異聞録 レウス
今日の調理実習は、各自用意された材料で好きなものを作るという内容だった。
貴族は普通自分で料理なんてしない。図書館から持ってきたであろうレシピを広げて、材料名と目の前にあるものが一致しているか確かめるだけで四苦八苦してる。
キッチンスペースに移動すると、ミュリーしかいなかった。端から詰めるように言われていたからボクはミュリーの隣を陣取った。あとからダミアン様やロザリーに何も言われないことを願うばかりだ。いつもだったらふたりともミュリーの隣を死守しようとするのに、今日は何をしているのだろうか?
材料を入れたカゴを調理台に置くと、ミュリーがこちらを見た。
『あらレウス、何を作るの?』
「グラタンをと思って。ミュリーは?」
『ピザを作れればと考えているけれど、難しくなったらまた考えるわ。皆様知っての通り、私は包丁を上手く扱えませんもの。』
肩を竦めて笑うこの人は、公爵家令嬢のくせにどこか庶民的というか、変わった人だ。ありきたりばかりでつまらない社交界の注目の的になるのも頷ける。
芋の皮を剥く手つきは覚束無いが、これでも上達したらしい。
今キッチンスペースに来たダミアン様が遠くからボクを睨んでいるけれど、ここで移動するのもおかしいだろう。見なかったことにした。
『ねぇレウス、今話しかけてもいいかしら?』
「え、いいけど」
ホワイトソースを作る手を止めずに顔を上げると、ミュリーは爛々と目を輝かせて 中央に刃のついた板を見せてきた。
「…何だこれ?」
『スライサーよ。庭師にお願いしたら作ってくれたの。なんでも細かくスライスできるの!見ていてね!』
見るからに頑丈な手袋をつけたミュリーが、芋をスライサーとやらに当ててスライドさせる。すると、芋が薄く切れた。
『便利でしょう?』
「へぇ、いいじゃん」
得意気に笑ったミュリーが自分の調理台に戻って行った。
ダミアン様は今にも殺しそうな目でボクを見ていた。いや違うだろ、今のはボクじゃなくてミュリーが話しかけてきたじゃんか。と理不尽な目を向けると、視線に更に殺意が込められたので目を逸らした。
グラタン皿に加熱した野菜とマカロニとベーコンを敷き詰めて、ホワイトソースをその上からかける。そしてチーズを乗せ、窯のある部屋へと運ぶと、先客がいた。ミュリーは纏めていた髪を下ろして、ガラスの扉から中の様子をじっと見ている。
窯の管理をするおじさんにグラタン皿を渡してその隣に座ると、ミュリーはいつものように笑んだ。無邪気なようで母親のような笑み。
『いつも思っていたけれど、レイアもレウスも手慣れているわよね。家ではよく料理するの?』
「家にいる時、家事はボクらがするからさ。嫌でもなれるよ。」
『…そうなの。』
曖昧に頷いたミュリーはまた焼成中のピザを見遣る。チーズがとけていく。
何不自由なく暮らしてきた貴族は基本横柄だ。ミュリーも違わないはずなのに、彼女はいつもなにかが違う。考えの根底がボクらとは違っているとしか思えない。
「両親が旅行をする間の留守番はボクらの役目だから、使用人もいなくなるんだ。家事はひととおりできるよ。」
『すごい、貴族社会がなくなっても生きていけるわね!』
重い話を持ち出した筈だが、ミュリーは素直に感心したようだ。まさにこういうところだ。貴族じゃなくなっても、ならわかる。実際よく言われることだしそうだと思う。しかし貴族社会がなくなっても、なんて普通考えない。レイアはいつもミュリーを変なひとだと言うが、全くその通りだ。
「…でもさ、昔は違ったんだ。荷物持ちだけど一緒に旅行してた。でもレイアが人様の誕生パーティーで事件を起こしてからそれもなくなってさ。居ないものとして扱われるし、婚約も決まって、お払い箱同然。あーあ、ボクも公爵家に生まれたかった!」
嫌味と皮肉を織り交ぜてわざとらしく言うと、ミュリーは言葉に詰まる。いつもなら流暢に公爵令嬢としての言葉が出てくる彼女の珍しい姿だ。
『そうね…、でも公爵家であっても親が同じなら変わらないんじゃないかしら?』
「………それはそうだ」
訪れた沈黙は誰にも邪魔されない。その間にチーズに焦げ目がつき、ピザはいい具合に焼きあがった。おじさんに頼んで出してもらうと、たちまち香ばしい香りが辺りに広がる。持ってきていた木製の大皿に移し、ミュリーの実習はこれでほぼ終わり。ふたりで話せる稀有な機会を棒に振ったような気がしてならない。つい名残惜しいと目で追う。
『ダミアン様に愛されれば、親からも愛されると思った。レイアから聞いたの。』
ミュリーはキッチンスペースに戻らず、再び隣に座って膝に皿を置いた。
少し躊躇いながら 口元に人差し指を置いて“ナイショね”と笑う。
『レイアの欲しい愛は結局貰えなかったって聞いたわ。何をどうしても無理なら仕方ないって諦めていたの。…レウス、貴方は?』
穏やかな目と声は この人の専売特許だ。ほかの誰がどれだけ努めようと、これほど他人を気遣う空気は醸し出せない。そもそも14歳でこの落ち着きは異常とも言えよう。
ボクはそれに倣ってできるだけ優しい笑みを浮かべた。
「…考えたことはあったけど、ボクはレイアの奇行を制止するのに手一杯だったからさ。親から愛されなくたって、今友達がいて幸せだからそれでいいって思ってる。」
『そうなの、それは素敵なことよね。』
ミュリーは少し驚いたように目を見開くが、すぐにまた細めた。その空気感が心地よくて、もう少しだけ引き留めたいと思ってしまった。
「ボクとレイアは光と影みたいにずっと時間を共有してきたんだ。どこへ行ってもふたりぼっちでさ。でもレイアはずっと疎んでいたミュリーと仲良くなれて、友達もできて、すごい嬉しそうなんだよ。ダミアン様への執着も薄くなってきたし、やっとレイアが自由になれたと思えてさ。ボクも嬉しいよ。」
『…次はレウスが自由になる番ね。』
何とは無しに言われた言葉に絶句した。
寂しさが滲み出ないようにしていたつもりだったが、どこかでバレてしまったのだろう。恐ろしい人だ。
『ねぇ、全く関係ない質問なんだけどいいかしら。』
「?どうぞ?」
また躊躇い視線を彷徨わせながらミュリーはボクを見上げた。
『レウスはレイアのこと大好きよね?…お休みのキスやハグはいつまでしていた?』
「…………………よくおぼえていないけど、6歳とか7歳くらいまで?」
思い出しながら言うと、ミュリーは目に見えて落胆した。
それを見て、彼女の兄弟の様子がおかしいとレイアから聞いたことを思い出す。この無敵そうなご令嬢にも悩みはあるのだと思うと、俄然親近感が湧いた。
『そうなの…。あぁ、なんでもないのよ。私の兄弟はまだ求めてくるから、ほかの家庭はどうなのかと気になっただけ。きっと母親のような存在を求められているの。なんとか離れてもらえるようにしてみるわ。』
それは完全に違うと思う。気丈に笑うミュリーを見ているとだんだん親近感は薄れて心配になってきた。
「自分でできると自惚れるな、相手を信じ過ぎるな。命取りになるぞ?」
『何とかなるわ、私の兄弟はいい子だもの。じゃあもうそろそろ仕上げてくるわね。』
立ち上がったミュリーは最後にゆるく微笑んで、キッチンスペースに戻ってしまった。ボクは煮立つグラタンを見ながら、あの儚いくせに自信に溢れたひとはきっと短命なんだろうなとぼんやり思った。
入れ違いで来たダミアン様が今にも刺し殺しそうな目でボクを見た。
「僕の婚約者だからな。」
「……もちろん承知しているさ。」
兄トーマ、弟シャアル、そして婚約者ダミアン。
王族と公爵家のこんなにも強い面々に好かれたミュリーを、男爵家のボクなんかが手に入れられるはずはない。それにほとんどの男は近づいた時点で3人の誰かに締めあげられる。おお怖い、それは嫌だ。
だからほんのりと感じているこの愛しさはずっと誰にも伝えず、心にしまっているだけだ。




