緩めると、シャルはその隙をついて抜け出した。
ぜこぜこと咳き込みながら、大量に飲んでしまったであろう水に苦しんでいる。急に善人面したトーマがシャルの背に手を当てている。
『主催者が責任を負うのは当然よ、様子が変だから少し確認するだけ!心配しないで!』
「…本当に来るのか?」
「ミュリーだったらまぁ来るよな」
レウスの顔に焦りが浮かぶ。異常なほどの速度で復活したシャルが膝に手をついて呼吸を整えながら腰のタオルも整える。僕はレウスに近づき、そっと耳打ちをする。
「口外したらどうなるか分かってるよね?」
「……………ハイ。」
温かいお湯に浸かっているのに情けなく体を震わせる姿を見て、何かあっても大丈夫だろうと確信した。
扉が勢いよく開かれ、濡れた髪のミュリーがナナを引き連れて入ってきた。
『失礼致します!』
「ね、姉さまぁ…!」
シャルが泣きそうな声でミュリーに寄ると、ミュリーもシャルに歩み寄る。トーマが足を掴んで阻むと 無様にもシャルは水面に叩きつけられた。ばたつかせた腕がレウスの顔、もとい鼻にクリーンヒット。
「っ、…いってぇ」
ばしゃーんと盛大に音を立てて倒れ込んだシャルと 鼻血を出したレウスを見てさっと顔を青ざめさせ、ミュリーは駆け寄ろうとした。がそれは叶わず、水に滑り体が後ろに傾く。
『…えっ?』
「お嬢様!!」
すんでのところでナナが後ろから抱き留めたように思えたが、なぜかミュリーはいつの間にか数歩前の岩に蹴躓く体勢になっていた。
『きゃっ、あ!?』
そしてそのまま湯船に倒れ込む。なんとか駆け寄ろうとするも水が足をもつれさせて思うようにいかない。僕の助けようとする意思に気づいたミュリーがこちらに手を伸ばした。狂喜する心のまま腕を掴んで引き寄せれば僕を下敷きにミュリーは倒れ込む。トーマが悔しそうな顔をしているのが見えた。
『ぅ…ダミアン様、お怪我は!?』
大きな青い目が僕を映す。婀娜な姿と対称的な童顔に見蕩れないわけがない。しかしそれよりも目を引くのは、はだけたバスローブの下、濡れたタオルに包まれた肌。華奢なくせに豊満な胸、美しいラインが引かれた腰から臀部にかけてを凝視する。全細胞が沸騰するような感覚に囚われた。
「お嬢様っ…!」
石が水切りの要領で飛んできて、劣情に駆られる僕たちの鼻を掠めた。結果男は皆仲良く鼻血を出すこととなった。
犯人であろうナナがミュリーを横抱きにして湯船から上げる。白い肌から滴る水を舐めたい邪な気持ちが湧き上がり、どうしようもない熱が全身を燻っていた。
そこでレイアとロザリーも姿を見せた。その眼前でどこからか取り出したナイフを手に腹を切ろうとするナナは思い詰めた顔をしている。
「お嬢様をお守りできない私に価値などありません!どうか止められませぬよう!」
『いいえ!ナナは悪くないわ!私がありえない転び方をしただけだもの!』
「例えどんなことがあってもお守りするのが私の役目!この命も役に立たぬと今しがた証明されました!」
『嫌よ!これから精進すればいいじゃないの!』
はっきり言ってどう転んだのかわからない。ナナは確かに受け止めていたし、何か奇跡が起きたとしか思えなかった。僕は神にとにかく感謝感謝だ。
「あーーもう!ナナは早くミュリーを男の目から離しなさいよ!!この状態だとお嫁にいけないでしょう!!」
もどかしい会話に耐えられず、レイアは大声を出す。それではっと我に返ったナナがミュリーを横抱きにして颯爽と去って行った。
皆が残念そうに出て行った先を見つめる。それを見たレイアは微妙な顔をした。
「…上がる?」
居苦しそうにレウスが鼻を抑えながら言うが、立ち上がれなんてするものか。それはトーマとシャルも同じらしく、ロザリーたちが去った後もしばらく、僕たちは無言の温泉に残るはめになった。




