怖いもの
2年生になってはじめての長期休暇が始まったが、私はルアシータの屋敷には帰らずにいた。否、帰れずにいた。
終業式の後、ダミアンにちょっと寄ってく?と言われて国王皇后陛下にご挨拶をして、それから帰るはずだったのだが、外は近年稀に見る土砂降り。田舎のルアシータ領に安全に帰れる天気ではない。
美味しいお茶、美味しいケーキ、豪華な客間で王子様と過ごす。すごい贅沢だかかなり気を使うし、一分の隙も見せられない。心労が半端ではない。
『…雨、やみませんね。』
「1晩降りそうだね。無理に帰っても危ないし、ミュリーには今夜は泊まって欲しいな。」
こんな気の休まらない1泊は他にないだろう。しかし他に打つ手なし。私は微笑みを絶やさぬよう、気をつけすぎて死にかけている表情筋に鞭を打った。
『そうですね。お言葉に甘えさせてもらいますわ。』
それを聞くとダミアンはティーカップをソーサーに置いて立ち上がった。
歩きだした彼を急いで追う。いつもは私を待ってから移動を始めるのに、これはなんだか珍しい。
「それじゃあ案内するよ。ここは客間だけど、あの扉の向こうは客室になっているんだ。ほら、こんな感じで。」
『わぁ、そうなんで、す、ね…。』
開いた扉の向こうを見て、驚いた。たぶん顔にも出てしまっている。こんなにおどろおどろしい部屋見たことがない。ここでどんな凄惨な事件が起きたのか知りたくもない。
「ミュリー?」
私の様子にダミアンが首を傾げている。なんとかまた微笑もうとするが無理だった。
絶対にいわく付きだ。絶対に。電気が消えてるから怖く見えるとかそんな陳腐な理由ではない。
私の本能が拒否している。あと普通に見えるし怖い。しかしこの客間に通されたのに別の部屋を希望するのもおかしな話だ。
正しい異性との関係や距離をまだ把握しきれていないから、できればこんなことしたくないのだが、相手はまだ子供だし、これはもしかしたら命に関わるかもしれない。私は意を決した。
『あ、あのー…』
「どうしたの?」
『情けない話ですが、知らないお部屋で、ひとりで眠るのって…お化けが出そうで怖いのです。今夜はダミアン様のお部屋にお邪魔できませんか?』
言い終える前から、ダミアンは驚愕の表情を見せていた。
それはそうだ。婚約者とは言え、子供とは言え、同衾だなんて。
「もちろんいいよ。」
感情を押し殺した顔と言葉。そうだろう、ダミアンもあまり宜しくないと思っているはずだ。申し訳ない、我が身が可愛い。
「それじゃあすぐに必要なものを用意させるね。部屋まで案内するよ。」
『よかった、安心しましたわ。次に来る時までにはひとりで眠れるようになっておきますから、今日だけは我儘をお許しくださいませ。』
「いやいいよ、気にしないで。」
ダミアンは声が隠せないほど震えている。本当に申し訳ない。でも私もこれ以上ここにいたら無様な程に恐怖し眠れない夜を過ごすだろう。いや、眠れるかもしれない。それは永遠の話になるが。とにかく背に腹は変えられぬ。
私は豪奢な調度品や絵画の飾られた廊下を案内され、ひとつの大きな扉の前に立った。ここがダミアンの部屋なのだろう。
入ろうとすると、侍女が近寄り頭を垂れた。
「ダミアン様、お食事のご用意が整っております。ミュリー様もご一緒にどうぞ。」
「わかった、今行くよ。」
『ありがとうございます。』
ダイニングでテーブルについていたのは、王子たちだけだった。話を聞くところによれば、両陛下は夕食は仕事の区切りがついた時に摂るらしい。
みんな気さくなひとで、私はすぐに打ち解けた。やはり王子たるもの、コミュニュケーション能力が必須なのだろう。
「へぇ〜〜じゃあ今日はミュリーちゃんはダミアンの部屋に泊まるの?」
『はい。お恥ずかしい話ですが、慣れない環境だと怖くて眠れないのです。』
「危険度で言えばダミアンの部屋も充分危ないけどな。」
「兄様!変なことを言わないでください!」
ケラケラと笑う第1王子に、ダミアンが顔を青くしながら大声を出した。いつもすかした顔でお兄さんぶったダミアンも、兄弟の前ではすっかり弟の顔をしている。珍しいものを見た。
いつか、この第1王子が娼館に出入りしていたことで王位継承権のごたごたがあった。こいつならばやらかしかねんという感想だ。第2王子は私の周りにはいない、落ち着いた穏やかな人柄だ。経験上、ハードな性癖を持っていることが多い為油断はならない。能ある鷹は爪を隠すものだ。
「ところでミュリーちゃんはパンとサラダで足りるの?」
『はい。どうも肉や魚が苦手で…、食べないでいられるなら食べません。』
「へぇ、小柄なのはそのせいか。」
メインの肉料理を口にしながら長男は首を傾げた。
ダミアンとそっくりな仕草に笑いが込み上げるが噛み殺す。
『でも最近兄弟に背を抜かされてしまったので、仕方なく大豆を摂るようにしていますわ。』
「それはそれは、将来有望だね。」
「兄様!!!」
ダミアンがまた大声を出す。
純粋な少女ならわからないだろうが、私は汚れ腐った記憶のある10歳ゆえ理解出来る。胸の話だろう。しかしわかるなんてことは許されないのでキョトン顔をして見せた。
それを見たダミアンが肉料理を完璧な作法で、しかし3割り増しのスピードで完食すると立ち上がった。
「ぅあぁぁもう、デザートは部屋で食べる!ミュリー、行こう!」
『あ、はい。…また今度、ダミアン様のお話を聞かせてくださいね。』
「もちろん。」
私は小声で兄様方に言うと、のんびり食べていたトマトサラダを食べ終えると立ち上がり、扉の外で待つダミアンを追いかけた。
「ミュリーちゃん、行ったな」
「ああ、そうだな」
「……あの客間さ、出る部屋だよな」
「ああ、そうだな」
「自分の部屋に泊まるよう仕向けたよな」
「そうだな」
「やばいよな、頭おかしいよな、怖いよな。」
「わかりきってたことだろ。あと兄様が女教えたんだろ?なんとかしろよ。」
「やばいよな」
「はぁ…」
「この雨もあいつが何かした様な気さえするよな」
「そうだな」
「無事だといいな」
「…ああ、そうだな」




