橙色の部屋
西日が眩しい。完全に寝すぎた。
薄く開いていた瞼を閉じ、ゆっくり3呼吸くらいしてから、漸く今朝看病していたことを思い出した。
『お兄様…』
年中寝起きイヤイヤ期の体を叱りつけて 重い瞼を擦りながら起き上がると、両隣に金髪が寝転んでいた。シャルとトーマ、2人。目はぱっちり開いていて、私の寝顔を眺めていたようにしか見えない。
「姉さま、ぐっすりでしたね!」
「かわいい寝顔、ご馳走様」
頭の中をクエスチョンマークが占拠する。
シャル?シャルですって??
『シャル、どこから入ってきたの?』
「部屋の扉からですよ?あ、鍵ちゃんと閉めなきゃだめじゃないですか!入ってきたのが俺だったからいいものの…。」
確かに閉め忘れた。違うそうじゃない、ききたいのはどうやって女子寮に入ってきたかである。唖然とする私を見て察してくれたらしく、シャルは可愛らしい笑顔で言う。
「ちょっとお金ちらつかせたら簡単でしたよ?」
『はぁ…、お兄様もそうやって入ってきたんですね?』
「まあそんな感じ?」
なぜどうしてと尽きない思いはあるが、仕方がない。お兄様は昔から変な人だし、シャルは突拍子もないことをしでかす時もある。
諦めた私は兄の額に手を当てた。熱は下がっている。
『お腹はすきましたか?』
「少し?」
『もらったフルーツ、切ってきますね。』
私はのそのそベッドから抜け出そうとすると、後ろから腕を引かれた。存外力が強く、ベッドに背中から倒れ込んだ私を、起き上がった2人は見下ろした。どちらが腕を引いたかはわからないが、どちらとも焦っている。
「姉さま包丁すっごく下手ですよね!?」
「俺がするから!座って!!」
『……オレンジ、何も言わずに食べたくせに。』
「あれは頭働かなかったから、そこまで気が回らなかったの!」
トーマにブランケットでぐるぐる巻きにされて おくるみに包まれた私が出来上がった。
その隙にシャルがキッチンへ急ぐ。姿が見えなくなったと思えば、爆笑が聞こえてきた。しばらくして明らかに疲弊した様子のシャルが私の剥いたオレンジをわざわざ皿に乗せて持って来る。それを見たお兄様も吹き出した。
「ね、姉さまっ、どう頑張ったらこうなるんですか!」
『え?普通に剥こうと…』
「ぶふっ、あっははは!見てよ、種砕け散ってるし!果肉に種の破片を埋め込みたかったとしか思えないよね!皮どころか実までしっかり剥いてるし力加減下手すぎでしょ!むしろ果肉切る方が難しいし!」
『それは…!』
もう誰も私の話を聞いてはいない。シャルは膝に手をついて笑っているし、お兄様はベッドに顔を埋めてはいるが体が揺れている。笑っているのがバレバレだ。
『〜〜〜〜っ、もう!お兄様もシャルも大っ嫌いよ!』
耐えられなくなった私はおくるみのまま布団に潜り込む。籠城だ。
面白がって布団の芋虫をつつく2人に、しばらく口を聞かない決意を固めようかとさえ思う。誰にだって得手不得手はあるのだ、ちょっと極端だが、私のこれもそれに類するだろう。
「大丈夫、姉さまは不器用なところもかわいいですよ〜」
「そうそう、できない方が愛嬌あるしさ」
「何それ、姉さまは完璧でも駄目でも愛嬌あるけど?」
「はいはい。ミュリー、シャルも悪気しかなかったみたいだし、殴っても蹴ってもいいからさ、機嫌直してくれよ。嫌いなんて言うなよ。」
「いいですよ、殴っても蹴っても。罵ったって構いません。でも無視だけはやめてくださいね?1番堪えるんです。」
「あ、わかる、比じゃないよな。想像しただけでお兄ちゃんは…」
「はー、想像で泣くなようざったい」
布団の隙間から見ると、シャルが蹲ったお兄様を軽く蹴り飛ばしていた。数年前も同じようなやり取りをしたなと思うと、急に懐かしくなった。じっとその様子を見ていると、シャルがこちらに気づいてか屈んだ。空色の目が私を捉えるなり眩しいものを見るかのように細くなる。
ベッドの傍に立ち、いきなり掛け布団を剥ぎ取った。おくるみの私が露わになる。それを見たお兄様も駆け寄った。
「姉さま、俺たち家族でしょ?愛し合っていようよ。」
『家族だから?』
「そうだ!お兄ちゃんは可愛い妹から嫌われたくない!」
心に晴れ間が覗いた。世界が輝いた。気味の悪い夕焼けも世界を祝福しているようにさえ思えた。
家族愛!家族愛だったのだ!私たちのこれは家族愛だった!
その方向で考えればいろんな考えが浮かぶ、ふたりとも初恋もまだと見えるし、両親からの愛も満足に無い。トーマもシャルも愛し方が幼いのだ!きっとそうだ、早急に世の恋愛小説を読ませて、もうキスをして許される年齢ではないことや、キスは想い人とすることを学んでもらわなければならない!
私は勢いよく起き上がった。
『林檎を剥く様子を見せて頂戴。私だって勉強すれば出来るようになるはずよ!』
「いいですよ!俺、すっごく上手いから参考にしてください!」
「俺だって綺麗に剥けるからな!」
口論する兄弟は無視、傍らに置いてあった腰のリボンを再び巻き付けて、私はキッチンへ向かう。ハンドソープで手を洗いながら、私は画期的な案を思いついた。…皮を剥かなければいいのでは?
私は林檎を丁寧に洗い、まな板に乗せ、手はにゃんこの手、包丁の持ち方オーケー、縦に2等分。しようと思い、完璧だと思ったのだが。
『いったぁ』
何故か指が切れた。それも左の人差し指の先。にゃんこの手にしていたはずなのにいつの間にか、いや恐らくにゃんこの手では固定できないと無意識に林檎を握り直したのだろう。
私の声を聞いて、ガタガタと物音を立てて2人がキッチンに飛び込んできた。切れた指を見れば顔色が途端に悪くなる。
お兄様は私の左手首をつかんで水道で傷口を洗い、シャルは今朝使った薬箱からガーゼを持ってきてくれた。
『あのね、皮を剥かなければ、私にも出来るかなって思ったのよ。』
「姉さまは包丁を触らない方がいいと思います。」
「同感だな。」
怒りの圧に負けた私は黙った。
傷はそこまで深くないようで、押さえて止血すると血は流れなくなった。シャルがそれにガーゼとテープを巻き付けた。
『…もう1人では包丁を扱わないようにします。』
「それが安心ですね。」
手当てが終わるとシャルに盛大に溜息を吐かれた。
私は既にズタボロの尊厳をもう傷つけまいと新しい話題を探した。
『あ、それにしても美味しそうよね、この林檎。』
「そりゃ料理長がミュリーに渡すものは全部はおいしいだろ。」
「料理長は姉さまに激甘ですからね。同じフルーツでも俺たちにはランクの低いものを食べさせる輩ですし。」
こんなことも知らなかったの?ともとれる言い方をされてしまった。私の残りライフはない。泣きそうだ。
それを察してか、トーマがやけにわざとらしく言う。
「あー、なんだかお腹空いてきた!食堂行かない?」
『でもお兄様、パジャマ姿ですよ?』
「大丈夫、すぐ着替えてくるからさ!ミュリーも少し準備があるだろ?ほらシャル、行くぞ!」
「はいはい」
と、2人は発言の隙を与えずに部屋から出ていってしまった。多少強引だが、包丁の話題は無くなったのでよしとする。
ところで兄たちは迎えに来てくれるのだろうか?何も言わずに行ってしまったことを少し面倒に思いながらも部屋の扉を開けて外に半歩出る。
『お兄様、どこで待ち合わせ………え?』
長い廊下には誰もいなかった。
まさか、この数秒で50メートルは先にある階段まで歩いた訳では無いだろう。あ、もしや開いた廊下の窓から飛び降りたのだろうか?あの2人ならやりかねない。仲良く飛び降りる姿は想像出来ないが。
小さくため息を吐いて、サラダの容器を軽く水洗いして借りたバスケットに入れた。食堂に行けば間違いないはずだ。
数時間前まであんなに弱っていたのに、よくもまああそこまで元気になったものだ。嬉しいよりも感心する。
私は髪を結い直し、全身をチェックしてから鍵を持って部屋を出た。




