静かで騒がしい予兆
やめろ。やめてくれ。さっきから同じ詩が頭の中を駆け巡っている。
悲しく、痛ましく、救いがない。あぁ本当……吐き気がする。
誰の事を謳っているんだ?これが本当なら、その男は一体何をしたって言うんだ。そこまで苦しまなければならないのか?許されることはないのか?そんなの………可哀想じゃないか。
『罪人望みて隠り世臨む』
『極する理想の代価は器』
『五裂く体に、残るは心』
『夢は幻、現に鎖』
『笑うは百から一引く九十九』
『失意に嘆きは裏腹と』
『九十九の驚倒、着く目の荒唐』
『後に心は鎖を解かれ』
『器を被りて花を摘む』
『心を毒に、器は虫に』
『みるみる花は紅みを増して』
『奇なる忌なれと美しく』
『一度の優美と次なる誰か』
『花は夢見る死に逝く時を』
『幾千月日の楔を打たれ』
『生きるは非情に死は無情』
『其れ悪なるに相応しく』
『故に真は悪なるべく』
「…………っ!?」
遊は目を覚ます。起き上がり時計を見ると、時刻は午前3時を指していた。
うなされていたのか、寝巻きは汗で体に張り付き、酷く鬱陶しい。
「何だ……今すごく、嫌な夢を見ていたような…。」
思い返してみるも内容は出てこない。不快感だけ残して忘れてしまっていた。それは悪夢であったがはずだが、同時に大切な事のような気がしてならない。恐らく、悪魔に関する何か。
「……そうだ。マクアはどこに…。」
リビングを見渡してみるが、日は出ておらず、灯りもない状態で見つけられるわけがなかった。
遊は立ち上がり、部屋の中を探す。
「…………あれ?」
歩いていてふと、不思議に思うことがあった。あれだけ酷使した足に、全く疲労を感じないのだ。
眠りにつく前、悪魔が足に何かしていたのを思い出す。詳細は不明だが、それが理由と考えて間違いないだろう。
謝意を伝えようと考えた遊は、驚くほど軽い足で家の中を探し回る。
一階を全て探したが見つからず、遊は二階に上がった。そしてすぐ正面にある自室の扉を開けると、いつもと違う箇所を発見した。
「ん、窓が開いてる…。」
入って右手の窓が、半分ほど開いていたのだ。そこから入り込む風は、遊が扉を開けたことにより一層強く吹いた。
カーテンがなびく。それはまるで、『こっちにいるぞ。』と、手招きをしているようにも見えた。
「………………。」
何故だろうか………今、マクアに会うのが少し怖い。しかし止まる気はない。自分の中の、抗えない何かが足を動かす。
遊は窓から身を乗り出すと、雨避けを掴み、壁の継ぎ目に足を掛け、一気に身を屋根へ乗り上げた。
「んっしょ!………何か屋根に縁があるな…。」
そんな軽口を叩きながら顔を上げる。
そこには確かに悪魔がいた。しかし、それは遊の知っている姿ではない。
ブロンドの髪をオールバックに固め、モノクルを掛けた、鋭い目つきの中年の男。その瞳は、月に照らされ鮮やかな青色を映し出していた。体は長身の痩せ型。シルエットを出すかのような黒のプールポワン着用し、紺のマントで覆ってる。
その姿は悪魔のそれではない。その姿は………どう見ても人間の姿だった。
「…………マクア?」
予想外の事に目を何度も瞬かせた。
呼ぶ声が聞こえたのか、悪魔は遊の方へ顔を向ける。その際遊がまばたきをすると………いつもの悪魔の姿に戻っていた。
「目が覚めたか?だが、まだ時間は早いだろう。もう少し寝ていても良いのではないか?」
「あ、あれ?いつものマクアだ…。」
「……?何を言っている。寝ぼけているのか?」
遊の反応に、悪魔は訝しげな表情をしている。目の前にいるのは、何も変わりはない、見知った悪魔だ。
遊は戸惑いながらも、悪魔に質問をする。
「なぁ、さっきの姿って何なんだ?」
「さっきの姿?貴様が言っていたカイムとやらか?」
「違うよ。鋭い目つきの金髪オールバック姿の事だよ。」
「!?」
そう言った瞬間、悪魔の瞳孔が開いた。それほどまでに、遊の言葉は衝撃的だったのだろう。
「どうして、その姿を…。」
「どうしてって……さっき自分でなってたろ?」
遊は何気は無しに答えたが、悪魔はそれを聞いて、ブツブツと独り言を始める。その様子は真剣で、言葉を挟むは憚られた。
やがて考え事が終わったのか、悪魔は遊を見る。
その目は酷く弱っているように見えた。悲しみや絶望と言った、負の感情が混ざり合い、今にも擦りきれてしまいそうな目だ。
「あ………わ、悪い!やっぱ寝ぼけてたみたいだ!お休み!」
そんな目に耐えきれず、遊は悪魔が何かを言う前に、そそくさとリビングに戻っていった。
残された悪魔は、追うでも、引き留めるでもなくその場に佇む。
「すまない……こんな形で…。」
受けとる相手のいない言葉は、虚しく夜の闇に溶けていった。
リビングに戻った遊は、すぐソファに寝転がる。頭の中は幾つもの疑問が渦巻いていた。
そんな中、一つ、小さな疑問が浮かび上がった。数あるなかで拾い上げた、小さな疑問。
(………どうして俺は、あの姿をマクアだと思ったんだ?)
答えは出なかった。それを考えている間に睡魔に襲われ、中断されてしまったからだ。
朝。いつも通りの時間に起きた遊だったが、汗を流すべくシャワーを浴びていた。登校時間は十五分ほど遅れるが、毎日三十分前には着いているため、特に問題は無い。
程よい温度のお湯が体を洗い流していく。余程汗が不快だったのか、洗い流す感覚が気持ちよく、遊はご機嫌に鼻唄まで歌っていた。
「~♪~♪」
気分が乗り、鼻唄がサビに突入する。その時、換気のため少しだけ開けていた窓から、何やら声がした。
何とはなしにその方向を向くと─
「何を歌っているのですか貴方は?」
窓の隙間から、ハニエルが覗いていた。
「ウワホォイ!?」
驚きのあまりよく分からない声が出た。
え?何?ラッキースケベ?逆だろ普通!チェンジ!チェンジ!え、ロリコン?あ、いや、違うんです…。児童ポルノとかじゃなくて………警察?いや、本当誤解です!被害者なんです僕!あ、ちょ、待って!助けて、助け、たす……いやああああぁぁ!
「いやああああぁぁ!」
「気持ちの悪い人間ですね。」
混乱と驚きで、意味不明な思考回路に達した遊を、ハニエルは蔑むような目で見ていた。
軽く発狂したことにより、少し正気を取り戻した遊は、しゃがんで正面を隠しながらハニエルに叫ぶ。
「な、なな何でここにいるんだよ!ってか、何で覗いてるんだよ!覗き犯罪ダメ絶対!」
「貴方が遅いからでしょう。こちらの準備は終わっているのです。早くしなさい。」
「は?準備?」
主語の無い説明に首をかしげる。しかし、すぐその答えに到達した。
今、遊の目の前にはハニエルがいる。召喚された天使(悪魔もだが)は、召喚者から五十メートル以上離れられない。つまり、その範囲に結夢が居ると言うことになるのだ。
そして、結夢の家は遊とは反対方向。それにより導き出される答えは──
「おっす志神ぃ!一緒に学校行こうぜ!」
と、言うことだった。
登校の準備を終わらせ、悪魔と共に家を出た遊。まさかとは思っていたが、実際そんな理由だった事に、少々呆然とした。
「ん、どうした志神?変な顔して?」
「………紫野月の家って反対方向じゃなかったっけ?」
「そうだけど?」
それが何か?とでも言いたげな結夢。ここまで堂々たると、遊の方が間違っているような錯覚さえ起こる。
「い、いや、何で俺の家までわざわざ来たんだよ…。」
「さっきも言ったろ?学校行こうぜって。」
「だからぁそっちの理由だよ。」
「ん~?学年一位、二位で、同じクラス。それに加えて誕生日も同じ。ほら、何か運命的だろ。こりゃ、一緒に学校行くっきゃない!」
冗談めかして笑う結夢。遊はその仕草に少しドキッとしたが、すぐ冷静になり、ため息を吐く。これ以上問答を続けても、はぐらかされるだけと判断したからだ。
苦笑いをしながら両手を挙げ、降参のポーズをとる。
「まいった。一緒に行こう。」
「そそ。それでいい。じゃあ行っか!」
結夢の言葉を合図に、遊は歩き出す。横には結夢がおり、後ろにはハニエルと悪魔。
悪魔だとバレて無いにしても、『天召』を行った者同士が仲良く登校していると言うのは、周りから見ると異質な光景だ。すれ違う人々は、一人残らず遊たちを一瞥していった。
向けられる視線にいたたまれない遊とは逆に、結夢はとても嬉しそうだった。
その表情に悪い気はせず、遊は極力周りを意識から外しながら、雑談をして通学路を歩く。
まさか、こんな風にクラスメイトと登校する日が来るとは思っていなかった。楽しい、と言うのが正直な話。
息苦しい学校に、物悲しい我が家。そんな日常から、急に賑やかな日常へと変わる。
悪くない…。だが、そう思うのも束の間。結夢と出会ったことにより、賑やかな日常は、騒がしい日常に変わるのだ。
もちろん、当の本人はまだ知らない。これから起こる、学園大騒動を…。




