異聞録 シャル
ミュリーの声が聞こえた。
廊下は声が響く。人目につかぬよう選ばれた廊下なら尚更だ。白の制服が黒の制服を取り囲んでいるのだからさらに尚のこと目立つ。
最近大きなため息ばかり吐いている。俺が入学して半年くらいで発足したらしいファンクラブは、最近随分目に余る行動をしてくれている。
例えば今近くで起こっているような。
「あなた、シャアル様の姉だからってベタベタし過ぎよ!」
「シャアル様はみんなで崇拝すべきなの!」
「いい加減わかってくれないかしら!」
いい加減にわかって欲しいのはこちらだ。
何度言えばわかるんだろう、ミュリーには手を出すなと。
崇拝するなら言うことくらい聞いて欲しいものだ。
俺は怒りを出来る限り殺して彼女たちに近づいた。俺に気付いたミュリーが来ないで!という目をしたが関係ない。
元々ミュリーが上手くやっていれば俺がこうやって動くこともないのだから。
「何してるの?」
声をかけると、ミュリーを壁際に追いやっていた3人が俺の方を向いて目を輝かせた。
「シャアル様!」「私達は今、話し合いをしているのです。」
「ミュリーさんが必要以上にシャアル様に触れるから、それはダメだと教えて差し上げています。」
『…あっ、その通りです!』
引きつった笑みでミュリーも同意するが、見え見えな嘘はやめて欲しい。昔からそうだ、救えないくらい嘘が下手なのは。
「ごめん、姉さまと話がしたいからちょっと2人にしてくれないかな?」
「わかりました」
「それではまた後で、シャアル様!」
『えっ』
直ぐに立ち去るファンクラブの子を見て、ミュリーは焦る。怒られると分かっているのだ。分かっているなら事前に防げるはずなのに。
「さて…姉さま?何してたんですか?」
俺はミュリーの顔の両隣に腕をつき、壁と僕に挟んで逃げられないようにした。ミュリーは目線を逸らしまくっている。
『人生初壁ドン…』
「え?なに?」
『いえ、なんでもないわ。ファンクラブの皆さんと楽しくお喋りしていただけよ。』
にっこりと淑女の手本のように笑う顔は、あまりにも嘘くさい。
とても腹立たしかったので頬を揉みしだいて崩させた。
「今日も呼び出されて、のこのこ着いて行って、謂れのないことで、ねちねち文句言われた、そうでしょ?」
『謂れはあるわ!この前私がシャルの頭を撫でたのを見られていたのよ。姉とはいえ異性、私ももう12歳。もしかしたらここが限界なのかしら…。』
本当に苛々させられる。
長年俺が可愛い弟として積み重ねてきたスキンシップの可能範囲を、あいつらは大した苦労もせずに一気に狭めてくる。
そんなこと露知らぬミュリーは口元に手を当てて何やら考えている様子だ。
『シャルが好きだから撫でるのも許せないのかしら?ならシャルに婚約者や彼女ができたら控えなければいけないわね。』
「婚約者も彼女もつくりませんよ…。」
俺がため息混じりに言うと、ミュリーは驚いた顔をした。
『どうして?シャルは将来素敵な男性になるだろうなって思うの。可愛いお嫁さんを貰って幸せになれるわ!』
いつも話がどこか噛み合わない姉に思わずこめかみを抑える。
俺の幸せは結婚で間違いないけれど、相手が誰でもいい訳では無いのに。
『それに私、シャルの子供を見たいのよ!今も可愛いけれど、小さいときのシャルはとても可愛かったもの、もう1度見たいわ。』
じゃあ俺と姉さまで作ろうよ、とは言えず、口を噤む。頭が痛い。人生上手くいかないことばかりだ。
それを見るとミュリーは機嫌を損ねたと思ったのか目に見えて焦りだした。
『ほら、シャルはいい子だし、可愛いし、頭もいい、運動もできる。ファンクラブが出来て当然よね。誰かに愛されるのは貴重だから、あの子たちを邪険にはしないで欲しいの。レイアにも そろそろ弟離れしなさい、って怒られちゃったことだし。』
1歳しか違わないのに、ミュリーはこうやってよく俺を諭す。
人生経験値で言えば俺の勝ちだろうに、ミュリーはどうしてこんなにも大人びて見えるのだろうか。
遠かったり近かったり、まったく掴めない。
「はぁ…。ねぇ、今日の調理自習何作るんですか?」
がしっと肩を掴むと、ミュリーは驚いたようで体を跳ねさせた。
『え?あぁ、サンドイッチよ。』
「食べたい。噴水前で待ってる。昼休み、絶対に来てくださいね?」
俺は返事を待たずに踵を返した。俺たちの教室は真反対、もうすぐホームルームが始まるのだ。追いかけてこないだろうと踏むが、予想に反してミュリーは俺に駆け寄り手を握った。
『あっ、あのね、私シャルのことを、とてもとても大切に思っているわ!弟離れだってしたくないの!』
「…もしかして、俺が拗ねたと思っているんですか?」
『ええ、思っています!』
真剣な眼差しで俺を見詰めるミュリーを見ていると、なんだか笑いがこみあげてきた。
大切に思うの程度なんてたかが知れている。弟離れって言ったって俺は随分前から姉という認識ではない。どうしてこうも意思疎通ができないのだろうか。
「ありがとう姉さま。でも拗ねてなんかないです。じゃあ昼休み、待ってますね。」
『ええ、シャルのために頑張って作るわ!』
無邪気な姉が果てしなく可愛くて、俺はミュリーの額にキスをした。驚いて固まるのを他所に、鳴り始めたチャイムに間に合うように俺は走りだす。これは逃げではない、戦略的撤退だ。ミュリーの頭に、少しでも長く俺がいるように。
昼休み。ミュリーが嫌がらせを受けていないか心配になった俺は、調理室から噴水までを往復していた。
1往復すると、噴水近くにいるミュリーを今朝の女子に加えて数人が取り囲んでいるのが見えた。完全にデジャヴ。一足遅かったかと激しく後悔した。どうやら上級生もいるようだ。
『皆さんはシャルのどこが好きなのですか?』
場を丸く収めるのが下手すぎる。あの姉は今何故 会話をしようとするのだろう。
ファンクラブの令嬢たちは頬を赤らめて急に体をくねらせて口々に話し始めた。
「それはもちろん!私たちを見るあの!蔑むような目よ!」
「冷たくて、刺すようなあの視線…殺されてもいい!」
「素敵よねぇ、ほんとに!」
『…え〜…そ、そうなんですね。私には甘ったれた姿しか見せてもらえないので、なんだか新鮮なお話です。』
あ、良くない。駆け寄ろうと1歩踏み出す前に、ひとつの手がミュリーを突き飛ばした。
「何よっ、自分は特別だって言いたいの!?」
「何それ信じられない…!」
よろめいたミュリーに追い打ちをかけて、沢山の手がミュリーを押し飛ばす、その先には噴水。駄目だ、間に合わない。
「姉さま!!!」
ミュリーは両手にバスケットを持ったままバランスを崩していたせいで受け身をとれず、小さな水しぶきを上げて 右肩から倒れ込んだ。
俺に気づいたやつらは急に猫撫で声でミュリーを見下ろした。
『…………………』
「あっは、大丈夫〜?」
「ごめんねぇ、ずぶ濡れだねぇ〜?」
「遊んでたら転んじゃったんだよね?そういうことだよね?」
「私達がシャアル様とランチにするから、保健室行ってきたらどうかしら?」
『嫌です。』
俺はじゃぶじゃぶと水をかき分けてミュリーの傍に行くが、ミュリーの目に俺は映っていない。じっとりと、たじろぐ女共を睨みつけている。
水の中に座り込むのは良くないと脇の下に腕を入れて立ち上がらせると、ミュリーは俺を抱き寄せた。そして俺の頭を自分の肩に乗せさせる。視界には俺たちの足元と水しか見えなくなった。
『ひとに手をあげるクズは、シャルの視界に入ることさえ許しません。この件は貴女たちのご両親にも伝わると理解していてくださいませ。』
「な…!なんでお父様とお母様が出てくるのよ!」
怒りに震える声を抑えようとしてか、ミュリーは力一杯拳を握っている。今まで言葉の暴力は散々受けてきて、それでも笑っていたくせに この変わり様は何なんだ、混乱が隠せない。
『言葉遣いは幼い頃から染み付いた癖、気を抜けばすぐに悪癖も出ましょう。好きならば感情が昂ることもあります、悪口やきつい物言いを否定はしません。ですが、人に流されて人を傷つけ、その上それを都合のいい方に誤魔化すなんて許せない。そんな醜い姿、とてもじゃないけれどシャルには見せられません。即刻退きなさい。』
少しして抱き締める腕が緩んだ時には、俺たち以外はいなかった。
青空のようなミュリーの瞳は物憂げに揺らめいていた。
どことなく漂う艶っぽさに生唾を飲み込んだ。
『……私たちずぶ濡れね。先生に怒られてしまうかしら?』
困り顔で微笑まれて、俺ははっと我に返った。
濡れた体で抱き締められたせいで、俺までしっかり濡れている。
くしゅん、とミュリーがくしゃみをした。
「姉さま、早く体を拭かなきゃ体を壊しますよ!」
『そうね、今日は少し曇っているし流石に寒いわ。』
俺は水に浮いたバスケットを掴んで、ミュリーの手を握った。随分冷えている。ひゅっと喉が鳴る。俺のせいで、あいつらのせいでミュリーがこんなことに。
「……ごめんなさい、俺が食べたいなんて言わなければ、姉さまが突き落とされることも無かったのに。」
『シャルのわがままをきいてあげるのが姉さまの趣味なの。全然気にしていないわ。』
ざぶざぶと水をかけ分けて進み、芝生の上に戻ってきた。
ミュリーは俺から手を離してスカートを雑巾のように絞る。
ぼたぼたと溢れる水を見て、何とかせねばと考えを巡らせに巡らせて、ひとつのことを思いつく。
「…姉さま、あれのことは俺がなんとかしますから、何も心配要りませんからね。」
『私も手伝いましょうか?』
「ううん、姉さまは何もしなくていいですよ。」
にんまり、心の中で笑う。
姉さまに手を出さなければ何もしなかったのに。しつこく付きまとわれても、要らない大量のプレゼントも、やたら自分を推す縁談も、我慢できたのに。本当に莫迦なやつらだ。
「僕ひとりで出来ますから。」
放課後、俺は部屋で空いた小瓶に指を突っ込んでいた。
俺の魔法は、口にしたことがあるものならば何でも創造できる魔法。
ルアシータ家に引き取られる前にいた研究所で、ひと通りの毒は飲んできた。その中の、神経麻痺の毒を小瓶に溜めている。
これを料理長に渡して食事に混入させ、あいつらを処分するのだ。遅効性の毒だし、発症は明日の昼前になるだろう。最高の警備環境のこの学園に毒は持ち込めないが、学園の中に毒を使える魔法使いはたくさんいる。容疑者が多すぎて解決できないだろう。
「ははは、殺さないでいてやったんだ。恩に着てくださいね。」
今日の俺はひどく機嫌がいい。殺してやりたいところだが、ミュリーに免じて命だけは助けてやろうじゃないか。
小瓶に溜まった透明な液体を揺らしながら、俺は笑いを堪えきれなかった。
数日後、ミュリーに手を出した奴らは学園から消え、不穏な噂の流れたファンクラブは解散となった。




