甘ったるい夢
長期休暇に入って数日が経過していた。
相変わらずトーマとシャルは私にべったりだが、もう心配はいらない。これは家族愛だと言われたのだから。
夜、寝る直前に本を読んでいると 部屋にノックの音が響いた。
返事を返せば、トレーにカップを2つ乗せた笑顔のシャルが入ってくる。急に部屋に甘い香りが充満した。
ソファに沈む私の横に迷いなく座るシャルは、ローテーブルにトレーを置いた。
「姉さま、ココア飲みませんか?料理長にココアを頼んだら、姉さまの分も持って行けって言われたんです。」
『ありがとう、頂くわ。』
テーブルに置かれた2つのカップをを見比べ、どろりとしていない方を手に取った。
シャルは極度の甘党で、ココアにも紅茶にも砂糖が大量に入っている。1度飲んだことがあるが、砂糖の甘さが何の味よりも勝っていて まるで理解できない味だった。
隣でそれを美味しそうに飲むシャルの将来にかなりの不安を覚える。しかし彼はよく運動するしよく勉強する。何とかなるだろうと信じたい。
鼻歌を歌いながらカップを傾けるシャルは大層ご機嫌な様子だ。こういう日は決まって私に話したいことがあるのだ。昔からそうだった。
『シャル、今日も剣の練習をしていたんですって?どうだった?』
尋ねると、シャルはぱっと表情を明るくする。
「えへへ、聞いてください、今日トーマに勝ったんです!あいつ俺のこといつも子供扱いしてくるから ずっと腹立たしくて、でもやっと勝てたから本当に嬉しくて!」
『まぁ、すごいわね!』
偉い偉い、と頭を撫でてやればシャルは照れくさそうに笑って、私に体を預けた。
「あー…でも、強くなったからって姉さまを守れるわけじゃないんだもんなぁ。」
『…どういうこと?』
「姉さま、遠乗りして遭難しかけたって本当?」
笑顔を崩さぬまま、上目遣いでシャルは言う。
何だかそれらがわざとらしくて不気味な気がした。
『ええ。ちょっとした事故があって、ロザリーの馬が暴走してしまったの。ナナが直ぐに助けに来てくれたから何も問題なく終わったわ。』
「すぐ先は崖だったんですよ。知ってました?」
責めるような目、そのくせ弧を描いた唇。もしかして怒っているのだろうか?だとしたら初めての経験だ。
穏便に済ませようと決意をして、注意深く様子を探りながら私は首を振った。
『いいえ。じゃあロザリーが振り落とされるのがもっと先だったら危なかったのね。道理でナナも焦っていたんだわ。でもシャルはどうしてそれを知っているの?』
「さぁ?」
彼は興味無いとでも言うように素っ気ない返事をする。
飲み終えたカップをソーサーに戻してさり気なく距離をとると、すごい勢いで距離を詰められた。
大豆を積極的にとっているにも関わらず身長は伸び悩んでいる、そんな私を軽々抜いたシャル。体つきも最近は筋肉が増えて、男の子らしさを意識させられる。
そんな弟にこんなことをされると、この前せっかく家族愛だと納得した頭が再び疑問を打ち出してきそうになる。
『もしかして心配してくれているの?シャルは優しいのね。』
そんな中でも何とか主導権だけは握りたい。シャルの頬を撫でると、頬にあてた手に少し大きな手が添えられた。シャルは黙ったまま私の手の輪郭を指でなぞる。
『…どうしたの?今日はあまえんぼうさんなのね。』
「はは、いつもですよ」
乾いた笑い声と僅かの息が耳を擽り、なぞっていた指が私の指を絡めとる。まったくこの子はどこで こんな手練手管を覚えてきたのだろうかと心底疑問に思う。もしやあの時貸した街ではやっている恋愛小説か。失敗したと頭を抱えたいが抱える手はない。いつの間にか両手がシャルの手中だ。
あっという間に主導権はあちら。前世の経験もこの状況下ではなにも使えない。打つ手のない状況に、心にじわじわと焦りが滲む。蝋燭の心許無い光のせいか、シャルの目には生気が感じられない。
『シャル…?眠たいの?』
「それは姉さまでしょう?少しおかしいですよ。」
シャルの右手が私の頬に触れる。慈しむような手つきだが、恐怖でしかない。
親指が口角に添えられ、ぐっと上に持ち上げられる。
「俺ね、姉さまの笑った顔が大好きなんです。でも姉さまの面白いと思うことが最近、俺にとっては面白くない。」
『シャル、』
「黙って。」
端正な顔が不快に歪む。それも私が口を噤むと緩むと、またわざとらしい笑みに戻った。
情けなく震える指先を隠そうにも、シャルの手指と恋人のように絡んでおり完全にバレバレ。私が怖がっていると気づいていながら何も言わないシャルは、もしかしたら心の中で私の様子を見て愉快だと手を叩いているのかもしれない。
「姉さまってすぐくだらないことに命を張るよね。誕生パーティの時も、山賊の時も、今回の件だってそう。放っておけばいいのに、相手が誰だって助けに行く。」
『そんな大それたことはしていないわよ?』
「あはっ、なんの冗談?」
頬を滑っていたシャルの指が私の唇に乗る。そして綺麗な人差し指が口の中に押し込まれた。
「どうせいつも公爵家の名に泥を塗らぬようにとか考えてるんでしょ?だから王子と婚約をして、ヒエラルキーの強い学園でも自分のクラスだけは身分の低い人の安置にして、自分を犠牲にしてまで事勿れ主義。その無鉄砲さで出来た友人に囲われてるのに何もしてないなんて…よく言うよ。」
歯列を滑る甘い指は微かな水音をたてている。
何を言いたいのかまったくわからないが、怒って責めていることは確かだ。謝りたい気持ちはあるものの、口を開けば更に口内への侵入を許してしまいそうで言えないでいた。
『……………っ、?』
だが急に目眩とも眠気とも似た感覚が私を襲う。
ぐらり、前に傾いた体をシャルが空いた手で軽々支えた。
「ふふふっ、お休みの時間だね。何も気にしなくていいんだよ、ほら、ゆっくり目を閉じて?」
心底嬉しそうに笑って シャルは親が子を抱くように私を抱き上げた。この細腕のどこにこんな力があるというのだろう とぼんやり考えていると、背中に柔らかい感触。ベッドに降ろされたようだ。
必死で目を閉じてしまいたい欲求に抗っていると、それに気づいたシャルがまた笑った。
「強情だなぁ…。でも俺はそんな姉さまも好きだよ。姉さまは誰かのために犠牲にならなくていい。生きてくれていたらそれでいい。ね。おやすみ?」
いつものおやすみのキス。額に柔らかな感触を感じ、頭を撫でられるともう意識は保てない。不気味な空気と心地良い感覚に揺られて、私は目を閉じた。




