弟の姉
ふわふわ、夢を見ていた。
メリーゴーランドや観覧車、ロリポップもぬいぐるみも人間もみんなみんなコットンキャンディーで、世界はピンクやラベンダーの可愛らしい色でいっぱい。
わー、すごーい、きもちいー、遊園地なんてついぞ行かなかったなぁー。
私はうさぎの着ぐるみの案内人が私をあちこち連れ回し、コーヒーカップやゴーカートなどのゆるふわ遊園地を堪能していた。
ふわふわのくせにがたがた揺れるジェットコースターの、急降下目前に突然世界が大きく揺れ始めた。
まってまって、こんなに高いのに、ここから落ちたら絶対に死んじゃう!やっぱりコットンキャンディーは強度が足りない!
レーンが崩壊し、コースターに乗った私とうさぎが落下、地面に叩きつけられる!と思ったところで目が覚めた。
見覚えのある天蓋が目に入る。強烈な眠気だがここまで体を揺すられたら否が応でも起きてしまう。
気持ちよく眠る私を揺らしていた犯人の方を見遣ると、真っ黒な布を頭から被って全身を覆った 人らしきものがいた。腕だけが布から出ている。恐らく前は見えていないだろう。
『…だれ…?』
「人来る。飲むな。寝たふり。」
私の問いには答えず、真っ黒は言いたいことだけ言ってふっと消えた。
それを目の当たりにした寝惚けた頭が急激に冴えた。まさか今のは、前に私の部屋にいた瞬間移動の魔法を使う人間か。ファッションセンスが独特だ。
コミカルな姿にずっと怖いと思っていた感情は消え去ったが、来る、飲むな、寝たふりというのはどういうことだろう?
起き上がろうとすると急に部屋の扉が開く音がして、咄嗟に私は体から力を抜き、すやすや狸寝入りを始める。
扉を閉める音に続いて人が入ってきた気配がした。
上等な絨毯のせいで足音はしないが近寄ってきているだろう。そしてスプリングが軋む音と、ベッドの重心のずれ。お姫様のようにキングサイズのベッドの中心で眠る私に、手を伸ばせば触れられるほどの距離に相手がいる。
前にも言ったが、寝たふりは起きるタイミングが難しい。しかしここの場面では あまり先延ばしにしてもダメだろうと、私はさも今起きましたよと言うように小さく呻き、横を向き体を丸めた。
『んっ…うー……』
そして暫くこの体勢でじっとしている。私の寝起きなんて見たことがないけれど、ナナの話を聞く限りだとこんな感じだ。なかなか良い出来なのではと考えていると、口になにかが触れた。先程のことが気がかりで顔を背けると、相手はため息を吐いて、私の顎を掴んで固定した。
「ちゃんと飲んで」
その声に驚きが隠せない。ノックもせずに入ってきたのは我が弟だったのだ。私は精一杯の寝起きの声で目を擦りながらごろんと寝返りをうって仰向けになった。
『……シャルぅ…?』
「あれ、もう体が慣れてきたのかな。ならもっと強めのものにしないと…」
何の話かわからす考えていると、口に苦い水が流し込まれた。そこで思い至る。もしかして薬?
謎の液体を飲まないように注意して唾液を嚥下する。薄く開いた視界でシャルが満足そうに笑ったのが見えた。
私はシャルの腕を全力で引き、ベッドに転ばせた。驚くシャルの上に跨り口付けて、謎の液をすべて口内へ注ぎ込む。前世で体で稼いでいた私が、媚薬や睡眠薬を飲まされた時にしていたことだ。前払いのホテルにしか入らなかったため、その後は荷物をまとめて逃げ仰せていた。懐かしい。
『……何を飲ませたの?』
今も逃げ仰せたい気持ちは山々なのだが、やはりそうはいかない。目を丸くしたシャルはすべて飲んでしまったようで、右手で口を押さえている。
『もしかして催淫剤?姉に夜這いでもかけるつもりだったのかしら?』
「……そうかもね。」
逃げられたくないが為に 喋れば唇同士が触れるほどの距離のままでいたが、背中に両の腕が回された。これでは私が逃げられない。
シャルのこの余裕は一体どこから来ているのだろうか。なにか怪しいものを飲ませても動じない姿を見ていると、誰か知らない相手と対峙しているような感覚に陥る。
シャルはこの動揺を悟ったようで、くすくすと笑った。
「嘘ですよ、姉さまに飲ませていたのはただの睡眠薬。俺はただ 眠っていて欲しかっただけですから。」
『どうして…っ』
「危ないことをさせない為に」
腕をすり抜けて距離をとろうとすると シャルはそれを強く抱き締めて阻む。シャルの唇が耳朶に触れるほどの至近距離には 命の危険さえ感ぜられる。
全力で脱出を目論むが、腕はびくともしない。むしろ暴れれば暴れるほど強く抱きしめられる。背骨が軋むように痛み、最後には抱き殺されそうだ。
「そうですよね、理解できませんよね。でも俺たちも理解できないんですよ。大切に想う誰かひとりのために、だったらわかるけど、姉さまは誰が困っていても我が身を挺して助けに行くでしょ?そんなのおかしい、助ける誰かが姉さまである必要ないよね?ねぇ?」
『っ、や、嫌!離して!』
一瞬だけ緩ませられた腕に咄嗟の対応はできず、起き上がれたもののそのまま後ろに倒れ込んでしまった。シャルが私の上に跨り 腕を押さえつける。私は為す術もない。
「俺を拒まないで、殺してしまいそうになるから…!」
掠れた声。泣きそうに顔を歪めたシャルは自嘲気味に笑った。
それがひどく寂しそうで、私はなぜか申し訳なくなった。
「そうだ…俺の魔法、見せてあげますよ。口にしたものを複製できるんです。複製した分のカロリー消費はありますけどね。」
シャルは私の眼前に、押さえていた手を離して差し出した。
瞬きをする間に手のひらの上は クッキーやプチマフィンやマカロンなどのスイーツでいっぱいになった。どこか傍観視した頭が便利な能力ねと感心していた。
「昔、施設で拷問紛いの実験をされていたことを話したことがありましたよね。その時にわかったんです、毒も複製できるって」
口にクッキーが押し込まれる。甘い、料理長の作る味が口に広がった。
「最近、形や濃度も操作できるようになりました。すごいでしょう?兵器みたいじゃないですか」
嚥下すると、間髪入れずにハート型の小さなキャンディが押し込まれる。今まで口にしたものの何より甘い。甘すぎて吐き気さえ催した。
「人を簡単に殺せる力を持つって結構大変なんですよ。我慢しなきゃいけないから。」
キャンディが溶けきらぬうちに、フランボワーズのマカロンが口に押し込まれた。これも料理長の作る味。口の中がパサパサになってまごついていると、唇に触れたシャルの指からオレンジジュースが溢れてきた。
「でも、それって相手に限ったことではないんです。カロリー消費が伴うから、俺のこともすぐ殺せるんです。死にたいって思ったら、簡単に死ねる。」
『…シャルは死にたいの?』
「死ぬなら、姉さまを殺してからがいい。」
残った菓子を手のひらを傾けて口に流し込み自分で処理すると、隣にころんと転がった。
相変わらず寂しさが見え隠れする顔は私の心を惹くに充分だった。
「でも、やっぱり姉さまには生きていてほしい。笑ってほしいし幸せになってほしい。だから誰かのために傷つくことさえ厭わない姿勢は捨ててほしいんだよ。」
『私は自分のために助けているのよ。困った人を放っておくことも出来るけれど、それだとずっと気がかりだから。後悔は後でするものだから、そういうのはすべて明日の私が負担すればいいだけ。』
あの時、児相も、親も、学校も、警察も、誰も助けてくれなかった。だから私は助けたい。自分が助ける義務はないけれど、自己満足にはなるし、何より自分の評価になる。それだけで犠牲になる価値はあるのだ。
シャルの手が、私の首を苦しくない程度に締める。
「死ぬのは怖い?」
『残念に思うわ。』
「……俺は怖いよ」
ふっとシャルの体から力が抜けた。死んだかと思って焦ったが、さっき睡眠薬を飲ませたことを思い出した。人は呼ばなかった。
泣きそうな彼が毒を飲ませることも飲むことも出来ないような気がしていた。
空が白みはじめていた。
それをバルコニーのベンチで見ながら優雅に紅茶を飲む私は、真っ白な課題に追い詰められて半ば発狂していた。私だって最初は可愛い弟の寝顔をみていた。しかし眠りこけている間に無情にも時は進み、長期休みも折り返していることに気づく。これはもうレイアにでも頭を下げるしかなさそうだ。いやダミアンでもいいかもしれない。前世で鍛えたスキルを発揮するチャンスだ。
『…市内でお会いできるパパさんを探しています♡実は課題がピンチなので、一緒にイロイロ教えてほしーな♡お気軽にDMくださいね♡』
自分で言って自分で笑ってしまう。あの時のハンドルネームは確か愛論。完全にヤバいやつだ。爆笑。もう笑いが止まらない。黒歴史ってキツすぎる。
「姉さま、風邪ひきますよ」
『まったくよ、寒すぎるわ。何よ めろんて。』
肩にブランケットがかけられる。
私はそれにくるまって死にたくなった。
バルコニーにつながるドアを開ける音も、足音もしなかったのは 理由はわからないがわざとだろう。
『何も聞かないでね。』
「姉さまのひとりごとはいつもおかしいので慣れっこです」
苦笑したシャルがベンチの端に座る。いつも何を言っているのか私が聞きたい。ブランケットを肩に掛け直し、私は首を傾げた。
『どうしてそんなところに座るの?寒いでしょ?こっちにおいで?』
腕を広げると シャルは寒くないですと首を振った。
私はシャルの方へ寄り、抱くようにして毛布で包んだ。小さく震える体を温めるようにさする。
『どうしたの、何がそんなに不安なの?』
「だって、俺、姉さまが嫌がることたくさんしたから…、もう嫌われたと思って…」
それはそうだろう、普通の令嬢ならば。
しかし私は考えの根底は純日本人、それもまともな家庭では育っていない。嫌がることも、我儘も、常識も、認識が狂っている。
ぐずるシャルの頭を撫でながら、思ったことをそのまま言うことにした。
『私、いつ死んでもいいって思っているの。不幸を見ないうちに消えてしまいたいのよね。それに自分の命で大切なものが守れるならいつでも差し出すわ。それはシャルも同じでしょ?』
「…はい」
『でもシャルは、私がむやみやたらにそうしてるとおもったのよね?だから私を守ろうとしてくれた、で間違っていない?』
「あってます」
ようやくシャルが顔を上げてくれた。涙で真っ赤になった目は幼い子供の目とよく似ていた。差し込んできた朝日を受けて、濡れた睫毛が煌めきを増す。
『守ってくれてありがとう。確かに無鉄砲で心配になっちゃうわよね。』
「…そうですよ。いつだってトラブルが起こるとその場に姉さまがいる。逆の立場で考えてみてくださいよ。」
『ふふ、そうね。』
じっとりと睨まれて、私は思わず笑ってしまう。
それを見たシャルが不満だと顔をそむけた。それさえも私を笑わせる。
『あぁごめんなさい、馬鹿にしてるわけじゃないわ。可愛いなって思っただけ。』
「力で負けといて可愛いっておかしいですよ」
『私がおかしいのはいつものことでしょう?』
ぶすくれた弟をぎゅっと抱き締めて、揺りかごのように揺れる。
母親のように安心させられる訳では無いが、姉として出来ることはあるのだ。落ち着かせるようにゆっくりと私は言う。
『これからは気をつけるわね。考え無しに突っ込まないように、あとシャルにバレないように。』
「何言ってるんですか、全部バレますよ。使用人はみんな俺と同じ意見ですからね。学園のそこかしこに監視の目があるんだから。」
『なら危なくなったら止めてくれるよう、ナナたちに頼まなきゃね。』
茶目っ気たっぷりにウインクしてみせると、シャルはようやく笑ってくれた。朝の澄んだ空気をいっぱいに吸い込んで太陽を見るシャルはいい顔をしている。
「…姉さまのことを止めるなら、あの太陽を止める方が楽かもね」
『それはそうよ、私だもの。それにしてもシャルって意外と繊細なのね、姉への不安だけでここまでしちゃうなんて。』
私が毛布から抜け出して立ち上がり大きく伸びをすると、後ろから大きな音がした。見るとどうやらシャルがベンチから滑り落ちたようで、驚愕の表情で私を見上げていた。
「あ、姉への不安だけで…?」
『違ったかしら?』
面倒ごとは御免だからそういうことにしておきたいが、やはりそう纏めるのは不服だろうか?
心配になったが、シャルは急に大笑いした。
「流石は姉さま…!馬鹿ですねぇほんとに…!」
息も絶え絶えに言われて少し腹立たしいが、今回は丸く収まったような気がする。気付かないふりも神経を擦り減らすものだ。あの口付けもあの激情もすべて家族だから無に帰す。
『シャル、私を寝かしつけた責任をとって課題手伝ってね?』
「仰せのままに、お姉さま」
私が手を差し出すと、シャルはそれを握って立ち上がる。
長い時間を費やしている砂のお城は、もう少しだけの間、波に攫われないでいてほしい。
シャルは私に微笑んだ。私も返す。シャルの目はもう、昏くも幼くもなくなっていた。




