幼いモラトリアム
ある休日、寮のベッドで目を覚ますと隣にトーマお兄様がいた。
眩い朝日の中、恐らく今は7時くらいだろう。金髪が透き通って見える。
寝起きが悪い私の頭は夢かと結論づけて、二度寝に興じようと目を閉じるが、あることに気づく。
『……………あつい。』
いつもの倍のスピードで脳が冴えていく。そしてようやく理解した。…お兄様、発熱?
動くことを拒む体をゆっくりと持ち上げて起き上がり、金色の髪をかき分けて額に手を乗せる。体感だが38度は間違いなくあるだろう。
『…昨日は鍵をかけ忘れていたかしら?』
男子寮へ女子が行くのも、その逆も規則で禁止されている。見張りも厳しいのでまず正面から入ってくるのは難しいはずだ。
ベッドからおりて髪をまとめ、薬箱を漁る。氷の魔法が施された、現代で言う冷えピタと解熱剤を手に取るが、解熱剤は風邪を長引かせると聞く。結局冷えピタだけを取り出して薬箱を閉めた。
前世でも今世でも 私は風邪をひいた記憶がなく、看病とは無縁だった。いつだったか、シャルが熱を出した時も、私は絶対に部屋に入れてもらえなかった。何をすればいいのか漠然としかわからないし どこか現実味がない。
取り敢えず冷えピタを額に貼り、布団を1枚余計に被せ、寂しくないように私のお気に入りのぬいぐるみを抱かせてあげた。
『あとは…食事かしら?オートミール?ゼリー?フルーツ?』
どれにしろキッチンはあるが材料はない。朝早いがもう食堂はやっているはずだ。料理長に相談しよう。
落ち着いた色合いの普段着に着替えて 鍵を開けて部屋を出る。帰りは両手が塞がっているのを見越して敢えて鍵は閉めず、私は小走りで食堂へ急いだ。
誰もいない食堂内、食事を受け取るカウンターの奥に見慣れた姿があった。駆け寄って声をかけようとすると、一拍早く料理長が口を開いた。
「どうしました!?今日はお嬢様のためにクルトンをこっそり作っておいたんです!シーザーサラダに乗せますね!」
『クルトン!?最高ね!…でも今はお願いがあって来たのよ。実はね、お兄様が熱を出してしまって。フルーツやオートミールの材料を貰えるかしら?』
爛々と目を輝かす料理長は犬のようにも見えたが、私がお兄様の話題を出すと料理長はあからさまにテンションが下がった。
「…あ、はい。少し待っていてくださいね。」
『ありがとう、助かるわ。あともし良ければ、サラダをランチボックスか何かに詰めてもらえる?早く料理長の作ったクルトンのサラダが食べたいわ。』
奥に消えた料理長に再度声をかけると、今度は溌剌とした声で返事が聞こえた。
少しして 料理長が大きめのバスケットとオートミールの調理法のメモを持って現れた。
「お嬢様、火には充分お気をつけください。フルーツはオレンジと林檎とぶどうを入れておきました。」
『本当にありがとう、料理長。助かるわ。』
「また今度、クッキーでも作りましょうね」
私が笑うと、料理長も満足気に笑った。
部屋に戻ると、お兄様はまだ寝ていた。
自炊の機会がなく寮生活を始めて初めてかけるエプロンに一抹の不安を覚えるが、致し方あるまい。焦げたら自分で消費しよう。
鍋に材料を入れて火にかけ、焦げ付かないように木ベラで混ぜていると、突然背中にずんと重みが乗った。跳ねた金髪が視界の隅に入っている。
『…お兄様、体調はどうですか?』
「駄目、死ぬかも」
本当に辛そうな声で言われて、ようやく私も焦ってきた。今まではドラマや夢でも見ているかのような感覚だったが、もしかしたらこれはまずいかもしれない。医療の発展が乏しいこの世界では、風邪でも死ぬことが少なくない。まあ大多数は貧しく栄養面に偏りのある人間たちだが。
『もう、寝てなきゃダメじゃないですか!』
「歩けない…」
ここまでは歩いてきた癖に…とは思うが、相手は病人。火を弱めて、兄を半ば引き摺るようにしてベッドに連れ戻した。寝そべったお兄様はへらりと笑って見せるが、顔は真っ赤だ。
『何か食べれますか?料理長がフルーツをくれたんです。』
「ミュリーがあーんしてくれたら食べる」
『思ったよりも元気で安心しました。』
布団をかけてあげると、お兄様は目を閉じた。鍋の前に戻り弱火のまま中身をかき混ぜながら、私は片手間にオレンジを剥くことにした。よく知っているわけではないが風邪の治療にはビタミンだろう。包丁さばきには不安しかないが、不格好でも味は変わらないだろう。…ところで、オートミールはあと何分煮るものなのだろうか?メモに手を伸ばそうとすると、コンコン、突然部屋の扉をノックされた。
今日は誰とも遊ぶ予定は無いしロザリーかレイアだろう。ふたりとも課題やお茶やらでよく部屋を行き来する仲だ。最初こそこのお父様の選んだベタ甘ロリータ家具が寮の部屋にもあることが嫌だったけれど、皇后陛下から貰った私服を見られた後ではもう遠慮することも無い。
『入ってきていいわよ。』
「ミュリー様、おはようございます〜!」
私の返事が聞こえると、コンマ数秒後に扉が開く。顔を覗かせたのはロザリーだった。エプロンをかけてオレンジの皮を剥いている私を見ると、大きな目を丸くした。
「珍しいですね、お部屋で調理なんて。」
『お兄様が熱を出してしまって、食堂から貰ってきたのよ。ねぇロザリー、オートミールってどれくらい煮ればいいのかしら?』
私が質問するとロザリーは後ろ手で扉を閉めて、キッチンスペースに入り、木ベラで鍋の中身をぐるりと混ぜる。
「今ちょうど良い具合ですね。柔らかめが好きならもう少し煮てもいいと思います。」
『そうなのね。あまり料理をしないからよくわからなくて困っていたの、助かったわ。』
「いえいえ、お役に立てて嬉しいです!」
私はそれから必死でオレンジと格闘していたが、あまりにも酷い出来なのでロザリーに剥いてもらうことになった。面目ない。
前世も今世も縁遠いからよく分からないが、するすると慣れた手つきで皮を剥くロザリーはお母さんのように見える。
『…あ、聞き忘れていたけれど、今日はどうしたの?』
「今日はですね、課題で難しい問題があったから教えてもらおうと思ったんです。忙しそうだし 明日出直しますね。ところで、これどうやって男子寮に持っていくんですか?立ち入り禁止ですよね?」
『……あっ。』
さっと血の気が引くのを感じた。つい話してしまった。
自覚はないが、私は嘘が下手だとみんなに言われる。ここで嘘を吐く方が怪しまれてしまうだろう。自分の警戒心の無さに呆れながら私は勢いよく頭を下げた。
『実は朝起きたらお兄様が隣に寝ていて。お願いロザリー、全ての責任は私がとるから、誰にも言わないでいてくれない?』
恐る恐る顔を上げてロザリーを見れば、彼女は何故かそれはそれは嬉しそうに、何度も大きく頷いてにやけていた。
「わかりました!えへへ、ミュリー様と2人だけの秘密…、絶対に守ってみせます!」
『ありがとう!』
よくわからないが黙っていてくれるならそれがいい。違反者にはそれなりの処罰があるのだ。怖すぎる。
ロザリーは綺麗に剥かれたオレンジと、オートミールを皿に移してくれた。盛りつけまで美しい。才能さえ感じられる。
『本当に助かったわ。ロザリーは製菓だけではなくて料理も得意なのね。』
「ミュリー様のためなら毎食作りますよ!あと何か手伝えることはありますか?」
優しいロザリーのことだ、もし頼んだら本当にしてくれそうで怖い。私は首を左右に振った。
『もう大丈夫よ、ありがとう。ロザリーまで風邪をひいたら大変だからもうそろそろお部屋に戻らないと。』
「もう少しミュリー様といたかったけど…看病しなきゃですもんね。また明日、時間があったらお勉強しましょうね!」
『そうね、また明日。』
とても残念そうにロザリーは微笑み、ぺこっと小さく礼をして帰って行った。扉が閉まった瞬間、また背中に重みが乗る。お兄様の体は相変わらず熱いまま。
『もう、寝てなくちゃダメじゃないですか!』
「あー…やっと帰った…。」
その言い方はないだろうと思ったが、来客があっては体も休まらない。そもそも私に包丁を扱う器用さや料理の常識があればロザリーを頼らずに済んだのだ。それを考えると申し訳なくなる。
『お兄様、ベッドに戻りましょ?』
「……動けない。」
仕方無し、と再び引き摺るようしてベッドに戻す。
サイドテーブルにオートミールとオレンジを運ぶと、お兄様は横にならず、足だけを布団に入れて座って待っていた。
「あーんじゃないと食べない」
『分かっていますよ。ほら、口を開けて?』
「口移しがいい」
『冗談を言える元気があるなら安心ですね。』
私はスプーンにオートミールを掬い、口元へ運んだ。
「………………」
『そんなに熱くありませんよ』
お兄様は私をじっと見詰めて何か言いたげだったが、やがて諦めて口にした。咀嚼して嚥下すると、ぼんやり呟くようにお兄様は言う。
「あんなに小さかったミュリーがオートミール作れるようになるなんて…。お兄ちゃん感動だわ…。」
『ふふふ、大袈裟ですね。ほら、あーん。』
それを5回ほど繰り返すと器の中が空になった。オレンジまで食べ終わると、お兄様はもぞもぞとベッドに潜った。
口元までブランケットで覆い、何やらじっとり私を見ている。
「…お兄ちゃん、かわいい妹に添い寝して欲しいなぁ〜」
『まあ、中等部のお兄様の口から添い寝なんて単語が出てくるとは思いませんでしたわ。』
「風邪の時寂しくなるのは年齢関係ないでしょ?」
『…でも私、起きてからまだ何も食べてませんの。』
バスケットの中から サラダの詰められたタッパを取り出して見せると、お兄様は頭まで潜ってしまった。
起きてからしばらく経っているから私も空腹の限界だ。急いでサラダを食べ、水を飲んでから私はポンポンと布団を叩いた。
『お兄様?寝てしまいました?』
にゅっと出てきた腕が私を探すように彷徨う。その手を握ると、ぐいぐいと布団の中に引っ張られた。
いつになく幼稚なお兄様に内心ため息を吐き、私は腰のリボンを解いて楽な格好になってから布団に入る。するとお兄様は私の心音を聞くかのように胸に顔を埋め、強く抱きしめた。
「みゅりいぃいいい」
『………お兄様??』
「なあに」
前々から少し頭がやばい兄だとは思っていたが、風邪をひいただけでこんなことになるとは考えてもみなかった。お兄様の目はきゃるんとでも表そうか、世の穢れを知らぬ生まれたての赤子の目をしていた。
『イエ、ナンデモ』
すりすりと胸に頬擦りをするお兄様に、心の中で病人 子供 家族 変態じゃないと唱えて洗脳をかける他ない。もしかしてこういうものなのだろうか?こうなるからシャルが熱を出した時に私は部屋に入れてもらえなかったのか?
いいやまさかそんなはずはない、社交界に顔を見せない引きこもり令嬢の私には暇な時間がたっぷりあった。その時間を活用して本だけはたくさん読んだが、どの本にもそんなことは書いていなかった。
「ミュリー」
『なぁに?』
頬擦りをやめておとなしくなったお兄様は、相変わらず布団からは出てこない。私が頭を撫でると、大きく息を吐いたのが分かった。
「魔法、黙秘権あるのに、黙っていたら勝手になんの魔法か決めつけられるっておかしいと思わない?」
『…おかしいわね。』
ここでいう黙秘権とは魔法を使える人のためのものだ。残念だがこの国には珍しい魔法が使える人を利用しようと企む輩も多い。それを防ぐ為にも、魔法が使える人間が使えないと言ったり、使える魔法の内容を秘密にしてもいいと言えるようにしたのだ。
シャルとお兄様もルアシータに来る前にはそういった組織に利用されていたと聞く。そんな経験からか、ふたりともそれぞれの使える魔法を人に話したがらない。私も知らない。
「この前、女生徒が麻痺毒で学校を辞めた話があっただろ?面白半分でクラスで犯人探しが始まったんだよ。女生徒がシャアルのファンクラブの子だった、あの子たちはミュリーを目の敵にしていた、数日前にずぶ濡れにされていた、もしかしてそれで?シャアルが犯人?もしそうなら?仕返しにしてはやりすぎ?キンシンソウカン?ってさ」
『それは酷いわね。』
話の前後が繋がっていないため理解に時間がかかってしまった。きっとお兄様は話したいだけなのだ。私はいつの間にか撫でることを辞めてしまっていた手を再び動かし始めた。
「別にいいじゃんか、爵位ではこっちの勝ちなのに、なんで、そういうのはもっと隠れてするんじゃないのか?目の前で言わなくたって良いじゃないか?」
『そうね。』
「もしかして俺たちが庶子だから?舐められてるのか?正妻から産まれればよかったのか?そうしたら、本当の兄と妹で、そうしたら、きっと諦めもついたのに、」
『…………』
嗚咽が聞こえる。
私は胸元に預けられた頭をぎゅっと抱きしめた。
私が知らないだけで、彼は劣等感を持っていたのだろう。後継者か、そのクラスでの出来事か、何かはわからないがとにかく何かを諦めるべきだと思っているということで恐らく間違いないだろう。
「まあそれもどうでもいいんだ、俺はミュリーに愛して貰えてたら、それで。何があっても生きていけると思ってた。誰にも愛されずに生きてきたから、ミュリーの存在は鮮烈だったよ。今もそうだ。でももう足りない。もっと愛して欲しい。」
『お兄様…?』
私に愛されたい?もしかして恋愛的な意味で?
ゾッとした。衝撃を受けた。家族だから恋愛に発展しないと確信してきたが、もしかしたら危ういのかもしれない。
だがまだ希望はある、熱があるから誤った言葉を選んでしまったのかもしれない。すべて予測でしかないのだから。
私にしがみつくお兄様の腕を解き、顔を布団に引きずりあげる。
真っ赤な兄が縋るような目で私を見た。
『大丈夫、何も心配要らないわ。でももうそろそろ眠りましょう。私がちゃんと手を握っていてあげるから。黙ってどこかに行かない。約束する。ね?』
昔 屋敷でしていたように額におやすみのキスをすると、お兄様は何も言わず目を閉じた。早く呼吸が落ち着くように背中を撫でていると、強ばっていた熱い体から力が抜ける。呼吸も落ち着いてきたところで私は安堵のため息をついた。それを聞いてか、お兄様の目が薄く開く。
「どこにも行かないでよ?」
『もちろんよ。』
背中を撫でていた手をとられ、お兄様はその手を両手で握ると、少し不満そうに息を吐いてまた目を閉じた。少しだけ眠ろうと、私も瞼を閉じる。
兄弟愛。考えたことはあったが、最近はまったく意識していなかった。シャルやお兄様の先の言動が、恋慕からくるものだとしたら?
怖い。わからないから怖い。
本当に異性として愛されているのか、愛されていたとしてどうしたらいいのか。
私の好きの感情は幼いものだ。それこそ好きな色と同じ。それしか知らない。激情に駆られることはほぼない。テオへの恋だってふんわりしていて、推しという表現が1番よく似合う。それしか知らない。
違ったらいい。思い違いであれ。私のことは姉として、妹として慕ってくれたらそれでいい。まだ私たちは子供だから。
子供のままでいたかった。みんなに、何も知らない子供のままでいてほしかった。
皮肉なことに私が前世でこの身を売り始めた歳と、私の今の歳は同じ。もうタイムオーバーだ。子供だからと言い訳なんてできない。わかっているが賞味期限の切れた言葉を何度も口にする。お守りのような、薬のような、安心感、免罪符。
『子供だから仕方ないよね』
私は小さく呟いて、浅い呼吸で動くお兄様の背中を撫でた。




