愛
婚約者様に案内されたのは広大な中庭の隅、木陰のベンチだった。遠くに噴水があり、水の流れる音が微かに聞こえる。植木には花が咲いている。どこかの庭園のようだ。
やわらかい日差しも相まって眠くなるし、ずっとここにいたい気持ちになる。午前授業万々歳だ。
落ち着きなく周りを見ていると、ダミアンは自分の座った隣をぽんぽんと叩いた。
「ほら、僕の隣に座ってよ。」
『素敵な場所ですね。失礼致します。』
言われた通り隣に腰掛けると、距離を詰められた。不思議に思うし近いのが気になるが、また距離をとるのも失礼だ。
しばし無言の時間が訪れた。
どうしましたかだと単刀直入過ぎる。
心配事なら相談に、なんて身の程を知らなすぎる。
最近はどうですかなんて最悪だ、先刻刺客に狙われる話題が出ていた。
私は無い知恵絞って会話を考えているが、ダミアンはのんびり目を瞑っている。
『…髪留め、学園でも付けてくださるのですね。』
当たり障りのない始め方を迷いに迷って、ようやく切り出した。
ダミアンは目を開けて私を見ると、先程とは違い自然な笑みを浮かべた。やはりレイア嬢はメンタル的によろしくないのだろう。あのわざとらしい笑顔になるのもまぁ頷ける。
「そうだね、ミュリーからのプレゼントだもの。ひとときも離さず身に付けているよ。」
『ふふ、光栄ですわ。』
相変わらず人を気持ちよくさせるのが上手い喋りをするものだ。9歳でこれなのだから、将来女たらしにならないか心配してしまう。
会話が途切れると、ダミアンはまた目を閉じてしまった。
最近は公務で少し忙しそうにしていた。もしかしたら疲れているのかもしれない。
わざわざ話しかけることもせずぼんやり草花を眺めていると、ふと髪留めが緩んでいることに気がついた。元々紐で髪を結い、紐をリボン結びにしているだけの代物だ、すぐに落ちて当然だろう。
ベンチの後ろにまわり一旦髪留めを抜き、結い直してまたリボン結びをした時に私はさっきの光景を思い出した。
______触られたくなかったんだった。
『…ダミアン様、無神経にも御髪に触れてしまいましたわ。申し訳ございません。』
寝ているかもと小声で話しかけると、ダミアンは起きていたようで目を開け上を向いた。綺麗なルビーが私の姿を捉えた。
ふっと花がほころぶように微笑むと、彼は伸ばした手で私の頬に触れた。
「謝らなくていいよ。ミュリーになら触れられても嫌じゃないし、むしろたくさん触れて欲しい。」
『しかしレイアさんには…』
「ミュリーは僕の特別なんだよ?婚約者なんだから。怒るわけないじゃない?」
細い指先が私の頬の贅肉をむにむにと弄ぶ。
そういう言い方をすると殆どのご令嬢は好意だと飛び跳ねて喜ぶのだろうが、私はこれがビジネスだとわかっている。公爵令嬢と王家の婚姻なんてそういうものだ。無駄な勘違いをしないで済んでよかったーなんてふと思った。
『そう言えば、今日は何の御用でしたの?』
「特に何も。」
そう答えると頬から手を離して、王子は大きく伸びをした。
先日、第1王子が王都の娼館に出入りしていると平民の間で話題になってから、ダミアンは王位継承の件で何かと大変そうにしている。是非第2王子に王位を擦りつけてほしい。私はのうのうと生きていたい。
私は隣に座り直し、自らの太ももをぽんぽんと叩く。
それを見たダミアンは首を傾げた。
「…なぁに?」
『………………………膝枕?』
もしかして膝枕なんて文化はここにはなかったか!とヒヤヒヤしたが、ダミアンはころんと転がって私の太ももに頭を乗せた。その頭を撫でると彼は幸せそうに目を閉じる。18プラス9で、27歳の母性が今溢れ出ているような気がする。ダミアン様がとても可愛いと感じた。
『お疲れのようでしたので。お昼寝には最適の陽気ですし、今日くらい寝てしまいましょう。』
「…そうだね。ありがとう、ミュリー。」
しばらくそのままで、恐らく30分ほど経っただろう。そろそろ足の限界だ。よくもまあここまで耐えたものだと自分で自分を賞賛する。王族がベンチで寝るなんてヤバいのでは?という思いだけで耐えたがもう無理だ。
しかしそっと頭を抱えて降ろそうとしても、ダミアンは私の腰にしがみついて離れない。高い鼻先が臍下を擽る感覚は我慢できないほどこそばゆい。絶体絶命のピンチ!そこに現るヒーロー!
「…何をしているの?」
レイア嬢〜〜〜〜〜〜〜!
見られたくないランキング堂々の首位獲得おめでとうございます!つきましては是非ともお帰りください!!
『こんにちは、レイアさん。王子は疲れて眠ってしまっているんです。』
「え。そんなにしがみついているのに起きていないの?」
『きっと寝惚けているのですよ。ダミアン様が私にしがみつくなんてあるわけないじゃないですか?』
納得出来ないという顔をされるが、こちらとしても納得出来ない。まあ傍目しがみついているのだからその気持ちはわかる。
レイアは腕を組み軽蔑にも似た眼差しで私を見た。
「あなた、ダミアン様のこと本当に愛しているの?」
こりゃまた切れ味抜群の言葉が飛び出したもんだ。どう答えても泥沼だ。
ダミアン様を巡って決闘よ!なんてなった日には泣いて夜を明かすしかない。
『人の婚約者を想うのは勝手ですが…レイアさんの行いは目に余るものがあります。レイアさんこそ、自分が何をしているのか理解していますか?』
「わかっているわよ!破廉恥ではしたなくて無様でとっても嫌になるわ!でも私はダミアン様と結婚したいのよ!好きになってしまったの!」
目に涙を溜めて言う姿に嘘は感じられない。
そこまで真剣に思っていたとは驚きだ。財産目当てだとばかり思っていたが、素直にダミアンを愛しているのだろう。
私は漸くレイア嬢に向き合う気になった。
『私はダミアン様を婚約者として愛しているかどうかはまだよくわからないの。』
レイアが私をじとりと見詰める。
少し身動ぎしたダミアンの頭を撫でながら、起こさぬように声のトーンを落として続ける。
『ですが確かに大切な友として愛しています。一緒に出かけたり、こうやって2人で過ごすのはとても楽しいと感じるわ。この気持ちが将来どう変化するのかはわからないけれど、大切にしたいと思っています。なにぶん私、友達がいないので。』
唇を噛み、俯いてしまったレイア。
ばきっと音を立てて植木からレウスが立ち上がった。
『え?』
突然のことに理解が追いつかない。まさかずっと隠れていた?
制服についてしまった枝葉を手で払い落とし、レウスはレイアの隣へ立った。
「レイア、もう行こう。ミュリー様がどうであれ、結局大切なのはダミアン様がミュリー様をどう思っているかなんだよ。」
「……………………わかってるわよ。」
震えた声でレイアは言い、踵を返すと走り去ってしまった。
「ミュリー様、レイアは本気なんです。ちょっと空回りしがちだけど。真面目でいい子なんです。」
『…何となくわかっているわ。レウスさん、毎回レイアさんのケアを任せてしまってごめんなさい。』
レウスは力なく首を左右に振ると、もう遠くに見える姉を追って走って行った。
その時ダミアンがぽつり、呟いた。
「どうしようかなぁ」
『…え、起きていたんですか?』
「……………」
返事はない。いつ起きたのか、はっきりした寝言か。
私としては後者と信じたいところだが、ダミアンは口がかたい。真相は闇の中となるだろう。
その後揺り起こそうとしたら寝惚けた様子のダミアンがもう少しと呟いたので、仕方なく痺れた太ももに鞭打った。




